第六話「吸血鬼、ちひろと新生活」
ロベルトとちひろが屋敷に移り住む日がやってきた。
それまでの期間はちひろの家で過ごし、ネット環境に恵まれたことで現代知識を得ることに成功。そして、ちひろに常識を叩き込まれることで現代人としての立ち振る舞いも身につけたロベルト。
つまりは転居までの日々もそれなりに充実したものであった。
さて。引っ越しで各々が所有していた荷物を屋敷に運搬することはなく、全て家具は新しく買い揃えていくことにした。そもそもロベルトはこちらで使えるような家具を持っていないから当然であるが、家財道具を一新したのはちひろも同じだった。
ロベルトが全て彼女に買い与え、ほぼ荷物を自宅から持ち出す必要はないように計らった。
そこには彼なりに「ちひろの自宅から彼女が抜け出た」ような構図を作りたくない思いがあったのだ。彼女の自宅は賃貸であるため、しばらくは維持するために彼が家賃を払い続けることを決めていた。
とはいえ、ちひろが気の強い子だからといって遠慮ができないわけではない。寧ろ、そういった部分の均衡を保とうと気を遣う人間だ。
当然そこに関する疑問は発生した。そして、それはまだ彼らがちひろの家で屋敷に移り住めるのを待っている頃の会話だった。
「そ、そんな! 何もかも買ってもらうなんて悪いわよ。家具はウチから持っていきましょうよ。運搬にかかるお金を考えてもそっちの方が安いわ」
「いやいや、これからは家族なんだから気にしなくていいよ。……とは言っても気にしてしまう。分かってるよ。与えられるだけでは申し訳なくなる人間のそういう所が好きなんだよ。だから対等になるよう――君には屋敷で仕事を与える」
「し、仕事?」
「あれ……あんまりやりたいくない?」
「い、いや。もちろんするわよ。ただ、どっかでバイトして家にお金を入れるようにしようと思ってたから……そもそも職場が屋敷なんだと思って」
「できればウチで働いてほしいね。僕は君に与えたいだけのものを与え、人生を買う。そして、君はきちんと労働をするのだから与えられることに遠慮はいらないんだ。これはいずれ増えていく住人にもいえること。上下関係を生まない昔からのルールなんだ」
という感じでちひろは納得を得ることができた。
彼女としては事件でゴタゴタとして、前にやっていたバイトを辞めることになっていたので助かる気持ちはあった。
しかし、同時に自分がどのように働いて屋敷で暮らしていくのか……それを何となく聞きそびれて今日、屋敷へ移り住む日までちひろは自分の仕事が何であるのか知らないのだ。
だからこそ、このタイミングしかなかった。
ロベルトはトランクに、ちひろはキャリーバッグに入るだけの荷物を持って屋敷を訪れた。そして、いよいよここから新しい生活が始まるのだという思いで屋敷玄関を見つめているロベルトに、ちひろはようやく――このタイミングで問いかける。
「そういえばさ……私ってこの屋敷で何を仕事にするの?」
「あぁ、言ってなかったっけ? メイドだよ」
「え、メイド?」
「うん、メイド。給仕のことだね」
(まぁ、きっと家政婦みたいなことよね。家事をしろって言ってるのよね。……そうよね?)
