82 聖王国の盗賊ギルド事情


「本来はあたしが行くのが筋だろうが、残念ながらそう長いことこの拠点を不在にできん。

 聖王国の視察に向けてやらねばならんことが多い。今オレガノを離れられない」

「視察?聖王国がオレガノに視察をしに来るんですか?」


 オレガノは確かに聖王国領ではあるが、かつてレジスタンスとの抗争があり今は兵舎すらない見捨てられた町だ。そんな町にわざわざ視察をよこすのだろうか。


「歩が聖王国から廃墟を家として買い取り、その権利書を携えた役人がこの町にやってくるのだろう?」

「はい。パブのマスターから10日前後で到着するだろうって」


 俺としては権利書だけ単品で送って欲しいくらいなのだが、わざわざ役人が兵士達を護衛として引き連れオレガノへやってくるらしい。

 オレガノはかつて聖王国に対し反旗を翻した過去があるので、家の権利者として反国精神をもつ者かどうかチャックがはいるかもしれないという話だ。


「その時、恐らくパブやここにも視察に来るだろう。

 聖王国側が把握している通りに家屋が使われているかどうか確認すると共に、廃墟となった家屋に権利者でない者が無断で住み着いていないかチェックしにくるはずだ」

「そ、そんな!まずいじゃないですか!?」


 盗賊ギルドは聖王国と敵対している。盗賊ギルドが聖王国から逃げ出してくる農民や奴隷の手引きをしているからだ。おかげで聖王国内に盗賊ギルドの拠点はなく、ギルド員達は息を殺しながら活動しているのが実情だ。

 オレガノの拠点に視察が入るというのがどの程度のレベルのものかはわからないが、聖王国側が何か掴んでいれば盗賊ギルドの拠点である証拠を掴もうとするだろう。重箱の隅をつつくようなチェックをされたら、いくら準備をしていてもボロが出るかもしれない。


「そうだ。

 だから聖王国軍の役人がオレガノに到着するまでに書類や設備などの処理や近隣を旅している商人ギルド員への伝達、そしてまだオレガノにいる逃亡民達を他所へ逃がしてやらねばならん。それも通常業務をしながらだ。

 あたし抜きでは仕事が回らなくなるだろう。だからあたしはこの町を離れられん」


 イオレットさんはもともと他に聖王国へ護衛してくれるギルド員がいなかったから俺に同行してくれたのだろう。だからそのイオレットさんが動けないとなると、護衛として同行してくれるギルド員がいなくなる。


 俺が家を買ったことでこんな大事になるなんて…。しかもタイミングが悪すぎる。


「歩たちが聖王国で麦を買いオレガノに戻ってくるまでの間、聖王国側に何も勘づかせるわけにはいかない。

 この拠点をホームとするギルド員の身に危険が及ぶばかりか、オレガノの拠点を失えば聖王国の逃亡民は最も安全な逃亡先を失うことになる。

 しかも今回の旅にはあの男も同行させることになるだろう。本人すら扱いきれていない、我々にも対応するのが難しい力だ。あの男が最も信頼しているであろう歩の傍から離すのは危険だ。鎌風の力の行使を含め、聖王国で何もやらかせてはならない」


 イオレットさんが低い声で言葉を紡ぐとカリウムが弾かれたように顔を上げた。


「そうか!あの力をもし聖王国兵士に見られでもしたら…!」

「あぁ、奴らにとっては女神の手先に見えるに違いない。

 悪魔に身を堕とした女神が男神ローレンを信仰する聖王国を滅ぼしにきた、とな」


 まさか、と言いたかったけど言えなかった。

 この世界に本当に神様が存在するのかはわからないが、鎌風の力は魔法を司るとされている女神の領分とみなされる可能性がとても高い。女性だからというだけで悪魔となった女神の誘惑に負けないよう暴力をもって弾圧しているような国だ。魔法のような鎌風の力を操る風刃は悪魔そのものに見えるだろう。

 堕落した女神の手先である悪魔が現れたとなれば、聖王国軍がどう動くか分からない。聖王国の歪んだ信仰心は危険だ。


「そういう男を連れ回す旅だ。

 たとえギルド員の人数に余裕があったとしても誰にでも任せられるわけではない」


 オレガノ拠点はそこまで人材が豊富なわけじゃない。

 聖王国から逃げてきた人達は自分の生活だけで手いっぱいだし、オレガノで準備を整え聖王国領ではない別の町へと出ていってしまう。盗賊ギルドに登録するために支払う1万コマンは他所の国へ安全に逃亡するための必要資金と考えているのかもしれない。

 そうでなくてもやせ細った彼らにまともな戦闘力は期待できないらしい。もともとギルド員に回ってくる仕事というのも2つの飲み屋での警護員の仕事だから、腕に自信がない彼らには受けることが出来ないというのも大きいかもしれない。

 そんなわけでオレガノ拠点をホームにするギルド員の大部分は交代で2店舗の警備員をするギルド員が占めており、あと少しいるギルド員もそれぞれ忙しく働いていて人員に余裕はないという。


「南のラッシュや東のディゴから増援を依頼できませんか?

