10話 ホワイトローズの涙

翌日の早朝の中央第一営業所。姫野は昨日の写真を見ながら、平医師の攻略法を考えていた。


……赤レンガ診療所は、前社長が懇意していた先だよな。


あの荒れ果てた様子は姫野には寂しい老人に見えていた。


「おはようございます。清掃です」


「お。ちょうど良い所に来た」


姫野は手土産を相談しようと思い、経緯を話した。


「君なら何を買っていく?」


「一人暮らしのご老人なら。うなぎ弁当とかがよろしいのでは。でもそれ以前に。ずいぶんお家が寂れていますね……お気の毒ですわ」


椅子に座っている姫野の肩越しに写真を覗いた小花は、悲しい顔をした。


「君もそう思うか。俺も寂しい老人に思えたんだ」


そこに風間がおはようと入ってきた。


「あんな奴なのに?どうかしてますよ、先輩は」


そういって風間はデスクにバッグをデンと置いた。


「そんなこと無いわ。風間さん。それに、そのお医者様はお一人暮らしで車椅子ですか」


「ああ。家族もいないようだし。きっとディケアサービスを受けているだろうが、それにしても家が荒れていたな」


「あのね、姫野さん。ヘルパーさんはお家の手入れまでは出来ないのですよ。ちょっと写真を良く見せてください」


スマホを手に取ってしみじみ見つめる彼女を姫野は上目遣いで見つめた。これに気が付いた彼女は頬を真っ赤に染めた。


「……私の顔に、何か?」


「眼と鼻と口だ。ところで、うなぎ以外だったら何がいい?」


「お夕食で、すぐ食べられる物ですね。お寿司とか、すき焼き弁当とかです」


「わかった。よし。風間行くぞ」


彼女からスマホと優しい想いを受け取った姫野は、上着を取り営業所を出て行った。



こうして毎日弁当を携えて赤レンガ診療所へ向かうようになった二人は、平医師がディケアサービスを受けている事を知った。そして彼のいる4時過ぎに訪れると、少しずつ会話をしてくれるようになってきた。


