125 招かれざる者


「おまっ、なんでここにいる!?」

「えへへー…」


 声を殺しながら思わずその能天気な顔を怒鳴りつけてしまった。あまりにも緊張感が無さすぎて、首根っこをひっつかんで揺さぶってやりたい。


 なんでニュクスィーがこんな所にいるんだ!?

 この顔、絶対にこれから何があるのか、何をしようとしてるのか知らない顔だぞ!


「今すぐオレガノへ帰れ!」

「い・や!絶対に帰らない!」

「ふざけるな!遊びじゃないんだぞっ!」

「やだったらやだ!絶対についてく!」

「こんの…っ!」


 ニュクスィーはいつも言い出したらこっちの話なんか聞きやしないが、今夜ばかりはその顔が殴りつけたくなるほど憎らしかった。

 俺は振り上げかける拳を何とか理性で抑え、老師に向き直った。


「なんでこいつがついてきてるの知っていて黙ってたんですか!?」

「気づいたら後ろにいたんじゃ。仕方あるまい」


 俺が勢いそのままに老師に尋ねると、老師はこともわろうかとぼけた顔であらぬ方向へ視線を投げた。すっとぼけているつもりなんだろうが、無理がありすぎる。

 ニュクスィーの隠密スキルがどの程度かは知らないが、老師の目を掻い潜れるほどではないだろう。道中、俺達に指示を飛ばしながら走った老師の視線を全てかわせたはずがない。


「それにこの娘が一度決めたことはテコでも覆さんのは歩自身が一番よう知っとるじゃろ。

 歩がきちんとはぐらかしきれんかった時点でこの未来は避けられんかった。

 企みに気づいて何をしでかすかわからんまま放置する方が危険は大きかったじゃろうしの」


 つまり老師は知っていたのだ。

 今夜ここに来る前からずっと、こうなることが分かってて黙っていた。


 老師の事だ。きっとニュクスィーを危険から遠ざけるための策はあるのだろう。

 いざとなれば老師がその手で盗賊たちを一人残らず昏倒させてしまえば、ニュクスィーは危害を加えられない。そういう腹積もりなんだろうか。


「ピッキングは俺が行きます。

 ニュクスィー、お前は帰れ」」


 俺だってギルドの鍵開け訓練用の宝箱は触ったことがある。時間がかかったとしてもいずれは解錠できるだろう。ニュクスィーは邪険にして相手にしなければきっと拗ねて動かないはずだ。


「ダメじゃ。歩、おぬしでは奴らに気づかれる」

「だったら老師が行ってくださいよ!

 コイツは関係ないでしょう!?」


 今夜の計画は俺達だって命懸けだ。

 ろくに訓練していないニュクスィーを参加させることですべて台無しになる可能性がある。


「歩、おぬしは盗賊共のボスを潰したいのじゃろう?

 しかしそれはお前の中でどんな大義名分があろうともただの我儘じゃ。

 この娘の我儘を責める権利はないのではないか?」

「だってコイツは何も知らないんでしょう!?

 訓練だってしていないし、計画の足を引っ張る可能性が高いじゃないですか!

 それとも、たとえ何があったとしても老師がコイツの命を守ってくれるって言うんですか!?」


 確約が欲しい。老師が何とかしてくれると約束してくれるなら、俺はニュクスィーの存在を気にかけずに動ける。

 むしろ自分の役割を実行するだけで精一杯の俺に、ニュクスィーの世話まで押し付けないでほしい。


「ふむ。のう、ニュクスィーよ。

 これからワシらが向かうのは戦場じゃ。互いに斬り合い、死人もたくさん出るじゃろう。

 ついてくると言うのであれば己の命は己で守ってもらわんといかん。

 勝手についてきて勝手に死んで、それで恨まれるのも嫌じゃからの。

 それでもワシらについてくるか?」

「老師っ!」


 なんて無責任なことを言うんだ!

 ニュクスィーがそんな言葉で諦めるわけがないだろう!?


「あなたはニュクスィーを見殺しにするつもりですか!?」

「どうしてもついていくるというのであれば覚悟が必要じゃろう?

