3 借金と野犬
「商売の邪魔だ。
そいつら摘まみ出しとけ」
「へい」
先ほどまで刃をふるっていた男たちが溜息をつきながら気絶した追剥たちを肩に担ぐ。
全身のあちこちに刀傷をつけられた追剥たちは荷物のように抱えられ、そのまま店の外へ放り出された。
いや、文字通り店の前の大通りにそのまま放り投げられたのだ。
まるで生ゴミみたいに。
「あの…警察に連れて行かなくていいんですか?
あいつら、一応犯罪者ですし」
投げ捨てられる追剥たちを横目に見ながらおそるおそるマスターに声をかけると、鋭い目で睨まれた。
「警察ぅ?
ふざけんな。聖王国まで片道何日かかると思ってやがんだ。あぁ?
賞金首ならまだしも、あいつら突き出したところで1コマンにもなんねーだろうがよっ。
ほっときゃその辺をうろついている野犬が処理すんだろ。放っておけ」
唾を飛ばしながら俺を怒鳴りつけたマスターは、拭いていた木製コップをカウンターに置く。
しかし俺の頭の中は「?」でいっっぱいだった。
聖王国ってどこの国だ?
コマンってのも謎だし、賞金首なんてアニメや映画くらいでしか見たことないぞ。
それに野犬って…このへんには自警団的な犬集団でもいるっていうのか?
「それよりも」
考え込んでいる俺の目の前にマスターのぶ厚い掌が差し出された。
座り込んでいるわけでもないので立ち上がる為に手を貸してくれている…というわけでもなさそうだ。
「えっと…?」
「金だよ、金。
迷惑料。
護衛用の従業員雇うのだってタダじゃねーんだぞ。
あと乱闘のせいで椅子やらテーブルやらの修理費もかかる。
あんちゃん、まさかタダで命助けてもらおうって腹じゃねーだろーな?」
悪鬼のような形相で迫ってくるマッチョなマスターの前で俺は千切れんばかりに首を横に振った。
「そそそそんな訳ないじゃないですか!
ただ、俺の全財産はあの追剥たちに奪われてしまって、弁償したくでもあいにくと手持ちがですね…!」
引きつる喉から声を絞り出す。
冷や汗が滝のように流れるのは、何もマスターに睨まれているからだけではない。
先ほど追剥たちを切りつけて倒した“従業員”たちが腰の刃物に手をかけていたからだ。
支払うつもりがないと知れれば次に切られるのはきっと俺だ。
「けけ警察に保護してもらって事情を説明すれば大使館とも連絡がとれるでしょうし、そうなったら銀行経由で迷惑料は必ずお支払いします!」
恐怖のせいで震える声が裏返る。
そんなことが本当に可能なのだろうかと言いながら不安になったが、今はとにかく目の前のマスターに誠意を示さなければならない。
為替レートだっけ?今いくらくらいなんだ?
石油王国とかだったりすると恐ろしく物価が高かったりするかもしれない。
そうなると俺のなけなしの貯金で足りるのか?
いや、仮に足りなかったとしたら借金してでも…!
「タイシカンだぁ?
訳のわかんねーこと言ってんじゃねーよ。
金がねぇなら働け!」
「は、はいぃっ!」
ドスの効いた声で命じられると、全身が震え上がって思わず硬直してしまった。
壊れたオモチャみたいに首をガクガク振って頷く。
店内にいた客の中から笑い声が聞こえてきたが、こっちは必死だ。
今はとにかく、何より自分の命を守らなければ。
「こいつを1日1コマンで貸してやる。
コイツを使って明日から町の外にある鉄でも銅でも掘ってこい。
いいか、全額払い終わるまで逃げ出そうなんて考えるんじゃねーぞ?
もし逃げだしたらお前の
「ひゃっ、ひゃいっ!」
マスターの逞しい腕が突き出され、握っていた古ぼけたピッケルを受け取りながらすくみ上がった。
先ほどの立ち回りを見ていたら、これが決して脅しだけでは済まないだろうというのは嫌と言うほど理解できる。
今はとにかく一日でも借金を返済しよう。
警察も大使館も、その後だ。
渡されたばかりのピッケルを大事に抱えて店を出ると、店の脇の暗がりからうめき声が聞こえてきた。
「ぐがあああっ!」
地の底から響くようなうめき声は折り重なった山の下から響いていた。
明るい店内から急に外に出てきたことで夜目がきかない。
それでもじっと暗闇に目を凝らしていると、何かが暗がりの中で蠢いていた。
男の悲痛なうめき声に混じってぐちゃぐちゃと気味の悪い音が響いている。
その方向を集中して見つめていると、やがて暗闇に慣れた目に衝撃的な映像が飛び込んできた。
「ひっ…!」
そこで何が起こっているのかを知って喉が引きつる。
やせ細ってはいるものの大型犬に分類されるだろう獣が、人が折り重なっている山の傍で何かを食べていた。
山の中から飛び出した長細い何かに噛みつき、引きちぎって、咀嚼していた。
「うっぷ…」
周辺に蔓延する錆びた鉄の匂いに包まれながら、嘔吐を堪えることが出来なかった。
子どものようにボロボロ涙を零しながら、胃の中の物をその場に吐いてしまう。
「あらら。わざわざ見なきゃいいのに」
店のドアをくぐって出てきた客の一人がそんな俺を横目に笑った。
笑いながら、まるで何事も起きていないように脇を通り過ぎた。
まるでゴミ捨て場にたかるカラスを横目にするように。
泣いて吐きながら俺は理解した。
ここはそういう場所なのだ、と。
こういう風景が日常である場所にしばらく滞在しなければいけないのだと。
早く…一日でも早く、日本に帰らないと…!
その、ためには…!
汚れた口元を拭いながら拳を握る。
そして震える指先を伸ばした。
「恨むなよ…。
最初に俺から奪ったのはお前らだ」
生きなければ。
この理不尽な地で生き残らなければ。
俺は誰かの足に引っかかっていた下駄をはいた。
積み重なっていた追剥の一人が身に着けていた衣を剥ぎ取って、身に纏った。
近くに転がっていた木の棒を手に取って、よろよろ立ち上がった。
ひどく疲れた。
今まで25年生きてきて、今日ほど疲れた日はなかっただろう。
肉体的にも精神的にも、もう限界だった。
俺はおぼつかない足取りで集落の中を歩き回ると、比較的原型をとどめている建物の中へと入った。
そして建物の片隅で古ぼけたピッケルを両腕に抱えたまま背を丸め、泥のように眠りに落ちたのだった。
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