73 二皿の野菜炒め


 フウジンと名乗った男に先に店に入っているように伝えたのだが、昼食用の水を汲みに井戸に向かう俺に黙ってついてきた。

 ついでなので井戸の水で顔を洗わせ、口をゆすがせる。

 もう口内に血は残っていないようでちょっと安心した。もし口の中まで傷だらけだったらってちょっと考えてしまってしまったせいだ。


 なんせ出会った時に全身傷だらけだったし、血も吐いてたからな。

 口の中をケガしてないなら良かった。粥なんてパブのメニューにはないし。


 面倒見のいいマスターなら頼めば作ってくれるかもしれないが、普通の食事が出来るに越したことはない。


「じゃあ行こうか」


 水筒と木製のコップに水を注いで立ち上がると、男は黙って俺についてきた。

 静かすぎて逆に居心地が悪い。

 パブに向かうまでに軽く話も振ってみたが、短くしか言葉が返ってこない。


 人見知りなのか、警戒しているのか、それとも単に元からそういう性格なのか…いずれにしろ厄介かもしれないなぁ。


 必要以上に男の事情を根掘り葉掘り聞くつもりはないが、最低限必要な事だけでも聞き出さなければならない。

 まずはあの不思議な能力のことを尋ねてみないといけないし、それでオレガノの住人を傷つける可能性があるかどうかも判断しないといけない。


 今のところ俺に敵意を向けてこないからたぶん大丈夫だとは思うけど、イオレットさん達がえらく警戒していたしな。大丈夫だって伝えて安心してもらわないと。


「よう。らっしゃい」


 ドアを開けて中に入るとマスターがいつものように迎えてくれた。

 俺もいつものようにカウンター席に座り、隣に座った男へ顔を向けた。


「俺は野菜炒めを頼むけど、同じのでいいか?」


 男は黙って頷く。相変わらず無口だ。


「マスター、野菜炒めを2つお願いします」


 2人前分の硬貨をカウンターにのせるとそれを引き取りながらマスターがチラッと俺の隣に視線をやった。その視線はちょっと厳しく、それを見た俺はオレガノに来たばかりの頃を思い出す。


「おう。…そっちが例の男か?」


 相変わらず話が出回るのが早い。

 もしかすると店の警備をしているギルド員から話を聞いたのかもしれない。


「はい、そうです。丸1日何も食べてなかったので腹減ったみたいで」

「で?何かわかったのか?」

「いえ、名前くらいでまだ何も。

 とりあえず飯食べてからゆっくり話を聞こうかと思って」


 うわぁ…。マスターの機嫌が悪そうな顔、久しぶりに見たな。


 無言で店内を見回す男をマスターが目を細めて見る。見る、というより睨むに近いかもしれない。信用していないのがバリバリ伝わってくる。いつも騒がしい店内客とはまるで違うタイプなのも関係しているのかもしれない。


 まぁそのうちお互いに慣れるだろう。俺の時もそうだったし。


 もっとも2人が互いに慣れるより先に男が町を出ていく可能性もあるが。オレガノには治療のために一時的に連れてきただけだから、他に用事があれば旅立つだろう。

 そんなことを考えていたら目の前に料理がのった皿が置かれた。ほかほかと湯気が立つそれは美味しそうだ。


「いただきます。

 あ、それと治療キッドの在庫ってどのくらいあります?」

「行商人が置いてったばかりだからたっぷりあるぞ。

 お前さんも大怪我したんだろ?」


 フォーク片手に尋ねたら、呆れた顔で見られた。

 どうやらそのあたりの話もすでに知っているらしい。本当に噂話が回るのは早いものだ。

 オレガノのパブは野バラと違って旅の商隊がよく立ち寄るので、利用客が多い。そんな店の治療キッドを買い占めるのは心苦しいなと思っていたのだが、話を聞いたマスターが気を回して先に治療キッドを大量に買い込んでいてくれたようだ。さすがオレガノでたった一軒の店を経営しているだけある。


