第五話「吸血鬼、ちひろと住む屋敷も買う」

「で、屋敷を買ったらどうすんのよ? とりあえず、私はそこに住むことになるわけ?」


 ちひろは自室からノートパソコンを抱え、先ほどまでロベルトと話をしていたダイニングに戻ってくるなり、そのように問いかけた。


 対して飲み終えたマグカップを覗き込み暗におかわりを要求する、お世辞にも行儀のよいとは言えないロベルトの行動。


 ちひろの疑問解消は少し待ったをかけられることとなった。


 どこか弟の世話を焼くように彼からマグカップを受け取り、ちひろはおかわりの珈琲を準備する。この辺り、やはり妹がいる少女という感じであった。


 珈琲をロベルトに差し出し、向かい合って座る二人が覗き込めるようにノートパソコンの位置を修正してちひろは電源を入れる。


 また間違った日本作法を繰り広げようとするロベルトではあったが、突如として目の前に持ち込まれたノートパソコンに目をキラキラと輝かせ興味の全てを奪い取られる。


「おお、何だいこれは。見るからに複雑な操作を要求されそうな外観をしているけれど……もしかして君は今からこれを使って何かしようって言うのかい?」

「……何よ。こんな複雑そうな機械を私が使ったらイメージに合わないとでも言いたそうな。っていうか、ロロはパソコンすら知らないの?」

「パソコン? 言葉としては知ってる。スマートフォンで色々と検索していた時にそういう言葉を見かけた気がする。ただ、その時に必要な情報とは思えなかったから意味は調べなかったんだよね」

「何でスマートフォンを知ってて、パソコンが分からないのよ……」


 ロベルトの現代における理解度は、過去からタイムスリップしてきた人間のようなもので、きっと写真を撮れば「魂が抜かれる」とでも言うのだろうとちひろは認識していたのだ。


 それゆえに中途半端な知識を見せる彼のことがちひろよく分からなくなった。


 何事も中途半端が一番悪いという教訓めいた言葉もあるが、ロベルトは齧った程度の知識は持ってしまっている。だからこそ、日本に来て数日は失敗の繰り返しだったのだが。


「それにしてもスマートフォンを知ってたらパソコンっていうのもセットで理解しているのが常識って口ぶりだね」

「ん? まぁ、どっちもネットに接続できるものだからね。あ……ネットは分かるのかしら。インターネット、よ? キッチンの排水溝につけるやつじゃないわよ?」

「分かるよ、インターネットだろう? スマートフォンで検索した際に利用したのは確かそれだったね。……で、その排水溝ってのは何だい?」

「何でそれが分かんないのよ! ……まぁ、そこに関する説明は省かせてもらうわ。ほんと、何でそんな世間知らずなのにスマートフォンだけは知ってるのか……。っていうか、使ったことがあるのね」

「あぁ、僕がこの間まで住んでいた屋敷の周辺で肝試ししていた人間がいてね。そいつが落としたのを使ってたんだよ」

「あんたどんなとこに住んでたのよ……」


 呆れ交じりの表情とそれに伴うトーンでちひろは語りつつ、立ち上がったパソコンを操作してネット検索画面を開いていく。


「おお、確かにスマートフォンと同じく検索するためのページが表示された! 屋敷を買ったらこのパソコンっていうのも欲しいなぁ。いや、でも利便性を考えればスマートフォンの方がいいのかな?」

「それよりもまずは屋敷でしょ? さっきの質問。私はやっぱりその買った屋敷に住むことになるの?」

「家族なんだから同じ屋根の下で暮らして欲しいね。……あと、もし君の家族を襲ったのが本当に事件であるなら、一人で君がここに住むのは心配だよ。何があるか分からないし」


 ロベルトは淡々と語ったが、思春期の少女にとってやはり同世代の外見を持つ男の子にこうして身を案じられるのは赤面してしまうものなのか、ちひろはそれを悟られまいと顔を背けて片肘をつく。


