137 ダッシュ競争と麦の行方


 コンロの件もあって俺達は少し早めに聖王国へ麦の買い付けに向かうことにした。

 聖王国への旅路では毎回何かしら事件が起こるので、数日余裕をもって出かけるのはむしろ賢い選択だったかもしれない。

 しかし。


「老師、さすがにちょっとペースが速くないですか?」

「木製バックパックはどれも空じゃろう。むしろ遅すぎて欠伸が出るわい。

 それともカリウム、よもや鍛錬を怠っているわけではあるまいな?」

「ま、まさか!そんなわけないじゃないですか」


 顔に冷や汗を浮かべたカリウムが後頭部を掻いた。

 手荷物は軽いが涼しい顔をして先頭を走る老師にペースを合わせると少し呼吸が乱れるようだ。


 “風刃あの男を連れていくのであれば、老師を護衛にするのが条件だ。

 それが呑めないなら、護衛は派遣できない”

 イオレットさんに厳しい顔でそう押し切られてしまった。


 前回の旅の終わりのボーンウルフ戦で風刃の力を借りた。

 しかしイオレットさんはそれこそが老師を外せない理由だという。

 聖王国の街や村の近くは常に聖王国軍兵の巡回部隊が巡回している。もしその現場を見られていたら、ギルドもオレガノも無事ではなかっただろうと。


 けれど人手が1人減れば1往復で運べる麦の量がガクンと落ちる。

 だから風刃が聖王国に向かうことを反対はしないが、行く以上は鎌風の力を使うことは許されない。

 老師は護衛であると同時に監視役であり、いざという時の為の保険だと。


 そこまで言われてしまうと嫌とも言えず、俺は不本意ながら老師に頭を下げた。

 ニュクスィーのような子供じみた我儘は言わない。

 大人なら仕事で嫌いな相手に頭を下げるなど日常茶飯事だ。どうということは…ない。


「ぼやぼやしとると歩たちに追い抜かれるぞ。

 見ろ、隠密ダッシュでついてきとるのに少しも引き離されんではないか」

「げぇっ!?」


 顎をしゃくる老師に促されてカリウムがこちらを振り返ってギョッとする。


 いや、別にそこまで驚かなくても…。


 俺が隠密ダッシュをしてるのは、オレガノを出た時から風刃が隠密ダッシュをし始めたのを見たからだ。

 もうすっかり体に馴染み始めている走り方なので苦ではないし、ここ数日訓練もなかったので長距離を移動する機会もなかった。体がなまらないように普段使わない筋肉を使うという意味でも隠密ダッシュは都合が良かっただけだ。

 それ以外に理由など、ない。


「別に余裕というわけじゃないですよ。

 こうして喋れば簡単に息が上がりますし」


 ペースとしては少し早いが、それだけ聖王国への到着も早くなるので文句はない。帰りは背中と両腕にずっしりと麦の重量がかかるので同じペースで走るのは難しいだろうが。


「ほう?ではもう少しペースを上げるかの」


 片眉を持ち上げた老師が見る間にペースを上げた。体が風を切る音の中に足音を忍ばせ、どんどん俺達を引き離していく。まるで俺達のペースをあざ笑うかのように。


「っ…」

「あの爺さん、本当に加減てもんを知らねーな!?

 俺達は護衛だってのに」


 依頼人おれをさっさと置いていってしまう老師の背中にカリウムが眉を寄せている。確かに護衛としてはあるまじき行為かもしれない。だけど。


「それだけ引き離しても守りきる自信があるということでしょう。

 無駄に人生経験を積んでるっていうのも馬鹿にできませんね」

「…歩、お前って笑顔でそんな毒吐くキャラだったっけ?」


 ちょっとチクッと言ったつもりが、カリウムにドン引きされた。

 そこまで毒を含ませたつもりはなかったんだが…今度からは自重しよう。オレガノに帰り着くまでは揉めない方がスムーズだろうから。


「あまり引き離されても面倒です。俺達も少しペースを上げましょうか」


 笑顔を崩さないままダッシュで追い抜いて誤魔化す。

 風刃は息1つ乱すことなく俺にピッタリついてきた。

 これまでの特訓に比べたらそれこそ天国みたいな難易度りふじんどなので、良くも悪くも俺達は慣らされてしまったのだろう。


「ちょっ!お前らまで!