「あはは…。すみません、助かります」


 昨日は疲れすぎていてうっかり眠ってしまったが、さすがに今日は沸かした湯で全身を拭いて新しい包帯を巻き直したい。

 できれば風呂に入りたいが、そんなものはこの世界にはないようだ。


 まぁもし仮にあったとしても全身噛み跡だらけだから、まだ風呂には入れなかったかもしれないけど。


「傷の具合はどうなんだ?」

「だいぶ治ってきましたよ。まだちょっと痛みますけど。

 明日からちょっとずつ様子を見てまた銅の採掘しようと思います」

「ニュクスィーが傍にいるから大丈夫だとは思うが、無理はするなよ。

 追剥が出たら野バラに避難させてもらえ」

「そうします」


 俺がオレガノを発つときにまるまるニュクスィーに言った言葉だ。まさか自分が言われる日がこようとは。嬉しいやら恥ずかしいやらでどんな顔をしていいのか迷う。

 誤魔化しついでに料理を食べるといつもの味が口いっぱいに広がった。手放しで褒められる味ではないが、食料が豊富な聖王国とは事情が違う。オレガノで手に入る材料で作ったマスターの味だ。懐かしい…とはちょっと違うが、食べ慣れた味というのもまたいい。


「美味しいです」

「おう」


 俺が素直に感想を伝えると、マスターは満更でもない顔で皿洗いに戻った。

 マスターはあまり感情を顔に出す性格ではないのでわかりにくいが、悪い気はしなかったようだ。


 問題はこっちだよな…。


 チラリと横に視線を向けると相変わらず無表情で男はフォークを動かしていた。

 その顔からは美味しいと感じているのかマズイと感じているのかも読み取れない。ただ黙々と料理を口に運び、よく噛み、飲み込む作業をずっと続けている。

 見ている感じ好き嫌いはないようなので安心だが…。


 あ…


 干し肉の欠片を単品で口に入れた時、顔色がわずかに曇った。本当に表情の変化はわずかで、しかも一瞬で無表情に戻ってしまう。じっと見つめていなければきっと見逃していただろう。

 俺も干し肉はあまり好きではないが、表面に焼き目がつき野菜のエキスを吸えば食べられないこともなくなる。安価のわりにボリュームがあることもありよく食べているうちに慣れた。


「なぁ、あの夜どうしてボーンウルフに襲われてたんだ?」


 程よく腹も膨れてきただろうと思って話を振ると、無表情がこちらを向いた。


「ボーンウルフ?」

「狼みたいなやつらに追いかけられてただろ?」

「あぁ…あれか。わからない。あいつら、気づいたら襲い掛かってきた。

 腹が減っていたのかもしれない」


 俺が問いを重ねるとようやく理解できたのか、知っていることを話してくれた。

 空腹が満たされたことで落ち着いたのか、さっきまでよりいくらか口数が多い。


 しかしボーンウルフたちの目的が狩りだったとしても、それから逃げる人間にしてはやたらと動きがおかしかった気がする。


「じゃあなんであんな所に1人でいたんだ?仲間とかは?」


 男は強い力をもっていたから護衛なんて最初から要らなかったのかもしれないと思いつつも一応尋ねてみた。

 どこかの町に移動中だったのか、あるいは採掘のように何か用事があって外に出ていたのか、それを聞きだすきっかけになるかもしれない。


「分からない。気づいたらあの山の中にいた。

 目が覚めたら襲い掛かられたから撃退した」

「うーん…誰かに誘拐されたとか?」


 いや、でも大の男を誘拐して山に置き去りにするか?うーん…。


「それも分からない。

 でもこの野菜、俺の村で作ってた野菜とは違う。

 たぶん、これまでも見たことがない。

 ここ、どこだ?」


 ちょっとだけ肩を落としながら首を横に振った男は皿の中の野菜を一つフォークで持ち上げながらそう言った。


「ここはオレガノって町だよ。

 フウジンが倒れていたのは聖王国領の山のふもとだ」

「どっちも聞いたことがない。

 俺、帰れなくなった」


 途方に暮れたというにはあまりに感情に乏しい呟きが妙に胸に刺さった。




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