84 老師と隠密スキル


「風刃、このスピードは辛くないか?」

「大丈夫だ。もう少し早くても対応できる」


 昨日一日、軽いランニングと銅採掘をこなして体を慣らした俺たちは朝から4人で聖王国の町へ向かって走っていた。

 俺の体の噛み跡は治療キッドのおかげかもうすっかり良くなり、走っていてもほとんど痛みを感じないし足のスピードも以前のペースに戻っている。

 俺より深かった風刃の無数の傷もだいぶ回復に向かっていた。


「おーい、お前ら。初日から飛ばすと後半キツくなるぞ」

「はぁっ、はぁっ、年月っちゅうんは本当に残酷なもんじゃな。

 現場なんぞとうに引退しとったのに、ボスも老人遣いが荒いもんじゃて」

「あっはっはっ。今までボスのお願い事からさんざん逃げ回った報いですよ、老師。

 諦めてください」


 俺達の後ろからついてくるのはカリウムと老師と呼ばれる小柄な男だ。

 老師とは言われているものの歳はどう多く見積もっても四十代で、無精ひげと丸まった背中のせいで老人みたいに見えるからそう呼ばれているのかもしれない。


 いや、本人が老人扱いしてほしそうな言動をとってるからかもしれないけど。


 イオレットさんが二人目として選んだのはこの男だった。

 なんでも本当はギルドでこれまで通りデスクワーク勤務をするはずだったのが、今朝一番に笑顔のイオレットさんに叩き起こされたらしい。で、カリウムが用意したバックパックを押し付けられて今こうして走っているんだとか。そのせいか愚痴が一向に止まない。


むかしゃあ可愛い顔してワシの後をついて回っとったのに、いつの間にあんな怖い女になったんじゃて」

「老師が屋外任務を嫌って逃げ回るから、追い回すのが大変だったそうじゃないですか。

 おかげでオレガノでボスの隠密スキルに敵う奴はいませんよ」


 どうやら結果的にイオレットさんの隠密スキルを鍛えた師匠は老師のようだ。そういうことなら老師という呼ばれ方もあながち間違いというわけでもないのかもしれない。


「それにしても歩というんはコイツじゃろ?

 見るからに頼りなさそうな奴じゃのぅ。

 筋肉も全然ついとらんようじゃし、こんなんで本当に大丈夫なんじゃろうな?」

「ひゃっ!?」


 走りながら変な声が出てしまった。

 だって音もなく後ろからにゅっと伸びてきた手が二の腕や足、太腿に背中と次々に掴んで揉んで撫でてを繰り返したのだ。その手の感触以上にビックリして思わず声が裏返ってしまった。


 こっちはそれなりのスピードで走り続けてるんだぞ!?


 今まで背後の会話に耳を傾けていたので、手が届く距離まで走り寄ってくれば足音で気づいたはず。あるいは呼吸音でもいい。しかしそのどちらもまったく感じなかった。


 まさか隠密ってこういう…!?


 以前、ギルドのトレーニングルームで暗殺スキルについてイオレットさんから聞いた時の話を思い出す。

 凄腕の暗殺スキルを所有する者は巡回中の部隊の背後に音もなく忍び寄り、一番後ろを走る者から物音を立てずに次々と昏倒させていき部隊を無力化すると。

 隠密スキルというのは音を立てずに忍び寄り、敵が気づかぬ間に仕事を終えるためのスキルだ。

 老師という呼び名が伊達でないなら、彼自身かなりの使い手なのだろう。

 もし俺が彼の獲物であったなら、何も知らないまますでに昏倒させられていたかもしれない。そう考えるとちょっと寒気がした。


「まだ変な癖がついていない分、教えやすいだろうって言ってましたよ」

「フン。基礎筋力もないのに何を教えろっちゅうんじゃ。

 もちろん、報酬は出るんじゃろうな?」

「さぁ、それはどうですかね?

 歩の仕上がり具合によってはボスも考えてくれるんじゃないですか?」


 うん?教えるって何の話だ?イオレットさんからは何も聞いてないけど。


「おい小僧」

「あっ、はっ、はいっ!?」


 気づいたら真横にいて軽く飛びのきそうになった。

 まだ太陽は昇り始めたばかりだというのに、気配がなさすぎる。

 隠密スキルというのは、本当にすごいのかもしれない。


「呼吸法は多少できているようじゃから、もうちっと腰を落として走ってみろ。

 こんな風にじゃ」


 俺の隣を走っていた老師は小柄ながらさらに腰を落とし、さらに俺より大股で地面を滑るようにして走り出す。

 俺達の後ろでゼェゼェ言いながら文句を垂れていたのは何だったんだと言いたくなるほどの速度だった。まるで重力から解放されたような身軽さであっという間にその背中が遠くなっていく。


「マジでっ…!?」


 思わず声が出てしまった。

 俺たちだってそれなりの速度で走っているはずなのに、もう老師の背中が見えないくらい遠ざかっている。

 人間が出せるスピードの限界を走り幅跳びのようにポーンと越えていってしまったようにしか見えない。


「驚いたか?

 あの人を追い回してるうちにボスの隠密スキルが鍛えられたって話、信じる気になっただろう?」


 カリウムもスピードを上げて追い上げてきた。それでもやはり老師とは全然違う。隠密スキルの有無がここまで影響するなんて、古狸にでも化かされている気分だ。


「信じるもなにも…あの人、本当に人間ですよね?」

「はははっ。まぁ、そう言いたくなるよな。

 あれで老人がどうのとか老体がどうのとか寝言を言われるんだから、下の連中はたまったもんじゃない」


 カリウムは走りながら大笑いした。

 今までさんざん振り回されてきたのか、いっそその笑みは清々しかった。


「あの人のスキルは本物だ。

 同行できなかったボスの分まで老師からスキルを学べ。

 それがボスからの伝言だ」

「わかりました」


 イオレットさんは前回の旅で俺が負傷したことをとても気にしていた。

 オレガノに戻ったら俺を鍛えると言っていたけど、すぐにまたこうして聖王国へ向かわなければならなくなったせいでそんな時間は取れずじまいだった。

 その穴埋めを自分が隠密スキルを鍛えてもらった師匠に任せたのだろう。


 隠密スキル、もしマスターできたら本当に強いかもしれない。

 基礎体力とか筋力とかはまだ追い付けてないかもしれないけど、それは聖王国とオレガノの往復でいずれ追い付いてくるだろう。

 今はあの人から学べるだけスキルを吸収しよう。


「風刃、行こう」

「あぁ、分かった」


 俺たちは先を走る老師に追い付くため、スピードを上げて荒野を駆けた。




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