12話 ラストダンス


「小花!準備は」


「だって急なんですもの。ドレスはこれしかありませんが」


「十分だ。早く来い!あ。靴も忘れるな」


プリンセスホテルから数分の中島公園1丁目の小花の家。玄関から出て来た姫野は黄色いフワフワしたドレスをギュウと車のトランクに押し込んだ。そして抱き抱えるように彼女を車の乗せホテルへ戻った。


車の中で事情を聞いた小花はホテルに着くなりメイク室へ飛び込み、ヘアメイクと着付けをしてもらった。


ドレスを着た後も時間ギリギリまでマニキュアをしてもらい、会の進行を気にしながら姫野が呼びに来た頃には用意が整っていた。


「古いドレスで恐縮ですが、姫野さん。私、おかしくないですか?」


「おかしいってお前……」


普段はメイク無しの少女。そんな小花は髪をアップにし大人の清楚な魅力が漂っていた。目前のお姫様に恥ずかしさから、彼は思わず口に手を当てた。そんな姫野に彼女は目を瞬かせた。


「あのですね。私は派遣会社の人間ですので、なるべく目立ちたくないのです、姫野さん?」


「……あ?ああ、済まない。あんまり綺麗なのでつい」


「まあ」


フフフと白い手袋を付けて、口に手を当て微笑む姿は普段の笑みだった。これに安心した姫野は彼女の手を取った。


「さあ、お嬢様。参りましょうか」


「はい」


……姫野さんと風間さんに恩返しできるチャンスだもの。


彼らに報いる事のできるラストチャンスと定めた小花は姫野と腕を組んだ。この美しい乙女と素敵な男性にホテルの客が振り返って行く程だった。そんな空気を知らずに二人は会場への廊下を歩いていた。



『それではこれより。恒例の新人によるダンスになります。まずは新人戦三位、函館の潮田悟、パートナーは婚約者の渚さんです。次は、第二、帯広の織田、パートナーはダンス講師の美子さんです、そして第一位!札幌第一営業所、風間諒。パートナーはボランティアさんです、どうぞ!』


司会者の声。盛大な拍手に包まれた六名は、檀上でスポットライトを浴びた。風間は前を見ながら隣に立つ彼女に呟いた。


「良かった。小花ちゃんが来てくれて」


そう言って手をギュと掴んだ風間は小花にウィンクした。


「余裕ありそうですけど?」


「ハハハ。だって小花ちゃんがいるんだもん。何も怖くないよ」


マイペースの風間。対面で見ている姫野。久しぶりのダンスに緊張していた彼女はやっと力が取れた。


「それは私も一緒です。風間さん、さあ、踊りましょう」


音楽が鳴り緊張が漂う空気の中、踊り出した二人だけは世界が違っていた。


元お嬢様の小花と薬局の御曹司の風間。二人にとって人に見られる事や、気後れするとなどというそんなやわな精神を持ち合わせいない。むしろこの雰囲気を飲みこんでいるような威圧感さえ漂わせていた。


帯広の織田カップルも美しい装いだか、衣装に着られている感が否めず着こなしまで至っていない雰囲気であった。初々しい函館カップルも健闘したが、誰もが目を奪われる本物のセレブの二人はこの会場を圧倒していたのだった。


