87 野宿と盗賊
もう、ダメだぁ…!
バタッ
「なっとらん!今日はせめて山の手前までは辿り着く予定じゃったのに、なんじゃこの体たらくはっ!まったく、近頃の若者はなっさけないのぅ」
あんたに…言われたく…ないんだよ…クソじじい…!
そう思っても声には出さなかった。いや、出せなかった。そんな元気は爪の先程もなかったからだ。
隠密スキルに関する指導はありがたかったが、数十年かけて体を鍛えてきた人とは筋肉の付き方が違う。まして重い荷物を抱えて6時間走り続けながら延々とダメ出しとお小言を聞かされ続ければ自然と口も悪くなるというものだ。心の中で悪態をつくくらいは許してほしい。
俺達が足を止めたのは街道の途中、巡回部隊が頻繁に行き来しているという道の脇だった。
もう日が暮れ始めていて、これ以上走り続けると野営の準備ができないというので老師が渋々諦めた形だ。
「そもそもじゃ、ワシらの若い頃はわざわざ火など焚かず木の上で夜を明かし、日の出と共に目覚めて町まで走ったもんじゃ。それなのにこやつときたら…」
地面に倒れた俺の頭をグリグリしながら老師が嘆く。
いや、普通に痛いんでやめてくれませんかね。
「歩、水は?」
「うん。くれ」
朝、宿屋を出る時に水筒いっぱい分もらったのだが、そんなものはとうに飲み尽くしてしまった。風刃が平気そうな顔をして走っているので尋ねてみたら全然減っていないと言うのでわけてもらっている。
次に聖王国に麦の買い付けに来る時には水筒二つ持ってこよう…。
それで足りるかは心配だったがないよりはマシだ。
幸い聖王国は水が豊富なので宿屋の中には水筒の水補給をサービスでしてくれるところもあるらしい。
風刃に水筒の水をわけてもらい、ようやく落ち着くことができた。“ありがとう”と水筒を返してゆっくりと野宿の準備を始めた。
夕暮れに染まる大地に目線を下ろし、焚き木に使えそうな乾燥した落ち葉や枝を選ぶ。荒野が広がるオレガノ周辺より植物の数が圧倒的に多いが、乾燥したものが少ないので火の付きやすさを考えよく選ぶ必要がある。
ずっと走り続けたせいでふらつきそうになったが、なんとか耐えた。とにかく荷物を下ろせるのはありがたい。全身の筋肉がもう限界だと悲鳴を上げている。
視線を遠くに向ければ山の影が見える。夜が明けてあの山を越えれば荒野が見えるだろう。道中の辛さは今日とは比較にならないかもしれないが、明日オレガノに着けば辛い筋トレの旅は終わる。それだけが救いだった。
皆が枯れ葉や枝を集めているところに俺も抱えていたそれらを置いた。それなりに量が集まっていたので、葉と枝を隙間をあけて組み上げていく。
「あの、誰かライターを」
「シッ!」
俺の言葉を鋭い声で遮ったのは老師だったのか、あるいはカリウムだったのか?
気づいたら3人が同じ方向を睨みながら動きを止めていた。
不思議に思い俺も同じ方向に目を凝らしながら立ち上がる。しかし何かの気配を察することはできなかった。
しかし俺以外の3人が警戒しているのであれば、何かの気配はするのだろう。俺は黙って目と耳を凝らし、近づいてきているだろう何かの気配を探した。
「カリウム、こやつらは任せたぞい」
「はい」
2人の短いやり取りが聞こえたと思ってそちらを見た時には、もうそこに老師の背中はなかった。草を撫でる風の音に気配を紛れさせ、あっという間に離れていく。
目を凝らしてその方向を注視すると、ようやく何人かの人影の姿が見えた。だらだらと歩いている彼らの人相はまるで山賊のようで、体に古傷をもつ者もいるようだ。しかしそれが1人、また一人と後方を歩く人間から倒れていく。まるで映画のワンシーンを切り取ったように。
あれが、イオレットさんが言っていた暗殺スキル…!
だらだら歩く男たちは背後に回り込んだ老師が首の後ろに素早く手刀を叩き込むとそこから数歩歩いたのち突然ガクンと膝から地面に崩れ落ちる。その体を老師が一瞬だけ支えるのは、地面に倒れ込む音を軽減し気配を消しているせいだろうか?そのせいか前を歩いている男たちは自分達の背後で起こっていることなど一向に気づくことなく歩き続けている。
一連の動きにはまったく淀みがなく、俺が言葉を失っている間に全てが終わっていた。
あくまで一方的で無駄がなく、敵に有無を言わせる隙さえ与えない手法。
イオレットさんの言葉の意味を今になってようやく理解できた。“暗殺スキルを磨き、選択肢の一つとして選べるようになれば強い”イオレットさんも昔、今の俺のように老師の動きを見てそう思ったのかもしれない。
一度林の向こうに引っ込んだ老師だったが、やがて別の方向からのんびり歩きながら戻ってきた。まるで近くの草陰で用を足してきた、とでも言いそうな顔で。
「老師、武器は?」
「錆びついたなまくら刀なんぞ持ち歩いたって重いだけじゃ。
全て林の奥に捨ててきてやったわい。
しかし最近の盗賊連中はシケとるのぅ。
小銭稼ぎにもならんかった」
フンと鼻を鳴らした老師は懐に手を突っ込むとそれを宙に放り投げた。間もなくその掌で受け止められたのは数枚の硬貨。
どうやら彼らの懐からくすねたらしい。これではどちらが盗賊か分からない。
「老師、さすがに手癖が悪すぎませんか?
