5 騒がしい赤髪女


「やー、借金完済おめでとー!」


 ずっしりとした麻袋を抱えて目元をゴシゴシ拭っていたら、突然背後からガバッと抱きつかれた。

 突き抜けた明るい声と共に背中に慎ましい膨らみが触れる。

 突然の出来事に軽いパニックに陥っている俺の前でマッチョなマスターが呆れ顔で口を開いた。


「ほら、ぼさっとしてると後ろの女に有り金全部奪われるぞ」

「だ、ダメ!絶対ダメだ!」


 麻袋に伸びかかっていた手を慌ててはたき落とし、服の中にするりと滑り込ませて膨らんだ腹部を押さえる。


 感動に胸を熱くしていたというのに台無しだ。

 本当にこのはろくでもない。


 肩越しに振り返るとくすんだ赤髪の間から黒い角を生やした女が爬虫類みたいな目を細めて笑っていた。


 そう、彼女は人間ではない。

 いや、厳密に言えばではない。

 最初こそコスプレ好きなイタイ人種なのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 今もパブの店内には様々なタイプの二足歩行のがたむろしている。

 白人黒人程度の差なら可愛いもので、赤毛女のように頭から角を生やしたり長い尻尾をもっている客もいる。

 行商人っぽく木製の籠を背負っている客など、もう二足歩行の白い昆虫といった風体だ。

 あの口で人間の言語を発しているのを聞いた時は、思わず自分の耳を疑ってしまったほどだ。


「えーっ、いいじゃーん。

 アンタ、ソロでしょ?

 騙そうとしても無駄よ。

 アンタが毎日飽きずにこの店に通ってたのずっと見てきたんだから。

 だからさ、アタシとチーム組もうよ。ねっ?」


 盗まれないよう俺が衣服の上から麻袋を抱えて守っても、赤髪女は身を寄りかからせながら胸を背中に押し付けてくる。


「お断りだ。

 一番貧乏で困っていた時に何もしなかった奴なんか信用できるか」


 こういう人間が一番信用ならないんだ。

 金を手にした途端にすり寄ってきやがって…!


 弱者は奪われ飢え死にするのが当たり前のこの世界で、俺の心はとうに擦り切れていた。

 ミエミエの色仕掛けに簡単によろめいていたら、命がいくつあっても足りないだろう。

 シッシッと追い払う仕草をすると、赤毛女は唇を尖らせた。


「なによー。

 こっちだってアンタがどんな人間なのか見極めてたんだから仕方ないでしょー?

 借金を肩代わりさせて逃げるような悪党だってゴロゴロいるんだからさ」


 赤毛女の言う事も一理ある。

 この世界ならそのくらいは当たり前にあるだろう。

 が、だからといって仲間にする理由にはならない。


 そんなぎゅうぎゅう押し付けてもダメったらダメ!

 俺はツルペタよりボイン派だ!


「朝から晩まで飲んだくれてる奴とチームを組む気にはならないね。

 稼いでも全部酒代に消えるんだろう?アル中め」

「ハハハッ!違いねー」

 

 口数の少ないマスターが珍しく破顔して笑う。

 そんな笑顔を見たことがなかった俺は思わずポカンとしてしまったが、肩越しにぶー垂れた女の声が聞こえてきた。


「なによー!

 店の売り上げに貢献してる上客でしょー?

 店主ならもっと大事にしなさいよー!」


 というか重い。肩に顎をのせてくるな。


「上客を名乗りたいならせめて一日に最低でも十杯はエールを注文するんだな。

 たった一杯こっきりで深夜まで粘るな、貧乏人」


 マスターに言い負かされた赤髪女が俺の肩の上で頬を膨らませる。

 いや、喧嘩するのは勝手だが俺から離れろよ。


 チラッと店内に視線をやるといつも居座っている常連客含めて皆が一斉に顔を背けた。


 うん、非常にわかりやすい。

 もしかして、こいつら全員この女と同類か。


 よくよく考えてみれば確かに不自然だ。

 朝も昼も晩も飲み屋に居座り続けて、金がもつはずがない。

 もし一カ月そんな生活を続けられるほど金持ちなら、それなりの服装をしているものだろう。

 だが店内にいるのはくたびれた服を着た客しかいない。

 服のランクで言えば、辛うじて“追剥共よりマシ”といったレベルだ。


「アタシが酒を飲んでるのは後学のためだし!

 酒を造らせたら世界一なんだから!

 そのへんのアル中と一緒にしないでよね」


 そんな“常連”を好きに居座らせているのだから、このマスターは強面に反して案外優しい人なのかもしれない。

 この廃墟ばかりの集落で店と呼べる場所はここだけだし、真夏日のような日中や真冬のように冷える深夜に客を店から叩き出せないのだろう。

 行商人の行き来を見るに外からの来訪者もそこまで多くないようだし、微々たる儲けの為に許容しているというのもあるのかもしれない。

 過疎化していく集落に残った最後の良心ってやつだ。


 そもそも二人のやりとりを見ていると、こちらの方が“素”なんじゃないかという気もしてくる。

 どちらかというと今までは俺が逃げないようにわざと冷たい素振りでいた、というほうがしっくりくる。


「ほう?

 お前さんが酒を造ってるなんて、この町では見たことも聞いたこともないがな。

 とっととその世界一の酒とやらを造ってこの店の売り上げに貢献してほしいもんだね」

「ぐぬぬ…わぶ」


 いい加減、肩が重くなって赤髪女の顔を引っぺがした。


「口喧嘩なら俺が帰ってから存分にやってくれ」


 そろそろいつもの昼寝の時間だから眠い。

 朝からピッケルを振り続けて腹も減ったし。


「えっ、ちょっと話は!?」


 店を出ようとすると、赤髪女は俺の背中を追ってきた。


「こっちはアンタと話すことなんかない。

 ついてくるな」

「そんなこと言わないで、ちょっとくらい話聞いてよー!」


 うるさい…。

 走って撒くか。


 いつも金属の塊をいつくも腹に抱えて追剥を撒いているのだ。

 この程度の硬貨ならば軽いものだ。

 俺は店を出るなり建物の間を縫うように走り出した。


「わーん!

 待ってってばー!」





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