やがて音楽が終った。会場内から拍手は溢れた。


そして三組のダンサーは壇上から降り、会場外へと退場した。



廊下。風間は呼び止められた函館の潮田と話し込んでいた。小花はすぐに控え室に行こうとした。


「札幌はいいな。君のような女の子がいるのだから」


小花の前に立ち塞がった織田は、そうポケットに手を入れた。


「そうですか?私のような者はどこにでもいるかと思いますが」


不思議そうに見つめる小花に織田は白い歯を見せた。


「いいや。やっぱり地方にはハンデがある。売上でも敵わないし」


返す言葉が見つからず、小花は彼をじっとみつめていた。織田は深いため息をついた。


「今夜のダンスもね。本当は一生懸命レッスンしたんだ。でもやっぱり風間に敵わないよ」


「そうですか?風間さんよりお上手でしたけど」


横で見ていた小花は正直にうなづいた。


「そう?」


「ええ。とても優雅でしたよ」


「君さ」


織田は小花をさっと腕の中に引き寄せた。



「え」


「僕と付き合ってくれないかな」


「そこまでだ。織田」


大魔神顔の姫野。織田の手を背後からぐっと掴んだ。織田は彼女を離したので姫野は自分の腕の中に入れた。この様子を黒沼が冷たい目で見ていた。


「姫野。その女はどこのホステスだ?後で行くから店を教えろ」


「悪いが彼女は学生だよ。なあ、黒沼か……ずいぶん織田の世話を焼くじゃないか」


姫野に劣らず高身長の黒沼は小花を見下ろしていた。その強い目力。彼女は姫野に縋った。


「所長に言われたからさ?まったくダンスくらいは勝ちたいと思って織田に練習させて、相手もとびきりの女を用意したのに……。こんな可愛い女の子なんて卑怯だぞ」


そう言って姫野の肩を突いた黒沼の手。姫野は払った。


「女で競ってどうするんだ?倒すならうちの風間を狙え」」


「うるさい。それにしても風間が御曹司だっていうのは本当なんだな。新人戦の売り上げも、こっちの彼女だって、みんな金の力だろう」


「そんなわけないだろう?一応、奴の実力だ」


あきれた姫野に黒沼は敵意を露わにした。



「何を言っているんだよ。風間の担当はお前がたらしこんだ得意先だろう。じゃ何もしなくても売れるじゃないか」


「おい。たらしこんだって何だ?俺が何か怪しい事をしているみたいじゃないか?」


黒沼は吐き出すように捲し立てた。


「お前は見かけがいいからな。どうせ女医とか看護師とかにうまく取り言っているんだろう。そうじゃなきゃ、あんなに売れるはずがないよ」


「……お話中、すみません。訂正していただけないでしょうか」


にらみ合う男性の間に、手袋をつけた小花がすっと割り込んだ。


「失礼ですけど。風間さんも姫野さんも一生懸命お薬を売っています。あなたのおっしゃるような卑怯な事はしていません!」


「ああ。可哀想に?君も姫野に騙されているのかな?こいつは顔だけで性格も悪くて女もとっかえ」


小花の顎に手をかけた黒沼。彼女はバシっと平手打ちを飛ばした。黒田の頬を赤く染めた。


「お黙りなさい!ここは会社の集まりで、姫野さんはあなたの同僚ですよ。仲間を侮辱するのは、会社への冒涜です。今すぐ謝罪して下さい」


「小花?」


すごい剣幕で怒る小花。姫野は驚きで目を丸くした。


「……何でだよ。なんでいつも姫野ばっかり」


静かに頬に手を当てる黒沼。彼女は興奮のまま彼を睨んだ。


「姫野さんはいつも病院の先生や、患者さんの事を真剣に考えていらっしゃいますもの!朝早くから、夜遅くまで」


「小花、もう止せ!?」


しかし。黒沼は小花をじっと見つめた。


「君は……俺が、何も考えていないというのか」


「お仕事を真剣にしていたら、姫野さんの悪口なんて考える余裕はないはずです!そんなこともわからないの!」


「わかったから。小花!そこまでだ」


興奮した彼女の口を姫野は背後から塞いだ。


「黒沼。風間は確かに御曹司だ。だから俺なんかよりも得意先のセレブの先生と話が合うんだ。俺も成績を抜かれるのも時間の問題だ、あ。風間頼む、小花を!」


まだ物が言いたいために暴れる小花を風間も制した。この様子を流石に黒沼も笑った。


「お前がそこまで言うのならそうなんだろうな、なあ、君?」


「もごもご!?」


「ハハハ。姫野。もう手を離してやれよ?ごめんな、お嬢さん。大事な二人に意地悪言って」


黒沼はそう言って彼女に謝った。姫野と風間から解かれた小花は涙目で鼻を啜った。


「わ、分かっていただければ、結構ですわ」


「あーあ。お前達のために泣くほど怒るとはね?くそ、マジで羨ましい……」


そんな話をしていた時、会場のドアが開いた。社長の慎也は嬉しそうに彼らに歩み寄ってきた。


「お、姫野に黒沼か。そこにいるのは風間のパートナーか?」


……お兄様だわ。まずい!