 くっそ、あんま先輩を舐めるなよ…!?」


 俺達はそうしてオレガノから遠くに位置する農村バリー村へと向かったのだった。





「新たに飲食店を始めたいだと?」

「はい。王都の大司教様から使徒認定をいただいたヤギ様のお世話を命じられました。

 この地に使徒様をお遣わしになった偉大なるローレン神のご慈悲に対し、微力ながらご恩返しがしたいのです。

 それで自分にできそうなこと自分なりに考えたのです。

 いつか実現する日の為にどうかお知恵を貸していただけませんか、兄弟」


 ぶ厚い聖書を胸に抱えながら営業スマイルを浮かべて話すと、ガタイのいいバリー村の管理者は機嫌よく俺には情報を流してくれた。

 麦の買い付けに来る度にいつも小銭を握らせているのと、王都の大司教の名前が効いたのだろう。


「ふむ。実に殊勝な心掛けだな、兄弟。

 偉大なローレン神のご慈悲に恵まれたのも納得できるというもの。

 聖なる召使い聖王国民が営業の許可を得るためには各街の教会の祝福と庁舎に届け出が必要だ。

 しかしオレガノは見捨てられた町だからそのどちらも存在しないだろう。

 王都ホーリーサンヒルに赴き、教会や庁舎で許可を求める必要がある」


 うげ…王都か。まさかこっちから足を向けなきゃならなくなるとは…。

 あの2人には会いたくないな。絶対にあのハーブティーのこと問い詰められそうだし。


 俺は顔に貼り付けた笑みを崩さないまま心の奥でひっそりと呟いた。

 実際に店を出すかどうかまでは分からないが、情報だけは前もって調べておくに越したことはない。特に聖王国関係は準備に時間がかかったりするかもしれないから。


「自宅を改装して店舗にするとしても必ず庁舎に届け出はするのだぞ。

 くれぐれもローレン神のご慈悲に無礼のないようにな」

「勿論ですとも、兄弟。ローレン神の偉大なるご加護に敬愛を忘れる日はありません」


 よほど脱税者が多いのか、聖王国サイドは本当に疑り深い。

 重税のせいなのか、それとも盗賊などの外部からの被害が大きいのか、理由は分からないが何かしら原因はあるのだろう。


「それと以前この村にお邪魔した時にレッサーラプターが麦畑を荒らしていましたよね?

 あのような被害があった場合、畑に残った麦はどのように処理されるのでしょうか?」


 俺達が加勢したものの、ラプター達は斬りつけられながらも収穫直前の麦をでかい口を開けてバクバクと食い荒らしていた。穂の部分は軒並み被害を受けたが、根ごと抜かれて食べられたわけではない。

 しかし聖王国側も食べられない茎だけを税として取り上げても使い道がないだろう。だが畑や農作物そのものは聖王国側が管理しており農民たちに所有権はない。ではその部分はどうなるのか?


「あれは召使いのうみん達にローレン神のご慈悲として下賜している。

 ベッドやかまどの火起こしに使っている他、家畜の餌にもしているようだ」

「なるほど。下賜した麦で育てて、その肉を頂くのですね。

 偉大なローレン神のご慈悲はなんと懐が深いのでしょうか」


 痩せた彼らがギリギリで食いつないでいけているのは、そのおかげだろう。

 ラプター達の被害は甚大だが、仮に麦の穂を食い尽くされてもまったくゼロになってしまうわけではない。

 生かさず殺さず、それが絶妙な塩梅で彼らをこの地に縛り付けているのかもしれない。逆にそれが崩れれば彼らは堰を切って聖王国から逃げ出すに違いない。


「しかし何故そのようなことを気にするのだ?」

「藁を少々分けて頂ければと思ったのです。

 大事な使徒様に少しでも快適にお過ごしいただこうと思いまして」


 彼らにとって藁が余るほどあればいいが、それは難しいかもしれない。

 家畜を育て肉を食べるのと、幾ばくかの硬貨に変えるのと、どちらが彼らの為になるのだろうか?


「彼らと少し話をさせてください。

 もし余らせているようであれば、使徒様の寝床のためにいくらか譲っていただきます。

 貴重なお知恵をお貸しいただきありがとうございました、兄弟」


 俺はそう言いながらいつもより少し多めの小銭分を含めた麦の代金を目の前の兵士に手渡す。今回の情報料とこれからの農民達との交渉に口を挟ませないよう多少色を付けた。

 それをざっと数えた彼は口角を上げて鷹揚に頷き、管理小屋へと戻っていった。


「偉大な神のご加護があらんことを、兄弟。

 もしまた困ったことがあればいつでも力を貸そう」

「ありがとうございます。偉大なるローレン神のご加護があらんことを」


 買い取った麦を抱えた俺達はそうして倉庫を後にしたのだった。




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