「昨日の弁当はダメだ!肉が固かったぞ」


風間お勧めのジンギスカン弁当は、無残にも床に捨てられていた。


「今日は、親子丼です。どうぞ」


「……しかし、姫野と言ったな。お前も変わった奴だな。俺に構う暇があったら他所の得意先に行った方がいいだろうよ」


弁当を彼の横に置いた姫野に、老医師は呆れたように言った。これを聞いた風間は昨日の弁当を拾いながら医師に意地悪そうに答えた。


「平先生。うちの先輩は、夏山のトップセールスですからこれくらい問題ありません」


「ふん。夏山俊也に比べれば、お前達なんかひよっこだよ」


姫野はフフフと笑みを浮かべながら老医師に向かった。


「平先生は、前社長と個人的に親しかったと伺っています。俊也社長はどういうセールスマンだったのですか?」


老医師は親子丼の蓋を開けながら、話始めた。


「あいつは熱血営業マンだ。薬屋のくせに医者のためじゃなくて、患者のために動いた男だ」


「具体的に言いますと?」


「……東に病の母あれば、担いで病院に運び、西に病の父あれば、医師を紹介したりだな。要するに病人をどんどん連れて来るんだよ」


「伝説のセールスってそういう事なんですか……なるほど」


感心する姫野を横目に、老医師は親子丼をむしゃむしゃ食べた手を、ふと止めた。


「おい。これなんだ?」


「お口に合いませんでしたか?」


「いや。美味いが、これはさじじゃないか」


端ではなくてスプーン。これを気がついた老医師は姫野を向いた。


「実は今日の親子丼を用意した者が、こちらの方が食べやすいのではないか、と申しまして」


「年増の事務員か?な、そうだろう?」


「いやその」


「言え!」


姫野は気まずそうに話した。


「……うちの会社に派遣で来ている十九歳の女性です。その親子丼もうちの会社の食堂で、特別に薄味でご飯も軟らかめに作ってもらったと申しております」


「十九歳の女?」


「はい。彼女は幼い頃、こちらの医院で予防接種を受けていたとの事で、恩返しと申しております」


この話にハッとした医師。やがて苦笑いをした。


「……俺がそんな事したのはアイツの娘だけ……まあいい。おい。ボンクラ、お茶!」


「はい!」


ボンクラと呼ばれて返事をした風間。彼に医師を任せた姫野は窓を開けて、声を掛けた。


「おい!暑いから、無理するなよ」


「はーい。もう少しだけです」


そして窓を閉めた姫野に、老医師は振り向いた。


「何をしておるんだ?」


「その彼女はどうしても、草取りをしたいと申しまして。もうすぐ終える所です」


「バカ?こんな暑い日にさせるな、そういうのは風間がやれ!」


「はいはい。俺達はもう帰りますから……」


こうして無残なジンギスカン弁当を拾った風間と姫野は、診療所の外にでた。



「こんなにむしったのか?」


草の山に姫野と風間は驚いた。


「無我夢中だったです」


汗だくの彼女。姫野は小鼻を車に乗せた。


「まあいい。風間、ゴミ袋に草を入れろ。営業所に持って帰るぞ」


「ふあーい」


こうして三人は大きな袋三つの草を積み、病院を後にした。





翌日の9月30日。風間の新人戦の売り上げの締め日。


現在トップは風間諒であったが、帯広営業所の織田も追い上げて来ていた。しかし、これはまだ戦いの序章に過ぎなかった。


「ひ、姫野さん。帯広の織田さんは、得意先に来月分の薬品も購入してもらっているようです」


5階にある利益管理部の女子社員は、朝っぱらから背後からパソコンを覗き込んでくる姫野にドキドキしていた。


「彼の得意先全部ですか?」


「全部ではないですけど、あ。今また発注がありましたので。この様子だと、織田さん担当の全得意先にお願いしていると思います」


「……このまま行くと。どういう計算になりますか?」


「織田さんが抜きますね」


うーんと姫野は、態勢を戻した。これに風間が質問した。


「ね、先輩。俺達こんな情報を見ても良いんですか?帯広の方は、地方だから俺達の情報は掴めないんでしょ?」


「構わない、地の利だ。あの、風間の不良債権の回収金ですが、これはまだ未入力ですよね?」


「はい。ギリギリに利益を入力すると聞いています」


帯広はこちらに合わせて売り上げを伸ばしてくるので、姫野は締め切りギリギリに回収金をデータに入れる作戦。本社の担当者はさらに計算をした。


