8話 夏の成人式


「お嬢様。これは一体どういうことですか?」


「顔は映っていませんよ」


「……そうではありません!なぜ夏山の者としてマラソンで優勝しとるのですか?」


「だって。何事も全力にやるように、とお父様はおっしゃっていたではありませんか?」


「いいですか?鈴子様は正体を隠して暮しているのです!だったら全力で隠れないとダメでしょうがーーー!?」


「そんなに怒らないで……」


思わず彼女は耳をふさいだ。



「しかもこんなに道新に載っちゃって!もう!」


爺やの義堂は新聞をバーンと叩いた。


「おう?痛ててて!」


「大丈夫?爺や?」


手稲山山頂のログハウス「ホワイトカップル」で、小花は義堂に叱られていた。



「しかもですわ。夏の連休もどこかにお出でのようで。ここはバイトも集まらず、爺は一人できりきり舞いでしたわ……」


義堂は手首を押さえながら、小花の載った新聞をそっと片付けた。


「ご、ごめんなさいね」


「でも。鈴子様にお友達ができたのなら、爺も嬉しゅうございます」


「爺?」


彼女に後姿で寂しい雰囲気を醸し出した義堂は、企てを話だした。


「ところで鈴子様。来週、成人式の写真を撮影致しませんか」


「成人式、ですか」



「はい。本来は数え年では今年でありましたが、そのような時間はありませんでした。しかし、よーく考えるとまだ今年は終わっておりません」


「確かに」


「それにですな。実は爺の貯めていたありとあらゆるポイントを一つにまとめましたところ、プリンセスホテルでの成人式の撮影が無料になるのです」


「まあ?無料」


「はい。しかも今は成人式の写真は前撮りしますので、着物もそろっています。どうか爺のために、来週の土曜日にご一緒に撮影に参って下さいませ」


「そこまで言うのなら。でも、ここの営業は?」


「心配ご無用。設備の点検があるので、どさくさにまぎれて土日も休業にしてしまいます。ホームページに断りを入れるので抜かりはござらん」


「お着物は?どうするのですか」


「レンタルですが、爺が見立てておきました。鈴子様はお身一つで十分です」


そういって彼は小花に紅茶のカップを置いた。彼女はアールグレイの香り漂う湯気の向こうの義堂をみつめた。




「でも義堂?せっかく貯めたポイントですよね?私のために使うなんて……」


「良いんですじゃ!老い先短い爺には使い道のないポイントです。それにまた……貯める喜びもありますわ……」



こんな義堂の目じりにしわを寄せた笑顔に、彼女は涙をそっと拭った。



そして約束の土曜日。


昼過ぎにプリンセスホテルで待ち合わせをした小花と義堂は、メイク室へ向かった。



「はい。出来ました」



そこには日本人形のような小花がいた。


「……このお着物はデザインが古いので心配しましたが、お客様によくお似合いですよね。店長、ちょっと店長!?」


「あ?ごめんなさい。あんまりお似合いなのでつい」


髪を結い、薄くメイクをした彼女は、何よりも気品に溢れていた。



「失礼ですが。お着物に慣れていらっしゃるようで」


小花の美しい所作に見惚れていた女店長は、うっとりして彼女を見つめていた。


「はい。昔は好きで自宅で着ておりました」


鏡の前の自分に嬉しくなった小花は、背後に映った義堂に気が付いた。


「お美しゅうございます。俊也様や真子様がご覧になったら、どんなに喜ばれたことでしょうか……」


義堂の目に光る物をとらえた小花は、そっと彼の肩に手を乗せた。


「爺。さあ。写真を撮りに移動です。手を貸して下さいませ?」


「仰せのままに」


まるで結婚式でバージンロードを歩く父親と娘のように、二人はホテルの中をゆっくりと移動した。



その時。



「あれ?小花ちゃん?どうしたの、その恰好?」


夏山愛生堂中央第一の松田とホテルの廊下でばったり合った。


「成人式の撮影です。松田さんは、ここで何を?」



「このホテルで医療関係者の講演会があって、社長に頼まれてみんなで参加しているのよ。風間君も姫野係長もいるわよ」



すると、義堂が小花の腕をぐいと引き囁いた。


「なりません!夏山との接触は!」


「分かっています!お兄様がいるなら、もちろんです……松田さん。私は時間が無いので、これで失礼します……参りましょう。爺」


「ささ。参りましょう」


二人は足早にエレベーターへ向かった。



このせいで少々汗をかいた小花はメイクを直してもらい無事に写真撮影を終えた。そして、爺は小花と自身のスマホで撮らせてもらい、上機嫌でこの部屋を出ようとしていた。



「……さてと。ここからが問題ですじゃ」


「そうですわね。姿を見られないようにメイク室に戻らないといけないわ」


