7話 その力、最強につき


「吉田さん。またですわ」


立ち入り禁止のドアを開け、戻って来た小花は、肩を落とした。


「今度はなんぼだい」


「三つですわ」


「どうしたもんかね……」


吉田婆は頭をかいた。小花は困り顔で頬に手を添えた。


「総務の蘭さんと美紀さんに相談したのですが、ホームページのリニューアルや新しい制服云々で、これに対する予算がないみたいです」


「困ったね」


「屋上にキラキラしたテープを貼りめぐらしたじゃないですか?あれは一週間しか持ちませんでしたね……」


「カラスって言うのは賢いからね」


夏山愛生堂の5階建のビルの屋上。カラスがゴミを運び汚す事が小花と吉田の共通の悩みの種だった。


「私は誰かが住んでいるかと思ったくらいです。まったく、ゴミの袋を咥えて来てくるなんてあんまりですわ。こんなにビルがたくさんあるのに夏山の屋上を選んぶなんて……私、許せません」


「でもさ。空を飛んで来るから防ぎようがないもんね」


すると小花は、カタログを手にした。


「ご覧になって。これは総務から借りた本です。ここにカラスを寄せつけないグッズが載っていますが、すぐには買ってもらえませんわ」


「仕方ないか。当分はお掃除がんばろうか」


「忌々しいですが、それしかないですものね……」


こうして清掃の仕事を終えた彼女は夏山を後にして夜間の定時制の学校に向かった。


「なんだ、お前、そんな溜息付いて」


「実は仕事で……」


授業の前。同級生の金髪の新米パパ、京極が小花に話しかけて来たので彼女は事情を話した。


「そんなの簡単だろう。死んだカラスの模型を置いたら一発だぜ」


「その予算も無いですもの」


「本物だとタダだけどな……。あ!いい事思い付いた。俺に任せておけよ、な?」


バチンとウィンクを決めた京極に不安を抱きつつ、この夜の授業は始まった。

 


そして数日後の午後。仕事中の小花に京極から今から夏山に行くという電話が入った。


「一体どうなさったんですか?」


会社の裏の倉庫で待ち合わせをした小花に、軽トラックでやってきた京極は木の彫り物を下ろした。


「どうだ!大工の親方が、廃材をチェーンソーでカットしてつくった鳥だ」


「どこが鳥なの?」


バラバラの木の破片。黒く塗られた木を屈んだ小花は指でツンツン触っていた。京極はどや顔で見下ろした。


「お前が運びやすいように。バラしてあるんだ」


「ふーん」


よく見ればボディや翼が見えた。


「この黒色は余った塗料で適当に塗ったんだ。でも親方がさ、遠くから見るんだったらこれくらいの荒削りでも十分だって。あとはお前が適当に目とかくちばし、とか塗ってくれよ」