「えと。織田さんのデータと、今の風間さん+回収金では、本当に僅差ですね。織田さんが上かもしれません」


「ありがとう!又締め切りの6時前に来ます。行くぞ風間」


「ごめんね。また後で来るよ」


「はい!はあ……」


二人のイケメンに囲まれた女子社員は、その熱でデスクに突っ伏した。




「俺達も追い込みに得意先を回るからな。今日は二手に分かれるぞ」


新人風間の得意先は元々は姫野の担当していた医療機関。午前中の二人は各自営業車に飛び乗り札幌の街を駆け抜けた。


そして、夕方4時に営業所に戻ってきた姫野は、利益管理部の女子社員の元に馳せた。



「どうですか?風間は?」


「え?はい。先ほど帯広の黒沼さんからも問い合わせがあって。4時の時点では織田さんですね」


帯広支店の黒沼は姫野の同期でライバルであり、姫野の策略を知っている男だった。


「そうですか。あの、今から風間の売り上げがアップします。それを見ていて下さい。じゃ!」


そして営業所に戻った姫野は、部長の石原に報告をした。


「黒沼か。やっかいだな」


「でもうちも全得意先に、肺炎球菌のワクチンを購入してもらいました。これは利益率が良いのでポイントが上がるはずです」


「もうそれしかないしな、ってところで風間はどうした?」


「まだ戻っていませんか?もうすぐ5時なのに。あいつは」



苛立つ姫野は風間に電話をした。


「出ません」


「いいさ。ここにいても邪魔だしよ。あいつには最後まで得意先を回らせておけ。それより回収金はいつ入力するんだ」


「あ。もう5時か……」


「失礼します、清掃です」


緊迫した営業所に小花が現れた。


「あ?姫野さん!私、」


「済まない!今は君に構っていられないんだよ」


姫野は小花を押しのけて、利益管理部へ駆けて行った。


確認すると姫野の策略通りにワクチンの購入で一気に風間がトップになり、これを画面で見ている5階の他の社員からも、おおおおと歓声が上がった。


「でも。また織田さんですね」


風間が薬を売れば、織田も売る。まるでオークションのような動きになった。


……まだ5時10分。回収金を入力するのはまだ早いな。



「お忙しい中、恐縮ですが、あの」


「うるさいな!なんだ一体」


姫野のシャツの裾を引く小花を姫野は怒鳴りつけた。


「すみません。営業所にスマホを置いてありましたが、風間さんからずっと」


「貸せ!お前、今どこだ。へ?平先生の債権額?」


『はい、先輩。今、払ってもらえるそうです』


風間の弾む声に、姫野は眼を細めた。


「マジかよ。今、金額を送るから。それを持って直接5階に来い。6時までだ!急げ!」


そう言って電話を切った姫野は、正確な金額を送ると同じフロアの財務部に向かった。


良子よしこ部長……今からうちの風間が、不良債権の回収金を持ってきますので。金庫を閉じないで下さい。6時まで間に合わせますので」


「金額は?」


「270万程です」


「わかったよ。でも6時までだからね!」


今度は利益管理へ戻った姫野は、女子社員に270万を入力した場合の風間の試算をしてもらった。


「この得意先は、S級でしたのでポイントが高いです。これで逆転ですが……あれ?」


「なんだ?」


「帯広も回収金を入れて来ました。これでわからなくなりました」


「こっちに手持ちの回収金30万を入力したらどうだ?」


「僅差で勝てると思いますが。あ、電話だ。もしもし」


女子社員は電話を押さえて姫野に、黒沼からの電話だと言った。



「はい。5時30分の時点では、織田さんがトップですね」


受話器の向こうから、帯広のおおおおおと歓声が聞こえて来た。


「え。風間さんの利益の入力ですか?それは」


彼女は毅然と答えた。


「私は管理者ですので。それを答える立場にありません。またお電話下さい、それでは」


ふうと溜息ついた女子社員に、姫野は指示を出した。


「5時50分になったら、その30万を入力して下さい。最後の270万はその後に入れますので!」


中央第一営業所に戻った姫野は、松田に風間を玄関で待ち、財務部に連行するように指示をし、時計を見た。


……仕方ない。もう少し買ってくれそうな得意先に頼むしかないか。


「姫野さん。あの」


「何だ一体」


「あの、私の通っているホワイトローズクリニックの先生が……」


「姫野係長!風間君が到着しました」


「今行く!」


「待ってーー!」