 ……まぁ、ちひろが特別赤面しやすいというのがあるかも知れない。


 それは男手のない家族だったからなのか。

 それとも彼女の素直になれない性格ゆえか。


(……まぁ、とにかくこの家はしばらく開けることになるみたいね。でも時折、二人が帰ってきたりしてないかは確認しにこよう。それもいつまで、って話だけれど。といっても二人の帰ってくる場所はできるなら残しておきたいな)


 そんな風にちひろは思いつつ、話は終わってないので閑話休題。


「で、私達は屋敷を買うっていっても知識がなさすぎると思うのよ。不動産屋なんて行ったことないし、そもそもロロが言う巨大な屋敷って売ってるものなのかって話。わざわざ建てなきゃそんな家なんて存在しないんだから」

「……そういうものなの? 誰かが使ってた屋敷が売りに出されてたりしない?」

「あんたの時代にはそういう貴族みたいのが屋敷に住んでたりとかあったのかも知れないけど、今だと金持ちでも普通に三階建ての一般家屋じゃないの。多分、今の時代は敷地面積より高さよ」

「広さはやっぱり欲しいんだよねぇ。じゃあ屋敷は建てるしかないのかなぁ……」

「まぁ、それを検索するためにこうしてパソコンを持ってきたんだけどね。不動産情報みたいなものはこの周辺で絞って検索したら出てくるんじゃないかしら?」

「なるほど! ちひろ、君は意外と機転が利くんだね」

「意外は余計よ、意外は!」

「あ。その返し、テンプレってやつだ」

「何でそんな言葉は知ってんのよ!」


 ちひろはとりあえず気を取り直してという意味を込めて咳払いを一つして、ネット検索を開始。地名と物件を慣れないながらも入力して検索していく。


 途中、ロベルトに


「そのキーボードってやつは人差し指だけで入力するものなの? 非合理的じゃない?」


 と指摘され激昂することになるが、こういった彼らの構図もこれからの日常を暗示しているようで、お互いが心の底では楽しんでいるのかも知れなかった。


 そして、検索した結果――。


「ほ、ほんとに屋敷が売り出されてる……」

「しかも思ったより安いんだね。とりあえず現代の金銭感覚にある程度は修正して来日したつもりだったけど、それにしても安く感じるね」

「安いのも当たり前よ……。これ、いわくつき物件だもの」


        ○


「……で、何で買っちゃうのよ!」


 ちひろの家で一晩を過ごし、翌日の夕方。


 陽は傾いて飴色の輝きが街を染める。人々が帰路を歩むのを公園のベンチにて腰掛け、見つめていた二人。


 今日という日にすべき全てをやり終えた充足感。そういったものを満喫するロベルトにちひろは咎めるように言ったのだった。


「いや、だって……これは運命だよ。僕が君を家族にすると決めたのも運命的だったからに他ならない。僕が買うため売りに出されていたとしか思えないタイミング。そういうものに僕は迷わず乗っかるんだよ」

「……って言ってもいわくつき物件よ? 人が死んでるって言ってたわよ?」

「そんなこと言ったら地球上で人が死んでない土地なんかきっとないよ」

「でも人がまだ死んでない建物はいくつでもあるわよ!」


 強い語気で語ったちひろではあったが、その表情に刻まれているのは怒りではなく、落胆だったり軽い絶望のようなもの。


 隣で機嫌よさそうに道中で買ったソフトクリームを舐めているロベルトとは胸中が相対していた。


 ――今日、早朝の五時には眠るちひろを叩き起こすくらいにロベルトは気分が高揚していた。


 一人という寂しさでもあったのか、ダイニングで夜通しパソコンを触るロロの傍ら、リビングで毛布を被って眠っていたちひろは持ち前の寝起きの悪さを発揮しつつ、時計を確認して激怒した。


