11話 シンデレラの舞踏会
「お嬢様。先日はどちらにお出かけだったのでしょうか。爺はとても
「ごめんなさい、爺。ちょっとお友達とお出かけをしたの」
「それはもしかして、夏山の社員ではありませんか?」
「え?」
ビクとした小花の動き。齢七十五の義堂は見逃さなかった。
「やはりそうでしたか。中央一営業所の姫野岳人と風間諒ですね」
「ど、どうしてその名を?」
動揺し紅茶のカップの音を立てしまった小花は、驚き顔で義堂を見た。義堂は最高のドヤ顔で彼女に対して首を横に振った。
「お嬢様の事でしたら爺は何でも存じております。数学で赤点を取った事も、物理は免れた事も。なんでも知っておりますぞ」
「はあ。爺は何でもお見通しね。そうです、姫野さんとドライブに行きました」
白髪の老人のストーカー並みの観察力。諦めたように打ち明けた小花に義堂は腰に手を当てた。
「なんと!爺は夏山の社員とは接触を禁じましておりましたのに!お嬢様。正体が知れたらいかがなさるおつもりですか?」
小花はすっと紅茶を飲んだ。
「夏山にいるのはあと山週間だけですもの。それにお兄さまは私の事など何もお考えで無いわ」
「しかし」
食い下がる爺に彼女は持参した紙袋をガサガサと取り出した。
「爺。毎日お掃除で会長のお部屋に入る事ができて、お父様の温もりを感じられるのも今だけなの。あそこは来週には解体工事になってしまうから」
「それはそうですが。爺は心配でございます!夏山一族はお嬢様を狙って、居場所を探っているようですが。姫野も風間も、奴らの手先やもしれません」
「そんな事はありません!あの方達は信用できる方です。それに今の仕事が終わったら、私はここを去りますから」
「またお引っ越しですか?……」
肩を落とした義堂に、ニコと小花は笑顔を作った。
「ええ。姫野さんや風間さんにご迷惑をかけるわけにはいきませんもの」
「お嬢様……」
悲しげな義堂の顔。小花は励まそうと笑みを見せた。
「さあ。そんな顔をしてはいけないわ。姫野さんお勧めの『わかさいも』を食べましょう。爺と食べようと思って、私は食べずにいたのよ」
お菓子をテーブルの上に乗せ笑顔を作る彼女。涙した執事の義堂は、供にテーブルに着いた。
◇◇◇
「おはようございます」
朝六時の夏山愛生堂。清掃員の小花の声が響いた。すっきりした秋晴れの朝、宿直室にいる三人の男性社員はまだ寝ているかもしれない。小花は離れた場所から掃除を始めた。
「失礼します」
そう言って中央第一営業のドアを開けた小花は、誰もいないうちに掃除を始めようとバケツをヨイショと運んだ。
「おはよう」
「きゃ?いたんですね」
ソファにはタオルケットを被った姫野が寝ていた。眩しそうに彼女を見ていた。
「……どうしてここに?」
「宿直だったんだが、奴らのいびきがひどかったんだ、ふわ」
そういうと彼は白いTシャツの身体を起こし、大きなあくびをした。いつもクールな姫野の寝癖のあどけない表情に、小花はくすと笑った。
「今、何時だ」
「六時十五分ですね」
すると姫野は彼女を見つめながらうーんと伸びをした。
「今日は機嫌が良さそうだな……」
「そ、そんな?いつもと同じです」
にっこり笑った彼に恥ずかしくなった小花は雑巾をしぼり、彼に背を向けてデスクを拭き始めた。
……早く終わらせて、出て行こう。これ以上親しくしては姫野さんに迷惑を掛けてしまうわ。
「学校は通っているのか」
「はい。順調です」
本当は赤点でピンチだった。
「体育は」
「問題なしです」
本当はバスケのシュートが一つも入らなかったが小花はこれを口にしなかった。
そんな彼女の気持ちも知らず、姫野は立ち上がりロッカーに向かい、中から着替えを出していた。
「分からないことがあったら。いつでも聞きに来いよ」
「ありがとうございます」
しかし。これ以上姫野の優しさを受け入れる事ができない彼女は、ぐっと唇を噛んで、清掃を終え、この場を後にした。
そんな事があった朝。中央第一営業所に総務部の蘭と美紀が現れた。
「風間くーん。これお願いします」
「詳しくは姫野さんに聞いてね。じゃ!」
そういって二人は去って行った。
「『創立記念、新人戦表彰式』ってなんじゃこりゃ?」
「来たな。とうとう」
事務仕事をしていた姫野は椅子をクルリと回し、風間を向いた。