 聖王国軍の巡回部隊も山を越えた所までは見回りには来ないでしょうし、そこまでは俺が1人で連れていきます」

「南のディゴ族は屈強な者が多いがあの外見だ。聖王国内で動くには制約が多い。

 南のラッシュは派閥間の争いが激化しているという話だ。ぬかるむ湿地を走って無事に辿り着けたとしても、お前たちに手を貸してくれるギルド員がいるとは限らない。万が一、歩の戻りが役人到着前に間に合わなければ計画の全てがひっくり返る可能性もある」


 俺の戻りが遅くなればなるだけ聖王国の役人たちにオレガノの町をじっくり視察できる時間を与えてしまうことになる。オレガノが盗賊ギルドを失えば、多くの人が路頭に迷う。それだけは何としても避けなければならない。


「この際、聖王国のギルド員の助けは借りられませんか?

 聖王国側で合流し、道中を護衛してもらえたらそれだけで違うと思うんですけど」


 しかしイオレットさんは顔色を曇らせて黙り込んでしまった。

 代わりに隣に立つカリウムが俺の肩を叩きニュクスィーの方を気にしながら声を潜めた。


「聖王国内には盗賊ギルドがない。もし万が一ギルド員だとバレた場合は一家まるごと疑われることになる。必ず知りながら手引きした者がいたはずだってな。他のギルド員に対する見せしめの意味もあるだろう。

 だから聖王国のギルド員はみんな家族単位で活動してるんだ。全て理解し納得済みの両親ならいざ知らず、何も知らなかった子供相手にだって奴らは手加減なんかしてくれない」


 見せしめ…嫌な言葉だ。

 恐怖によって人々を支配しようとする者が好んで使う手口だ。


「疑われた場合、異端審問会にかけられるが自白が引き出されるまで拷問による尋問が続く。

 刑が決まれば悪魔として生きたまま焼かれたり、磔にされて市中引き回しにされたりするらしい。

 運悪く嗜虐趣味の審問官に当たっちまったギルド員の中には生きたまま手足の先から潰されて殺された奴もいたって話だ。

 だからそう簡単に聖王国のギルド員の手は借りられない」


 つまり一度疑われたら最後、ということなのだろう。

 ギルド員にだけ通じる合図を教えてもらった時にそう簡単に頼れないと言っていたのは、そういう意味だったのだろう。

 イオレットさんが聖王国内でとても静かだったのも、女の身でありながら護衛として同行することがどれだけ危険かを理解していたからに違いない。妙な難癖をつけられて審問会とやらにかけられたら、どれほど体を鍛えていようと意味はない。


 俺のためにそんな危ない橋を渡ってくれていたなんて、知らなかった…。


 握りしめる拳が震える。

 無知で一方的に守られていただけだった自分に対する情けなさが聖王国の歪んだ信仰心に対する怒りとない混ぜになって頭が沸騰しそうだった。

 そんな俺の耳にカリウムのわざとらしい明るい声が届いた。


「今はただヤギたちを飢えさせず、聖王国の役人を無事に送り返すことだけ考えようぜ。

 とっとと聖王国で買えるだけの麦を買い占めて、とっとと戻ってきて役人を舌先三寸で言いくるめて追い返せれば万事解決だ。だろ?」

「はい…」


 床を睨んで声を絞り出した俺の背中をカリウムはわざと大きな音をたてて叩いた。


「よっしゃ。あの男のことは歩に任せるぞ。

 あの男が聖王国で何もやらかさないよう、十分に注意してみておけ。

 万が一の事を考えると盗賊ギルドの存在は知らせない方がいいだろう。

 基本的に村や街の外で待たせておけば、よほどのことがない限り面倒事は起きないだろうしな」

「はい」


 盗賊ギルドのことを話さないのは結果的に風刃の身を守ることにもなるだろう。いずれ故郷の村に帰るのだから無理に盗賊ギルドに登録する必要もない。

 聖王国の農村や街に入らなければ聖王国の風習に触れて嫌な気分になることもないし、兵士や街の人と衝突する可能性もなくなる。

 お互い安全にオレガノに戻ってくるためにはカリウムの提案に従うのが最善かもしれない。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る