第二話「吸血鬼、ちひろに噛みつく」

 吸血行為によって人間を同族にしてしまうという描写がよくある。


 それをロベルトが腹を抱えて笑いながら見ていたのはまだ屋敷に住んでいて、スマートフォンによるエゴサーチが真っ最中の時だった。


 吸血鬼なりのツボ、とでもいうのだろうか。


 彼にとって人間が抱く吸血鬼の特性はそのほとんどが誤りで、だからこそユニークに感じられたのだろう。


 吸血行為で人間が吸血鬼になったりはしない。寧ろ、それで吸血鬼になるのであれば世界は人間という生き物を現在、どれほど残しているだろうかとさえ彼は思う。


 だからロベルトにとって、吸血鬼が無限増殖していくかのような設定がおかしくて仕方なかったのだ。


 ……とはいえ、まぁ吸血鬼が同族を増やす手段を持っているという部分に限っては事実である。人間を吸血鬼に変えてしまう術をロベルトは持っているし、それを行使することもその気になればできる。


 そう、その気になれば可能なのである。


 だからこそ、ロベルトは過去に暮らしていた人間を吸血鬼にすることで永遠の仲間とすることはできたのだ。が、しかし……その時も、その気にはならなかったのだ。


 吸血鬼特有の価値観、常識、考え方。


 ロベルトが読んだ人間の創作の中で一番近い心理は、永遠というものの苦悩を知っているからこそ安易に人間を吸血鬼の道に引き込むことはできないというもの。


 彼はその言葉に自分の価値観の代弁を見ていた。


 吸血鬼は永遠を生きる存在。種を増やすという本能がそもそも存在しないのだ。基本的には――同族を作るということを吸血鬼は進んでしたがらない。


 家族を引き留められる術だと、知っていても――。


 などと吸血鬼の特性を改めてロベルトが考えていたのは、日本に来て初めての吸血を行うことができたからかも知れない。


 路地裏にて意識が朦朧とする中で出会った少女。彼女が正しい判断力に基づいて返事をしたのかは怪しい所だが、とりあえず吸血行為に同意をしてくれたために、ロベルトは少しの血を拝借することとした。


 まぁ、別に死ぬわけではない。


 そんな思考もあるのだから仮にあとで無断吸血だと言われても、献血の提供先がロベルトだったのだ……というくらいの話で済むだろう。


 今までと違い、襲いかかる必要のないゆったりとした吸血。昔を思い出す感覚もあった。


 突如、気を失った彼女の体を反射的に抱きとめていたロベルトは、朦朧とする意識、そして吸血欲が満たされる瞬間ということで昂った本能を何とか抑圧して、出来るだけ優しく……そして、丁寧に事へ及んだ。


 向き合うような形で彼女の体をしっかり抱き寄せる。人間一人分の確かな重みが、意識を失っているからかロベルトの体に圧し掛かる。


 その、存在を感じる重みは存外に悪い感覚ではなかった。


 しかしあまりもたもたしているわけにもいかないので、丁度口元から良い位置取りとなった首筋、その柔らかな皮膚に鋭利な吸血鬼特有の牙を差し込んでいく。


 瞬間、苦悶にも似た表情と共に吐息をもらす少女。


 しかし束の間の小さな痛みを越えれば、あとはロベルトが必要な分の血を抜くまでの間、彼女にこれといった感覚はもたらされない。


 吸血行為の最中、ロベルトの中で欲求が解消されていく快楽と、思考が鮮明になり眩暈が霧を払ったかのように消えていく清々しい感覚が彼を満たしていた。


 そうしてロベルトが吸血を終え、首元から牙を抜くと深紅の血液が気泡のように二つぷっくりと浮かび出る。


 多少の出血は仕方がないことなのだ。とはいえ、人間にとって吸血行為というよりは、こうやって傷が生まれることの方が負担といえばそうかも知れない。


 とりあえず--そのようにして吸血行為を終えたロベルト。しかし、ここからまた一つ問題が生まれることになるのである。


(吸血はさせてもらったけど、これからどうしようか……。吸血痕があるから何も言わずにいなくなるとパニックになるかも知れない。吸血が何なのかもあの時、分かってなかった感じだったし。なら、目を覚ますまで待ってる方がいいのかな? まぁ、でもここから移動はした方がいいか)


 抱き寄せる形となっていた少女を自分の体から剥がすようにして持ち上げ、俗に言うお姫様だっこの様式で彼女を抱える。


 彼なりの常識に基づいた抱え方。


 ちなみに、このようにして女性を抱えるのが現代の一般常識であるという間違った認識は、創作の世界に毒されたロベルトの勘違いであるというのは言うまでもない。


 そんな抱え方をしているからか、ロベルトはこの時点でようやく少女の外見をしっかりと細部まで視認することとなる。


(今まで沢山の人間を見てきたけれど、その中でもなかなかに綺麗な顔をしている……。鼻筋の通った作りの良い綺麗な顔だ。ちょっと気の強そうな印象も受けるけど、それが本来の性格だったりするのかな……? あと、髪は結構長いけど二つ分けて括っててくれたから僕としては吸血しやすかったなぁ……)