松田の声に駆け出した姫野の背を、小花は慌てて追いかけた。



「これが金です。領収書はこれ」


「でかしたぞ。風間」


5時45分。


財務部の経理に受理されたお金の情報の入力は、あと15分猶予があった。


その時、利益管理部の課長が彼に声を張った。


「姫野君!帯広から依頼が合ってね。今はもう帯広もリアルタイムで情報を見られるようになっている。それを踏まえて判断してくれ」


「わかりました。これでアドバンテージは無くなったか」


5階のフロアにいる皆がそれぞれパソコンを睨む中、小花はシャツの波をかき分け、とうとう姫野の所までやってきた。


「姫野さん。本当に申し訳ないんですが……」


「さっきから何なんだ!後にしてくれ!」


すると小花が泣きそうな顔で叫びながら姫野に縋った。


「ホワイトローズクリニックの先生が、点滴のお薬がいっぱい欲しいって私の携帯に電話してきたんです!」


「何?」


「先生はパソコンが壊れて、中央一の電話も話中で繋がらないから私の所に電話してきたんです……」


小花の叫びにシーンとなったフロア。しかし、姫野が沈黙を破った。


「風間!先生に確認して2ヶ月分買ってもらえ!早くしろ」


「はい!もしもし。先生ですか……」


時計は50分。利益管理部の女子社員は、指示通り30万の回収金のデータを入力した。


「風間さんがトップです!」


おおおおとフロアに歓声が上がった。


「でも織田さんも回収金を入れました……」


うーーんという溜息がフロアに広がった。



時計は55分。ここで利益管理部は270万のデータを入れた。


「これで……お願い!」


息を飲み見守る5階の社員達は顔の前で手を合わせた。

数字は僅差で風間。しかし、57分。再度、織田が抜き、あああああと落胆の声が響いた。



「先輩、発注きましたか?」


59分。5階の社員は全員が画面を見つめていた。


「来い来い来い……来た――――!やったーー!」


画面には風間の名前。こうして5階は歓声に包まれて、風間は社員に胴上げされたのだった。





「はあ。疲れた」


中央第一営業所に戻ってきた風間は、ようやく椅子に座った。


「お疲れさん。しかし。お前もやるな」


「へへへ」


ホワイトローズクリニックの医師に3カ月分の医薬品を購入させた風間はゆったりと椅子に座った。


「だって。部長。それくらいしないと差が開かないと思ったんですよ」


「平先生はどうしたんだ?」


「ああ。俺、車で前を通ったら雨なのに窓が開いていたから寄ったんです。そしたら草取りの御礼を小花ちゃんにしたいって先生が言うんで、俺は彼女に電話をして、二人で話してもらったら。先生が急に今までの債権を払うって言い出して。車椅子の下から現金でポーンってくれたんです」


ここで姫野は血相を変えた。


「そうだ!小花は?小花はどうした松田さん」


「……帰りましたよ。泣きべそかきながら」


「マジで?」


驚く風間。うんと松田は頷いた。


「真の功労者なのにね。姫野係長に怒鳴られて可哀想……」


「松田さん。俺は怒鳴って無いですよ」


「駄目だぞ、姫野?女性には優しくしないと」


風間と石原に窘められた姫野は、天を見上げた。



その後、小花は電話をしても出ず、メッセージも無視された姫野は、考え抜いて、小花の自宅まで謝りに行った。でももう8時を回ったのに、留守のようだった。


……こんな時刻まで、一体どこで何をしているんだ?


すると夜道を歩いてきた彼女に出会った。


「あれ。姫野さん。どうしたんですか?」


「君こそ、電話にも出ないし」


「……居残りです」


「そうか。夜間学校か。数学か?」


疲れた顔の小花は小さく首を振った。


「物理です」


そういって玄関前に立つ姫野のそばまで歩いてきた。



「私に何か御用でしたか?」


「いや。今日の礼と詫びを」


すると小花は、じっと姫野を見た。


「……もう。いいですから」


「いや。謝る」


「ですから。もういいの!」


「待て!?小花」


「物理も姫野さんも嫌いです!」


そういって小花は玄関のドアを閉めた。姫野は大きく肩を落とし、ごめんと声を掛けて帰って行った。



玄関のドアの向こうの小花はいじけていた。


……無力な私でも少しくらいは協力したいと思ったのに。あんなに怒るなんて。やっぱり私は姫野さんの邪魔になるだけなんだわ。

 

