13話 さよならガール


「はあ。ダンスは疲れたわ」

「下手くそと踊るからですぞ。爺ならばお嬢様を庇ってこう……」

「おやめなさい。また腰を壊すわよ」


良い気になって踊ろうとする義堂を小花は嗜めた。

手稲山の頂上にある土産屋のログハウス『ホワイトロッジ』。ここに住んでいる義堂は遊びに来た小花にあ!という顔を見せた。


「もう開店時間じゃ!お嬢様、オープンの看板を出してくだされ」

「はあ、やるしかないか」


真夏の観光地。外にはすでに客が並んでいた。面倒臭そうに看板を出した彼女は、ため息まじりで売店の小窓に立った。親子連れが注文した。


「いらっしゃいませ」

「あのソフトクリームを三個で」

「爺!三個よ」

「はい来た!」


小花のオーダーを聞いた義堂は震える手でソフトクリームを作って行った。その間に彼女は料金をもらっていた。暗算が苦手な彼女のために計算しやすいように三百円の設定の店。彼女はどんどんオーダーを通していた。


「爺。今日はミックスはできるの?」

「……できませぬ……こんなに客が来てはバニラがやっとですじゃ」


余裕がない義堂はバニラ一本で行くと言った。彼女も面倒だったので了解した。

こうしてどんどん販売した二人は暗くなるまで販売をした。


「ふう?クローズの看板を出したわよ」

「ヘトヘトですじゃ」


売り尽くした二人はそれでも満足だった。お腹が空いた二人。義堂はお決まりのカップ焼きそばのお湯を沸かし出した。


「ところで。夏山ビルの後はどこに行くのですか」

「それなんだけど。まだ迷っているの」


小花の勤務先は派遣会社ワールドである。今の派遣先が夏山愛生堂の彼女。ワールドではこの後の勤務先を何件か候補にあげてくれたと彼女はソファに座った。


「ええとね。まずは新千歳空港のトイレ掃除」


すると義堂は眉間にシワを寄せた。


「危険ですな。テロリストが爆弾を置くかもしれませぬ」

「うーん。他にはね、札幌ファクトリーのお掃除」

「ドーム型のショッピングモールですな。冬は快適でしょうな」


義堂は真剣な顔で沸いたお湯を麺に注いでいた。


「しかし。冬には買い物客以外が、暖を取るためにたむろするかもしれませんな。やはりそこもアウトです」

「難しいわね」


小花は三分間を計るために時計を見た。義堂はあちちと運んできた。


「派遣先は、他にはどこがあるのですか」

「札幌ドームのトイレもあるけど」

「良さそうですが。野球の試合がありますな……」

「私も試合が観えるかしら」


嬉しそうに目を光らせた小花。義堂は難しい顔をした。


「お嬢様は薄らぼんやりしておりますので、ファールボールが心配です」

「三分経った!それにしても、なかなかいいところがないわね」


割り箸を割った二人は食べ出した。その間も彼女の勤務先の話で進んでいた。

結局。義堂はどの勤務先も気に入らないため小花は決める事なく帰宅した。


「ただいま……」


一人暮らしの家。一緒に暮らしていた祖母は施設。寂しい彼女は風呂を済ませて寝る支度をした。


……でも。勤務先を早く決めないと。


夏山愛生堂は亡き父である俊也の会社。現在は兄の慎也が社長をしている会社だった。悲しい理由で別れた母違いの兄。ここへの派遣は偶然の出来事であったが、彼女は自然に仕事をしていた。


……でも。お兄様は本当に立派にお仕事されているもの。


妹の自分は、邪険にされて話をしてもらったことはない。そんな兄を嫌悪していた時期もあったが、現在、そばで掃除の仕事をしている彼女は、兄の苦労を肌で感じていた。


父の仕事を引き継いで苦労している兄、慎也。努力する兄の背に、彼女は兄への思いを変化させていた。

今、妹として願うの事はただ一つ、兄の健康と成功であった。

彼女は部屋に飾ってあった家族写真を手に取った。


「お父様、お母様。鈴子はお兄様のおそばでお掃除して幸せよ?だって、鈴子のような女の子が就職できる会社ではないですもの。お兄様と一緒にお仕事できて、これで良かったのよね」


