139 藁取引と常識の相違
「じゃあちょっとお聞きしたいんですが、藁って余ってますか?」
「藁ならありますよ。
自家挽きの小麦粉を使っているベーカリーなんかは使わない部分は切り落としてよこしてくれって言ってきますから」
なるほど、賢い。その方が輸送は圧倒的に楽だろう。
そして余った藁の部分は家畜の餌になって肉として安く市場に出回るって仕組みが出来上がっているのかもしれない。
「じゃあそれを」
「これっ、何をしておる!」
喋っている俺達の所に息を切らせた老人が駆け寄ってきた。
老人らしく腰はしっかり曲がっているのにそのスピードは中高生のように早かった。毎日の農作業で足腰が鍛えられているんだろうか?
「作業の手を止めるでない!ローレン神の怒りをかうぞ!」
「す、すみません、長老」
神の怒りをという割に老人…長老と呼ばれたその人は周囲を警戒して視線を巡らせた。
神様云々ではなく本当は見張り役の兵士の視線を気にしているんだろう。
「こちらこそ作業のお手を止めてしまってすみません。
俺達はあちらでお話させてもらいますから、お仕事続けてください」
俺が軽く会釈すると畑で仕事をしていた彼は水播き作業に戻ったようだった。
俺達は長老に連れられて彼らが共同生活している住居エリアに向かう。
麦が保管されている倉庫とクロスボウ砲台が複数設置されている大きな兵舎はちょっと小高い丘の上にあり、畑や農民達が暮らしている住居エリアとは少し離れていた。
「挨拶が遅れて申し訳ない、慈悲深き兄弟よ。貴方に尊きローレン神の導きの光あらんことを。
この村の管理者は少しその…勇ましくてですな。己にも厳しいが我々にも同じように求めるのです。どうぞご容赦ください」
家屋の影まで俺達を案内してきた長老は平身低頭で詫びてきた。
悪口にならないよう言い回しを迷っていたようだが、どうやらあの兵士は気が短いようだ。
麦の代金に上乗せで小遣いを渡している俺には協力的だが、農民たちに対してはそうじゃないのだろう。
「いえ、こちらこそ考えなしに話しかけてご迷惑をおかけしてしまうところでした。
彼にも後ほど申し訳なかったと伝えてください」
「そんな、慈悲深き兄弟は何も悪くはないのです。
全てはあの…いえ、この話はここまでに致しましょう」
かぶりを振りながら長老は骨と皮だけの手で俺の両手を掴んで包み込んできた。
長年農作業で土にまみれてきた手は爪の間まで黒くなっている。俺は引っ張られそうになる心を鎮めて瞼を持ち上げた。
「長老、もし余っていたらでいいのですが、藁を少しばかり分けてはもらえませんか?」
「藁を?それは構いませんが、一体何に使うのです?」
「実は前回こちらにお邪魔して南に戻る際、道中ではぐれヤギを拾いまして」
この村から買い取ったヤギは肉にしてしまったと以前に話したので、そのヤギだとは言えない。気を遣わせないよう、あえて思っていたより良い値で売れたと話したからだ。
それに彼らの知らないヤギのほうが使徒認定された話のくだりも多少はリアルに聞いてもらえるだろう。
しかし長老の反応はそれ以上だった。
「おぉ…おぉ…本当にローレン神は見ておられるのですね。
あなたのような慈悲深い兄弟に使徒様を遣わすとは…」
「あ、あの…」
俺の両手を両手で包み込んだまま長老はポロポロ泣き出してしまった。
俺はそれにどう反応していいのかわからずカリウムに視線を向けるが、カリウムも驚いた顔で首を横に振っている。カリウムがお手上げなんじゃ、俺にはどうしようもない。
彼ら農民はこれだけ痩せ細っても毎日畑を耕し麦の世話をしている。自分達の食べるものすらままならず生活も決して楽ではないだろう。
けれどその心の中には彼らの心を支える神という存在が確かにいるのだと、この時実感した。
仕方ない事情があったとはいえ、ヤギの使徒認定は王都の大司教に小銭を握らせて獲得したものだ。それだけに、少しばかり罪悪感で胸が痛んだ。
俺達はしばらく長老の涙が止まるのを黙って待っているしかなかった。
「申し訳ない。お恥ずかしい所をお見せしてしまいましたな」
