133 生存確認
「えっ、俺が…ですか?」
「あぁ。もう4日目になる。
もしかすると脱水症状を起こして中で意識を失っているかもしれん」
パブのカウンター席でいつものように朝食を食べていると珍しくイオレットさんが顔を出した。マスターに軽食を注文した彼女は、俺に数日間引きこもったままのニュクスィーの様子をみてきてほしいと頼んでくる。
しかしニュクスィーとはスクラ盗賊のアジトを襲撃してから顔を合わせていない。あんなことがあった後だ。気まずいというのも大きい。
「他の人じゃダメなんですか?別に俺じゃなくたって…」
野菜炒めの皿に視線を落としてそう言うと、イオレットさんはカウンターに片腕をのせて小さく溜息をついた。
「あたしが様子を見に行っても反応がなかったんだぞ?
あと可能性があるとしたら歩以外にいないじゃないか」
「そんなことは…」
ないと思う。
むしろ今ニュクスィーが一番会いたくないのが俺だろう。俺だってそうだし。
「人間はな、何も食わなくても1週間は生きていける。
でも水を飲まなければ3日で死ぬ。
このまま見殺しにして、歩は後悔しないのか?」
「…そういう言い方は、卑怯です」
それじゃまるで俺が悪いみたいじゃないか。
けれど胸の奥はムカムカするのに、噛み締めた野菜は味がしなかった。ムキになって奥歯で何度も噛み締めたけど、結果は変わらなかった。
「それに皆心配している。困った時には力を貸すのがギルドの理念だ」
「……」
そう言われると反論できない。
俺だって常日頃からイオレットさんを始め、みんなに力を貸してもらっている。
「それにマスターも困っている。宿を貸して餓死者を出しては評判も落ちるしな。
歩はマスターに恩があるんじゃないのか?」
そうだけど…そう思いながら顔を上げたら、マスターと一瞬だけ目が合った。他の客に話しかけられてすぐに顔をそらしてしまったけど、ちょっと困った様な苦笑いを初めて見た。
「…様子を見に行くだけですからね。返事がなくても怒らないでくださいよ?」
「それで問題ない」
イオレットさんから言質を取れたので、俺は朝食を食べ終えると2階の客室に向かった。行商人の団体客たちはもうパブを出たのか、客室しかない2階は静まり返っている。
と。
「あれは?」
ドアの脇に座り込んで眠りこける黒人風の人影があった。
痩せてはいるが、野外スポーツをしている黒人選手みたいに本当に肌が真っ黒だ。
旅の行商人だとしても、何故そんなところで寝ているのかわからない。
「ブランダーのダグという男だ。一緒に戻ってきたのに、知らないのか?」
不思議そうに尋ねてきたイオレットさんに話を聞くと、どうやらスクラ盗賊のアジト襲撃から帰還した朝に最後尾をついてきていたらしい。
「全然気がつきませんでした。あの時はその…色々あって疲れていたので」
あの朝の俺達の服装を考えれば何があったのかはおおよそ予想がついたのだろう。その件に関してイオレットさんは深く言及してこなかった。
そういえば2階でポールに繋がれていた人影があったことを思い出した。ニュクスィーがピッキングを成功させていたなら、その人物は自由の身になっているはず。
囚人部屋には月明りしかなくて顔が確認できなかったから断定はできないが、可能性があるとしたらその人だろう。どれだけの期間囚われていたのかは知らないが、足腰が弱っていたのなら俺達についてくるのも大変だったはずだ。
「彼は金をもっていなくてな。それでもニュクスィーを心配して傍から離れない。
彼をどうにかする為にも、早くニュクスィーの安否を確認したい」
「わかりました」
盗賊のアジトに監禁されていたのだ。金はおろか手荷物だって奪われただろう。解放してもらったところで無一文からやり直すのは簡単ではないに違いない。
俺は眠りこけている男の隣にあるドアの前に立ち、小さく深呼吸した。そして遠慮がちに小さくノックする。
「反応、ありませんね」
「声をかけなきゃ歩が来たことがわからんだろう。
まさかノックだけで引き返すつもりか?」
バレていた。いや、本当にそれだけで許されるとは思っていなかったけども。
