109 鎌風刀


「だが1つ分かったことがある。

 俺の力が円を描く川だとしたら、歩の体は小さな水路だ。

 本流から僅かに漏れ出した水が流れ込んでいくのを感じた」


 俺が掴んでいた右手首を見ながら風刃はそんな風にさっき自分が感じた感覚を語った。


「俺がいつもより集中して本流の川が増水したら、その水を取り込んでいた歩の体が許容範囲を超えたということだろうか?」

「それもそうだし、鎌風の力をまとった刀が暴れてどこかに飛んでいきそうだったんだ。

 あの時もし刀を振れていたらどうなってたんだろうな」


 俺は地面についている斬り跡を眺めながらちょっと身震いした。

 そよ風レベルの力でも地面にクッキリと刃の跡が残っている。片手では抑えきれないほどの風をまとった刀を振ったら、地面に残るのはクレーターかそれとも…。


「凄まじいな、鎌風刀れんぷうとう


 あるいは鎌風剣。英語風に言うならウィングソードだろうか。


 いや、ウィングなんて生易しいもんじゃないな、あれは。

 ウィングビーストって感じか。

 鎌風刀ウィングビーストブレード


 ちょっと中二病っぽい命名になってしまったが、そういう風に感じたのだからしょうがない。

 べつに黒歴史の上塗りじゃないぞ。うん。


 欲を言えば軍用サーベルのような護拳が柄部分についていれば安心なんだが。

 あれだけ手の中で刀が暴れると取り落としてしまいそうで怖い。


「鎌風刀…」


 俺が命名した名前を呟いた刃がちょっと考えるように俯く。

 相変わらずの無表情だったが、表情から何を考えているのか分からないぶん沈黙が続くと気まずくなってくる。


「い、いや、特に深い意味はないんだけどなっ?

