第四話「吸血鬼、ちひろを手に入れる」

「さて、あんたのプランを聞こうじゃないの。一体、どんな風にして私の希望になるつもりでいるのか……。自分の人生を売れって言われてるんだから、きちんと説明してもらわないとね」


 ちひろは二人分の珈琲を用意し、一つをロロの前に置いて席についた。テーブルを挟んで向かい合う構図。ちひろは気だるげに片肘をついて問いかけた。


 場所はちひろの自宅――というか舞鶴家ということになるのだろうか。夜も更け始め、どこかへ移動しようかと思案していたちひろに招かれる形で二人は現在に至る。


 礼儀礼節が大事だと肝に命じて来日したロベルトは差し出された珈琲を会釈と共に迎え入れ、きちんとマグカップを三回回してから口へ運んだ。


 外国人でかつ吸血鬼だから、という理由だけでは説明がつきそうもない日本文化の思い違い。


 指摘するのも馬鹿らしいのか、ちひろは見てみぬ振りをした。


「その前にその『あんた』って呼び方はやめてほしいね。僕にはロベルトという名前があるのだから」

「……それもそうね。悪かったわ。じゃあ、ロベルトって呼べばいいの?」

「いや。昔、人間達と暮らしていた時は愛称のロロで呼ばれていた。できれば君もそれに倣って欲しい」

「えらく可愛らしい呼び名ね……。分かったわ。ロロね、ロロ」


 把握したと言わんばかりに小さく頷いてちひろも珈琲を口に運ぶ。


 そのようにしながらもぼんやりと彼の言葉を脳内で反芻していたのかも知れない。マグカップを口から話すとちひろは「いきなり話が逸れるけどさ」と言って続ける。


「人間達と暮らしてたってのはどういうことよ? あんたが吸血鬼だってことは……まだ信じ難いけど、まぁ把握したとして」

「ん? 信じ切れてないなら刃物で僕の手首でも引っ掻いてもらえれば、人間のレベルを越えた再生能力で証明できると思うけど」

「い、いや、いいから! 血とかもうたくさんだから!」

「……あ、ごめん。配慮が足らなくて。な、何とお詫びしたらいいか……」


 俯き、一気にずーんと暗い空気を纏うロベルト。


「あーもう、ほんっとどんだけ感情豊かなのよ! 吸血鬼って私のイメージじゃあもっと冷徹っていうか……何か拍子抜けだわ」

「ごめんごめん……で、僕が人間と暮らしていた時の話だっけ?」

「そうそう。危うく話が流れてしまうところだったわ。……つまり、ロロは吸血鬼でありながら人間と暮らしてた時代があるってことでしょ? それってあんたがこの国に来た理由ってのと……やっぱ関係あるの?」