俺は小さく咳払いしてもう一度ドアをノックした。
「あー…俺だけど。ちょっと顔を見せてくれないか」
どう声をかけていいか分からず、ようやく絞り出したのがそんな言葉だった。
嫌でもダメでもいいから反応があれば、とりあえず俺の役目は果たせるはずだ。
だが。
「返事がないな」
「この人みたいに寝てるのかもしれませんよ」
「衰弱して意識がなかったとしても返事はできんぞ」
腕組みして厳しい顔をしたイオレットさんに足元で眠り続ける男を指さして言ってみたら怖い顔で睨まれた。確かに不謹慎な発言だったかもしれない。
イオレットさんは俺にここで待つように指示し、すぐに階段を下りていってしまった。間もなく戻ってきたけど後ろにはマスターを連れている。
「どうするんですか?」
「衰弱死の可能性を考えて強行突破する。見殺しにはできん」
大股で戻ってきたイオレットさんは大きなノックの音を響かせ“ニュクスィー、返事がないなら入るぞ”と声をかけ、マスターに向かって頷いた。マスターはポケットから部屋のマスターキーを取り出し、鍵のかけられたドアを開いた。
「ニュクスィー?」
一番最初に部屋に足を踏み入れたのはイオレットさんで、その次にマスターに促された俺が続いた。ガタイの良いマスターに背中を押されては、俺も渋々従うしかなかったというのが本音だ。
部屋に入るとニュクスィーはベッドにいた。いや、ちゃんと布団を被っていたという意味ではない。倒れ込んだまま眠っているという状況だった。
その光景を見て心臓が嫌な音を立てた。今まさに目の前でその命の火が掻き消えてしまいそうで。
「ニュクスィー?おい、大丈夫か!?」
イオレットさんがベッドに駆け寄ってニュクスィーの肩をゆさぶるが、ニュクスィーの返事はない。しかしその顔はリンゴのように真っ赤に染まっていた。乾燥してひび割れた唇の間からヒューヒューと消え入りそうな音をたてて何とか呼吸しているようだ。
「熱があるな。
歩、水を汲んでこい!マスターは何か食べられそうなものを」
イオレットさんの檄に背中を押され、俺は仕方なく走り出した。
なんで俺が…と思いながら井戸の水を組み上げ、大鍋とコップにそれぞれたっぷり水を注いでパブの二階へ駆けのぼる。途中、二階の様子を窺う野次馬の群れが邪魔で思わず怒鳴ってしまったが、緊急事態だったんだし仕方がないと思う。
「イオレットさん、水です!」
「あぁ。あとマスターから毛布があれば売ってくれるように頼んでくれ。
意識が戻らない内は毛布でくるんで可能な限り体を保温してやるしかない」
「わかりました!」
くっそぉ!ぶっ倒れてるんなら倒れてるって言えよっ!
いつも駄々っ子みたいに我儘ばっかり言うくせに、なんで肝心な時に周囲に甘えないんだ!
気づいたらものすごくイライラしていた。考えれば考えるだけ腹が立ってくる。
酒の醸造設備やヤギの飼育に関して、ニュクスィーのはこれまでさんざん我儘を言い続けてきた。周囲の迷惑を考えずに振り回し続けてきた。それなのに本当に助けが必要な時は誰にも何も言わないなんてふざけている。今こそいつもの我儘で甘えるべきではないのか。
もし医療設備が整った日本であれば病院のベッドで点滴を打ってもらえば事足りたかもしれない。抗生物質を処方してもらって家で安静にしていれば簡単に治るだろう。
けれどもこの世界には病院どころか診療所すらない。市販されている治療キッドは外傷には効くが、熱が出るようなウイルスに対してまで万能に効果があるのかは怪しい。
ニュクスィーの体力が尽きれば、最悪そこまでかもしれない。
「マスター、毛布ありったけください!」
「おい、ちょっと落ち着け。毛布なんてそう何枚も数はない。
そもそも何枚も必要じゃないだろう?」
「う…」
苦笑いを浮かべるマスターに毛布を出してもらいながら我を忘れかけていたことを自覚して口ごもる。おかげでちょっとだけ冷静になれたけど。
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