羽音は嘘つきである。
羽音は嘘つきである。
言ってしまえば、この世に産まれ落ちたこと自体が嘘だったのかもしれないーー存在自体が嘘。今まで生きてきた事実も嘘。
とんだ嘘つきだという言葉は、彼のためにあるのかもしれない。
「…つまり、ここまで書いたことまで全部嘘かもね」
日記帳を閉じる。青い髪を揺らし、羽音は嗤う。インクが垂れたのか、指先が黒い。ティッシュを取り出し、席を立った。
テレビやドラマなどの「一般論」などからすれば、日記とは1日の終わりに書くものらしい。寝る前に、1日の整理。今日は何をしたか、何があったか、誰と会ったか、何が進化したのか。
羽音には、それが無いだけで。
「さーさー、今日も全てが美しく、素晴らしい世界でしたーーーーっと」
白で黒を拭う。色を移され、ぐしゃっと丸められたそれをゴミ箱へ投げる。綺麗に弧を描いたものの、あと少しで入らなかった。小さく舌を打ち、ティッシュを拾おうと机の間を縫って歩く。
あーあ、窓開けてたから風が吹いてたのかね。いつもなら入るんだけどなあ、なんて心にも思わない愚痴を零しながら、手を伸ばしつつ屈む。
と。
「……………、ぐぅッ…………!?」
左胸を抑え、屈んだ姿勢のまま横に倒れた。派手に机にぶつかったはずだが、大した音も立てず椅子が揺れるのみ。頭だけが冷静な中、左胸を指が食い込むほどに抑え込む。
「あぐッ、……ぃだい………ッ」
ぜぇぜぇと呼吸が荒くなってくる。生理的な涙で視界が歪む。羽音は嘘つきだ。だが、関わる人々は正直者なはず。今まで何度か健康診断も受けたが、持病は持っていないと言われ続けた。
「はぁッ、…………つぁ………!!」
酸欠か、痛みのショックか。くらくらする視界に手を伸ばす。特に意味なんて無い日記帳。何故だか手が伸びたそれは、机の上で届かない。
手が空を切る。呼吸が落ち着いていく。指の力が抜けていく。
ゴミ箱の側に、汚れたティッシュが落ちていた。
「…………あれ?」
羽音は嘘つきである。
作り笑いに作り声、お世辞に戯言上っ面。嘘で塗り固められた体は、生きているという事実すらもう見えない。
けれど、はっとして上げた素っ頓狂な声は、唯一の本当と言っても過言でなかった。
「…あれ、俺、心臓……?」
日記はすでに書き終わり、閉じてゴムがかけてある。もう余白は一桁になった、次の日記帳を買ってこなければ。
左胸に手を当てる。嘘の中の真、心臓の音。とくとくと一定間隔で刻まれる音は、驚いたからか少しだけ不規則で。
ただ、それだけで。
「………? 夢か?」
ずいぶんと唐突な白昼夢だ。それでいて、かなりリアル。今にもあのように痛み出しても不思議ではないくらいだった。………疲れてるのか………?