 風刃の力が鎌風の力だから、それに刀をくっつけたらそうなるってだけだし。

 もし嫌だったら風刃が命名してくれても…っ」

「いや、鎌風刀でいい」


 慌てて言い訳を始めた俺の言葉を遮って風刃が立ち上がった。

 そしてその場に座り込んだままの俺に掌を差し出してきた。


「歩が形にしてくれた技だ。

 それに分かりやすいし、かっこいい」


 おぅ…。もしかして風刃は患者さんだったのか。


 あるいは俺が風刃の中のパンドラの箱を開けてしまったのか。だがそうだとしてもちょびっとのはずだ。たぶん開いてしまったとしても隙間程度だと思う。うん。


 風刃が差し出してくれた手をとって俺はようやく立ち上がった。

 まだ腕に鳥肌の名残は残っているが、なんとか立てるまでは回復した。


「これからの課題はこれをどうやって一人で使えるようにするか、だな」


 強力な攻撃技だから一人で使いこなせるようになれば強いだろう。

 自分自身が傷つくこともないから、力が枯渇するまで使い続けることができるだろう。

 そうなれば俺のように理不尽レベルの修行をしなくても、大抵の敵であれば一撃で屠れるようになるはずだ。


「歩の中に流れ込んでいたのは力の一部だった。

 鎌風刀を使うために必要な鎌風の力の量はそこまで多くないのかもしれない」

「それはそうだと思う。

 だからもしかしたら微弱な力を刀に流すことができたら一人でも鎌風刀を使うことが出来るのかもしれない」


 刀をバラバラにしてしまわないように微弱な力を流し込んで使う、それがコツなのかも。


 俺は風刃と刀の間にはいって電力を調整するアダプターの役割を担っていたのかもしれない。

 これまでは電子レンジを使えるレベルの電流を流してしまっていたから刀が壊れてしまったけど、本当は髪の毛が立つ静電気レベルの電気を流してやるだけでよかった。

 俺が間に入ることでそれがたまたま実現できた、ということなのかもしれない。


 俺の言葉を聞いた風刃が近くに落ちていた小枝を拾って戻ってきた。

 風刃が手の中の枝を握り込むと、手の周囲にふっと一瞬だけ取り巻くような流れのそよ風が吹いた。そして。


 パラパラ…


 握っている枝がおが屑みたいにバラバラ崩れて吹いてきた自然の風に流されていく。

 風刃が握っていた手を開くと手の中の枝も粉々になっていて、赤く染まっていた。


「加減するのは難しい」

「あーあ…」


 俺は掌に無数についた傷に思わず顔をしかめてしまったが、風刃は1ミリも眉を動かさない。

 風刃は慣れているのかもしれないが、他人が太い針で注射されるのを見るだけでも痛みを思い出して嫌なものだ。

 俺はポケットから洗濯したてのハンカチ代わりの布を取り出して手の甲のゴミを払い落す。


「雑菌が入っても嫌だから井戸水で洗いに行こう」

「このくらい舐めておけば治る」

「ダメ!」


 原始的かつ不衛生なことを平気で言う風刃の手を引いてオレガノに戻る。

 手を怪我している風刃の代わりに井戸の底から水桶を引き上げ、手のひらに少しずつ流しながら雑菌ごとゴミを洗い流した。


「これであとは治療キッドを巻いておけ」


 治療キッドとはよくお世話になっている薬草の汁を染み込ませてある包帯のことだ。

 切り傷だけじゃなく打ち身や捻挫にもよく効く。

 話によると巻いておくだけで骨折や千切れかけた手足も回復するというのだから驚く。

 もしかしたら薬草の効力以外にも魔法みたいな力が働いているのかもしれない。

 現に風刃が操る鎌風の力のように魔法みたいな力も発現する世界だ。

 魔法を司ると信じられている女神メティスが実在するかはともかく、もしかすると何かしらの力が宿っているのかもしれない。


「あー!動くなって言ったのに!」


 大声に気づいて振り向くと童顔ギルド員がイオレットさんを連れてこっちにやってくるところだった。

 そういえばその場を動くなと念押しされていたのだった。風刃の怪我に動転してすっかり忘れていた。


「すみません。風刃がちょっと怪我をしたので傷口を洗ってました」

「怪我か。見せてみろ」


 イオレットさんは歩幅を広げて歩み寄ってくるとまだ濡れたままの掌を引き寄せた。

 水で血は洗い流したが、すぐに浅い傷口からたくさんの血が滲んでくる。やっぱり見てるだけで痛そうだ。


「例の力を使ったのか」


 傷口を確認したイオレットさんが風刃に問うと、風刃は無言で頷いた。相変わらず無表情な風刃の返事に溜息をついたイオレットさんは風刃の手を解放して腰に手をあてた。


「今後一切、オレガノやその周辺でその力を使うな」

「えっ、でも誰にも怪我をさせないように注意してますよ?

 それでもダメですか?」


 鎌風の力は確かに使い方を誤れば他人に怪我をさせてしまう力だが、きちんと周囲に人がいないのも注意したし実際に風刃本人以外は誰も怪我をしていない。

 誰にも迷惑はかけていないはずだ。


 しかしそんな俺の問いかけにイオレットさんは間髪おかずに断言した。


「ダメだ。

 まず第一に、その力を知らない人間にとっては危険を予測することができない。

 事情を知らない人間がお前たちに近づいて怪我をする危険がある」

「でも周囲には誰も」

「第二に、その力を他人に見られる可能性がある。

 オレガノは旅の行商人達がよく立ち寄る町だ。ここから北上して聖王国に向かう者も多い。

 そんな彼らが例の力を目にして、聖王国側に密告したらどうする?

 きっと聖王国は悪魔の手先がオレガノに潜んでいると軍を差し向けてくるぞ」


 俺の言葉を強い調子で遮ったイオレットさんは厳しい表情で俺と風刃を睨んだ。


「幸運が続いて彼らの目から逃れられたとしても、この辺りには追剥共の目がある。

 まだローレン教を信じている者もいるかもしれないし、密告した情報と引き換えに聖王国の市民権を得ようと考える者もいるかもしれない。

 そんな奴らの口をお前達は一つ残らず塞ぐことができるのか?」


 オレガノは国から見捨てられた町ではあるが、腐っても聖王国領内に存在している。

 自国領に軍を差し向ける分には他国の干渉を受けることはないだろう。

 聖王国の上層部が決断すれば動きは早いかもしれない。


 いや、たとえそうでなくてもオレガノを危険にさらすことはできない。

 ここは皆が暮らす、大事な場所だ。

 風刃との約束は守りたいが、オレガノで暮らす人々の安全を脅かすことはできない。


「すみません。考えが至りませんでした」

「もうこの町の近くでは使わないようにする」


 俺が頭を下げた横で風刃もまたそう約束してくれたのだった。




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