 ロベルトが日本に来た理由はこの家にやってくる道中、さらに詳しく聞かされていたちひろ。


 人間と関わるため。

 家族を作るため。


 ちなみに彼のエゴサーチも踏まえて聞かされていたため、彼という吸血鬼を自分の中でどう受け入れるのかを思案していた彼女は、それが馬鹿馬鹿しくなってしまった。


 ドジな吸血鬼だと心底感じたのである。


「うん、関係はあるね。昔、一緒に人間達と暮らしてた日々が忘れられないから僕はこうして日本に来たんだ」

「ってことはその家族って……やっぱり今は」


 ちひろはロベルトと視線を結ぼうとし、羞恥とは違う意味で逸らした。


 躊躇いがちな彼女の口調。その配慮を読み取った上でロベルトは微笑さえ浮かべて見せ、事もなさげに「みんな亡くなったよ」と言った。


 予想していた事実ではあるものの、突きつけられてハッと息を飲むちひろ。


 彼女も彼女なりに、ロベルトの胸中を考えたのだろう。


 この国に家族を探し求めてきたこと。

 自分が家族を亡くしたことに移入して泣いてくれたこと。


 そして、過去にはロベルトにも家族と呼べる人達がいたこと……それらが折り重なり、彼女なり察したのだろう。


「ロロは永遠の時を生きる吸血鬼なんでしょ。じゃあ、その人達の最後を全部見届けて……それでもロロは今を生きてるってこと?」

「そうだね。一人、二人と亡くなったいったよ。僕は大きな屋敷を持っていた。そこで皆と暮らしていたんだけどね、住み始めた頃は僕よりも背の低かった子があっという間に追い越して……また、僕より低くなった。そして、亡くなる。そんな人の一生さえも僕は見てきたし、忘れることなく今も覚えてるよ」

「……ごめんなさい。察しはついてたのに安易な好奇心で、辛いこと喋らせちゃったわよね」

「謝る必要はないよ。僕は彼らの死を割と穏やかな気持ちで受け入れた。寂しかったけどね。でも、見送る時だけは涙を流さないようにして感謝を告げた。だから僕の中では良い思い出なんだ。辛くなんてないよ」

「そう、なんだ……。あんたって強いのね。吸血鬼だからかしら?」

「ん? 吸血鬼だからこそ、僕は自分自身を弱いと思ってるけどね。どっちらかというとちひろ、僕は君の方が強いと思ってるくらいさ」

「……はぁ? 何でよ?」


 少し身を乗り出してロベルトの言葉の真意を問うちひろ。


 死を自ら選択する矮小さ。


 それを自覚し、今では恥じているからこそ彼女は自分を弱い人間だと考えていた。しかし、ロベルトが語る言葉は何もかもが予想と真逆の返答。


 そして、その解釈の相違はロベルトとしても同じだった。自分が強いと言われ、ちひろは自分の強さに疑問符を抱く。


 何をそんなにお互い弱者になりたがっているのか。

 それを思えばロベルトは吹き出してしまいそうだった。


「ちひろはどうして僕の過去を聞いてきた? 君の中には僕が過去に家族を失っているのだろうという察しがあった。なら、その察した事象を事実だと確認するため? ……違うよね?」


 痛い所を突かれたとばかりにちひろはバツの悪い表情を浮かべ……そして片肘を突きながら顔を背け、微弱な声で語り始める。


「私は家族を二人失っただけ。まぁ、亡くなったのは確定じゃないけど……絶望的とは言われてる。で、きっとロロは私より大事な人をもっと沢山失くしてる。大切な人を失っても生きていける活力みたいなものって……その、吸血鬼だから持てたのか、そうじゃないのか。何となく気になったっていうか」

「なるほどね。まぁ、失った人数の大小は関係ないさ。それを言えば僕は穏便に家族を看取った。それに対してちひろはその……精神的なショックがあまりにも強い事件、だったようだしね。……それはさておき僕が大事な人間の死を乗り越えたのが何も特別なことじゃないとしたら。吸血鬼ゆえの強さじゃないとしたら……君はそれが何なのか知りたかったのかな?」


 指摘するようなトーンで語ったロベルトの言葉に、羞恥や驚きのような感情を通り越したちひろ。それはもしかしたら感動なのかも知れないと思うほどで、ちひろは深いため息を吐く。


「……えらく鋭いのね。それは吸血鬼だから?」

「いや、人生経験の差なのかもね」

「それを言われたら適わないわね。……でも、私はそういう乗り越え方みたいなのがあれば知りたかったのかも。乗り越えるっていうのは忘れるって意味合いがありそうで、何か良くないわね。それこそ――強くなる方法、とでも言うのかしら?」

「なるほどね。それを欲しがれるから僕は君を強いと感じたんだけど……。まぁ、だとしたら僕は君にそれをもう授けているよ。僕があの時、最後の一人を看取った時に授かったものを……すでに与えているんだから」