あいつらは別にまだ何も悪さをしてないじゃないですか?」
「なーにを甘っちょろいことを言っとるんじゃ。
あやつらはこの近隣に根城をもつクズ盗賊共じゃぞ。
旅人や逃亡者を食い物にしとる奴らじゃ。見かけたら懲らしめてやって何が悪い」
老師は鼻を鳴らし硬貨を麻袋に入れ懐に仕舞いこんだ。
「まだ慣れない商人や金がなくてろくに装備を整えられなかった逃亡者がよく被害に遭う。
俺らに金が入れば巡り巡ってそれが次に逃亡してくる誰かのためにもなったりするわけだ。
確かに褒められた行為じゃないかもしれないが、仮にやつらを放ってのさばらせたら新たな被害者が増える」
カリウムは苦笑いを浮かべながらそう教えてくれた。
老師はその隣でさっさと焚き木に火をつけていてどこ吹く風だ。
「金は金だ。それ自体は良くも悪くもない。
弱者から奪った奴らからまた奪って別の誰かに回してやれば、死んだ奴らも少しは浮かばれるかもしれん」
「死…?え、盗賊って被害者を殺して回ってるんですか?」
金品を強奪するにしてもさすがに殺すことはないだろう、そう思っていた俺にカリウムは首を振った。
「奴らは
その怪我のせいで死ぬ奴もいるだろうし、血の匂いを嗅ぎつけたボーンウルフやレッサーラプターに食い殺される奴もいるだろう。
奴らも殺しが好きな奴ばかりじゃないだろうから、運がいい奴は生き延びるかもしれないけどな。それでも命さえありゃ生きていけるほどこの世界は甘くないだろ」
弱肉強食。
そのたった4文字が全ての命の上に等しくのしかかっている。
獣だろうが人間だろうが関係ない。ここはそういう世界なのだ。
そんな時、遠くからガシャガシャと耳障りな金属音が響いてきた。
目を向けると銀色の重鎧を身に纏う部隊が足並みを揃えて街道を走ってくる。その鎧の正面には見慣れた聖書の表紙に描かれたローレン教の紋章が刻まれている。おそらく聖王国の巡回部隊の一つだろう。
彼らの足音に地面に倒れていた盗賊が次々と目を覚ましていく。少し慌てた様子を見せた彼らは巡回兵たちの姿を見るとすぐに背を向けて走り出す。
それを見つけた部隊が急に速度を上げて盗賊たちに駆け寄っていき、口々に何かを叫びながら腰の剣を振り上げる。
目覚めたばかりでパニックを起こした盗賊の大半はそうして再び地面に沈んだ。
俺は黙ってその光景を見守り、そして先に逃げだした残党を追いかける巡回部隊の血に汚れた鎧から目をそらした。
「歩、お前は運よくオレガノに辿り着いた。
でも聖王国から逃げてくる奴らの中にはあの山の先にあるだだっ広い荒野を見ずに死んでいく奴らも多くいる。
今ここでこうして俺らと火を囲んでるってことがどれだけの数の幸運の上に成り立ってるか、もう少しこの世界の厳しさが分かればお前にもわかるさ」
カリウムは俺がこの世界に来た本当の事情を知らない。
俺がそもそもこの世界で生まれ育っていないということにもおそらく気づいていないだろう。
それでもカリウムの言葉は俺の心に重りのようにぶら下がった。
この世界は確かにクソだし、そもそも俺の意思とはまったく関係なく連れてこられた時点で理不尽そのものだった。
そんな世界で“お前は生き延びられただけ幸運だ”と言われても全然嬉しくない。
俺は一方的にそれまでの生活の全てを奪われた人間で、望んでここにいるわけじゃないと大声で叫びたいくらいだ。
けれど俺はこの世界に連れてこられてまず全身を打たれて奪われることを知った。圧倒的な力の前に切り伏せられ、生きたまま喰われる命を見た。互いを支え合って生きている人達も見たし、不条理に虐げられて生きている人達も見た。
これがただの長い悪夢だと思い込むには、あまりに全てが生々しすぎる。
パチパチと燃える焚き木が音を立てる。
その小さな灯りの中で、誰も口を開く者はなかった。
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