【第一章 吸血鬼ロベルトと死にたがりの少女】
第一話「吸血鬼、路頭に迷う」
「まさかこんなに早く詰んでしまうなんて……僕の想像力が足りなかったのか?」
自殺の名所、あの廃屋敷で頻繁に吐き出していた嘆息をわざわざこの国にまで届けることになると、ロベルトは微塵も考えていなかったのだ。
後悔と無念だけが心に重く横たわる
それはロベルトが来日して3日目のことだった。
○
初日、日本人が抱く吸血鬼像に自分から寄せていったロベルトはわざわざ夜のような漆黒のマントを仕立て、それをはおって日本の地を踏んだ。
その服装を街ですれ違う人達がくすくすと笑いながら指差し、好奇の目を見つめてくる。この時点でロベルトは仄かな違和感を感じていた。
とはいえ、そんな違和感を認めるわけにもいかないので必死に自分の中で中和できる推測のようなものを探し、それに頼っていた。
(日本人、皆が吸血鬼を好きというわけではないのだろう。……まぁ、それもそうか)
とりあえずロベルトは大々的に自分が吸血鬼であることを公表するのはやはり危険な行為なのかも知れないということを暗に感じ取っていた。
いざ日本に来て人間の群れに身を置けば、吸血鬼であることを告白するリスクに改めて恐怖支配されたというのもある。
様子を見る、という言葉を思い浮かべて安心するあたり、ロベルトはここに来て慎重になっていた。
秘密のカムアウトは容易なことじゃない。
それは吸血鬼も同じ--いや、吸血鬼だからこその心理であった。いざアウェイな土地に身を置くと萎縮する心理も含めて。
とはいえ、彼を好奇の目で見つめてくる人間の中には随分とアクティブで話しかけてくるものもいた。中年くらいの日本人男性だった。
そんな人物にロベルトはようやく「吸血鬼好きの日本人に見つけてもらえたのかも」と雲の切れ間から覗く燦燦たる太陽のような笑顔で対応するのだが--、
「ハロー、ハロー」
面白外国人だと思われ、知っている英語を適当に投げつけられる。
吸血鬼である以前に日本人ではないことで目立ち、興味を持たれてしまっているようである。
とはいえ、ロベルトからすれば「ぐぬぬ」と思いながらも、そういった理由だろうと交流できるのが嬉しいという気持ちはある。事前のリサーチで日本は挨拶を重んじる国だということを知っていた。
なので--、
「あぁ、どうもこんにちは」
日本人と遜色ない綺麗な発音。
そもそも永遠を生きる吸血鬼なのである。こんな機会がなくとも日本の言葉は暇潰しの一環として習得しているので発音は当然ながら流暢。事前にスマートフォンが使える期間で現代的な言葉遣いと発音は予習して矯正しているので尚更である。
親日な外国人は受けが良いこともリサーチ済み。内心ではドヤ顔でふんぞり返って自分の徹底した予習を誇っているロベルトではあるのだが……、
「あ……なんか、すみません」
眉をハの字に曲げ、どこか引き気味な表情で軽く頭を下げ、ロベルトからそそくさと離れていく日本人。
軽く差し出した手でその背に名残惜しさを送りながら、ロベルトはその場に硬直して表情を曇らせる。
(え、僕……何を間違えたんだろう)
ロベルトからすれば理し難いことではあると思われるが、恐らく先ほどの日本人は片言の日本語で話す典型的な外国人イメージが具現するのを期待していたのだろう。
しかし、ステレオタイプ化した外国人を期待されてもロベルトは生憎、外見以外は日本人と遜色ないほどに語学堪能。
せめて英語で話していれば分からないなりに、先ほどの日本人の好奇心を満たしてあげることはできたのかもしれない。
○
ビジネスホテルに空きを見つけて宿泊したので、流石に野宿ということにはならなかった。
吸血鬼にとって睡眠は人間のような生理的欲求ではない。欠かすことのできないものではないゆえに、眠らずに活動を続けることも可能だし、それによる弊害もない。
ただ、自分の中の感覚を一度仕切り直すという意味での睡眠は、吸血鬼にも存在しており、ロベルトは丁度それを求めたのだった。
(明日こそは……明日こそは上手くやるんだ)
――そして二日目、早朝。ホテルを出て、自分の寝泊まりした建物を見上げて彼は首を傾げる。自分が掴んでいた情報の正当性に疑問を感じていたのである。
予め日本という街の風景をスマートフォンで検索し、画像で確認していた。
そして、そこに表示されたのは神社、仏閣のような古めかしい木造建築。落ち着いた雰囲気の国なのだとロベルトが認識するのも無理はなかったのかも知れない。観光地としての日本はやはりそういった部分を前面に押し出す。
だからこそ、ロベルトは観光地以外の日本がどのような風景なのか知らなかったのだ。
(あの宿屋はまるで巨大な鏡みたいな建物だった。そしてそれがここにも。さらにはいくつも並んで……この一つ一つに人間が住んでるっていうのか?)