 歩が腹をくくったように、な。

 ワシも必ず助けるなんて無責任な約束はできんのじゃよ」


 老師は怒っている俺に対して暖簾に腕押しだ。

 全て承知していて馬鹿にしているとしか思えない。


 こんのクソじじいっ!


 久しぶりに腹が立った。握りしめた拳でぶん殴ってやろうかと思った。

 この後に大事な計画が控えていければ殴りかかっていたかもしれない。


「あたしは大丈夫!いざとなったら歩を連れてサッと逃げるから!」


 それは全然大丈夫って言わないだろうがっ!


 髪を掻きむしって地面の土を思いきり蹴り飛ばしてやりたい。

 誰かニュクスィーの首根っこをつかんでオレガノに強制帰宅させてくれないか。


「ほっほっ。最後までそうやって笑っていられるといいの、ニュクスィー」


 老師はまるで他人事みたいに笑って無責任なことを言う。

 何がそんなに楽しいんだと襟首をつかんで揺さぶってやりたい。


「あたしは歩がいなくならなきゃそれでいいから。だから大丈夫」


 ニュクスィーの能天気な笑みをぐちゃぐちゃにしてやりたい。

 腹一杯の悪口を浴びせかけて、それで泣かれて嫌われてもいいからこの場から立ち去らせたい。


 どうせ嫌われて幻滅されるなら、いっそ今ここで…。


「あまり騒ぐと中の盗賊たちに気づかれる。

 鍵開けするなら早く行け」


 暗い想像に飲み込まれそうになった俺の背中に風刃の掌が触れた。

 胸の奥でドクドクと嫌な音をたてていた心臓が現実に引き戻されて平静を取り戻していく。


「うん。じゃあパパっと開けてきちゃうね。

 あたしに任せて大船に乗った気持ちでいていいよっ?」


 ふざけているつもりなのかわざとらしいウインク一つを残し、ニュクスィーが闇に紛れて門扉に近づく。シャッター式なのか足元にうずくまって何やらゴソゴソやり始めた。


「老師…ニュクスィーが何と言おうと、あいつに何かあったら俺はあなたを恨みます」


 闇に紛れてしまいそうな小さな背中を見守りながら低く呟くと、老師は喉の奥からくぐもった笑い声を出した。


「怖いのう。しかし歩の願いだけ聞いてやるのでは不公平なのでな。

 いつまでも甘やかしていてはあの嬢ちゃんの為にもならん。

 どこかで厳しい現実というものを教えてやらねばの」

「だからって、何も今夜じゃなくても…!」


 食って掛かろうとした俺を老師の掌が止めた。


「あの娘は歩が心配なんじゃよ。

 それゆえ、夜の闇すら怖がらずに飛び込んでこれる。

 見ず知らずの誰かにある日突然暗闇の中へ突き飛ばされるより、ずっと幸せな事じゃと思うがの」


 そう語る老師の目はずっとニュクスィーの背中を見ているようでいて、しかしここではないどこかに向けられているようでもあった。

 それは俺が立ち入っていい話のなのか、そして今聞き出すべき話なのか分かず躊躇してしまう。

 老師はさすが年の功とも言うべきか腹の底を探らせてくれないところがある。

 それは俺自身がまだそれに気づけるほど人生経験を積んでいないだけかもしれないし、老師があえてはぐらかしているだけなのかもしれない。


 本当にいざという時はあてにしていていいんだろうか、老師を…。


 きっと俺が尋ねても先程の返答のように煙に巻かれるのだろう。

 俺だって何が起こるか分からない以上、何も確約なんかできない。でも老師の実力があれば100%は言い切れなくても安心させるために約束をすることくらいはできるだろうに。


 ニュクスィーの幸せ?

 ニュクスィーはヤギを殺されることさえ嫌がったんだぞ。

 人殺しの現場なんか見せて、一体なんになるっていうんだ?


 老師の考えは読めない。だがニュクスィーは言い出したら聞かない性格だ。

 突入前にもう一度帰れと言い聞かせて、それでもダメならもうなるように任せるしかないだろう。

 ニュクスィーの我儘に振り回されて計画を失敗させるわけにはいかないのだから。




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