 眠らなくていい吸血鬼と、人一倍眠りたいタイプなちひろの差であった。


 そんな一日の始まりを迎え、昼前の時間帯から二人は例の屋敷を扱っている不動産屋を訪れた。


 ちひろは当然、いわくつき物件ということで気は進んでいない。しかし、一人で彼が行動して即決で例の屋敷を購入されても困る。


 そのような思惑もあり、ちひろはロベルトに同行して不動産屋を訪れた。


 しかし――結果として、そのような思惑はまったく意味を成さなかった。


 ロベルトは不動産屋を訪れるなり、物件の詳細や実物も確認することなく購入の意志を大声で告げた。もちろん、そのような行動では不動産屋の従業員は呆気に取られるのみ。


 とはいえ、この時点でロベルトの意思は揺るがないのだということを、ちひろは暗に悟ったのだ。


 そして、あろうことか不動産屋までもが物件の購入に慎重になるよう窘める事態となったが、ロベルトは巡ってきた運命に対する興奮が途切れることがないようで、意見を変えることはなかった。


 その後、物件を内見。その際にはあまりの豪邸にちひろは少し「こんな大きな家に住めるのは悪くないかも……」と思ってしまったが、そこは我に返ってロベルトにまだ踏みとどまらせる方法があるのではないかと知恵を巡らせた。


 しかし、もうロベルトは不動産屋と売買契約の話を進めており――結果として、あの屋敷は本当にロベルトが購入することとなった。そして今に至るのである。


「君もソフトクリーム食べればよかったのに。もう家族の一員だから何も遠慮なく僕に奢られてよかったんだよ?」

「流石にそんな気分にはなれないわよ……いわくつき物件よ? 幽霊とかそういうの私、あんまり得意じゃないんだけど」

「何を言ってるんだい。吸血鬼が住んでいる屋敷に怖いものなんてありはしないさ。この日本で一番安全な場所と言ってもいいんだからね!」


 ロベルトは眩しいとさえ呼べるくらいの笑顔をちひろに向け、そんな表情の中にある異質とも言うべき吸血鬼の牙。


 最初はちひろにとってそれが異形の証であるために、彼女の中で畏怖の対象でもあった。


 しかし今、これほど頼りがいのある存在もないのである。


(あぁ、そうか。忘れそうになるけど、ロロは吸血鬼なのよね……。なのに私、それを忘れかけたり、頼れるなんて思ったりして。でも、それでいいのかもね……)


 ちひろは呆れまじりながらも微笑を湛え、そんな表情にロベルトは妙に納得したようにうんうんと頷く。


 優しく、他人を思いやれる吸血鬼かと思えば――こうしてワンマンな部分もある。それでも、ロベルトは自分を受け入れ、自分も彼を吸血鬼として認めた上で共存を図ろうとしている。


 そんな未来の始まりに、少しちひろの心は踊ったのかもしれなかった。


「ロロが吸血鬼って事実、自分の中でどう受け止めるべきかって……ちょっと考えてた。でも、考えていたってことさえ忘れてたわ。だってそうよ。ロロは他人とちょっと違う所があるだけよね。いのりが足を不自由にしてたからって、それを忘れるくらい当然に接してたことと変わらないんだもん」

「そう言ってくれるなら僕は素直に嬉しいよ」

「だから、その……これからよろしくね。ロロ」

「うん、こっちこそ、よろしく。ちひろ」


 改まった形式的な挨拶に照れるちひろと、こういう意思表示に抵抗がないロベルト。これからも見かけるであろう構図。


 そのようにして――吸血鬼と人間の共同生活が始まるための準備は整った。ロベルトが思い描く家族像がどれくらい想像通りで、そして――どれほど予想を覆してくるのか、彼はそんな未来を思えば胸の高鳴りを感じて止まないのだった。


「ロロ、ほっぺにクリームついてるわよ」

「え、本当に?」

(これが吸血鬼だっていうなら可愛いものね……)

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