微笑む両親の写真。涙目の鈴子もつい、微笑んだ。

夏山愛生堂への勤務。この終わりの時間はすでに流れていた。



◇◇◇

「吉田さん。この穴にゴミが入るので、私、コーキングで埋めますわ」

「そうしてちょうだい。あ?渡部長」

廊下の奥からやってきた渡。小花は思い出したように手を叩いた。

「そうでしたわ。中央第二にも隙間があったんですよ。一緒にやりましょう」

「お嬢……何があったのですか」

「え」

じっと自分を見る渡。小花はドキドキした。

「何やら。いつもと違う掃除のようですので」

観察の鋭い渡。小花はホホホと誤魔化した。

「そうなんですの。総務の権藤部長がうるさいので」

「あやつが?無視してください!私が仇を討つので」

「もうその辺にしておきな。渡部長は仕事だよ!」

廊下にて渡を追い出した吉田は、息を吐くと腰に手を当てた。

「いいのかい。誰にも言わなくて」

「はい。それに、私は無関係ですもの」

これを知っている蘭と美樹にも口止めしている小花。自分がいなくなった後、吉田が困らないように工夫をしていった。

姫野と風間は忙しく、朝の掃除の時に話すくらい。彼女はこれを利用して黙々と仕事をしていた。



「で。勤務先はどこになったの」

「旧道庁の赤レンガにしました」

今は人気の観光施設。昼休み。このトイレ掃除を選んだ小花は五階の部屋で吉田とお茶を飲んだ。

「新しいので綺麗なんですわ。綺麗なトイレはお掃除しやすいですから」

「いいな。ここのビルなんてさ。古いから掃除しても綺麗にならないからね……あ?イタタタ」

腰が弱っている吉田は、ゆっくりと体制を直した。小花は心配そうに手伝った。

「無理しないでくださいね」

「したくてもできないよ。まあ、私のことは気にしないで。お互い頑張ろうね」

「……はい」

掃除仲間の強い絆。小花は胸を熱くしていた。そして最終日の朝を迎えた。



「おはようございます」

「おはよう。早いな」

月末。多忙の日。姫野は早く出社し事務仕事をしていた。こんな彼のそばで掃除をするのは今日で最後。

……さ!頑張ろう!

姫野の頑張りに小花も燃えていた。いつものように掃除をして、いつものように退室した。

当たり前の毎日。仕事ができる幸せ。中央第一営業所を背にした彼女は涙を飲んでモップを掴んでいた。



「姫野、おい姫野よ!」

「……えって、どうしたんですか?渡部長」

いつの間にか。目の前にいた別の部署の渡に、パソコンに夢中になっていた姫野はビックリした。

「お嬢はどうしたんだ」

「何のことですか」

すると渡は充血した目で姫野に顔を近づけた。

「おかしいんだよ」

「渡部長はいつもおかしいですよ」

し!と渡は姫野の口を封じた。

「もしかして。お嬢はうちの会社を辞めるのか」

「はい?」

真顔の渡に姫野はさっぱり意味が不明だった。しかし石原は競馬新聞をバサと外した。

「そういえばな。朝、変なことを言っていたな?『タバコはやめた方がいい、奥さんにはもっと感謝を伝えないと離婚される、娘にはお小遣いをあげた方が老後には優しくしてくれる』って」

「それなら、俺もです」

風間も仕事の手を止めた。

「寝る前にコーラを飲むのはやめた方が良いって」

「それは俺もそう思うが、なぜこれで辞めると思ったんですか」

「あのな、うちに昔、猫がいたんだがな」

いきなり猫の話をした渡は、悲しそうな顔をした。

「一緒に新しい家に引っ越したんだが、なかなか慣れなくてな。飯も食わなくてな。ある日、いなくなったんだ。多分、古い家に戻ったんだろうが、取り壊してないはずなのに。結局、道で死んでいたんだ」

