134 対症療法
さっきよりちょっとだけ冷静になった俺は硬貨と引き換えに毛布を受け取りながらマスターに質問を投げかけてみた。
「マスター、治療キッドって外傷以外にも効果ありますか?」
「骨折なんかには効果があるって話だがな。
熱も外傷が原因なら怪我が治ると下がるもんだが、そういうわけじゃないんだろう?」
「はい。おそらく…」
塔を出てからろくに口を聞いていないのでわからないが、もしどこかを怪我しているのであれば熱があっても自分で治療キッドを買って包帯を巻いただろう。そうしていればとっくに完治していたはずだ。
「もしかすると中級以上の治療キッドがあれば治せるかもしれんが、この店じゃ取り扱ってない。怪我の多いディゴ族なら予備があるかもしれんが、もしかすると軍が独占して市場には出回っていない可能性もある」
「そうですか…」
俺達を見てのっぺり族と笑っていた顔を思い出す。
戦場に生き、戦場で死ぬことが彼らの誇りだと言っているくらいだから軍用品の消費は激しいだろう。俺達には売ってくれなかったり、あるいはとんでもない金額を吹っ掛けられる可能性もある。特に前回リジンを訪れた時にやらかした俺が行ったら逆効果かもしれない。
後悔とは本当に先には立たないものだ。
「毛布、ありがとうございます」
「おう」
毛布をもって階段を駆け上がると、イオレットさんはニュクスィーの枕元でその寝顔を拭いていた。唇が乾いてひび割れているというのに、その額には汗がびっしりと浮かんでいた。
「これ、買ってきました」
「あぁ、ありがとう」
「様子はどうですか?」
「顔は熱いが手足は冷たい。
もしかすると毛布だけでは足りんかもしれんな」
ニュクスィーの首を拭きながらイオレットさんは難しい顔をする。
この世界の病気に関して俺に知識はないが、何か心当たりがあるのだろうか?
「そんなに重傷なんですか?」
「熱を下げるためにかいている汗のせいで逆に体温が下がりすぎているのかもしれん。
このままだと発熱と体温調整で体力を根こそぎ奪われる可能性がある。
本人の体力を少しでも温存したかったら外部から体を温め続けてやる必要がある」
「あぁ、湯たんぽみたいなものですね」
「ユタンポ?なんだ、それは?」
イオレットさんが首を傾げたので俺は腰に下げていた水筒を持ち上げ、それに熱湯を注ぎ入れたものだと説明した。だが。
「何故そんなことをする?
寝返りを打ったりしてキャップが外れたら布団が濡れるだろう」
「あ…そうですね」
言われてみれば革製の水筒のキャップは浴槽の栓の形と同じだ。飲み口の所にすぽっとキャップをはめ込んでいるだけで、布団の中に入れれば簡単に栓が外れてしまう可能性がある。ペットボトルの蓋のように回して閉めるタイプではないのだ。
「でもじゃあどうやって保温するっていうんですか?」
「人肌に決まっているだろう」
“何を言ってるんだ?”って顔で見られたが、俺の方こそ信じられない。だってもしウイルスが原因だったら感染する可能性がある。
「さすがにそれは…」
「しっ!」
俺が言いかけた言葉をイオレットさんが鋭い一言で止めた。ニュクスィーの顔の近くに顔を寄せて何をしているのかと覗き込んだら、乾いた唇が微かに動いている。何かを喋っているようだ。俺も二人の近くまで耳を近づけてみた。
「さ…むい…」
震える唇の間から漏れてきたのは本当に弱々しくてそのまま消えてしまいそうなかすれた声だ。聞いているだけで無性に心臓が締めつけられる。
腹出して寝てりゃ、そりゃ寒いだろうさ、バカ野郎!
俺は抱えていた毛布を放り出し、発熱するニュクスィーの体を抱え上げた。
「イオレットさん、布団めくってください!」
「あぁ!」
俺が頼むとイオレットさんが動くのは早かった。
捲られた布団の上にニュクスィーの体を横たえるとすぐさま掛布団がかけられる。薄手だが毛布と二枚重ねなら少しくらいは保温の役に立つだろう。
「これ以上体温が下がるのはまずい。全身の汗を拭いてやろう」
「それならちょっと待ってください。お湯もらってきます」
体温が下がっているのであれば水で濡らした布で拭くより、お湯の方がいいだろう。
俺は大鍋を抱えて階段を下り、マスターにコンロを借りる。
水を足して温度調整する時間も惜しいので、鍋の中に手を突っ込みながら水を温めた。
適温になったところで2階に運ぶとニュクスィーはコップから水を飲ませてもらっているところだった。
「お湯です。これを使って体を拭いてやってください」
「あぁ、わかった。じゃあ歩は部屋の外で待っていてくれ」
「わか…え?」
分かりました、と言おうとして思いとどまる。俺が廊下で待つ意味って何だろう?
「なんだ、ニュクスィーの裸に興味があるのか?」
「ちっ、違いますよっ!
でもこれ以上俺に何の仕事があるのかと思って」
薄眼で軽蔑するような視線を向けられたので慌てて否定し、素直に思ったことを口にした。
「言っただろう、人肌を使って保温しなければならないと。
それとも歩は廊下で寝ている男にそれを頼むつもりなのか?」
「そっ、そんなこと言ってないんじゃないですか?!」
いや、普通に考えてダメだろう。
あの男がどんな人間かも分からないし、寝ているニュクスィーに妙な気を起こすかもしれない。
「あ、だからといって俺でもダメですよ!?
俺はもちろん妙な気を起こす気はないですけど、それでも人としてさすがにアウトだと思いますっ」
「…しかしそうなると誰に頼むんだ?
あたしが傍についていてやりたいのは山々だが、ギルドの業務を放り出してついていてやるわけにもいかん。
歩には誰か心当たりでも?」
「そ…れはないですけど…」
言われてみて考えたけど、俺の知り合いの女性メンバーって意外と少ない。
ニュクスィーにイオレットさん、あとは野バラの美人マスターだろうか。けれど店を放り出すわけにもいかないだろうから、野バラのマスターに頼むのは無理だろう。
「だろ?そうなると歩しか適任がいないじゃないか」
「い、いやそれはちょっとどうかと…!?」
なんとか言い募ろうとした俺にイオレットさんはすっと目を細めた。
「歩まで温めてやらないとなるとニュクスィーは明日の朝には冷たくなっているかもしれないが、それでもいいのか?」
「ぐっ…」
それは、嫌だ。嫌だけど、婚前の若い男女が一つのベッドの中でくっついたまま過ごすというのは倫理的に色々と問題があるんじゃないだろうか?
「それとも何か?
歩は己の欲望に負け、身動きできない病人相手によからぬことをするつもりでも?」
「そんなこと絶対にしませんよっ!」
「じゃあ何も問題ないじゃないか。
すぐ傍で見ていてやれる人間がいれば病状が急変しても対応しやすい。
ほら、さっさと出ていけ。全身拭き終えたら呼ぶ」
シッシッと俺を手で追い払うイオレットさんはそれ以上の問答を許してくれなかった。
俺は渋々部屋を出て廊下で膝を抱え込む。
一体、どうしてこうなった…?
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