86 バリー村
朝グレースを出発した俺たちは午前中には農村の一つ、バリー村に到着していた。
老師と風刃は街道の途中で休憩しながら俺たちの帰りを待っている。
「おや、勤勉なる兄弟。偉大な神の恵みを分け与えたのは確か数日前だったはず。
またこの村に何か用でも?」
「こんにちは、偉大なローレン神の加護に輝く兄弟。
実は…」
この村の麦を粉にしてパンを焼き、聖書の教えと共に飢えた者達に配ったら涙を流して喜んで食べた。彼らが心の底から改心させるには飢えた彼らが働けるだけ食わせてやる必要がある。彼らを腹いっぱい食わせ、聖書の内容を読み聞かせることこそローレン神の教えを広める自分の使命だと感じている。だからどうか麦を売ってくれないだろうか…といった内容の話をとても回りくどくした。
偉大なローレン神の~を枕にすれば大抵の言い分は通る。俺はこの国にきて真っ先に学習したその文言をフル活用したのだ。
実はこの村に足を踏み入れる前、街道を走っている時にカリウムたちと話し合ったのだ。
短期間の間に大量の麦を業者でもない者が買い取れば怪しまれるだろうという話だったからだ。
なんでも聖王国では商売人は帳簿と共に販売税を国に納税しないといけないらしい。建前としては大地の恵みは全て神の恩恵でありその一部を奉納する形だ。個人が大量に農作物を買い付けてそれを無断販売した場合、大罪人として厳しく罰せられるのだとか。
国境を越えてしまえば聖王国の法も意味をなさないが、オレガノは腐っても聖王国領だ。丸ごとヤギに餌として与えると正直に言ったとしても疑いをもたれるだけだというので一芝居打つことにした。
案の定、カリウムと二人がかりであの手この手で同情と信仰心を引き出してやると村の中で一番恰幅の良い兵士は快く頷いて麦を販売してくれた。もちろんその高い志に感謝して心付けという名の賄賂を渡すことも忘れない。そのおかげで非常にスムーズに話は進んだ。
兵士が倉の隅に積まれたワインの瓶を掴んで家屋の中へ引っ込むと、その様子を見ていた農民の一人が農具を片手にこちらに走ってきた。
「どうかお待ちください、歩様っ」
駆け寄ってきたのはこの村を旅立つ日に俺に色々と教えてくれた老人だった。
「偉大なるローレン神の加護あらんことを。
どうかしましたか?」
「あぁ、ローレン神の遣わした慈悲深い兄弟よ、ようこそバリーへ。
お姿を見かけたので以前のお礼と、何かお手伝いできることがあればと思って参ったのです」
老人はしわくちゃの手でバックパックを持つ手を掴んでそう言った。
肥え太った兵士と違いろくに食べられていないのだろう。相変わらず農民たちは目の前の老人も含めて皆とてもやせ細っている。
その手や目を見れば何を求められているかはわかる。前回のこともあるし、今回これだけ大量に麦を買いこんだのだ。懐も温かいに違いないと思ったのだろう。
でも俺は聖人じゃない。俺自身に出来ることなんて本当に細やかで、限界があるんだ。
無制限に、無差別に金をばらまけるような身分じゃない。
「ヤギを売ってくれたので十分ですよ。
ロットの肉屋に持ち込んだら快く買い取ってくれました。
それよりあれから畑は順調ですか?」
「えぇ、もちろん。レッサーラプターどもは鼻がききます。
あいつらは憎々しいことに収穫間近の作物を狙って食い荒らしに来るのです」
老人は鼻息を荒くして舌打ちした。
確かに手塩にかけて育てた麦を全て食い荒らされたら腹に据えかねるのも頷ける。ギリギリの生活を強いられている彼らにとっては文字通りの死活問題だからだろう。
「今日はもう一つ村を回らなければならないので、また様子を見に来ます。
次に来た時にでもまた家畜の飼い方について教えてください。
家畜の寝床には藁が最適なのかどうか、とか」
「おぉ、わかりました。いつでもお待ちしております。またお越しください、慈悲深い兄弟。
旅路にローレン神の加護あらんことを」
「ありがとうございます。この村にローレン神の多大なる恩恵があらんことを」
穏やかな笑みを交わし合って挨拶を交わし、村を背にし歩きだす。
老人は丸い背中をさらに丸めて俺たちを見送ってくれた。
「慈悲深い兄弟、ね。またえらく好かれたもんだな」
「茶化さないでください。
色々と教えてもらえるのはこちらとしても助かっているんですから」
「だが一方的に与えるだけの関係は長続きしない。
兵士にも見咎められかねんぞ」
「分かってます。経験や知識以外にも何か彼らから得られるものがあるといいんですけどね」
畑をどれだけ耕してもいつもろくに食べられない生活なんて誰だって辛い。
麦を買っても聖王国の役人と国庫が潤うだけなので、どうにか農民たちに還元してあげたい。
だがそれは容易なことではなかった。
「この村の農民をまるまる連れて帰るとか、そのうち言い出さないでくれよ?」
「言いませんよ、そんなこと。からかってるんですか?」
俺だって彼らが麦を作ってくれないと困るのだから、そんなことはしない。
しかし肩をすくめるカリウムは“どーだか”とニヤニヤ笑った。
街道に戻ると老師に道草を食うなと怒られた。もしかしたら村でのやりとりを見られていたのかもしれない。
そして俺達は二つ目の村に向かって走り出した。しかし背中と両腕に常にずっしり麦の重みがかかるとそれまでと同じようには走れなかった。スピードは半分以下に落ち、バックパックを握る両腕がぷるぷると震える。加重トレーニングどころか過重トレーニングだった。
「もっとしゃっきり走らんか!そんなペースでは日が暮れるぞい!」
相変わらず元気な老師が檄を飛ばすが、どれだけ大声を出されたところで踏み出す足のスピードは速くならない。
「じゃあ、一つでいいんでバックパックを交換してくださいよ…っ」
「フン!若いくせに根性が足らんのじゃ!さっさと来い!」
そう言ってさっさと走っていってしまう。スパルタというより鬼教官だった。
時々根性論をちらつかせるだけで暴力や暴言はないが、だから楽だとは思わない。
キツイものはキツイ。
しかもこの荷物量はオレガノに帰り着くまで続くのだ。
でも明日中にはオレガノに帰れる予定、だしっ。
護衛料を上げないためにも頑張らないと…!
オレガノに戻ったら今度は聖王国軍と役員の受け入れ準備があるが、今はそんなことを考える心の余裕はない。
ただひたすら足を前へ前へ。それだけを考え続けた。
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