すると爺は眼をキラーンと光らせて小花に囁いた。


「鈴子様。爺は夏山の様子を見て来ましたが、きゃつらはまだ鳳の間に居座っております。それに爺には秘密兵器がありますので、さ、参りましょう、GO!」


爺に腕を引かれた小花は、夏山集団がいる鳳の間の階にやってきた。


「扉は閉まっています。この廊下の奥がメイク室じゃ、それダッシュ!」


急く義堂だが、着物の彼女は走れず、しずしずと進むしかなかった。しかしその時、鳳の間の扉が開き、人が一斉に出ていた。



「まずい!鈴子様、爺やの背に御隠れになって!」


貧相な爺の背に隠れた小花は丸見えになるはずなのに、夏山集団は気が付かずに行ってしまった。



「ふうう。やれやれですわ」



「これは一体なんですか?」


爺は小花にかぶせてあった大きな風呂敷を外してやった。


「着物室にあった布がこの廊下と同じ色でしたので。借りて置きました。ささ、きゃつらが戻って来る前にメイク室に入りましょう」


こうして二人は、無事メイク室に生還した。



すると、店長が着物を出してきた。


「お客様にお願いがございます。実は……」


小花があまりにも着物が似合うので、彼女の写真をパンフレットに載せたいという。


「本日のお代は既にポイントで頂戴しておりますので、謝礼といっては何ですが、この夏のお着物を一式差し上げたいのです。お客様に丁度サイズが合うと思いますし」


「これはこれは。鈴子様がパンフレットに?お目の高い事で……」


嬉しそうな爺を見て、彼女はこれを快諾した。


そして贈られた着物を着て、髪とメイクも直した彼女は、爺と帰ろうとした。


青い絞りの夏の着物は涼しげで、黄色の半帯が若さを引き立たせていた。足元の草履にレースの足袋。


この夏の和装に大変喜んだ義堂だったが、まだミッションが残っていた。



「さてさて。さすがに夏山集団も諦めて帰った事でしょう」


廊下に顔を出しキョロキョロした義堂は、男性にぶつかってよろけてしまった。



「す、すいません。大丈夫ですか」



「いやはや。私の不注意で」


「爺!大丈夫?」


「あ?小花ちゃん……どうしたの、その恰好」


義堂を起こした風間は、着物姿の小花に、目を見開いた。


「風間さん?こ、これは。成人式のお写真を」


「うわ?綺麗だね……。ねえ。写真を撮らせてよ」


「うぬは風間の子倅か?成りませぬ!ささ参りましょう」


義堂に手を取られた小花は、急ぎエレベーターへ向かった。



「ややや?小花嬢ではありませんか」


そこには中央第二の渡軍団が立っていた。


「そのお姿は……まさか見合いとか?」


「いいえ。あの成人式」


「鈴子様!大変です。風間の子倅が姫野と慎也様とこちらに向かっております!」


「ええ?あの、渡さん。どうか私を隠して!」


その時、チーンとエレベーターが来た。



「よし。皆の者。お嬢を隠すんだ!」


「おう!」


中央第二の社員達は、小花と爺をぐるりと囲み、エレベーターに乗り込んだ。


「ちょっと!小花ちゃん」


「小花。いるのか?」


風間と姫野の声がしたが、渡は黙って閉めるボタンを押した。



「一階でよろしいですか?」


「鈴子さま。爺の車は地下です。そのお着物姿ならば、正面玄関で隠れてお待ちくだされ」


「わかったわ。では一階で」


渡軍団は小花を隠したまま、一階のロビーにやってきた。


しかし渡軍団は多くの目を集めてしまっていた。



「かえってこれでは目立ちますね……。すみません。ここで解散をお願いします」


「御意です。おい野郎ども。散れ!」


「「「「はい!」」」」


まるで体育大学の演技の集団行動のように、彼らは散って行った。


そして小花は慌てて柱の陰に隠れ義堂の車を待っていたが、そこに姫野と慎也が近付いてきた。




「一体誰だよ、その女」


「派遣社員ですので。社長には一切、関係ありません。興味を持たないでください」


「別にいいじゃないか。でもさ。着物姿って事は、お見合いとかじゃないのか」


「見合い……。いや、ありえません」


「お前や風間の姿を見て、逃げたんだろう?やっぱりそうだよ」


「今、電話で確認します」


この様子をみていた小花はあわてて帯に入れたあったスマホを取り出した。



「……電源が入っていない。充電切れか?」


「ほらみろ!お見合いしてから切ってたんだよ?」


「社長!少し黙っていただけますか?」


顎に手を当てて考え込んでいる姫野に冷や汗の彼女は、彼らが消えるのを待っていた。



「社長。車がきましたよー」


玄関から聞こえた風間の声に、ホッとした彼女は彼らが車に乗り込むのを確認した。


