85 12の木製バックパック


「ゼェ、ゼェ、ゼェ…」


 遠くに門の灯りがぼんやり見える街道に俺は一人へたれ込んでいた。

 早朝オレガノを出発して以来、老師の指導を受けながらほぼ全速力に近いスピードで延々と走らされ続けたせいで心臓が痛い。どれだけ大きく呼吸しても酸素が足りず息苦しい。イオレットさんに教えてもらった呼吸法はずっと使い続けたが、それでも間に合わなかった。


「大丈夫か、歩?」

「フン。やはり基礎となる筋肉をつけねばどうにもならんぞ」

「隠密で使う筋肉って普通に走ってる時には使いませんから。

 直に鍛えながらトレーニング指導してくださいよ」


 山を遊び場にして育ったという風刃は同じスピードで走り続けたというのにケロッとしている。老師は呆れた顔で俺を見下ろし、カリウムがそれのフォローに回っている。

 

 隠密スキルを鍛えるにしてももうちょっと初心者に合わせた指導法ってなかったのか…?


 そうは思ってもそれを口にする元気はない。喉はカラカラなのに未だ水筒に手を伸ばす余裕すらないんだから。


「ほれ、いつまでもボサッとしておると今夜の宿をとり損ねるじゃろ。

 さっさと立たんか」

「は、はい…」


 スパルタコーチに促されて立ち上がり、渇いた喉に水を流し込んだ。

 事あるごとに老人発言をするくせに、老師はおそらくこの4人の中で一番元気だった。

 きっとミサイルを撃ち込まれても死なないに違いない。その俊足で敵に気づかれない内に着弾地点を離脱しているはずだ。ある意味、とても恐ろしい人かもしれない。


「ワシらは先に宿に行っとるから、歩たちは旅行用品店で木製バックパックを買い込んでくるんじゃ。くれぐれも数を間違えるでないぞ」

「わかりました」


 明日からの道のりを考えるとちょっとぞっとしたが、今はとにかく宿に入って休みたい。

 俺たちは南門からグレースの町に入り、そこで二手に分かれた。老師は風刃を連れて先に宿屋へ行き、俺はカリウムと一緒に旅行用品店に向かう。と。


「あっ、グレースにもベーカリーがある」


 焼きたてパン特有の匂いにつられて顔を上げると、パンの絵が描かれた看板が目に入った。

 反射的に腹が鳴る。ダイレクトに胃袋を刺激する匂いだ。


「聖王国の街にはどこにでもあるぞ。

 なんせ麦も水も豊富にとれるからな」

「ちょっと寄ってっていいですか?」

「また“ここからここまで”をやるのか?」

「いい加減、そのネタでからかうのやめてくれませんか?」


 ニヤニヤ笑うカリウムを肘で軽く小突いてベーカリーの店内へと足を踏み入れた。

 店内は明るかったがそろそろ店じまいの時間なのか棚に並んだパンの種類は少なかった。


「ようこそ、偉大なローレン神の愛と加護を受けたパン屋へ」

「偉大な神の加護を賜りし幸福な兄弟、少しばかりローレン神の恵みを分けてください」

「もちろんですとも、敬虔な兄弟。

 ローレン神の慈愛は常に等しく全ての兄弟に配られます」


 聖書を胸に抱えての営業スマイルトークもすっかり慣れた。

 宗教そのものは否定しないし勝手にしてくれと思うが、聖王国の歪みきった思想だけはどうしても受け入れられない。だからといって信者の全てが腐っているわけでないのだろうけども。