家に上がると彼女は重たい教科書が入ったトートバッグを床に置いた。本当は勉強を教えて欲しかったけど。やはり甘えてはいけないと思った。


そんな小花は食事も取らずお風呂に入り、この夜は不貞寝した。



翌朝。姫野に逢わないように早朝のうちに清掃を終えた小花は、一通り仕事をこなすと、吉田婆と休憩していた。


「小花ちゃんは、もうすぐここ、終わりなんだろう。終ったら次の会社は決まっているのかい」


派遣期間は半年であり今月で終了だった。


「そろそろ話が合っても良いはずですが、会社は何も言ってこないです」


「あーあ。また一人で掃除するのか。婆さんには応えるよ」


お茶を一口飲んだ小花はフット微笑んだ。


「社内はリフォームが進んでいますから、掃除はしやすくなりますよ」


その時、部屋のドアのノック音が聞こえた。



「失礼します……」


「ごほ?」


姫野が入ってきて、小花は驚いて飲んでいたお茶をむせそうになった。


「小花。昨日は本当に済まなかった!この通りだ」


意気消沈の様子。すっと頭を下げた姫野を見て、吉田は気を利かせて部屋から出て行った。


「あの、姫野さん!そんなに謝らないで下さい」


「君は何も悪くない」


「だから顔を上げてください」


「君のおかげでとても助かった」


……姫野さんは嘘をつく人ではないけれど。大人だから。社交辞令かもしれないわ。


彼の真摯な気持ちを素直に受け止めることができない彼女は、そんな気持ちでお辞儀をした。


「こちらこそ。お忙しい中、ご丁寧にありがとうございました……」


「それじゃ。また」


部屋を出て行った姫野に、小花はじわと、涙ぐんでいた。



そんな週末の金曜日。風間のトップ達成と関係者の慰労を兼ねて、飲み会が開かれていた。


財務部長の良子にキス攻めにされ、利益管理部の女子にお姫様抱っこをせがまれた姫野と風間は、疲労困憊で自宅に戻った。


……後味が悪すぎる。謝って許してくれたけれど。あの悲しそうな顔はなぜだ?



窓の外は冷たい雨が降っていた。夏が終り、秋が来ようとしていた。





弁護士の御子柴がやってきたので夏山慎也は家に通した。


「先日は取り乱してすみません」


「いいえ。そんな事ありませんよ」


二人以外誰もいないリビングのソファに御子柴は腰を掛けた。


「今日は報告が一つあります。早速ですが……」


御子柴の資料を慎也は手に取った。


「慎也社長に当初依頼された内容は、夏山真子さんの過去と現状でした。これからお話しする内容で過去の報告は終了になります。これで調査は鈴子さんの現状だけになります」


「ええ。鈴子の事も引き続きお願いします」


「……失礼ながら。慎也さんは妹さんの事は良く思われていなかったと思いますが」


「確かに。父の愛情を一人占めした妹を僕は憎んでいました。でも今回の調査で義母や妹に何も罪は無いというか。むしろ利己主義の親父に腹が立っている心境です」


「そうですか?では、今後も鈴子さんの調査でよろしいですね」


「はい」


「それでは真子さんの過去について。最終報告をします。心してお聞きください」


御子柴は神妙な面持ちで慎也に封筒を渡した。慎也はこれを取りだした。


「これは?」


「カルテです」


『母 春野真子 子 男児』とあった。


「その出生日をご覧ください」


慎也は胸が詰まった。


「……俺の誕生日です」


「慎也さんの血液型は」


「O型です。父はBで、母はAで」


「あなたのお母様の圭子さんはAB型です。これがその証拠で……。お母様からはO型は生まれません」


「では真子さんは……俺の産みの母なんですか?」


真也の部屋は一瞬静けさで止まった。


「当時の助産婦に話を聞きました。これは俊也さん、圭子夫人、真子さんの三人で取り決めた事のようで、生まれた赤ん坊を圭子夫人が連れて行ったそうです。圭子夫人は何度も真子さんに頭を下げていたそうです」


「信じられない……」


慎也の手から、書類が落ちて行った。しかし御子柴は話を続けた。


「この産婦人科はススキノにあり、水商売の女性が数多く出産した病院でした。現在は廃業していますが、当時の訳ありの出産については、今回のような母親探しが多くあるようで、カルテを別に保管しているそうです」


この説明に慎也は立ち上がると、キッチンからウイスキーを片手に持ってきた。


「すいません、先生」


「どうぞ。私に構わずに」


慎也はグラスに少量入れた酒を一気に飲んだ。そして気を落ち着けてから御子柴に向かった。


「……母が、あの母が本当の母では無い、というのはまだちょっと信じられないのですが」


「DNA鑑定をすればはっきりしますが、いかがなされますか?」


「いや。まだそこまでは」


考えられない慎也は、そのまま椅子に座った。



「今日はこれで失礼します。次回は鈴子さんの行方について報告に上がります」


御子柴が振り返ると、慎也はじっと動いていなかった。




つづく

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