126 潜入開始


「歩、心配するな。

 いざとなったら俺の力を使え」


 俺が老師に何も言えずに黙り込んでいると風刃がそっと背中を叩いた。


「でもここは…っ」


 オレガノの近くとは言えないが聖王国領内だ。

 盗賊のボスは今夜息の根を止めるが、それ以外の部下は目撃者となって各地に散った盗賊仲間に今夜の惨事を触れ回ってもらわなければならい。彼らを生かしたまま逃がせば、遠からず聖王国の耳に届いてしまうだろう。


「全員の口を一つ残らず塞いでしまえば、問題は起こらない。

 本部に戻ってきた巡回部隊が転がる死体を見て騒いでくれれば目的は達するだろう?」


 風刃はあくまで無表情だったが、その口から飛び出したのは俺が考えてもいなかった惨劇だった。


 皆…殺し…?


 確かに風刃が鎌風の力を貸してくれるというのなら実現は可能かもしれない。

 だけど…そう、それではあまりに惨すぎないだろうか。


「風刃は、いいのか?

 鎌風の力を人殺しの為なんかに使って…」


 問いかける声が震えていた。信じられなくて。信じたくなくて。

 風刃はそんな冷たい人間だっただろうか?それとも俺には見えていなかっただけなのか。

 足元が急にグラついたような錯覚を起こす。


「力は刀と同じだ。使い方次第で良いものにも悪いものにもなる。

 歩は自分の望みの為にその刀で命を屠ると決めた。

 俺は歩が俺の助力を求めるなら力になると決めている。

 だから必要になったら言えばいい」

「なんでそこまで…?」


 風刃の言葉をどこまで素直に受け取っていいの分からず、俺は視線を彷徨わせた。

 風刃の目を直視するのが怖かった。

 俺が見たことのない風刃がそこにいたらどうしようと、不安になってしまった。

 そんな俺の背中を風刃の掌が撫でた。


「俺はずっと村で誰かの役に立ちたかった。

 鎌風の力を使って皆のように、村の為に働きたかった。

 だがそれは叶わなかった。俺のもつ力が鎌風の力だったから」


 無表情を少しだけ動かして笑う風刃の笑顔はどこか寂しげだった。

 生まれ持った力を自分自身でも疎ましく考えたことが過去にあったのかもしれない。


「でも歩は俺の力を信じて、使ってくれた。

 ありがとうと感謝してくれた。

 だから歩が助けを必要とするなら、俺は歩の力になる」


 風刃はそう言って俺の手の甲に自分の手を重ねた。

 いつもは俺が一方的に握るだけだった。

 それを今は風刃の方から触れてくれている。


 風刃の顔と正面から向き合うと、優しい笑みが浮かんでいた。

 俺が恐れていた冷たい闇はどこにもなかった。


「ありがとう、風刃。

 いざとなったら頼らせてもらう」

「あぁ」


 そっと手を裏返すとことのほかしっかりとした力で握り返してくれた。


 それに勇気づけられて、俺は胸の奥の黒い雲を霧散させる。

 もう迷っている時間はない。立ち止まっている暇もない。

 今は全力をもって最善を尽くすしかない。


 俺は握っていない方の拳を固く握りしめた。





「早かったでしょ?バッチリ鍵開けてきたよ」


 とても得意げな表情でニュクスィーが戻ってきた。

 これから目にすることになる惨劇を露ほども想像していないのがよくわかる表情だ。


「さんざんギルドの宝箱で練習したんじゃろう?さすがじゃ」

「えっ?あ、ま、まぁ…ね?」


 俺でなく老師が反応したのが予想外だったのか、ニュクスィーは明後日の方を向いてとぼけている。何か後ろ暗い事情でもあるらしい。

 まぁ、これからしようとしていることに比べれば些事だろう。


「ニュクスィー、最後にもう一度だけ言うぞ。

 今すぐオレガノに引き返せ。

 ここから先は俺を含めて誰一人お前にかまけている暇はない。

 自分の身すら守れないお前はただの足手まといだ。

 俺達についてきたら本当に死ぬぞ」

「嫌だって言ってるでしょ?