 夕食分のパンを買い込んだ俺たちはその足で旅行用品店に向かい、大量の木製バックパックを抱えて暗い夜道を宿へと急いだ。


「遅かったの。しっかり買えたか?」

「はい。無事に12個」


 そう、12個だ。誰がそんなに背負うのかって?そんなの俺達以外にいるはずがない。


「ふむ。良いじゃろう。

 これがお前たちの部屋の鍵じゃ」

「ありがとうございます」


 木製バックパックを6つ老師と風刃に手渡し、代わりに部屋の鍵を受け取る。

 部屋割りは俺とカリウム、老師と風刃のツイン2部屋だ。宿代が高くない代わりに部屋もそれなりだったが、今夜ぐっすり眠れるのならどこでも良かった。


「あぁ、それとベーカリーに寄ってきたので、良かったらどうぞ」

「ほう。なかなか気が利いとるではないか」


 ベーカリーの紙袋を開くとひょいひょいとパンがあっという間に持っていかれる。風刃にも勧めると、短く礼を言って受け取ってくれた。そして二人は部屋へと引き上げていく。


「カリウムさん」

「ん?」

「遊ぶのは構いませんが、自腹でお願いしますね」


 どうせ俺が何を言っても遊びたければ遊ぶだろう。だからあくまで俺の安眠と財布を脅かさない範囲でお願いしておく。


「お前、俺を飢えたケダモノか何かと勘違いしてないか?」

「違うんですか?」


 前回だって結局我慢しなかったのに?


「今回は遊ばねーよっ。

 ほら、さっさと部屋に引き上げて飯食って寝るぞ」

「はいはい」


 カリウムは心外だとでも言いたげに反論するが、“今回は”といちいちつけるところが正直だ。本当に今回は例外なんだろう。カリウム自身も顔には出さないもののピリピリしているのかもしれない。

 俺はそんなカリウムの背中に黙ってついていった。





「さて、行くとするかの」


 翌日、ベーカリーでパンを買い込んだ俺たちはグレースの東門の前に集まっていた。

 背中と両手に空の木製バックパックを持って。


 バックパックは基本的に背負って荷物を運ぶことを目的として作られている。

 が、当然バックはバックなので両手で持ち運ぶこともできる。

 例えばこれが革製のバックパックであれば、ショルダーバックのようにさらに肩にかけることになっただろう。

 でも同一のアイテムを持ち運ぶのであれば仕切りがあって隙間なく詰め込める木製バックパックの方が収納力は勝っている。本来であれば腕を通す肩紐部分を限界まで伸ばし、左右の側面から上部へ持ち上げれば中身の荷物を落とすことなく持ち運ぶことができる。

 これがイオレットさんが考えた“一度の往復で最大数の麦を運ぶための運搬方法”だ。

 麦を買えば買うだけ木製バックパックは重くなり、移動速度も落ちる。だが多少移動が遅くなろうとも、往復回数が減れば麦1束あたりにかかる輸送時間は短くなる。“歩にとってもいい筋トレになるだろう”と笑っていたそうだ。あはは…。


「はい。まずは遠くのほうの農村から行きましょう」


 俺が白ヤギを買った、あの村だ。ラプターの襲撃を受けた被害から立ち直っていればいいのだが…。

 倉に保存されている麦は聖王国所有なので俺たちが大量に買い込んでも農民達への直接の被害はないはずだ。もし麦が足りなくなるようなら、新しい畑の土地を開墾するように国が動くだろう。


「では出発するぞい。昨日教えた走り方でついてくるんじゃ」


 一瞬スルーしかけて目を剥いた。いや、冗談だよな?聞き間違い…だよな?


「えっ、今日からは麦を買いこむんですよ?本気ですか?」

「あったり前じゃろが!小僧はそもそも筋力を鍛えるところからせにゃならんのじゃからな!

 ほれ、キリキリ走るんじゃ!」


 唾を飛ばして怒鳴られた。どうやら本当に本気らしい。


「筋トレ強化期間だと思って諦めろ」


 俺の横を通り過ぎながらカリウムがそう言い、老師の背中を追いかけていく。

 相変わらずヘラヘラしているくせに老師のスピードにも涼しい顔でついていく。


「…歩、行かないのか?」

「行くよ。行けばいいんだろ…っ」


 俺に無表情で問いかけた風刃に苦笑いで返すと、できるだけ腰を落とした姿勢で走り出す。

 今回の旅は全身の筋肉をくまなく酷使するスパルタ合宿になるに違いない。そんな予感をひしひしと感じていた。




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