 などと考えつつ、ロベルトは彼女を抱えて路地裏から出ていく。とはいえ彼に行く宛などあるはずがなく、先ほど鳩に餌を撒いていた公園へと戻っていくことになる。


 そして、そこから三十分ほどして――彼女は目を覚ますことになる。


        ○


「きゅ、吸血鬼ぃ?」


 目を覚ました彼女――舞鶴ちひろの驚愕は当然のものだった。


 路地裏にふらふらと歩み寄っていったことを彼女はぼんやりと覚えていた。そして、ロベルトの頼み事に対して雑な返事を出したことも記憶している。しかし、その肝心の頼みごとがなんだったのかをちひろは覚えていなかったのだ。


 だから目覚めて自分を介抱してくれていた人間にまず礼を言ったちひろが「逆にこっちが助けられた」とロベルトに返された時、ピンとこなかったのだ。


 そして、ロベルトが事情を説明していく。


 ちひろが自分の前で倒れたこと。その際にロベルトが「吸血させて欲しい」という旨を頼み、彼女は了承したこと。


 そこでちひろが待ったを掛けた。

 吸血とは何か――と。


 そこに対する回答は一言であり、ロベルトが吸血鬼であるからに他ならない。ならばそれを告白する必要がある。


 まぁ、そもそも彼女に対して自分が吸血鬼であるという事実の開示は、受け入れられるかどうかを考えるまでもなく、血を提供してくれた人間への義務としてすべきことだとロベルトは考えていた。


 だからか、彼はあっさりと答えた。


 そんなロベルトのあっけらかんとした物言いに対し、根限りの声でちひろは反芻したのだった。その空想上の存在の名を。


「そうなんだ。血を吸うことができなくて困ってたんだよ。そしたら君があの路地裏にふらふらと入り込んでくるものだから、お願いしたんだ」

「ちょっ、ちょっと待って。聞きたいことが多すぎてパニックなんだけど……………………とりあえず私、そんなことを二つ返事で了承してた? っていうか、何? もうその吸血っていうのやり終わってんの?」

「うん。首筋に吸血痕があるでしょ? ちょっと目立っちゃうかも知れないから、なるべく首元が隠れる服を着て対処してくれれば」


 ロベルトは彼女の首筋を指差し、その指示に従ってちひろは指をゆっくりと触れさせる。そして、今は瘡蓋になっている二つの吸血痕に指が触れると体をびくんとさせ、顔を青ざめさせる。


「え、大丈夫なの? これ……死んだりしない?」

「死んだりしないって。ちょこっと血をもらっただけだから、君がよっぽどの貧血でない限りは体調に影響もないよ」


 ロベルトはそのように語りながらも、長年の感覚でちひろが貧血などではない健康な身体であることを吸血を介して知っていた。


 命に別状はない、と知って安堵の溜め息を吐くちひろ。しかし、そこから彼女の中で想像が巡ったのか、先ほどまでは青ざめていた彼女の顔が今度は紅潮していく。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あ、あんた、私にどうやって吸血したの?」

「ん、あぁ……どうって」


 ロベルトは口内を両方の人差し指で大きく拡張させながら人間には明らかに存在しない発達し過ぎた牙をちひろに確認させ、


「この牙でがぶーっとやったけども」

「ひ、ひえー……ま、マジで?」

「マジで」

「そ、その牙で私の首筋を?」

「うん」

「がぶーってやったの?」

「がぶーってやりましたとも」


 またもやちひろの顔は青ざめていき、血の気が引いていく。眩暈でもしたかのように片手で頭を抱え、脳内が事態の処理に追われていることを体現する。


 彼女の中でこんな心理的動向があったのだ。


 自分と同級生程度の男の子に首元を噛まれたという事実は間接的に強く体を密着させたことを意味し、それに対する恥じらいがまず先行した。


 この状況でそのようなものを持ち込む余裕があった彼女はなかなかのものであるが、しかしロベルトが見せつけた牙。


 それは明らかに人間のものとしては異質で、畏怖さえ抱くほどの衝撃はあった。そして畏怖の対象であるだけに、彼女はそこで確定的にロベルトを異形だと認めてしまった。


 しかし、ちひろにはちひろの事情があり、だからこそ事実に対する認識は湾曲する。


 先ほど、虚ろな目で路地裏に入ってきたことは彼女のなりの事情によるもので。ちひろ自身もその時の記憶から今に結びつく空白の時間……つまりは眠っていた間を加味したのか、一つの回答を出した。


「あぁ、そうか。これきっと夢なのね」

「いや、夢じゃな――」

「夢よ」


 ロベルトの言葉を遮る強い語気。そんなちひろに刻まれた表情は、ロベルトが出会った瞬間のものと同じになっていた。


「だって、そうよ。私はあの瞬間、確かに自分の命を終わらせてもいい……そんな風に思ってたんだから、夢じゃなきゃ死後の世界。そうにきまってるわ」

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