「それは創立記念日に選ばれた社員が表彰されるものだ」
「あのですね。ここに円舞披露ってあるんすけど」
「それは社交ダンスの事よ、風間君」
松田の補足。姫野はうなづいた。
「もしかして。俺、踊るんですか」
営業所はシーンと静まった。風間はこの無言をイエスと捉えた。
「俺。嫌ですよ?そんな事したこと無いし」
「いや。風間、落ち着け」
「やだ!やだやだ。俺、もう辞めます!」
「ちょっと?風間君!」
松田が制止するの聞かずに風間は営業所を飛び出した。彼は急いで階段を駆け上がり、5階の立ち入り禁止のドアを開けた。
「小花ちゃん!助けて」
「一体どうしたんですか?」
小上がりに座り、大量の雑巾を畳んでいた彼女は、風間の勢いに驚いた。
「お願い。俺を隠して」
「では……こちらにどうぞ」
トイレットペーパーが入っている大きなダンボールの陰に風間は座りこんだ。
その時、ノック音がし、ドアが開いた。
「失礼する。小花。ここに風間が来ただろう」
部屋に入ってきた姫野は、小花を問い詰めた。
「あの、何があったのでしょうか?」
「風間の奴。社交ダンスを踊るのが嫌で、逃げ出したんだ。情けない奴だろう」
せっかく風間と姫野と距離を置こうと決意したのに、向こうからやって来るので小花は胸がズキとした。
「あの。不勉強ですみません。なぜ急に風間さんは社交ダンスを踊らないといけないのですか」
「うちの会社は新人戦で三位まで入った者は、社員の前でダンスを披露するのが恒例なんだ。これを知るとあいつは尻ごみすると思ったら今まで言わなかったんだよ」
「あの、風間さんは、なぜ尻ごみを」
「あいつはカッコばかりの口だけ男だ。結局何もできないじゃないか」
すると、小花は雑巾をギュと握り締めた。
「……そんな事ありません。風間さんは本気を出せば、何でも出来ますわ」
「本気が出ればな」
いつも自信満々の姫野。最近学校の勉強で非常に行き詰まっている劣等生の小花は、自分が言われてるような気がした。彼女は彼をきっと睨んだ。
「姫野さんは自分が何でもお出来になるから、いつもそういって人を侮辱しますけどとても不愉快です!」
「お、おい。小花?」
「私だって頑張っているのに……いつもバカにして!嫌いです!出て行って!」
そういって小花は姫野に雑巾を投げ付けた。
「うわ?小花ちゃん!もういいんだよ」
これを見た風間はダンボールの隙間から飛び出してきた。
「……やっぱり隠れていたな」
「あのさ、小花ちゃん。先輩は俺を挑発しようとして、わざとひどい事を言ったんだよ」
「へ?」
「全く……世話を焼かせて」
雑巾を頭からかぶった姫野は、やれやれと床に投げられた雑巾を拾い始めた。
「ご、ごめんなさい」
慌てて半べそをかきながら雑巾を拾う小花の頭を、姫野は優しく撫でた。
「君は悪くない。で。どうするんだ?風間。彼女は、お前は本気を出せば何でもできると言っていたが」
一緒に雑巾を広い出した風間は、キリリと姫野に向いた。
「小花ちゃんが俺の事をそこまで信じてくれているんですから。俺、やります!」
「……言ったな?おい、小花も聞いたか?」
雑巾を抱えた彼女は口を結んでうんと頷いた。その顔を見て、姫野はいたたまれず、彼女に謝った。
「さっきのは本意ではないからな!俺も風間を信じているから」
「……私の方こそ、嫌いなんて言ってしまって。本当にごめんなさい。本当に……」
すっかり翻弄された彼女は彼に背を向けた。
……どうして私は姫野さんにひどい事を言ってしまうのかしら。お会いできるのは今月限りなのに。
「小花?」
「なんでもありません。どうぞお仕事に戻って下さい」
悲しく背を向けた小花。彼女の束ねた長い髪に姫野は溜息しか付けなかった。
この夜。社交ダンスに挑戦する決意をした風間は、自分の縄張りであるススキノのダンススクールに入り、特訓を受けた。簡単なステップだけなので彼でも短期間で上達できるとコーチは励ましてくれた。
そんな昼下りの4階の会議室。小花は松田に頼まれて風間の為に椅子とテーブルを隅に寄せて練習場を作った。そして掃除をしながら風間の練習を見ていた。
「ところで風間さん。ダンスのお相手はどなたですの?」
「それがね。社内でも誰でも良いみたいなんだけど。本社の俺は社内の暗黙のルールで財務の良子部長って決まっているんだって。だからもう頼んできたよ」