 ロベルトはそう語り、穏やかな笑みを浮かべ――しかし、それ以上の言葉は付け足さなかった。


 それはちひろが何となく納得したような表情を浮かべたからかも知れない。伝わったという実感を得たからかも知れない。


 そして、ちひろは思ったのだ。

 すでに自分は受け取っていた。


 それはきっとバトンのようなもので、おいそれと誰かに渡せるものではない。誰にでも与えないから、それは特別で……特別だからこそ、無下にはできない。



 ちひろは――ロベルトに「生きろ」と言われてしまった。



 そして、ロベルトも過去にはそのような言葉を受けたから、今もこうしているのだ。不死身のはずの吸血鬼であっても、その言葉が支えになったということの意味。


 誰にでも無責任にそんな言葉は投げかけられない。


 人の死ぬ権利も認めるべきだから。

 でも、それを許さない我が儘がこの世にあるとしたら?

 そんなに愛情に溢れたことがあるだろうか――?


 どんな時代でも、人の心を動かすのは結局そういう感情なのだ。生きることを願う時点でそれは愛し、愛されていると証明するに足る。


 そんな風に結ばれた人と人を何と呼ぶのだったか?


 それを考えた時――ロベルトが提示した自分の未来が分かった気がした。話の主題は大きく逸れつつ、帰結する。


「そっか。私、もう……あんたの家族の一員に換算されてんのね?」

「そういうこと。僕は明日にでもこの国で暮らしていけるように家を買いにいくよ。大きな屋敷がいいな、昔みたいに。そこで暮らしてくれる人間を募って、家族を作るんだ。それは一人目の住人を見つけてからやろうと思ってたことでね。だから――共に生きてくれないかな?」


 まるで日常会話のように問いかけてくるロベルト。対して、彼の誘いに迷いが生じるのはちひろの心境からすれば当然だった。


 家族を失った人間が、他の人間と形式的とはいえ新しい絆を形成していくこと。それはある意味で裏切りではないのか。


 そのようにちひろは考えてしまう。


 現に今、この家に染みついた家族の思い出を全て否定することになってしまわないだろうか、と……考えずにはいられない。


 ならば――この家でロベルトの誘いを断って一人で暮らすのが家族を愛する者にとって最良の選択なのだろうか?


 しかし、ちひろはそこから更に考える。


 もし本当に母親と妹が亡くなっているなら、そこからの視点で二人はどう思うだろうかと。もしかしたら今、考えたようにこの家で暮らし続け、思い出を守る、それを望むかも知れない。


 でも――少しでも笑顔になれるかも知れない環境に身を移すこと、それを後押ししてくれる二人でもあったのではないか?


 それは生き残ったものが希望を前にして恣意的に考えているだけなのか?


 とはいえ、今はどちらにせよ家族の声を聞くことなんてできない。ならば、自分の中にいる二人の言葉が正しいと信じ、希望に歩き出す後ろめたさをも振り切って……自分は今、髪を揺らす追い風のままに歩き出していいのではないか?


(なんて考えるあたり、私の心は決まってるのね。救いにすがりたいから? 吊り橋効果みたいなもの? それとも……いや、分からないけれど。でも)


 二人から裏切り者だともしも現実に罵られるなら、それは幸福な誤算ではないか――。


 思考は纏まり、何度か頷いてちひろは口を開く。


「……口は悪いし、ガサツで、素直になれないことも多い。勉強はあんまり得意じゃなくて、運動神経だけは無駄にいい。特技もないし……もう失うものも何もない。でも、そんな私でいいなら、貰って下さいっ!」


 立ち上がり、きちんと頭を垂れての告白、それはロベルトの流暢で情熱的な語りにも勝ると劣らないものだった。


 そんな言葉は彼の胸にしっかりと響き、彼が「こっちこそよろしく」と返事をしつつ……ロベルトが思うことは一つだった。


(家族とは言ったけど、流石に結婚するとか勘違いしてないよね……この子?)

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