高層ビルが建ち並ぶようなオフィス街に足を運んでしまったロベルト。スマートフォンによる検索は充電の関係から限度がある。日本に着いてからのことは、仲良くなった日本人に聞けば事足りると思い、深くまで調べなかったのである。
その結果、予想を大きく外れた日本の街並みには混乱しているし、今の彼にとっては無関係なエリアに足を運ばせる結果にもなっている。
(みんな背広のような服を着て、まるで統制の取れた軍隊のように歩みを連ねている……。それこそ戦いに赴く戦士のようだ)
サラリーマンを戦士と形容してしまうあたり流石というべきか、何となく感覚で本質を突いてしまうロベルト。
そんな戦士たる彼らの面持ちは真剣というか、少しピリついたものを感じる。
しかし、そんなもの気にしてはいられない。ロベルトは気さくに道を尋ねるなりしてきっかけを作り、仲良くなれればという思いで気を取り直して人の群れへ飛び込んでいく。
そして、そのようなぬるい用件に構っていられないサラリーマン達の出勤ラッシュでロベルトはピンボールのように弾かれ、ぶつかりながら平日早朝の現代がいかに恐ろしいかを知るのだった。
○
三日目の夕方。公園のベンチに腰かけてパンくずを鳩に撒きながらロベルトは考えていた。
(こんなにも誰かと繋がるということは難しいことなのだろうか……?)
無論、ロベルトは吸血鬼であるがゆえに人間と関わることをそれほど楽観的に捉えているわけではなかった。自分の正体を知って尚、受け入れてくれる人間がいたとして、それでも心を開いていく時間というものが存在するのは知っている。
共に暮らしていた彼らだって、各々出会った頃は互いのことをゆっくりと知っていく時間が必要だった。最初からべったりと仲良く、なんてあるはずはないのだ。
しかし――、
(この国の人間は不必要な他人との関係を持たないよう過ごしている風に感じる時がある。落し物は拾ってくれるし、荷物を置き去りにしても盗まれていない。そんな国なのに……どうして、壁を感じさせるのだろう?)
来日して何度目かの嘆息をするロベルト。
「まさかこんなに早く詰んでしまうなんて……僕の想像力が足りなかったのか?」
屋敷から持ってきた写真を眺めながら、口にするのは後悔。
(今考えればどうしてあんな軽率に行動したのか……いや、そんな後悔はあとでもできるか)
今考えなければならないのは、このままではいけないということ。そして、人間とうまく交流する方法が何かあるはずだということ。
と、そう思いながらも――同時に危機へ直面していた。
何よりもまず考えるべきことがある。
(眩暈がしてきてる……。強烈な飢餓感というか、この久々の感覚)
それはロベルトが吸血鬼であるがゆえに避けられない衝動。食欲も睡眠欲も、挙句の果てには性欲さえも超越している吸血鬼にとって、唯一の生理的渇望。
――そう、吸血欲求。
人間の血を吸いたくなったのである。
とはいえ吸血鬼はある程度、吸血欲求を我慢することができる。欲しいと思ったその瞬間に満たさなければならないほど、融通が利かないものではないのだ。
しかし抑圧すればするほどに、その欲求は強く跳ね返ってくる。
次第にそれは理性を食い破り、いつかは――暴走してしまうほどに。
(まだコントロールは効く。我慢もできる。穏便に血を吸うことができればまだ誰かを襲ってしまうことはないだろう……いや、穏便に? 何を言ってるんだ。どうやって?)