小花はとっさに姫野の背後に隠れた。


「姫野さん。派遣の私はバレると首ですの」


「そうだった?黒沼!頼む、社長を足止めしてくれ!小花、逃げるぞ」


小声でそう頼むと、姫野は小花の手を取って廊下を走り出した。


「おい!待てー姫野ー。戻ってこーい」


黒沼が制してくれているため慎也は来なかった。こんな二人は足早に逃げていたが、彼女はヒールでは早く走れなかった。



「姫野さん、私、足が」


すると姫野は彼女をすっと抱き上げた。


「あ、靴?」


「後で拾う!」


彼女をお姫様抱っこをしたまま飛び込んだエレベーターで二人は地下駐車場へ移動した。そしてドレスのまま車に乗り込んだ。


「姫野さん。私、シートベルトが止められないです」


着た時は普段着だった彼女の困り顔。姫野は笑いながらベルトをはめた。


「ハハハ。俺がやる。しかし、凄いタンカだったな」


「タンカ?」


「黒沼にビシッと言っただろう。アレだよ」


「私、なんか頭にきてしまって。どうしてかしら」


困り顔の彼女。姫野は笑いながら運転席に座った。


「ありがとうな」


「……こんな事しかできませんが」


そんな二人は夜の札幌の街を車で駆け抜けて行った。





◇◇◇

夜の札幌。弁護士の御子柴がやってきたので夏山慎也は自宅のマンションに通した。


「顔色が悪いのですが、御忙しいのではないですか」


「いえ。こちらの方が優先ですよ」


二人以外誰もいないリビングのソファに腰を掛け御子柴に慎也は話し出した。


「先日はショックが大きかったのですが、まあ今は落ち着きました」


「そうですか。今日はこれです」


御子柴の資料を慎也は手に取った。


「鈴子さんのその後についてです。実は難航しておりまして」


「確か、資料によれば母方の祖母に身を寄せているのでは?」


「そうなんですが。まずは、真子さんが亡くなって、鈴子さんは一人で葬儀を上げたそうです。そして熱海の旅館に挨拶に来て、やはり女将にも祖母宅へ行くと言っていたそうです。しかし、ここで意外な人物が出て来まして。これが宿泊記録です」


「……伯父夫妻か?どうして」


慎也は驚きを隠せず御子柴に顔を上げた。


「夫妻はこの時点で真子さんの死去を知ったかと思いますが、おそらく財産を一人占めした口封じでもしようとしたかもしれません。とにかく鈴子さんに逢いに熱海までやって来たのです」


「で、鈴子は?」


「熱海の女将は借金取りかと思ったそうで、鈴子さんに逢わせなかったそうです。その後しばらく鈴子さんはここの旅館で働いていたのですが、伯父夫婦や、治療費の為にした借金取りがやってくるので女将は公の機関に相談を勧めたそうです」


「伯父夫婦が鈴子に……」


伯父の正也は慎也の父の弟。慎也も信頼していて伯父だった。


「続けますよ。鈴子さんは最終的に彼らをストーカーとみなして、NPO法人のボランティア機関の尽力を受けて、名前も変えて。要するに現在は別人として暮らしているんですよ」


「別人」


「はい。こう言っては何ですが。十八歳のお嬢さんにしては見事な機転です」


「フフフ」


「慎也さん?」


「……不謹慎ですよね。でも。父が亡くなって、母が亡くなって。妹がこんなに逞しく生きているとは」


慎也はそういうとほっとした顔を見せた。


「逞しいというのは私も同様です。お母様の真子さんがホスピスに入院した際も大変気丈であったと職員が話していました。ところであの、慎也さんは鈴子さんと話をされた事は?」


「無いです。父が結婚した時も、無視してしまったし。葬式の時も話はしなかったんですよ」


御子柴はそっと目を伏せた。そして

元気になってきた慎也に御子柴は口角を上げた。



「現在は母方の祖母を捜しています。それが判明すれば早いですね」


「ああ。今後は随時知らせてください。私も事務所に出向きますので」


「わかりました」


明るい情報。御子柴を見送った慎也はベランダから星空を見上げた。まだ見ぬ妹の再会を思う胸は高なっていた。


つづく

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