90 風纏いの妖刀


「カリウムさん、老師の援護をお願いします!」


 俺は減速し全ての荷物を放り出しながら背後をついてきているであろうカリウムに向かって叫ぶ。

 返事はなかったが俺の脇を素早く人影が駆け抜け、ウルフ達の包囲を突破して老師の近くに飛び込んでいった。


「カリウム、この馬鹿者ばかもんがぁっ!」

「説教は後でたっぷり!老師は右手をお願いします!」


 カリウムが飛び込むなり状況を理解したらしい老師が激昂するが、カリウムは腰の獲物を抜き放ってさっそく襲い掛かってこようとしたウルフへ向けて刃を振り下ろした。


 近接戦は2人に任せて良さそうだな。じゃあ俺達も援護するか!


 風刃を見ると彼も同じように荷物を地面に投げて身軽になっていた。


「風刃、凝縮と遠距離だ!右の掌に鎌風の力を集めて、弓矢のように放てっ!

 群れの一番遠くにいる奴から狙い打て!」


 右手で腰から抜き放った刀を構え、左手で風刃を右手首を掴みながら俺はそう叫んでいた。

 我ながらとんでもない要求を風刃にしていたと思う。

 ドラフト走行を見たこともない運転初心者にプロ顔負けレベルのドラフティングを要求するような無茶振りだったと思う。

 旅の道中ずっと俺にダメ出しとお小言を続けた老師すら顔負けの理不尽さだったろう。


「歩、俺の体に触ってたら怪我をする」

「構わない!成功すればどっちも傷つかずに済む!だから、やれ!

 風刃にとびかかってくるやつは俺が斬る!」

「わかった」


 風刃は一瞬だけ俺の身を案じたが、俺が叫ぶともう否とは言わなかった。

 掴んでいる風神の右手首に力が入ったと思ったら、ぶわっと周囲に風が巻き起こって葉が揺れた。

 全身の肌の上を剃刀の刃で逆撫でされる嫌な感触が全身を包んだが、覚悟していれば耐えられないほど不快ではない。そしてそれと共に風刃の腕を掴んだ左手から言葉では説明のつかない“何か”の奔流が体に流れ込んできた。


 何だ、これ!?


 熱くもなければ冷たくもない。手は掴めそうにないのに、そこに“流れ”があるのは感じることができる。不思議な感覚だ。


「ガルルルッ!」


 低く唸ったボーンウルフの一頭が歯を剥き出しにしてとびかかってきた。


「くっそ!」


 大きく開いて迫ってくるウルフの口めがけて刀を斜めに前方へ振り下ろした。

 片手だけでそれほど力は入れられなかったはずだが、それでも“ギャンッ!”と叫び声をあげてウルフが飛びのいていた。暗闇のせいでよく見えないが、どうやら口を怪我したらしい。

 しかし俺が握っている刀には一滴も血がついていない。


 どうした!?一体なにが……あっ!?


 月の光を浴びて白銀色の輝く刃の周りには目には見えない細やかな風が無数に生まれては消えていた。

 力が肌を通って空気に触れると刃になる…それに似た現象が目の前でまさに起こっていた。


 そうか!俺の体はしてるんだ!


 ちゃんとした理屈なんて全然わからない。

 けれどもし風刃の体内の力が静電気のように俺の体を伝い、刀の刀身に風を纏わせているのだとすれば、説明はつく。俺の体が導線となってその力を刀まで伝播させているのかもしれない。

 試しに血を払う様に軽く刀を振ってみると小さな風が巻き起こり、それと同時にその先にあった落ち葉や草が小さく切り刻まれた。まるで小さなかまいたちにそうされたみたいに。

 

「風刃、怯んだぞ!今がチャンスだ!」


 目の前のウルフは自分の身に何が起きたのか分からないのか、唸りながらこっちを睨んでいるが突っ込んでこようとはしない。遠距離武器を構えていたならいい的だろう。

 俺が察して叫ぶと、途端に体の内側を流れる力がぶわっと膨張した。そして直後に全身の毛穴から噴き出すようにして放出される。


「くッ…!」

「ぐぁッ…!」


 体内の奔流が肌を通り抜け空気に触れた瞬間、全身に鋭い痛みが走った。

 無数の鋭利なナイフで全身を切り刻まれる錯覚に襲われる。見下ろすと身にまとっているシャツやズボンがあっという間に切り刻まれ、血で赤く染まっていく。数日前の風刃の状態にそっくりだった。

 隣を見ると風刃の体も同じようになっており、破れた包帯の下に新しい傷が刻まれていた。


 あぁ、せっかく治りかけてたのに…。

 風刃には悪いことしたな…。


 痛みに耐えていると俺達の全身を包んだ風の刃はやがて意思をもったようにうねり、目の前のボーンウルフに向かっていく。

 不穏な気配を察知したのかウルフはとっさに逃げようとしたようだが、2人分の体の表面から放出された風の刃からは遂に逃れることはできなかったらしい。


「ギャンッ!」


 全身血みどろになった体が地面に倒れ、血まだりを作る。


「ダメだ。遠隔は難しい…」


 肩で呼吸をしながら風刃は首を横に振った。

 長く集中していたせいなのか、それとも慣れないことをしようとしたせいなのか、辛そうに顔を曇らせている。


「じゃあ力は放たなくていい。

 集中して力を湧き上がらせたままでいることはできるか?」

「それくらいなら…」

「じゃあ、行こう!」


 俺の言葉に頷いた風刃が集中して力を集め始めると、俺の体を通った鎌風の力が刀にまとわりついた。


「っ!」


 俺はそのまま風刃の手を引いて2人を取り囲んでいるボーンウルフの一頭に向かって大きく刀を振りかぶり、そして振り下ろした。


 目には見えない風の刃が刀の切っ先から放たれ、俺が振り下ろした軌道に沿ってウルフの体と周囲の草を切り裂く。切れ味の鋭い大剣を振り下ろしたようにウルフの肉や大地を抉り、同時にその周辺の毛や草が細かく切り刻まれて風に舞った。


「ギャンッ!?」


 突然背後から襲い掛かった鎌風に一瞬遅れて驚いた様な声を上げたウルフの体は強い風圧に飛ばされながら宙を滑り、全身を血みどろにしながら地面に落下した。


「すごい…」

「なに驚いてるんだよ。

 これは風刃の力だ」


 目の前の光景に唖然としてした風刃の呟きと共に体を巡っていた力の流れが途切れる。

 恐らく風刃の集中力が途切れたのだろう。


「何じゃ、今のはっ!?」


 それとは対照的にウルフの群れの中央から焦った様な鋭い老師の声が飛んできた。


「大丈夫です!援護します!

 当てないように注意しますから、大きく動かないでください!」


 右手の刀を頭上で大きく振りながら叫び、まだ呆然と地面に転がったウルフの死体を凝視する風刃に声をかける。


「ほら、風刃!早く2人を助けないと!」

「あ、あぁ…」


 風刃はまだどこかぼんやりしている様子だったが、俺が掴んだままの右手を引っ張ると気を取り直したのか再び集中し始めた。

 ゾワッと全身の正面を撫でる嫌な感覚と共に左手から流れ込んだ力が右手に握る刀の先端まで力を行き渡らせる。

 目には見えない細やかな風の刃を纏った刀は妖刀さながらに研ぎ澄まされた刃を光らせた。


 俺達は絶対、全員無事にオレガノに帰る!


「でやあああぁっ!」

 

 俺は風刃と共に風の力を得た刃を幾度も振り下ろして周囲のウルフ達の命を刈り取っていった。




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