79 ヤギの餌問題 3
どちらからともなく2階に引き上げた俺と風刃は互いに黙ってベッドに寝転び思い思いに時間を潰していた。
いつもであれば採掘とマラソンのおかげで疲れているのですぐに眠ってしまうのだが、家具を製作したとはいえそれほど重労働ではなかったので体はそれほど疲れていない。松明を使った間接照明のおかげで部屋は明るく、そのせいもあって眠気はまだやってこない。
俺はロットの本屋で購入してきた本を開いているのだが、内容が一向に頭に入ってこない。
叩かれた胸はもう傷まないはずなのに、さっきから1ページも捲れていなかった。
「ちょっといいか」
そんな沈黙を破ったのはノックと共に階段のドアを押し上げて顔を出したカリウムだった。
いつもならこの時間は野バラで警護員の仕事をしているはずだが、聖王国から戻ってきたばかりだから休暇をとったのだろう。
しかしそんなカリウムはいつものふざけた笑みではなく緊張した面持ちで俺を見ていた。
「どうしました?」
本を閉じて起き上がるとカリウムも階段を上がってきた。どうやらカリウムが悩むほどの何事かが起こっているらしい。
「今ニュクスィーが盗賊ギルドに来てる。今すぐ聖王国に麦を買い行くと息巻いている。
たまたま居合わせたギルド員連中が宥めてるが、えらい剣幕だ。一体、何があった?」
カリウムに聞かされて俺は自分の見立てが甘かったことを知った。
ニュクスィーは感情に流されやすいがそれを実現させるための力をもたない。泣いて駄々をこねる子供と一緒だ。
俺の手を借りられないと分かれば泣きはするがいずれどうしようもない現実に打ちのめされて諦めるだろう…そう考えていた。ニュクスィーの覚悟と行動力を舐めていたのだ。
俺が盗賊ギルドの登録を迷っていた時、イオレットさんはギルドに加入するメリットを“仲間を得られることだ”と端的に語った。
だがニュクスィーはこう解釈したのかもしれない。盗賊ギルドに加入すれば、力を貸してくれる味方を得ることができる…と。その解釈はある意味では間違っていないが、ニュクスィーの場合は勘違いしている可能性が高い。盗賊ギルドは相互扶助組織だ。一方的に望めば何でも与えてくれるところじゃない。
「俺が考えていたよりヤギの餌の消費量が多かったんです。
明日の餌がもうないって言うから、だったら俺が連れ帰ってきた白ヤギを肉にしようっていったらキレられました」
「あちゃ~…。なんでそう自分からあの娘の地雷を踏みに行くかね、お前は」
天を仰いで掌を顔に押し当てるカリウムはからかっている風ではないが、心底呆れた顔をしていた。
「で?それでニュクスィーちゃんが怒って出ていっちゃったとかだろ?
なんで追いかけなかった?」
「頭を冷やせば落ち着くと思ったんです。
泣き喚いたって手持ちの麦が増えるわけじゃないですし」
「バッカ、そこは追いかけて抱き締めてやるところだろ?
で、お前らが揃ってギルドに泣きついてくりゃ、もう少し状況はマシだったのに…」
カリウムが面倒くさそうに頭を掻いているが、俺の方だってそんな自分勝手な理想を押し付けられても嬉しくない。
なんで俺がわざわざそんなことしなきゃいけないんだ。
俺はあいつの保護者じゃないぞ?
「行きたいなら行かせればいいじゃないですか。
ニュクスィーだって子供じゃないんだ。自分の言動の責任を取らせるべきです」
5~6歳の少女の我儘ならばともかく、ニュクスィーはもう20歳前後のはず。精神は未熟でも、自分の言動には責任が伴う事を学習してもいい頃だ。
「アホかっ。聖王国でお前もさんざん見てきただろう?