 もー、歩もしつこいなー」


 ニュクスィーは自分の事を棚上げしてプリプリしている。

 だが俺はそんなニュクスィーを見てもう諦めた。

 計画を今ここで話せばニュクスィーは大声を出して大反対するだろう。

 そんな真似はできない。


「そうか。そこまで言うならもう何も言わない。

 だが吐くほど泣いて後悔しても遅いぞ」


 とても平坦で冷たい声だったと思う。

 しかしそれでもニュクスィーは動揺する素振りすら見せなかった。


 ついてくるなら勝手についてくればいい。

 そうして自分の愚かさを悔いればいいんだ。


 もしニュクスィーが邪魔をしようとするなら、拳で殴り飛ばすことだって躊躇しない。

 そんな生半可な覚悟でここまで来たわけじゃないからだ。


 俺は夜の暗闇に同化する黒いタートルネックを口元まで引っ張り上げる。


 隠密や暗殺スキルを多用する裏稼業の者達が好んで買い求める品だそうだ。

 特殊加工したなめし皮と薄く延ばされた金属板を各所に使用することで防御力を保ちながら体の動きを制限しない防具らしい。特に俺が商人ギルド員から購入したこの上着の品質は最上級クラスに迫る品質で防御力の面でも申し分ないという。

 ギルド員価格とはいえ決して安くはなかったが、今夜の為に用意した一着だ。失敗する気はない。


「突入しましょう。

 合図をもらえますか、老師」

「うむ。ではまず近づけるところまで近づくぞ。

 ワシについてくるんじゃ」


 老師の手招きを合図に夜の暗闇の中を進む。

 塔の入り口には両サイドに見張りが2人。

 今から襲撃されるなど夢にも思っていない様子で眠そうに欠伸を漏らしている。


 老師はしばらく2人の様子を観察した後、足元に転がっている小石を拾って遠くへ放った。

 放物線を描いた小石が門の上を通り過ぎ、塔の裏側の崖になっている付近に落ちて小さな音を立てた。

 その音に一人の見張りが気づいた様子で塔の裏側に回り込む。もう一人は暇そうにもう1度盛大な欠伸を漏らした。

 その隙をついて鉄格子の扉を持ちあげ、人ひとりが屈んで通り抜けられる隙間を作る。

 そこに即座に体を滑り込ませた。


「……」


 老師の合図で風刃は玄関前に立つ見張りを、俺は小石の音に誘導されて塔の裏側へ向かった見張りを対処しに向かう。

 気配を殺して建物の影から様子を窺うと、見張りは崖下の方を覗き込んでいた。

 こちらの気配に気づいていない今ならば、後ろから力いっぱい突き飛ばせばそれで事足りる。


 落ちる時にどこか体をぶつけたら大きな音がたつかもしれないし、とっさに悲鳴を上げられても面倒か…。


 俺は静かにその真後ろまで移動すると、すっかり使い慣れた角度と力加減で手刀を首裏に打ち込んだ。


「…!」


 うめき声一つ上げずに男は膝から崩れ落ちた。

 重力に引かれ崖下に転落しそうになるのを着ている服を引っ張って止めると、地面に転がして懐から取り出した枷を両手と両足にとりつける。


 元々は聖王国の鉱山で働かされている奴隷達の逃走を防止する為に両足を拘束しているものらしい。基本的には逃亡してくる途中で捨ててしまう物なんだそうだが、まれにピッキングが成功して解錠できた枷をオレガノまで持ってくる奴隷がいるらしい。これはそんな彼らが盗賊ギルドに残した置き土産だ。

 こうしておけば仮に目が覚めても何もできないだろう。


 俺は男の腰から錆びたサーベルを抜き取って崖下に投げ捨てる。

 サーベルは音もなく夜の闇の中へと吸い込まれていった。




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