「ありがとう!京極君」


「良いって事よ。それ一人で運べるか?」


小花が平気!と台車に載せている様子が危険だった。京極は彼女と業務用のエレベーターに乗り、これを屋上に運んだ。結局彼がこれを組み立てた。


「針金でギリギリっと結んだぜ。これで絶対外れたりしねえぞ」


「すごい。この鳥。首や腕が可動式なんですね」


360度回る首を小花はくるると回して遊んでいた。


「調子に乗って壊すなよ。まあ。動くカカシと思っておけよ。じゃあな。俺、現場に戻るから」


小花からお礼に栄養ドリンクを受け取った彼は、こうして帰って行った。



その後。小花は吉田婆と相談し、鳥の色を塗りこれを完成させた。


「吉田さん!出来ましたわ!」


「おお。なんか怖いね、これ」


「『デストロイヤー』と名付けましょうか。表情が見事におぞましいわ!ウフフ」


小花によって赤く塗られた胸は大きく張り、大きな翼を広げた黒鳥は、今にも大きな声で叫びそうだ。


夏山愛生堂の屋上から札幌の街を睨みつけたいたこの鳥の模型は、人間が見ても怖かった。この出来に二人は満足げに腰に手を当てた。


「いや。明日の朝が楽しみだね」


「ええ。私、ドキドキしてきました」


「あ!二人とも、ここにいた」


「蘭さん。美紀さんどうしたんですか」


総務の二人は息も絶え絶えに小花と吉田の腕に縋った。


「大変よ。配送センターにネズミが出たの」


「またですか?私、行ってみます」


小花は屋上の階段をダダダと駆け降りた。立ち入り禁止の部屋へ戻り退治グッズを取り出し、階段で地下まで下り、配送の手塚がいる事務所の戸を開けた。



「手塚さん。また出たんですか」


子会社の社長の手塚は読んでいた新聞から顔を出した。


「ああ。チューチューさんは食うものが無かったから。ほら、こんなケーブルをかじりやがった」


「どうしてこんな所に現れるのかしら」


手塚は彼女をじっと見た。


「して。今回もそれか」


「はい。ベタベタ作戦ですわ」


茶色の厚紙でできた本を開くと、そこは粘着シートになっていた。小花はネズミの通路にこれを5枚ほど床に並べて配置した。


「壁に伝って歩くから、この囲い方で行きますわ」


「わかった。俺達踏まないようにするから」


そして罠であるお決まりのピンク色の毒団子も置き、小花は部屋に戻ってきた。

するとまた蘭がやってきた。



「大変!スズメバチの巣が一階の外の換気扇にあるの。小花ちゃんもちょっと見て」


「ええ?」


飛び込んできた蘭に頼まれて小花も一緒に見に来た。


「今、業者を呼んだんだけど。あ。これ」


ブーンと大きな蜂が三匹ほど、彼女達の周りを飛んでいた。小花は冷静に虫を追った。



「蘭さん。じっとして……」


彼女を抱きしめていた小花は、去ったスズメバチに肩をすくめた。


「蘭さん。私は駆除の車が来るまで、ここに他の人が立ち入らないようにコーンを立てます。蘭さんは社内放送で社員の皆様にお伝えして下さい」


「わかった!小花ちゃん。気を付けてね」


やがてやってきた駆除業者によって巣は取り外された。




「ふう。さすがに疲れましたわ」


「今日も暑いから。水分保急にアイスでも食べよう」


そういって吉田は冷凍庫から密かに冷やしておいたバニラアイスを小花にあげた。


「美味しい……仕事の後のアイスは格別ですわ」


「本当に美味しそうに食べるね……」


こうして動物に振り回されて一日が終るはずだった。仕事を終えた小花は、夕刻一人駅まで歩いていた。



「……お嬢さん。よろしければお送りしますが」


駅まで歩く歩道。小花の横に停まった車の窓から囁く声に、彼女は首を振った。


「今夜は一人で帰りますわ。お疲れでしょう?」


「疲れてない」


「嘘ですわ。夜勤をしたのに丸一日お仕事していたんですもの」


「本当にそう思っているなら。早く乗って俺を休ませてくれ」


ふうと肩を落とした彼女は、姫野の車の助手席に乗った。シートベルトを締めてながら小花は不安そうに姫野を見つめた。


「そんなに俺が心配か」


「いえ?睡眠不足で運転は大丈夫かなって」


自分の心配をした彼女はカチンとベルトを装着した。姫野はため息をついた。


「夕べは緊急薬品の電話は九時に一件だけだったから、俺達は朝まで寝られたぞ」


「まあ?そういう夜もあるんですね」


薬の手配がないことはいいこと。小花は一気に笑顔を見せた。そんな彼女に姫野は誘いをかけた。


「ところで。お前。何か食べたいもの、あるか」


「大ありです。一刻も早くそれを食べたいと思っていますの」


「それほどか?ではそれを食べに行くか」


小花は真顔で膝の上の手をぎゅうと握った。


「……実は私、豚ひき肉があんまり安かったので餃子を作ったんです。そうしたら今までで最高に美味しくできたのです。それがまだ大量に冷凍してあるので、早く帰ってそれを食べるつもりです」


