129 赤い海
「それで抵抗は終わりか?
さぁ、懺悔の時間は終わりだ」
20分も経たない間に全身を傷だらけにした男たちが床に転がっていた。
俺も彼らから死に物狂いの攻撃を何発かもらったはずなのだが、体は不思議と傷まなかった。
それどころか部屋中に立ち込める血の匂いに少し酔ってすらいたのかもしれない。
ブーツの先で呻く男たちの体を仰向けに転がし、両手で握った刀を裸の胸に向かって構えた。
「己の罪を後悔しながら死んでいけ」
「ダメッ!」
突然背後から突き飛ばすような勢いで誰かに抱きつかれた。
声の主は振り返らなくてもわかる。
だからあれだけしつこく帰れと繰り返したのに。
1階にも下りてくるなと言ったのに。
「邪魔するなっ!」
渾身の力で突き飛ばすと細い肩は壁に打ち付けられてずるずるとそのまま床に崩れ落ちた。
「やった!開いたぞ!」
玄関扉に群がっている男たちの中から歓声が上がった。
偶然が重なったのか、それとも風刃の意識が一瞬削がれたせいか、ようやく開かれた玄関扉の外へと傷だらけの男達が一斉に全速力で逃げていく。
俺の近くに転がっていた一人も這いながら向かおうとしている。その太腿めがけて刀を突きさした。
「ギャアッ!足がッ、足がぁッ!」
刀を抜くと大量の血が床に海を作った。血だまりの中で膝を抱え込む男はもうそこから動こうとしなかった。
そんな男の体にさらに刀を突き立てようと構えたら、それを阻む様ようにニュクスィーが正面から抱き着いてきた。真っ赤に染まった俺の服に顔を埋めて泣きながら必死に首を振る。
「ダメ!絶対ダメだよっ!」
「見ていられないんだったら今すぐ帰れ!」
ニュクスィーの肩に手を当てて突飛ばそうとするが信じられないくらい強い力で抱きつかれているせいで出来なかった。
だから代わりに怒鳴ったのだが、絶対に嫌だとニュクスィーは両腕に力を込めた。
「どうしてっ!?どうしてこの人達を殺さなきゃいけないのっ!?」
「自分達が生きるために人殺しを選んだ奴らだぞ!?
放っておいたらこれからも大勢の人が死ぬんだ!」
本気で殴ってなろうかと思った。
いつまでも子供みたいな我儘で俺を振り回そうとするニュクスィーを、今回ばかりはそろそろ殴っても許されるような気がした。
その肩に指が食い込むほど力を込めたが、ニュクスィーは大粒の涙を血で汚れた頬に流しながら強い目で俺を睨んだ。
「あたしはっ、あたしは見ず知らずの誰かよりも歩が大事だもんっ!!」
地面が、揺れた気がした。
地震なんて起こっていないし、俺はちゃんと自分の足で床を踏みしめて立っているのに。
不思議な解放感と底のない絶望感が俺の体を散り散りに引き裂こうとしているみたいだった。
いつの間にかニュクスィーの肩を掴んでいた左手の力が緩んで、握りしめている刀が滑り落ちそうになる。
「だから帰れって言ったんだ…」
虚ろな声で独白した。
こうなることは何となくわかってた。だから帰らせたかった。
ニュクスィーに見せたくなかったし、巻き込みたくなかった。
こいつら、全員殺さないと…。
ギルドやオレガノの人達に迷惑をかけられない。
けれど俺の名前を聞かれてしまったら、もう殺して口を封じるしかない。
死の恐怖を植え付けて、伝令代わりに周辺地域のねぐらまで走らせるだけで良かったのに…。
「ねぇ、もうこんなことやめようよっ。
一緒に帰ろうよ、ね?」
何も分かっていないニュクスィーが泣き笑いの表情で俺に問いかけてくる。
でも泣けるものなら泣きたいのはこっちだった。
こんなことになるなら、殴ってでも送り返しておけばよかった。
「ここに残ってる奴ら、全員皆殺しだ」
血に濡れたニュクスィーの頬を指先で撫でつけながらそう呟いた。乾きかけている血は指で擦ってももう落ちることはない。
言葉の内容とは裏腹に俺の声はやたらと明るく響き、ニュクスィーは訳が分からない様子で戸惑いに顔を強張らせている。
「嘘、でしょ?ねぇ、嘘だよね?」
嘘などではないともうわかっているだろうに、震える声で尋ねてくるニュクスィーは哀れだった。そしてそれ以上に愚かだ。
「お前が邪魔してこなかったら、逃がしてやるつもりだったんだ。
でも俺の名前を知られた。いつか俺の命を狙って町を襲いに来るだろう。
何も悪くない人たちを巻き添えにはできないんだよ。
だから帰れって言っただろ?1階に下りてくるなって言っただろ?
俺の言うことをちゃんと聞かないから、こうなった」
「え…」
幼い子供にそうするように一つ一つ間違いを挙げて丁寧に説明してやる。
すると俺にしがみついたままニュクスィーは絶句して、最後の滴をその大きな目から零した。
そんなニュクスィーの肩をポンポンと叩き、軽く押してやるとニュクスィーはあっけなく俺から体を離した。
「ヒッ、た、たすけ…っ」
「お前らはそうやって逃げようとする旅人だって殺してきたんだろ?
今更、悪あがきはよせよ」
もう悪あがきしたって遅いんだ。
だってもう、こうする以外にどうしようもないんだから。
ザシュッ!
ろくに動けない血濡れの体に刀を突き立てた。
何度も繰り返し刃を落として、絶命して呼吸をやめるまで繰り返す。
ニュクスィーは広がる血だまりの中で膝をついて泣きじゃくっていた。
全てが終わった時、口を開く者は誰もいなかった。
最後の一人が風刃の刃によって事切れると、呻き声を上げる者すらいなくなった。
ニュクスィーは涙すら枯れ果てたのか周囲に転がる死体を虚ろな目で見つめている。
螺旋階段の上から事の成り行きを見守っていたはずの老師すら一言も発しなかった。
どっと疲れと鈍い痛みが全身にのしかかってくるのと同時に、部屋に充満する血の匂いに軽い吐き気を覚えた。
張りつめていた緊張感が蜘蛛の糸みたいに千切れて風に揺れる。
今はもう何も考えず、泥のように眠りたかった。
「これまで鍛えてくれたことは感謝します。
でも明日からは必要ありません」
階段の上に黙って立っている老師に静かにそれだけ告げると刀を振って血を落とした。
一晩で散々酷使したせいで切れ味が落ちているだろう。
明日にでもきちんと研ぎ直さないといけない。
そんなことをぼんやり考えながら布で表面の血を拭い取り、鞘に戻して俺は塔を後にした。
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