132 星空の下で -後編-


「それはそうでしょう。

 けれどそれは同時でなければならなかったのでしょうか?

 あの2人であれば、片方が立ち直れないほど打ちのめされたとしても互いに助け合うことが出来たはずです」


 歩の危うさの根底にあるのは無知と弱さだ。甘さや命知らずと言い換えてもいい。

 打ちのめされる痛みは知っていても、心臓に刃を突き立てられる恐怖を知らない。足元の大穴に気づかず、少しでも足を滑らせれば簡単に死ぬのだという当たり前の事を分かっていない。

 それ故、自分自身の命を簡単に危険にさらす。周囲に累が及ぶことにも考えが及ばない。

 ニュクスィーに関しても歩ほどではないがその傾向があり、イオレットは注意深く2人の動向を見守っていた。


「青いな」

「そうでしょうか?

 何も言わずとも温かい手を重ねてくれてるだけでも違うと思いますが」


 けれど今の2人にそんな心の余裕はないだろう。

 採掘に精を出す歩もずっと近くで共に働いてきたニュクスィーの不在を案じる発言をしていないという。己の心と向き合うだけで手一杯なのだろう。

 せめて2人が現実の厳しさを知る時期がずれていれば、もっと違う現在いまがあったかもしれない。


 少し眉を寄せたイオレットの言葉に老師は“ほっほっ”と穏やかな声で笑った。


「傷の舐め合いは出来ても、結局は己の足でしか人は立ち上がれんものだ」


 2人の仲を温かく見守る者もいるが、己の為に他者の命を狩った心の闇はそう簡単に晴れるものではない。一時の慰めになればまだよいが、現実逃避の引き金になったりもする。己の心と向き合い立ち上がることを決断しなければ、永遠に闇に囚われることになる。


「じゃがまぁ…ワシも見てみたかったのかもしれん」

「何をです?」

「引き留めてくれる声があるのなら、情を失わずに目的を達することができるのか。

 己の生と己がもたらした死に向き合えるものなのか、とな」


 星を見上げている老師は目を細め、どこか独り言のように答えた。笑みすら浮かんできそうなその横顔にイオレットは眉を寄せ、顔をそらした。


「なんと…それこそ世間を知らぬ戯言ではないですか。

 あなたはそんな酷なことをあの2人に強いたのですか」

「強いてはおらん。選んだのはあの2人じゃ。

 ワシはただ行く末を見守っておっただけよ」


 イオレットはその言葉で大筋の事を理解した。

 何故戻ってから老師が歩の元へ通うのをやめたのかも。

 おそらく変化があったのは老師のほうではなく、歩の方であったのだろうと。


「見てみたかったのかもしれん。

 世間知らずで甘い夢を当然のように考えている歩であれば、あるいは…と」


 未だ世界の厳しさを知らぬ2人であれば、あるいは自分達とは違う結果になったのではないかと。

 渇望していたわけではない。けれども見られるものなら見てみたかった。もう一つの可能性を。


「満足ですか?」

「そう怖い顔で怒るでない。

 2人がそれぞれ己のしたい様に動いた結果なんじゃ。

 死に際の老人が少しばかりそれに夢を見たって罰は当たるまいよ」


 笑い声をたてる隣の男を詰るように問いかけると、口元に笑みを浮かべた彼は地平線に視線を移して話題を変えた。


「でじゃ。まだ頼みごとがあるんじゃろう?」


 全て知っている顔でイオレットの横顔に目を向けた老師は、彼女の顔がすでに厳しいものに変わっているのに気づいた。オレガノの拠点ボスとしての顔だ。


「もうすぐ麦の在庫が切れる頃でしょう。

 聖王国へ向かう歩たちに護衛をつけなければいけません」

「今回の件で歩も思い知ったはずじゃ。もう馬鹿な真似はするまいて」


 4人で運んだ麦の量は約28日分。麦の買い付けに行って帰ってくるまでの日数を差し引けば、そろそろ歩の方からイオレットに声がかかるだろう。老師自身もそう予想していた。

 けれどもスクラ盗賊のアジト襲撃の一件で、歩も身に染みたはずだ。自分の命の守り方や周囲に迷惑をかけないためにどうすればいいかを今後は真剣に考えるはずだ。


「けれどあの男が同行するはずです。

 あの不可思議な力がある限り、とても野放しにはできません」


 イオレットはあくまでも慎重だった。

 歩の性格を考えれば楽観視はできない。道中、以前のように鎌風の力を使わなければ同行者が死ぬとなった時、果たして本当にそれを使わないという決断ができるのだろうかと。それを聖王国軍の巡回部隊に見られないという幸運が続く保証はない。


「言い聞かせればよいではないか。

 もし力を使えば、それを目撃した者は皆殺しにするしかないと」

「それでもし一人でも取り逃がしたらどうするのですか。

 あるいは仮死状態のまま生き延びてしまったら」

「ふむ…」


 実際に鎌風の力を目にし、色々試してみた実験の結果を知っている老師は考え込む。

 あれは驚異的な力ではあるが制約もあり、決して万能ではない。仮に歩がその命令通り動いても、イオレットの言葉が現実となる可能性はある。


「ウチの拠点は人材に乏しいんです。

 万が一を考えれば、老師を外すことはできません」


 もちろん追剥や盗賊相手であればよほど状況が悪くない限り負けることはないだろう。

 だが一兵も取り逃さないようにするには、それだけの俊足と優れた探知能力、そして有無を言わせないスキルが必要だ。

 この条件を全て満たしていて、かつ動かせるギルド員は今のところ老師以外にいない。


「行ってくれますね、老師?」

「ワシが頷いたところで歩は納得せんじゃろうよ。

 あやつは意固地じゃからの」

「知っています。

 けれど老師を連れて行かないのであれば護衛を派遣できないと言えば折れるでしょう」

「恨まれるぞ」

「相応しい人材が乏しいのは事実です。我儘には付き合っていられません」


 茶化した老師の言葉をイオレットはため息交じりにバッサリ切って捨てた。

 老師とのやりとりはいつも回りくどい。いちいち明言を避けるのも年の功なのだろうか。


「もうちっと老人ワシを労わってくれてもいいんじゃよ?」

「その言葉、あと50年したら考えてさしあげます」

「ほっほっ。オレガノの拠点ボスは血も涙もないのぅ」


 笑い声を残して老師は螺旋階段の方へと向かう。その背中にイオレットは慌てて声をかけた。

 先程の会話のみで仕事を請け負ったと思い込むのは危険だ。“引き受けるとは一言も言っとらん”とこれまで何度煮え湯を飲まされたことか。


「老師!本当に聖王国に行ってくださいますね?」

「歩が納得するのであればな。

 あやつはまだまだ弱い。己が覚悟を決めさえすればいつでも相手を殺せるなどと思い込む方が危険じゃわい」


 背中越しに軽く手を振りながら老師は螺旋階段をおりていった。





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