「その猫と小花はどういう関係なんですか」

「似てるんだよ。お嬢がその雰囲気に」

しんとした営業所。すると松田がポソと話した。

「だったら、直接聞けばいいじゃないですか?今、呼びますか」

しかし。月末の営業所は製薬メーカーのMRがどんどん来ていた。小花を呼ぶ機会を失った中央第一営業所は仕事に追われていた。


そして。小花は早めに退社しようと画策していた。

この日で終了だと知っている蘭と美樹との別れに配慮したためでである。

そして吉田に挨拶するために五階の部屋にポツンと一人でいた。

すると内線が鳴った。その部署名にドキとした。



◇◇◇

「どうぞ、小花さん」

「はい、失礼します」

なぜか社長に呼ばれた彼女は緊張してソファに座った。慎也は笑顔で対面に座った。

「突然でごめんね。君は今日でうちの会社が終わるんだってね」

「はい」

……お父様にそっくりだわ。この声。

真近の実の兄。小花はドキドキしながら話を聞いた。

「あはは、そんなに緊張しないでよ。実はね。他社の君に、客観的にうちの会社のアンケートを書いて欲しいんだよ」

「アンケート、ですか」

ここに秘書の野口が用紙を持ってきた。

「こちらです」

「私、難しいのは困ります」

「いいや平気だよ。それさ。いっぱいあるけどさ。悪口もいいからさ。本音で書いて欲しいんだ」

嘘のない笑顔。彼女はつい協力したくなった。

「本当にいいんですか?私、思った事がたくさんありますけど」

「そう言うのが聞きたいんだよ」

慎也はさっと足を組んだ。

「身内同士だとさ。つい気を使うでしょう。僕としては会社をよくするためにはみんなの意見を取り入れたいんだ」

「そう言う事でしたら。私、今日で消えますので。遠慮なく書かせていただきますわ」

時間がかかりそうなので立ち入り禁止の部屋に戻りたいと申し出たが、慎也はここで書いて欲しいと言った。

「君が書いたことは社員に内密にしたいんだ。だって君も逆恨みさられた嫌でしょう」

「もちろんすごく嫌です!ではここで書きますね」

小花は秘書のデスクを借りてペンを取った。

「ええと。『本社の第一印象は?』か。『古い』と!その次は、『雰囲気は?』か。そうだな、『薄暗い』かな……」

ぶつぶつ言いながら記入する小花。慎也は仕事の合間につい聞いていた。

「『社員の印象』か。印象ばかりの質問ね……ええと、『危ない人がいる』っと……」

屋上で風間を発見した出来事を書いた小花は、具体例を挙げる項目に進んでいた。思い出しながら必死に風間との出会いを記入した。

「どうかな?小花さん。お?イラストか」

我慢できず背後から覗き込んだ慎也。彼女の手元のイラストに目が入った。

「はい!この方が字よりも分かりますよね」

「映画のタイタイニックのシーンみたいだね。上手だ……。これは、誰なの?」

「私と風間さんです」

絵を褒められて嬉しい彼女は、風間との出会いを説明した。

「え?……新人の風間が。屋上で思い詰めていた……」

初めて聞く話。慎也は驚いていた。

「はい。でもですね。ちょっとしたミスだったので姫野さんも笑って許してくれたんですよ」

「君、詳しいね」

他のアンケートも知らない出来事ばかり。戸惑う慎也に小花を見上げた。

「はい。よく言うじゃないですか?『社長より 現場をよく知る 清掃員』ですよ!あ?こっちの絵はですね。渡部長がクールビズで作務衣を着てきた時です。涼しいし、斬新ですよね。私、感動しました」