○
ロベルトの購入した屋敷の大きさはその周辺の住民達の間で建築以来、数年が経った今でも会話に上るほどであった。
屋敷の「門」と形容すべき玄関を抜けると、そこから少しの距離を歩かないと屋敷たる建物に辿りつかない。
そこまでの距離、そして屋敷から周囲を囲む外壁まで全てが庭。芝生が鮮やかな若草色に染め上げる光景は、屋敷の建物、そして外壁の純白と相まって絵になるものだった。
そんな「豪邸」と表現して然るべき敷地内に足を踏み入れ、妙な緊張を感じるちひろ。今日から自宅となる場所といえど、流石に現実感を抱くのは難しい場所。
玄関をくぐり抜け、建物の方へと歩んでいくロベルトを遅れて駆け足で追いかけていくちひろ。
太陽の暖かい日差しと、吹き抜ける心地よい風。
まるでお金持ちのお嬢様にでもなったような想像に酔いしれることができそうな、夢のような光景。大人といって差し支えないちひろの心にもときめきのようなものを与えていた。
そんなメルヘンな心境を少しは楽しんでもいいはずなのだが、
「それにしてもここ、いわくつき物件で安かったとはいえキャッシュで買うなんてすごいわね。やっぱ永遠を生きてるだけあって財産は山のようにあるのかしら?」
裕福とは言えなかった家に生まれたゆえの貧乏性なのか、物の値段だったり他人の所有財産が妙に気になってしまうちひろ。
誰もいないとはいえ噂話でもするかのような小さな声でロベルトに問いかける。
「そうだね。大家族が人生百年、遊んで暮らしても使いきれないくらいには貯め込んであるから、とりあえずお給料の心配はいらないよ?」
「そ、そんなことを心配してるんじゃないわよ……って、お給料?」
「うん。そりゃあ働くんだからお給料は必要でしょ」
「そうじゃなくて、私はここに住ませてもらうのよ? 家具だってちょっと前に山ほど買ってもらったじゃない。……なのにお給料まで出すつもりなの? なんか貰いすぎかなって思うんだけど」
ちひろは形式的な遠慮ではなく、本心でそのように申し出ていた。
彼女にとって分相応かどうかというのはかなり大きな問題で、それは端的に言ってちひろが筋の通らないことを許せない性格なのに起因している。
貰う道理がなければ、自分がいくら得するとはいえ拒否したい。
彼女なりに家賃、水道光熱費、諸々を計算して自分の働きにお給料が入る余剰があるのか……そのように考えたのだろう。
だからこその遠慮。それは申し訳なさからくるのもあるし、行き過ぎた好意を受け取ることに対する恐怖心とも言えた。
しかし、ロベルトはそんな彼女のはっきりとした性格を素直に素敵だと感じながらも、自分の申し出を曲げる気はなかった。
「君がこれからどんな働きをしてくれるかはまだ分からないけど、でもそれに値段をつけるのは僕だ。勝手に値切らないで欲しいな。それにね、お金っていうのは自分を豊かにするために使うものだ。人の全てではないけど、きっと必要なもの。生きる日々に彩りを加えるため、持っておいて損はないんだよ」
「……そう。ほんと、ロロは優しすぎるのよ」
「そうかな? 言っておくけど、僕はメイドの働きぶりに関してはかなり目を光らせるよ? 窓の桟を指で拭って埃がどうだの言うよ?」
「へ、へぇ……上等じゃない。私、これでも母子家庭で妹の母親代わりもやってたんだから。家事スキル舐めんじゃないわよ」
「そっか。期待してるよ」
そのような立ち話もそこそこに――ロベルトとちひろは屋敷の扉を開き、屋内へと入る。
そこは人形の住む家、とでも表現できそうな場所で。
ロベルトが住むにはよく似合うかもしれないが、ちひろは「自分にはちょっと……」と言ってしまいそうな西洋風の家屋。
非現実的で、物語の中のような風景。
しかし――これからは彼らにとって、扉を開ければ「ただいま」や「行ってらっしゃい」が飛び交う場所になる。そのことを思い、二人は顔を見合わせて笑みを浮かべた。
○
翌日の早朝。久しぶりに眠ったロベルトは起床し、何となく屋敷の門の前へと出ていた。
新しい暮らしということで仕切り直しで眠ったロベルト。
ちひろに勧められて買った青と白のストライプというありがちなパジャマを身に纏って朝日を浴びながら大きく伸びをする。
住宅街の真ん中に位置するこの屋敷は常に他人と隣接しているような感覚がして……集落の中にあるという感じがしてロベルトは早くも気に入っていた。
さて、昨日はあれから購入した家具の搬入に付き合い、棚に食器であったりという家具の収納をしたり、広すぎる屋敷内の構造を把握したり……色々と作業に追われていた。