「い、いえ。まさかそんなに感激していただけるとは思いませんでした」
ようやく鼻をすすりながら長老がようやく泣き止んでくれた時には心底ほっとしてしまった。
相手が子供だったらいくらか対処のしようもあるのだが、長老と呼ばれるほど年上だともうどう扱ってよいのかすら分からない。慰め方ひとつで仲が拗れかねないからだ。
「藁などで良ければいくらでもお持ちください。
使徒様が健やかにお過ごしいただけるよう環境を整えてください」
「いえ、偉大なローレン神は慈悲深き御方です。
あなた方やガルボアから必要な藁までとって使徒様に尽くせとは仰らないでしょう。
忠実な信仰心はご立派ですが、お気持ちだけ頂いておきます」
「おぉ、おぉ…」
参ったな。また泣かれてしまったぞ。
そろそろ涙で目が溶け出すのではないかと思うくらい長老は年甲斐もなく泣く。そろそろ包み込んだままの両手を解放してほしいのだが、まだ少しかかりそうだ。
チラリと横目にカリウムに助けを求めてみたが、首を横に振りながら肩をすくめられた。
そんな事がありながらも俺達は何とか藁を手に入れることが出来た。
持ち運べる量に限界があるので麦の量に比べれば大したことはない。が、それでも木製バックパックのフレームの外側に巻き付けて運べる分だけは確保できたのでよしとしよう。
木製バックパック1つにつき藁束は5つ。1人で3つ持っているから、2人で30束だ。
「ではこれを」
「ん?…いえ、そんなお代なんて!」
さすがに小麦と同額だと兵士に睨まれかねないので、聖王国の業者価格のさらに半額だ。
たった300コマンの硬貨を恐縮して押し戻されると、こっちも罪悪感が湧く。干し肉を買ったとしてもたった数枚にしかならない正真正銘の小銭だ。
しかしラプター被害を受けた時と違って今回は気持ちを上乗せすることはできない。一方的に与えるだけの関係になってしまったら長続きはしないだろうから。
「これもローレン神のご慈悲の一部です。
おかずに何か材料を一品加えてください」
村人で分ければそのくらいにしかならないだろう。
それでも長老に恐縮されそうだったからローレン神の名前を借りた。ローレン教の信者であれば神が与えたものを嫌とは言えない。
俺達がこれから向かう隣の農村まで行けば大豆を栽培しているし、300コマンあればしばらく農民たちが腹を満たせるくらいの豆は買ってこられるだろう。あるいは別の農村へ行って野菜を買ってきてもいい。なんせ緑豊かな聖王国ではどの農作物も驚くほど安い。
聖王国は食べ物に困らない土地なのだから、畑を耕す彼らこそがよく食べて元気に仕事をするべきだろう。
「おぉ、感謝します、慈悲深き兄弟」
再び涙が出てきそうな気配を察し、俺とカリウムは逃げるようにしてバリー村からお暇した。
「歩、あぁいうのはほどほどにしとけよ?
農民たちに聖者扱いされて拝まれ始めたら、聖王国に睨まれるぞ?」
「そんな、たかが小銭くらいで大袈裟ですよ」
俺はただヤギと俺の為にとった使徒認定を振りかざして藁をタダで巻き上げるのが嫌だっただけだ。それ以上でも、それ以下でもない。
「だからさ、俺らとアイツとじゃ常識の基準が違うんだって。以前にも話したろ?
俺達はお互いに対等で助け合うのが当たり前だけど、日常的にぶんどられるのが当たり前な農民達からしたらそりゃあもう聖人様みたいに映るわけ。
お前はさっき長老が号泣するのを見て困ってたけど、そんだけ落差があるんだよ。
あれ見てもまだ大袈裟だって言えるのか?」
「……」
「さすがにそこまで話がでかくなったら俺だって庇いきれないぞ?」
聖者ねぇ…。いや、まさかだろ?
まさかと思いたい頭の片隅で警告ランプが灯る。
カリウムの説明には説得力があるし、何よりも俺以上にこの世界の事を知っている人間だ。
カリウムが危惧することを軽く気のせいで流してしまうには、ずっと握られ続けていた手にまだしわくちゃな手の感触が残り続けていた。
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