「作務衣……」

小花のアンケート。慎也の趣旨と異なる内容だった。若い清掃員の素朴な感想を思っていた慎也は、会社の恥部を笑顔で暴く小花に、背中に汗をかき始めていた。

「社長。私。まだ書きたいんですけど」

「え?まだあるの」

はい、と小花は真顔でうなづいた。

「でもスペースが足りなくて。この裏面に書いてもいいですか?」

「いいよ。なんなら紙をあげるよ」

「ではニ枚ほど。蛍光ペンも借りますね?ふんふん……」

ここに何も知らぬもう一人の秘書、西條が入ってきた。

「お。清掃員さんか。今日で終わりなんですね」

「西條、頼みがある」

「なんですか?」

慎也はひそひそと何やら耳打ちした。西條は笑顔で部屋を出て行った。入れ替わりに野口がコーヒーを持ってきた。

「小花さん。熱いコーヒー飲みませんか?」

コーヒーバリスタの資格を持つ野口。社内で憧れの彼の腕。彼女は目を丸くした。

「うわ?これが野口さんのコーヒーですか?いい香り」

しばし口に含み手を休めた小花。慎也はドキドキしながら尋ねた。

「あのさ。小花さんはさ。明日からどこに行くの?」

彼女は急に暗くなった。

「旧道庁の赤レンガだったですけど。他の人が行くことになってしまいまして……」

「赤レンガならここから近くて便利だものな」

「ええ。楽そうなので期待していたんですけど。市の霊園になりました。火葬場の掃除です」

「火葬場……あ?そのクッキーもどうぞ」

彼女を励まそうとする慎也。小花はうなづき、これを口にした。

「はい。いただきます。野口さんのコーヒー……美味しいなあ」

まだ元気のない小花。慎也は何かしてあげたくてどうしようもなくなった。

「いいじゃないか火葬場だって。あそこは静かで文句を言う人はいないよ?あ。コーヒーもっと飲みなよ。野口!お代わり!」

なぜかゆっくりさせる慎也。小花は知らずにのんびりしていた。



そしてアンケートを終えた彼女は社長室を出ようとした。

「ごちそうさまでした」

「あ、あのさ、小花さん」

慎也は難しそうな顔をした。

「最後に聞きたいんだけど、君はこの会社、どうだった?」

「どうだった、って。そこに書きましたけど」

用紙を指す彼女に慎也は首を横に振った。

「そうじゃない!ええと」

迷った彼は恥ずかしそうに尋ねた。

「この会社で働いていて、楽しかったかい?」

「……楽しくはないですよ」

「え」

思わず野口も彼女をみた。

「だって。汚れた所を綺麗にするんですもの。とんでもなく大変ですわ。それにお仕事は苦しいからお手当がもらえるんですから。楽しいうちは、仕事じゃないと思います」

「正論だけど、じゃあ君にとって仕事とは、そんなに辛い事なのかい」

「辛く思わないようにやっています。だって仕事は好きですから」

「仕事は好き?」

慎也の驚き声。野口は笑いを堪えた。

「はい!だから、この夏山愛生堂も大好きでしたよ。では、慎也社長。どうぞ、末長くお元気で」

さようなら!と小花は笑顔で退室した。慎也はその笑顔にぼっとしていた。

「社長?」

「野口……西條はまだか。早く結果を知りたいんだ」

落ち着かなそうに歩く慎也。野口は微笑んで見ていた。



その後。社内放送をかけても彼女は発見できず。いつの間にか私物も消えていた。姫野は夜、彼女の家にやってきた。

……いない。どこに行ったんだ。

メッセージも返ってこない。自分の存在は彼女にとってそんなにちっぽけだったのか。目の前が真っ暗な姫野は悲しく帰宅した。


翌日の職場。昨日の小花の動きの目撃情報が入った。

「姫野。お嬢はな。卸センターの地下通路で帰ったらしいぞ」

「あ、先輩。ランチを一緒に食べた蘭さんに話によると、占いで夕日を浴びるなと出ていたらしいです」

「ひどい話だ。他にはないんですか」

「あるわよ。あのね。小花ちゃん。社長室から泣きながら出て来たって話よ」

松田の証言。渡は信じられない顔で松田に迫った。

「泣きながら?それはどういう事だ」

「渡さん!顔が近すぎます!気になるなら社長に聞いて下さいよ」

「だめだ。社長は出張で今週はいない」

姫野の言葉。ため息の営業所には無情の仕事の電話が鳴り響いていた。