あの国じゃ女はまともに人間扱いなんかしてもらえない。
ましてあの容姿だ。“混ざりもの”としてどんな仕打ちを受けることになるか、考えてみろ。
俺はゾッとするぞ」
しかしカリウムは眉根を寄せて俺を怒鳴りつけた。その眼差しがあまりに真剣だったので、俺は思わず顔を背けてしまう。
凄腕のイオレットさんでさえ、聖王国内では気配を消しているのではと勘違いするほど静かだった。同じことをニュクスィーができるはずもない。顔を伏せ黙ってじっと暴言に耐え続けられたら奇跡だろう。
農村で出会った全身傷らだけの女性を思い出す。監督者である兵士は厳しく躾けていると笑っていたが、あれじゃただの暴力だ。万が一ニュクスィーが兵士に噛みついたりしたらどんな罰が待っているのか考えるとうすら寒くなる。
「とにかく盗賊ギルドとしてもニュクスィーちゃんを護衛して麦の買い付けに行くのはナシだ。
お前のお守りとはわけが違う。護衛につけるギルド員や聖王国で活動しているギルド員を危険にさらすわけにはいかんからな」
そりゃそうだろう。盗賊ギルドは相互扶助組織だ。ギブアンドテイクが成り立たなければ取引は成立しない。
「ニュクスィーにもそう言えばいいじゃないですか?
お前のワガママには付き合えないって」
そうやって一つずつ学んでいくしかない。
世界は自分を中心に回ってはいないんだってことを。
「お前みたいにそうやって聞き分けがいいなら俺は今こんなところにいないわけだが?」
つまりギルド側も手を焼いているので連れて帰ってくれと言いたいのだろう。
だからなんでそれを俺に言いに来るんだ?
「俺はあいつの保護者じゃありませんよ。
泣いて暴れるなら猿轡を噛ませてそのへんに転がしておいたらどうです?
一晩経てば頭も冷えるでしょう」
この世界に来たばかりの頃にそれができるだけの実力をもっていたとしたら俺はとっくにそうしていたかもしれない。そのくらいニュクスィーはうるさいし、おまけにしつこい。
「お前…道端で死にかけの動物を見かけるとつい拾って帰るくせに、餌はやらんタイプだよな。
その性格は治さないと、いつかニュクスィーちゃんみたいなタイプに刺されるぞ」
そんな俺にカリウムは呆れ交じりの冷たい視線をよこした。が、心外だ。
ニュクスィーは動物じゃないし、そもそも頼んでもないのにまとわりついて離れなかったのはアイツの方だ。
それをほぼそのまま言い返すと、盛大に溜息をつかれた。解せん。
「そこにいる男みたいに自分で稼いで道を切り開ける自立した人間だったらいいさ。
でもニュクスィーちゃんはそうじゃないだろう?中途半端にするな。
最初から何も手を出さずに見捨てるより、優しくしといて放り出すほうが可哀想だぞ」
胸の奥がギリッと音を立てた。どいつもこいつも同じようなことを勝手に俺に押し付ける。
まるで俺が無責任な飼い主みたいに…!
アイツは動物じゃないし、俺は飼う事を了承なんてしてないぞ?
人間として生きていけるよう自立してくれって言ってるだけなのに、どうして俺だけが責められる!?
「俺は懐いてくれなんて頼んだ覚えはありませんし、そもそも嫌がっている俺にまとわり続けたのはあのバカですよ?
俺だけが一方的に非難されるのは納得できません。
あと俺を保護者扱いするのやめてもらえませんか。
噂話の種にしたいのかもしれませんが、いい加減にしてください」
どいつもこいつも俺を酷いと非難する前に自分の行いを振り返って欲しい。
褒められたことをしてない自分の行いを棚に上げて俺を責めるな。
特にカリウム、あんたは泥酔したニュクスィーを俺に押し付けて噂話をまき散らした張本人だろう。
あんたが俺を非難するな。
「どっちも頑固なことで…。あーあ、本当にお前らは手がかかる」
ぼやきながら俺のベッドに歩み寄ってきたカリウムは問答無用で俺の体を担ぎ上げた。
…は?え??
ぐるんと見ている世界が回転して、俺が言葉を失っている間にカリウムは俺を担いだまま階段を降り始めた。
「ちょっと、なにしてるんですか!?」
慌てておろしてくれと頼んだがカリウムはきいてくれなかった。
むしろ暴れると落とすぞと脅してさえくる。
「俺はお前の屁理屈に付き合ってられるほど暇じゃねーの。
どのみちニュクスィーちゃんを説得できるのはお前だけなんだから。
それに盗賊ギルドの理念は相互扶助だ。
そこに籍をおいてる以上、お前も俺らが困ってる時には助けろよ」
自分のブーツに乱暴に足を突っ込んだカリウムは靴紐もそのままに俺のブーツを片手に持ち、ギルドへの道を歩いたのだった。
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