立ち上がる。指にインクがついていたが、無視した。できるだけ同じ行動はしたくない。嫌悪感を露わにしながら、日記帳を抱えドアへと歩いていく。
冷静になってみれば、最悪な夢だ。嘘つきである自分の、ただ1つの本当。生きているという事実。絶対的な生の証。
それを、止められるなんて。
扉に手をかける。その姿勢のまま、膝が崩れ落ちた。
「はあ………!?」
羽音は嘘つきである。
当に他界した両親でさえ、彼の言葉の何割が嘘だと思っていたのだろうか。全て嘘だったなんて、自分たちの息子が嘘でできていただなんてーーー夢にも思っていなかったのではないか。
その、怒りと困惑と焦りを含んだ声以外は。
「どうなってんだこれ…!?ゴミ箱に近づいたから心臓止まったんじゃねえのかよ!!」
困惑は人の本性を出す。荒くなった口調のまま、羽音は日記帳を手に駆け出した。殺すならさっさと殺せ、何度もループするってなんなんだ。がらりとドアを開け、その向こうへ転がり出る。下校時刻間近の廊下は、いつものことだが誰もいなかった。
痛み出す予定の心臓を抑え、廊下を走る。何に追いかけられているのか、焦ったような面持ちで。普段晒け出さない姿に自身も焦っているようで、上履きの中で靴下が滑る。
「ぁっ、」
思ったより派手に転んだ。コンクリートや地面でない分ダメージは少ないが、擦れて赤くなった腕が痛い。足首も捻っていないことを確認すると、また立ち上がる。
再度前を向く。が、その手に持っていたものが無くなったことに気づいた。
「……日記帳………ッ」
転んだ拍子にぶん投げてしまったのか、日記帳も怪奇現象の一部なのか。どこにも見当たらないノートを見回すと、2つ向こうの教室の扉が開いていた。……あそこは第二学習室。滅多に使わない場所だから、施錠されているはずじゃあ………。
入れと言わんばかりに開いているそこを、舌打ちして睨みつける。そういえば心臓の痛みはまだ来ない。教室から出て正解だったのか……?
片足を立て、手をつく。腰を持ち上げようとして、できなかった。
「………、わかったぞ」
羽音は嘘つきである。
その嘘は本人の思考すら騙しているのかもしれない。かつてサーカスのピエロが唄っていた、あの常套句のように。
嘘で塗り固められた彼もまた、嘘だということを。
「……もしかしたら、同じ場所に留まるのが条件なのか……?だから教室から出たら平気で、長く居すぎた廊下がだめだった………?」
日記帳を抱え、ドアの引っかけ口に手をかける。……大丈夫、大丈夫だ。一気に横に開いても、何も起きなかった。
「………この仮説が正しかったとしたら、次は第二学習室に向かうべきなのか……?」
走ったらまた転んでしまう可能性も無きにしも非ず。心なし速度を上げつつ、廊下を歩いていく。転んだ時間はあったものの、走っても入るか入らないかのタイミングで心臓が痛くなった。間に合う、か………?緊張から鼓動が早くなる。条件なのかわからなくなっていいなと、ふっと嗤った。
そうして、第二学習室の前に立って。
「……、閉まってる……」
鍵は開いているようだが、先ほどのようにドアは開け放たれていない。…もしや、ヒントだったのか?俺をこの状況に陥れた奴からの、生き残るためのヒント……?
………………上等だ。
「やって、やろうじゃねえかーーーー」
勢いよくドアを開ける。使われていないため掃除もろくにされていないのだろう、埃っぽい匂いと空気が流れ出てくる。思わず袖口で口を覆いながら、中に足を踏み入れた。ぎいぃと、耐震用にコンクリートへと作り変えられた校舎では聞きなれない音が響いた。
……木?
「ようこそ、羽音くん。そしてありがとう、放課後の君」
足元に目を向けると、もう撤去されたはずの木製タイル。手入れや火事になった時危ないからと、教育委員会まで来ていたはずなのに…?
首を傾げつつ前を向く。その視界の端で捉えた少年に、一歩後ずさった。
「……放課後の君?誰のことだ」
「あなただよ、羽音くん。君がこれを書き綴ってくれたおかげで、僕にチャンスが訪れた」
「!? それは……っ!」
閉まりきったカーテンは、光を通さない。シルエットと声だけの少年が掲げたものは、そんな中一際目立っていて。かつ、見覚えがあって。
手元に目を落とす。確かに何冊か買い直しているし、普通に売ってもいる。けれど、そのゴムバンドは、そのゴムバンドだけは羽音だけのもののはずーーー。
「僕を助けてみてよ、嘘をつけない羽音くん」
埃っぽい教室。夕焼けはそこだけ無視して校舎を照らし、中に誰もいないのを確認して日直の教師が鍵を閉める。
日記帳は、無くなっていた。
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