各自、彼女を忘れようと仕事に向かっていた。



夜、自宅マンションに帰ってきた姫野はネクタイを緩めた。窓から見える大倉山のジャンプ場をぼんやりみていた。

……小花から、返信は無し、か。

なぜこんなに彼女に惹かれるのか。姫野は思い返していた。天然ドジ。オトボケ娘。でも頑張り屋の美しい女の子である。

……勉強も、どうしたかな。

苦手な勉強を教えていたあの日。もっと優しくすればよかった、と後悔していた。やがてシャワーを浴びた彼は、強い酒を飲み眠った。



翌朝。晴天の朝。出社した姫野は仕事に追われていた。

「おい、姫野。例の大学病院の先生が汚職で逮捕だと」

石原の真顔。姫野は冷たく呟いた。

「あの歯科医師ですよね。前から噂がありましたので」

風間はやけに生き生き目を輝かせた。

「先輩どうしますか?俺達、何か手伝うことあるんですか?そのマスコミ対策とか、証拠を隠すとか」

「そんなことをして見ろ。俺達も逮捕されるぞ」

「そんなに大きな声を出さなくても」

耳を塞ぐ風間。姫野のイライラは止まらなかった。

「それよりも部長。会議の資料の誤字脱字がハンパないです。松田さん。頼んだ資料はまだですか?風間はポプラ肛門科の先生に頼まれたことをやったのか」

三人は肩をすくめて仕事に向かった。それでも姫野のイライラは止まらなかった。少し心を収めようと自分でコーヒーサーバーに向かった。

「ん。あれ」

「なした?姫野」

「……何か今、通ったような……うわああああ」

彼の足元。黒い影がさささと通っていった。あまりの驚きで彼はコーヒーをぶちまけてしまった。

「うわ!先輩何するんですか」

「こっちにも飛んだわよ」

「アチ!顔面にきた?」

「す、すいません」

慌てた姫野もコーヒーまみれ。みんなで床を掃除をしていていた。その時、誰かが入ってきた。

「失礼します。あ?ここにいた!この!」

「小花?!お前」

手に網を持つ彼女は必死にソフアの下の何かを追いかけていた。

「石原さん!そっちに行ったわ」

「やだよ!お姉ちゃんが捕まえてくれ!」

夢中の彼女。姫野は小花を追いかけていた。

「小花、おい」

「あ。姫野さん!後ろよ」

「うお!」

そこには興奮気味の子キツネがいた。小花はやっと網で捕獲した。

「よしよし、お利口ね」

「なんだそれは?」

彼女は抑えながら必死で話した。

「動物薬の人が預かったキタキツネの子供ですね。今は怪我をしてしまって」

やがて動物薬担当者がゲージを持って現れた。謝ると彼はキツネを連れて行った。

「さて。あ?こぼしたんですね」

慌てて雑巾を持ち出した小花。姫野と風間はそんな彼女を囲んだ。

「っていうか。小花ちゃん、どうしてここにいるの?」

「言え!早く」

「え?えええ?」

怒っている二人。小花は驚きで見上げた。

「あの、私は」

姫野は待っていられず、彼女の腕を捕まえた。

「なぜ返事を返さない。俺を無視して」

「すいません。私、お寺で研修してたんです」

そこで電源を切り、一切どことも連絡禁止だったと彼女は打ち明けた。

「それにあんまりメッセージがあって怖かったので。直接会って話そうと」

「しかしだな」

「いいから先輩。それにしても。小花ちゃんはここは辞めたんじゃ無いの?」

「そうなんですよ、風間さん」

小花は不思議そうに風間を見つめた。

「私もそう思っていたんですけど。夏山さんから急に延長の要請があったんです」

「小花。お前な」

姫野は怒りで彼女を見つめた。

「辞めるにしても。ちゃんと挨拶するべきだろう?俺がどんなに心配したか」

「……私。姫野さんとその、会社の外でまたいつでも会えると思って」

「え」

姫野の胸はドキドキした。

「すいません。私。そこまで別れるつもりがなかったです」

「小花……ちょっと来い」

姫野は彼女の腕を掴み営業所を出た。そして無言でエレベーターで屋上に来た。

「姫野さん、どうしたんですか」

「……」

「まだ、怒っているの?」

「ああ、怒っているさ」

自分にだった。今は怒りを抑えようと彼は必死だった。

「ごめんなさい。あの、本当はね。皆さんとお別れするのが、その、寂しくて」

「……無視された俺はもっと寂しかったぞ」