「そうなんですか?本番は今週末ですものね。慣れてる人ならこの際誰でもいいか」
スマホから流れるダンスミュージック。小花も見ていたら楽しくなってきた。
「そうですね……もっと背筋をぴんと伸ばして……うん。とても綺麗ですわ」
この助言。風間は汗と拭くためにタオルを取った。
「もしかして小花ちゃんって。ダンス踊れるの?」
モップを握った彼女は優しく微笑んだ。
「女子高時代に少々」
「よし。風間。小花を相手に踊ってみろ」
振り向くとドアの前に姫野が腕を組んで立っていた。
「私ですか?」
「そうだ。小花。風間はやればできる男なんだろう。練習に付き合ってくれ」
気まずくなった姫野と話をするのは一週間ぶりだった彼女は、心臓がドキドキしていた。
……でも。私が姫野さんの期待に応えられるのは、あと二週間程しかないもの。
「わかりました。風間さん。私でよろしければ、踊っていただけますか?」
「もちろんだよ。じゃ、音楽かけるね」
風間はスマホで、ワルツを掛けた。彼女の手をそっと取ると、腰に手を置き、スタンバイはOKだった。
「「……せーの!」」
二人はゆっくりと一歩足を出し、ダンスを始めた。不慣れな風間をリードし、小花は美しく舞った。この様子に姫野は心を奪われそうになった。
「ストップ。風間、腕をもっとこう。目線はもっと……ああ、貸せ!」
姫野は小花の手を取ると、見本で踊り出した。
それは小花にとって久しぶりの時間だった。姫野の逞しい胸の中にいると、まるで少女の頃に戻ったような気持ちになっていた。
両親が健在で幸せだったあの頃。まだ数年前の話なのに、いろんなことがあったためか、ずいぶん昔のような気がした。
……そうか。姫野さんって、どこかお父様に似ているんだわ……
顔もスタイルも全然違うはずなのに、彼の纏う雰囲気に彼女は懐かしい思いを抱いた。流れるように二人は踊っていた。
「……と。こんな感じだ」
「すげえ。俺もこんな風に踊りたいな。綺麗だったよ、小花ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
姫野と離した手がまだ熱かった小花はまだ心臓がドキドキしていた。しかし悟られないようにモップを手にした。
「さあ、頑張ってください。私もお掃除頑張ります」
夏山愛生堂へ派遣社員で来ている小花。彼らとの別れが近い彼女は、それが精いっぱいだった。
◇◇◇
やがて当日の夕刻。会場のプリンセスホテルで凛々しいモーニングで決めた風間に連絡が入った。
「はあ?良子部長、ぎっくり腰ですか?」
『ドレスを着ようとしたら?う!ごめんね……風間ちゃん。他を探して……』
苦しそうなガサガサ声でかかってきた電話。風間も苦しげな顔で切った。
「先輩!どうしよう?もう時間ないのに」
すると姫野は迷わず電話をした。
「先に表彰でダンスは最後だからまだ時間はある!もしもし。姫野だ。今から迎えに行くから風間とダンスをしてくれないか?ああ、衣装は?あるか?なんでもいい!それでいいから」
そう電話を切ると姫野は風間を振り返った。
「これから彼女を連れてくる。お前はホテルの美容室にメイクの予約をしてくれ。三十分以内で戻る!それまで時間を稼げ」
そういうと風のように去って行った。それとすれ違いで彼らがやってきた。
「よう!風間。元気だった?」
「あんまりないです……」
エレベーターから出て来た男は帯広支店の新人戦ナンバー2の織田だった。シルバーのスーツで決めてきた彼の背後には彼の上司で姫野のライバルの黒沼が立っていた。
「全く。今回はお前にやられたよ、あのさ、姫野は?」
「後で来ます」
「そうかい。あ、こっちは今夜のダンスのパートナーなんだ。宜しく」
セクシーな女性は真っ赤なドレスで織田と腕を組んだ。黒沼は眉を顰めた。
「まあ、成績では負けたからね。今夜のダンスはせめて勝たせてもらうよ」
挑戦的な帯広チーム。これにひるむわけにはいかないススキノプリンスは、セクシーな彼女に挨拶をした。
「こちらこそ。お手柔らかに」
そう笑顔を交わした二人は互いに背をむくと、ふんと顔を変えていた。
つづく
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