「俺の分もあるか?」


「あります。冷凍庫いーっぱいですもの」


「俺にもそれを焼いてくれ」


「いいですけど。私、知りませんよ」


赤信号。停車中の車。小花は運転席の姫野を真剣に見つめた。さすがに姫野もドキとした。


「な、何が」


「鈴子の餃子を食べたら、他の餃子が食べられなくなりますよ?」


そういって悪戯な顔で姫野を見つめる彼女に、彼は眉をひそめた。


「いいぞ。お前の餃子で俺を……殺してくれ……」


そういって姫野は車を発車させ彼女の自宅へやってきた。

小花は手早く焼き上げた。


「どうぞ!」


「美味い!?」


「でしょう?ね!」


小花が焼いた餃子を箸でつまんだ姫野は、寄り目になった。


「熱っ!これ何が入っているんだ?」


「普通です。この餃子の皮の包装に書いてあるレシピ通りに作っただけなんですよ」


「まさに黄金レシピだな……」


感動している姫野。エプロン姿の子花はドヤ顔で腕を組んだ。


「でもね。鈴子は茹でたキャベツはきっちり水切りをしましたわ」


「良くやった!焼き方も完璧だし」


褒められた彼女はウフフと口に手を当てた。


「それはスーパーで貯めたポイントでもらった新しいテフロン加工のフライパンのおかげですわ」


こうして姫野と小花はテーブルを囲んで楽しく夕食を食べていた。


「考えてみたら、お前の手料理を食べたのは初めてかな」


「そうかもしれませんわね。ホッケは焼くだけですし」


「他にはどんなものを作るんだ?」


姫野は羽根つき餃子に感心しながら、嬉しそうに口に入れた。


「一人ですのでそんなに作りませんが。野菜いっぱいのお味噌汁やスープは作りますよ」


今夜の食卓にもワカメのスープが合った。


「姫野さんのご実家に行った時のお料理、美味しかったですね。忘れられませんわ」


「料理なんてあったか?」


「お稲荷さん」


「祖母が好きなんでな」


「私も好きです」


「お稲荷さんか?俺か」


「お稲荷さんです」


「俺はお前が好きだけどな」


「私は大好きですよ?」


「え」


そう無邪気に頬笑みながら言った彼女は、姫野の口元に付いていたワカメを手で優しく取った。



「……いつも私のような者を気にかけてくださって。嬉しいです」


純粋な彼女の言葉に、彼は頬を染めた。


「あのな。いつも言っているだろう。俺はお前が無事に高校を卒業するまで、見守るって」


彼女はうんと笑顔でうなづいた。



「そう言うわけで。お代わり!」


「はい。スープは?」


「もちろん」



こうして大量の餃子を食べた姫野は、彼女の気持ちを知り心躍る思いだった。

が、それと同時に、本気で彼女を守る責任感と決意が先立った彼は、早々に帰って行った。




翌朝。仲良く車で出勤した二人だったが、会社に一足入れると仕事モードになり、互いの業務をこなしていた。


昨日彼女を悩ませていた屋上にはカラスの痕跡が無く、ここはクリア。配送センターのベタベタシートには子ネズミがいたらしいが、小花に配慮し手塚が先にこれを退治していた。




そして夕刻。中央第一営業所の石原はテレビを見ながら呟いた。


「おい。姫野。この『どさんこテレビ』に映っているのは、うちにビルじゃねえか」


「どれ。おお、そのようですね」


石原の声に、姫野はボリュームを上げた。リポーターの南郷ひろ美がマイクを持っていた。


『こちら現場です。今朝ほどから札幌駅近くのビルの屋上にオオワシがいると電車の乗客から目撃情報が届いております。今の季節にいるはずのない鳥ですが……』


姫野は窓の外を見ると報道陣らしき人がたくさん集まって来ていた。


「どうしてうちの屋上にオオワシがいるんだ?」


「姫野。お前、行って見て来い」


「社長も不在ですしね。見て来ます」


警備員が報道陣を押さえている間。姫野は階段を駆け上り屋上にやってきた。




彼が夕焼けの屋上に行くとそこでは小花が大きな鳥に襲われそうになっていた。


「鈴子!?」


駆けつけた姫野は、彼女を胸に抱いた。


「姫野さん?……どうなさったの」


驚く彼女に、姫野は鳥をあらためて見た。




「模型か?これは」


「そうですわ」


「あのさ。これ、烏対策の模型なんだけど、騒動になってるらしいね。どうしようかね」


屋上の強風のせいで、くるくるパーマの髪が、めちゃくちゃになっていた吉田婆は頭をかいた。姫野から離れた子花は、模型のポーズを変えてみた。


「そうなんです。あ。姫野さん!報道陣の方がやっぱり来たわ!あの……こちらへどうぞ」


小花の案内に、テレビカメラが回った。南郷ひろ美は小花にマイクを向けた。



『あのですね。これは、一体なんですか?』


「はい。こちら烏避けに作った模型、恐怖の怪鳥『デストロイヤー』ですわ」


『模型?制作者は?』


「はい。高校の仲間の京極君の親方です。巧みなチェーンソーの彫刻はとても素人とは思えない迫力となっています。そして、腕も回る可動式になってございます」


まるで博物館のガイドのような小花。南郷は話を続けた。


『これを配置して効果はいかがですか』


「はい。烏は参りませんが。皆さんがお越しになりましたわ」


『ハハハッハ。これはやられました。では最後に、こちらは何の会社ですか?』


ここで息を呑んだ小花はカメラを向いた。


「はい。『緑育む北の大地北海道。命繋いで百年周年。医薬品総合卸売会社、夏山愛生堂』でございます!」


『以上、現場からでした!』





報道陣が親方制作の『デストロイヤー』の撮影をしている中、小花は姫野の元に駆けて来た。


「姫野さん!あの。私、会社の紹介、間違えていませんでしたか?」


「合ってる……大丈夫だよ」


そういって彼は彼女の頭をそっと撫でた。





「敵わないよ」


「何が?」


「……まあ。いいさ」


夕焼けの染まる街。屋上に吹く南。風の中、たたずむ彼女の頬笑みは最強だった。



つづく   


     

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