81 ヤギの餌問題 5


「では今後の話をしよう。

 ニュクスィー、1日に必要なヤギの餌の量はどのくらいだ?」

「えと…3束あげたけど足りなくて、2束足して、それでもダメで。また2束あげておいたのもなくなってたから、たぶん1日だったら14束以上食べてると思う…」


 ニュクスィーが消え入りそうな声でたどたどしく説明するのを聞きながらイオレットさんはメモを取っていた。

 しかし14束とは頭が痛い。1束1キロなので14キロの麦だ。それを2頭が1日で食べきってしまうのか。


 あんな小さい体のどこにそんな大容量の胃があるんだ…!?


「我々は麦と一緒に大豆も買い込んだが、それも食べさせていてそれだけ食べたのか?」

「うん…」


 ニュクスィーはさっきの話を聞いたショックなのか、あるいは食欲旺盛なヤギをやはり肉にしようと誰かが言い出さないか不安なのか、やけに声が弱々しい。


 …まぁそんなこと言うのは俺くらいしかいないけどな。


「だとすると麦だけで1日最低でも15キロ用意できなければならない計算になる。

 今回3人で運んだ量を毎日運び続けられたとしてもジリ貧だな」


 リアルに数字として現実が浮き彫りになるともう苦笑いしか浮かんでこない。

 こんな状況なのにこの荒野でヤギを2頭も飼おうなんて、やはり酔狂以外の何物でもない。


 カリウムが黒ヤギを聖王国に売りにいけば万事解決するって言った時、同意しておけばよかったな…。はぁ…。


 つくづく後悔というものは先に立たない。


「カリウム、木製バックパックの金額は確認してきたか?」

「はい。パブのマスターに確認したところ1つ800コマンで購入できるようです。

 おそらくこれは聖王国内でも変わらないかと」

「ありがとう。上出来だ」


 サラサラと手元の紙に書きつけていたイオレットさんは不意にその手を止めて俺を見上げた。


「ところで歩、あの男はどうしている?」

「どう、とは?

 まだ傷が完治していないのでベッドで療養させるつもりですけど…?」

「なるほど。では言い方を変えよう。

 あの男について歩がこれまでに知り得た情報を可能な限り報告してくれ」


 俺の顔を見るイオレットさんの眼差しがこれまでのものと少し違った。

 俺の目の奥を見通そうとするようなその目は少しの変化すら逃すまいとするような緊張感があった。

 俺はどこか居心地悪く感じながらもその質問に答えるしかなかった。


「名前は風刃。シンフォン山の東にあるチーウェン村で生まれ育ったそうです。

 これはパブのマスターや商人ギルド員に尋ねても心当たりがなかったようなので、どこにそんざいしている村なのかハッキリとはしませんでした。

 今は傷を癒し、村へ帰るための旅費を稼ぐというので家に置いてます」

「なるほど。それから?」


 イオレットさんのペン先は止まったままだ。

 その口調も決して厳しくはないが、かといって知りたいであろうことを諦めてくれるほど優しい声音でもない。


 もしかしたらオレガノの人が傷つけられるかもしれないってピリピリしてたっけ。だったらこういう対応も仕方ないか。


 わからないからこそ怖い。たとえそこにあるのが包丁だったとしても、扱い方を間違えなければ怪我を負うことはないと知れば少しは安心できるものだ。

 俺はどう伝えればイオレットさん達を安心させられるかを考えながら先を続けた。


「風刃がもっているのは鎌風れんぷうという名の力だそうです。

 チーウエン村では赤ん坊は必ず何かしら特殊な力をもって生まれてくるそうで、彼だけが特別ではないようです。

 ただ彼の力 鎌風はかまいたちのような力なので村の中で使うことは固く禁じられていたそうです。

 けれどそのせいでこれまで使用する機会に恵まれず、まだ上手く扱いきれていないようです」

「まだ上手く扱えないというのは、たとえば本人が意図しなくても力を暴発させてしまう可能性があるということか?」


 不意に空気が引き締まった。見えない電流が流れているような気さえする。

 まるで取り締まり室で尋問を受けているみたいだな、と頭の片隅で思った。


「そこまでは分かりませんが…ただ発動するにはおそらく集中力が必要だと思うので、そう簡単に放てるものではないと思います。まだ上手くコントロールできず本人が鎌風の刃で怪我をするリスクもありますから」

「集中力?それは本人から聞いたのか?」

「いえ。発動までに時間がかかるようなので、そう感じただけです。ただ瞬時に力を放とうとした時にどれだけ時間を短縮できるのかまでは未知数ですが」


 たとえば感情が高ぶっている状況であれば電光石火の勢いで放てるのだとしたら、おそらくライターに火をともすのと同じスピードで風の刃が向かってくるだろう。そうなればたとえ気配を察することができても避けることは難しい。


「だとすると、やはり危険か」


 イオレットさんは誰に言うでもなく呟き、ペン先を遊ばせる。その視線は目の前の紙に落ちているが、その目に映っているのは別の何処かかもしれない。


「イオレットさん、風刃は危険人物じゃないと思いますよ。

 受け答えもしっかりしてますし、妙な言動も見受けられません。

 そもそも村に帰る為の旅費を稼ごうとしてるんですから、下手に騒ぎは起こさないと思います」


 確かに初対面の時の印象はちょっとアレだったけど、話せば全然いい奴だったし積極的に誰かを傷つけようとはしないはずだ。

 まずはイオレットさんたちの先入観を和らげないと、風刃も生活しにくいかもしれない。


「歩に対してはそうなのかもしれん。カリウム、お前はどう見た?」

「何とも言えません。無口そうな奴だな、くらいで」


 確かに風刃は無口だけども、慣れればちゃんと質問以上の言葉だって返してくれるようになった。ただイオレットさん達はちゃんと話したことがないから分からないんだろう。


「確かに口数は少ないですけど、話せばちゃんと話してくれますよ。

 無暗に警戒せず、一度ちゃんと話してみてくれませんか?」


 俺からも頼んでみたけどイオレットさんの顔色は晴れず、ペン先が空を彷徨っている。

 そんなに不安なのかとさらに言葉を重ねようとしたが、カリウムに肩を掴んで止められた。


「ボス、置いていくよりは連れ出した方が安全じゃないですか?」

「それはそうだろう。あたしが悩んでいるのはそこじゃない」

「じゃあ一体なにを悩んでるんです?」

「誰を護衛につけるか、だ」


 紙の上から目線を上げないままイオレットさんは短く答えた。

 その答えにカリウムが一瞬黙り込む。

 二人の間には空気が重くのしかかっていた。


「俺は行きますよ。あの男を連れ込んだ責任は俺にもある」


 沈黙を破ったのはカリウムだった。

 俺の肩を掴んだまま前へ出るその表情は真剣そのものだ。


 責任があるとすれば、それはあの状況で風刃を連れ帰ると決断した俺だけのはずだ。

 それでもカリウムの目に迷いはなく、俺は下唇を噛んで引き結んだ。


「だとしても、もう一人必要だ」


 イオレットさんは神の上にペン先を走らせながらまったく同じ声のトーンでボールを返してくる。


 確かに前回の聖王国行きもイオレットさんとカリウムが護衛として同行してくれた。

 風刃がもつ鎌風の力は強いが未だ扱いきれておらず、自傷のリスクを考えると戦力として数えることはできないのだろう。

 何かあった時に対処できるよう、もう一人護衛をしてくれる人が必要だ。


 イオレットさんの言葉を受けたカリウムは気まずそうに口ごもる。影がかかる横顔が何も言わずとも問題の難しさを俺に教えてくれた。


 もう一人、か…。




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