こんなことになってしまった理由。
ロロは完全に舞い上がっていたのだろう。それは、世間知らずがゆえに中途半端な情報で納得してしまったから来日を即決した。
――いや、それもあるが、本質は別だ。彼の願望はあまり強すぎた。断片的な情報でさえ、恣意的に解釈してしまうほどに。
今の彼に起きている現象と同じなのだ。飢えていれば飛びついてしまうのである。彼は人との交流、その欲求をあれから数百年押さえつけた。跳ね返ってきてもおかしくはなかったのだろう。
だから、すぐに人間と仲良くなれる。関係を築ける。
そうであって欲しいと、信じたかったのだろうか……。
どちらにせよ軽率だった。思慮深いはずのロベルトにしては随分と無計画な行動の結果。欲望の反動。反発。当然の報いだと言われればその通りだとさえ、今の彼は思うだろう。
とはいえ、そのような後悔をしている暇はない。今、ロベルトがすべきなのは人気の少ない場所に身を置き、これからの対策を考えることである。
吸血鬼にとって人間は捕食対象である。
それは彼が優しい吸血鬼であっても変わることはない。ならば、餌が集団で歩き回っているような街こそ――今の彼にとっては最悪の環境。あの森、そして屋敷とは相反する環境。
優しい吸血鬼だからこそのジレンマ。
一度、人間を襲ってしまえば自分はどうなるのか……?
人間達は自分をどうするだろうか?
それより、自分の夢はどうなる――?
焦燥感がじわりじわりと心を炙っていくようで。心地悪さを感じながら朦朧とし始めた意識でふらふらと歩むロベルト。
人間で言えば水分を取らずに炎天下を歩いているかのような感覚に相当する、極度の欲求抑圧状態。
やがて辿り着いたのはビルの隙間に生まれた路地裏だった。人の気配はなく、薄汚れた劣悪な環境。夕暮れの斜光も差し込まない場所で、建物の外壁に背を預け、ずるずると体を地面に落としていく。
そこは、この間まで住んでいた屋敷を思わせた。
(結局、僕はこういった環境に身を置くことになってしまう運命なのか。初めて僕は今……君達の傍に行きたいって思いかけてるよ。そんなの、自分が一番許せないはずなのに)
そのように後悔の念を心に浮かべながらゆっくり瞼を閉じる――瞬間、路地裏に一人の人物が吸い込まれるように歩み寄ってくる。影を纏い全容は視認できない。
(マズい。手の届く距離にまで近づかれたら、襲い掛かってしまうかも知れないな……。果たして我慢できるだろうか)
近付くにつれ明らかになったその人物は少女だった。ロベルトには判断が難しいが、ブレザータイプの制服を見にまとい、長い髪を二つに分けた少女。
そんな彼女の挙動は奇妙なことに、意思なくふらふらと歩かされる人形であるかのように滑稽で。
何があればそんな歩みでこんな所を歩くのか。
……いや、そんなことはどうでもよかった。
今のロベルトにとって彼女は人形でなければ、人という認識でもない。餌なのである。
ただ、微かに残るロベルトの理性は瞬間--賭けとも言うべき言葉を捻り出した。それは彼女をただの餌として認識しないための、僅かな本能への抵抗。
「…………ねぇ、君。申し訳……ないんだけど……血を……血を、吸わせてくれない……かな?」
ロベルトの声に反応した少女。彼の方を向き、虚ろな瞳で彼を少しの間黙視し、そしてどこか自虐的に笑って、
「好きに……すれば」
と言い、その場で倒れてしまった。
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