「ごめんなさい」

背後で震える声。姫野はくるりと彼女を向いた。

「いいか、小花。あのな」

「はい」

じっと自分を見つめる目。姫野はたまらず抱きしめた。

「小花。頼む。俺に黙って行くな」

「はい」

「心配なんだよ……。俺はお前が好きなんだ」

「姫野さん」

胸の中の彼女は消えそうな声。夏の風の中、姫野は彼女の頬を両手で包んだ。

「お前は?俺をどう思っているんだ。どうでもいいのか」

「どうでもいいわけないです」

「じゃあなんなんだ!」

「す、好きです。でも、そのあの」

「はっきりしろ」

おでこをくっつけた姫野。困っているのか恥ずかしいのか。彼女は目を瞑り頬を染めた。

「好きになるって……初めてのことなので、まだよく、そのわからないです」

「そうか……」

姫野はそっと鼻をくっつけた。彼女はぼうとしていた。

「今はまだそれでいいさ、小花。これからゆっくり好きになればいい」

「……はい」

そんな中、背後から声がした。

「あ、何してるんですか」

「うるさい。お前だってここに来たことがあるんだろう」

風間は二人の元に駆けてきた。

「先輩と違います。あの時は小花ちゃんが来てくれたんですから、ね?」

「ふふふ」

「なんとでも言え。ああ、ほっとした」

屋上で伸びをした姫野。その隣の風間。彼女は二人の大きな背中を背後から見ていた。

頼もしい背中に彼女は微笑んでいた。北海道札幌。始まる短い夏。若い彼らを応援するように太陽は降り注いでいた。




「御子柴先生お待たせしました」

夏山愛生堂の社長室。慎也は真顔で弁護士に向かった。

「いいえ。こちらは妹の鈴子さんの行方についてです」

御子柴は難しい顔で資料を出した。慎也は手に取った。

「そこに記載があるように。鈴子さんは名前を変えているんですね。彼女はカトリック系の寄宿学校にいたので、その縁で色んな地方の教会に身を寄せているんですが。シスター達は宗教上の理由で居場所を教えてくれませんが」

「結束が硬いんですね……では、今も不明ですか」

「はい。なんとか探していますが。時間がかかりそうです」

「そうですか」

慎也は立ち上がり窓辺を見た。

「生きていれば……それだけでいいです」

「慎也さん……」

しんみりした空気の中。ここで内線が鳴った。電話を取った彼は内容を聞くと嬉しそうに切った。


「何か良いことがあったのですか」

「え?いや、ははは」

彼は恥ずかしそうに頭をかいた。

「実はですね。派遣社員さんで、とてもやる気のある人がいたので。今月で終わりだったんですけど、無理言って延長してもらったんですよ」

「夏山さんには優秀な社員さんがたくさんおいでかと思いますが。何か専門職なんですか」

「そうですね。専門職ですよ」

慎也はそう言ってソファに座った。対面の御子柴に笑みを見せた。

「会社だけでなく。彼女はみんなの心も綺麗にしてくれるんですよ」

「ほお。心理アドバイザーとかですかな」

「そんな立派な者じゃないですけど。先生、今後についてですが」

慎也はまっすぐ御子柴を見た。

「鈴子の行方をお願いします。僕は兄として、この会社の維持に全力を上げます」

絶望していた慎也。しかし若き社長。目の奥の光は燃えていた。

「わかりました。私も全力でお探しします」

「よろしくお願いします」

御子柴が去ったのち、慎也は社長室の先代の写真を見た。どこか微笑む亡き父。彼に挨拶した慎也は仕事に向かった。




「ぞうきんガール」完




あとがき


ご愛読感謝です。本作品は他サイトにて162万PVの思い出の作品です。

このたび、来期の角川キャラクター小説大賞に応募のため、加筆校正しカクヨムにて公開しております。

このお話の続きは『ぞうきんガール2』で進めています。彼らのお仕事はまだ続いています。良ければ遊びに来てくださいね。



みちふむ





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぞうきんガール みちふむ @nitifumu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