それに関して吸血鬼が疲労を感じることはないものの精神的摩耗のようなものはあった。
それゆえのリセット。
だからこその睡眠。
「あぁ、おはようございます」
ロベルトは見知らぬ女性が目の前を通りかかったので、何となく早朝の気持ちよさも手伝って挨拶をした。すると向こうも驚いた表情でこちらを見つめながらも「お、おはようございます」と返事。
(……うん。こうやってきちんと言葉にレスポンスが返ってくる。僕は今、人間社会を生きてるんだなぁって感じがして素晴らしいよ)
そのように感慨に深いものを感じて「うんうん」と頷いていると、
「ロロ、あんた誰に挨拶してんのよ」
ロベルトが着ているパジャマとはピンクと白という差異がある同じデザインのものを着用したちひろが眠気まなこを擦りながら歩み寄ってきた。
意外にも、ちひろはパジャマのまま表へ姿を露わにすることには抵抗がないタイプの人間であること。そして、色違いのパジャマが傍からみれば恋人同士のように見えるかも知れない、ということにその内気付いて彼女が赤面することは明らかだった。
「いや……早朝の日差しがあまりに心地よいもんだから、ついついノリで挨拶しちゃったんだよ」
「へぇ。まぁ、悪いことじゃないけど……って、当たり前過ぎて考えもしなかったけど、吸血鬼って陽の光に触れても大丈夫なんだ?」
「日光苦手な方が人間にウケがいいならそういうことにするけど?」
「あぁ、そう……つまり大丈夫ってことね」
ちひろはロベルトが何をしているのか気になってこちらへ歩み寄ってきただけだったらしく、踵を返そうとする。
しかし、そこで踏みとどまって「あ、そうだ」と言い、続ける。
「朝食はどうする? 昨日、初めて私の料理を味わってもらったわけだけど?」
ちひろは意地悪な笑みを浮かべてロベルトに言い、彼はそれに反射的な悪寒を感じていた。
彼女の自宅でふたりが屋敷への転居を待っている間、食事は外食だったり出来合いのものを購入して済ませていた。それは今思えばちひろが自発的に「料理をしたがらない人間」ということを暗に示していたのだろう。
それでも――メイドとして任命されてしまったのだから、一応調理をしないわけにはいかないと思った彼女。
昨日の夕飯に初めて手料理を振る舞ったことを踏まえて、ロベルトは朝食をどうするか聞かれたわけだが……、
「とりあえず料理人募集の貼り紙は貼っておこうか。そんでもって朝食か……トーストももしかしてまともに出来ない感じ?」
ちひろの料理の腕前はお察しという感じだった。
「保証はしないわ。何せ、料理だけはお母さんの領分だったから」
何故か得意げに語るちひろが今度こそ踵を返して屋敷へ戻っていき、それに同調するようロベルトもそのあとを追いかけていく。
「まぁ、朝食は最悪コンビニで何か買って今日は済ませるかなぁ……」
ちなみに吸血鬼は食事を必要としない。吸血を栄養源としているロベルトには意味のない行為と言えるが、人間との共存ということで「同じがいい」と彼は思ったのだ。
「あ、そうだ。今日発注してたメイド服が届くから着て仕事してね!」
「……え、メイドって形式的なものじゃなくて、本当にそんな服まで着てやるの?」
言葉ほどのインパクトはなく、メイドという職業はほぼ主婦業だと思っていただけに、ちひろは苦い表情を浮かべる。
「当たり前だよ。昔の家でもそうだったよ?」
「それは時代的に成立してたっていうか……………………まぁ、いいわ。とりあえずまずは朝食にしましょ。着替えて、コンビニ。まずはそれからね」
「朝食のあとにちょっと血も吸わせてね」
「はいはい、分かったわよ」
面倒くさそうに了承するちひろの言葉は……ロベルトにとって感動的なものであった。
吸血鬼としての特性に躓くことなく日常的として受け入れ、返事をしている。しかし、そんな感動も彼の中では段々と薄れていた。
それは転居までの日々でもちひろは血を吸うことに協力的であり、それが慣れという形で日常に溶け込んでいたから。
当たり前になる、ということは恩義にとってあまり良いことではない。
とはいえ、意識しなくなるほどの自然という形が、ロベルトにとっては嬉しいのだ。そんなことで喜ぶことさえしなくなることが、何よりも幸福だから。当たり前が嬉しい存在だから。
吸血鬼と人間の共存生活はこのようにして異質な日常会話を飛び交わせて、ここから始まっていく。
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