143 本屋と園芸商人グリー
翌朝ベーカリーで朝食用のパンを少し多めに買い込んだ俺は、それを歩きながら食べつつ一人で本屋に向かっていた。
街の外と違って危険も少ないし、パンと本を買うだけなのに護衛をつけて歩くというのもなんかおかしい。すでに店番をしている店長たちとも顔馴染みなので、ロット出発までは自由行動ということにした。
護衛として雇っているカリウムや老師はともかく、風刃には安い家賃代わりに荷運びを手伝ってもらっているのだ。もう少ししたらオレガノを発つだろうし、必要な品を買い揃える必要もあるだろう。そのための時間に充ててほしかった。
まぁ俺がゆっくり本を選びたかったっていうのもあるけど。
ずっと他人を待たせながらの買い物というのは気を遣う。
衣服や小物類であればそれほど時間はとられないが、本となると中身が重要だ。それを1冊ずつ確認してから買うかどうかを決めるので、気づいたら1時間なんてあっという間に過ぎている。それに付き合わせるのは気の毒だった。
「愛と信仰心を、兄弟。今日は何かお探しかな?」
「叡智なるローレン神の加護があらんことを、兄弟。
神の祝福を受け召使いになることができましたので、その恵みを美味しくいただくためにコンロの作り方を記した本がないか探しにきました」
今はただお湯を作りたいだけだが、いずれは料理もするようになるかもしれない。
聖王国との往復時間が短縮されれば、安い食材は入手しやすくなる。将来的なことまで考えれば決して嘘ではない。
いずれ自力で往復できるようになったら、聖王国の安い農作物を使って料理をするのもいいかもしれないな。
採れたて野菜を使った料理とか絶対に美味しいだろうし。
うん、夢が広がる。
「おぉ、それは実にめでたい。おめでとう兄弟。
さぁ、それならこの本はどうかな?」
「ありがとうございます。拝見します」
店長におすすめされた本を手にとりパラパラとページをめくってみる。
中身は文字よりイラストが多く、読み物というよりはさまざまな調理器具の設計図がのせられていた。
建築用ハンマーなんてチートツールがある世界ならではだろう。インフラが整備されていない不便さがあってもそれぞれの街が機能しているのは、生活に必要な家具や家の修繕なんかを簡単に自分達でできてしまうからかもしれない。
「いいですね、これ。もっと他にもありますか?」
「家具類でしたら、この本が詳しいですよ。簡単な料理のレシピであればこちら。
武具類の設計図シリーズは単品になりますが、どれも手順通りに作れば最低限のクオリティのものは作れます。数をこなせばそれなりのものが作れるようになるでしょう」
俺が食いつくと上機嫌に色々と本を出してくれた。
店が保有する本の半数はローレン教に関係する書物だが、街の規模がそれなりに大きいのでそこそこの種類の本を取り扱っているのだろう。助かる。
「ちょっと失礼しますヨ。店長さん、お話いいデスカ?」
そんな俺の隣に行商人用のバックパックを背負った男が割り込んできた。顔を上げてそちらを向くと深いブルーの瞳とぶつかる。言葉遣いに独特のイントネーションが見られるが、行商人らしくその顔には笑顔がはりついていた。客の扱いに慣れている商人の顔だ。
「またあなたですか。
どんなに頼まれたって、こちらも売れない本を並べておくスペースはないんですよ」
本屋の店長はうんざりした顔で邪険にするが、行商人風の男はちっとも意に介した様子がなかった。
「たしかに聖王国は緑が豊かデス。それは認めまショウ。
けれど口にできるものとはいえば、それは畑にしかありまセン。
これだけ土が肥沃だというのに何と勿体ないことでショウ!」
まるで舞台俳優みたいに大振りなジェスチャーで感情豊かに表現する。いつかのカリウムがかすむくらい、その動きはプロがかっていた。
「農村は畑の世話で手いっぱいなんですよ。
それに匂いを嗅ぎつければレッサーラプターが群れを成して突っ込んでくる。
誰がそんなものの世話を喜んでするというんですか。さぁ、帰ってください」
「いいでショウ。そこが解決できればいいというのデスネ」
本屋の態度はもはや露骨であったが、それにも彼はめげた様子はなかった。
不屈メンタルなんだろうか?
そんなことを考えていたら、急にくるっとこっちに向き直った男に話しかけられた。
「ところでお客サン、この街の人ですか?」
「いえ、オレガノに住んでますけど…」
「オレガノ!おぉ、素晴らシイ!」
一度両腕を広げた男はその青い目を輝かせて両手を合わせて音を鳴らした。
周囲の本棚によくぶつからないなと感心するほどジェスチャーが大きくてビックリする。
「見渡す限りの荒野!あの土地は未開拓であるがゆえに、非常に高い
「は、はぁ…?」
俺が勢いに押されて呆気に取られていると、急に居住まいを正した男が左胸に掌をあてて優雅に一礼した。
「あぁ、申し遅れまシタ。我々は大地に緑を取り戻そうと活動している園芸店デス。
ワタシの名前はグリー。以後お見知りおきヲ」
「あ、はい…」
一方的に手を握られてブンブン振られた。
ジェスチャーも主張が激しいが、随分と押しが強い人のようだ。
「世界中の各街に小さいながら店を構えて活動していマスが、まだオレガノには拠点をもつことができていまセン。しかしいずれ必ずオレガノにも我々の店を開店してみせマス。お客サマにご不便はおかけしまセン。
これは我々が販売している植物のパフレットデス。興味がわいたらこの街の園芸店へドウゾ。お客サマはいつでも歓迎しマスヨ」
終始笑顔を崩さない青い目の男が手渡してきたのはパンフレットと呼ぶにはあまりにぶ厚い小冊子だった。俺が今から買おうとしている本よりさらに厚く、単語帳並みの厚みだ。とてもパンフレットには見えない。
パラパラとページを捲ってみたらちょっとした植物辞典のようになっていた。
「あの、お代は?」
「ノンノン。それは本ではなくパンフレットデス。無料で差し上げマス。
その代わり、欲しいと思った植物がありましたらぜひ園芸店へ。
我々の園芸ネットワークを駆使し、世界の果てからでも苗木をお届けしまショウ」
「わかり…ました」
「では再開できる日を夢見ていマス。アデュー!」
CMの俳優ばりに白い歯を輝かせた男は優雅に一礼してみせ、頷いた俺に満足したように本屋から颯爽と出ていった。
終始こちらを圧倒してくる謎の行商人だった。きっとしばらくはインパクトが強すぎて忘れられないだろう。
「すみませんね、兄弟。あの男は本当にしつこくて」
「いえ。なんだか大変そうですね。お察しします」
苦笑いを浮かべる店長に俺も愛想笑いを返す。
しかし店長の口ぶりを聞いてふと思った。
聖王国にきて神だの兄弟だのという単語を使わずに他人と話したのは初めてだったと。
そこの立っているだけで主張が激しい男だったのでつい失念していたが、ローレン教の信者独特の空気をまとっていない、稀有な存在だった。
いや、あれだけ目立っていればそんな些末なこと気にならないってだけなんだけど。
しかし聖王国で出会った貴重な人間であることは確かだった。
彼とはきっとまたどこかで会いそうな気がする。そんな予感がした。
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