安心した小花は、自動ドアの向こうに到着した爺の車へ歩みを進めた。




「爺……。どうしてこの車で来たの?」


「いつものクラウンに乗ろうとしたらバッテリーが上がっておりまして。止むなくこれで参った次第で……」



プリンセスホテルの玄関には、黄色いボディに『山岳パトロール』と書かれた大型四輪駆動車が停まっていた。



「どうやって、乗ろうかしら」


もたもたしている彼女に義堂は車を下りてきた。


「お待ちください。爺が四つん這いになって馬になりますので、よじ登って」


「……お嬢さん。その着物姿で、その車は無理ではありませんか?」


「……その声!まさか……?」


彼女の両肩をつかみ頭上からこぼれた聞きなれた声に、彼女はゆっくりと振り返った。



「なぜ逃げる?」


彼はものすごく怒った顔をしていた。



「あの。その……別に逃げていませんわ」


姫野は彼女の片手をつかんだまま義堂を睨んだ。


「ねえ。小花ちゃん。このおじいさん、だあれ?」


義堂の背後から風間がひょいと顔を出した。


「風間の子倅?それに憎っくき姫野岳人。なぜここに……」




姫野と義堂がにらみ合う中。首をかしげていた風間に、彼女も首をかしげた。


「お二人とも、社長の車に乗りませんでしたか?」


「アハハ。俺達、後部座席に乗る振りして、向こうのドアから降りたんだよ」


「ええ?どうしてそんな事を?」


「それはこっちのセリフだろう!」


姫野は小花のおでこを指でつんと押した。



するとクラクションが響いてきた。


「その山岳パトロールの車は邪魔になっていますね?」


「くそう。ハイスペックイケメン、姫野岳人め……」



「失礼ですが、彼女はその車に乗れませんので、私どもがお送りします。さ」


姫野が彼女の肩を抱こうとした時、小花は爺に駆け寄り、彼に抱きついた。



「……爺。いつもありがとう。私……本当に嬉しかった」


「お嬢様……」


「いつも自分の事よりも私のような者を思ってくれて……。私は何もしてあげられないのに。本当にありがとう。大好きよ、義堂」


「何を涙など……。爺にとって鈴子さまの幸せが、一番の幸せですじゃ。ほれ、晴れの日ですぞ?さあ……行きなされ」


義堂は彼女をそっと離すと、姫野に向かった。




「姫野岳人殿……。貴殿に、鈴子お嬢様をお預けします。どうか……どうか。よろしく……」


そういって頭を下げると、義堂は車に乗り込みホテルを去って行った。


「義堂……」


「俺達も帰るぞ。さあ」


彼女は姫野に手を取られ、風間の車に乗り込んだ。



「そうか。成人式の写真を」


「はい。義堂は両親の代わりに用意をしてくれたんです」


「でも。逃げることないじゃん」


「社長さんがいらしたので。悪目立ちしたくなかったもので」


すっかり元気を無くした彼女に、姫野は心が痛んだ。



「風間。今は何時だ」


「ええと。四時すぎです」


「小花は、食事は?」


「朝、バナナを食べただけです」


「そうか……風間のこの後の予定は」


「特にないですけど」



「じゃ少し付き合え。まずは食事だ」


「オーケーです!」


風間の御勧めで札幌円山にあるお洒落なレストランに入った三人は軽食を食べた。


デザートのあんみつが出てきた頃、ようやく彼女に元気が出て来た。



「ゆっくり食べろ。あのな。風間」


小花が食べている間、二人はなにやら相談していた。


そして店を後にした彼らは、札幌の街中にある小高い山の公園『旭山公園』にやってきた。




「まあ。もうすぐ日没ですね。この夕陽を見に?」


「いや。まだもう少しだ」


「そうですね」


札幌の街を一望できる公園。


眼下に噴水を見ながら三人は、ベンチに座りながらこの輝くオレンジの景色を眺めていた。



「しかし。小花ちゃん着物似合うね」


「ありがとうございます」


「成人式か。風間の時はどうだった?」


「俺は飲み会に行ったことしか憶えてないです」


「わあ?私も二十歳になったら御酒が飲めるんですわね」


顔の前で手を合わせて喜ぶ彼女に、隣に座っていた姫野は肩をそっとぶつけた。


「……それはあれだ。先程の義堂という人と飲んだらいい。きっと喜ぶぞ?」


うんと彼女は頷いた。



「それよりも先程から人が沢山来ますけど。今夜何かあるのでしょうか」


「風間、今は?」


「はい。始まります」





 ヒューーーー―ーー。パ―――――ンと音がして。



「わあ!これは」


彼らの目下の札幌の夜の街に、花が咲きだした。


ドーンドーンで遠くで上がる花火に、彼女は手を叩いた。




「綺麗……私、花火を上から見たの初めてです!」


「よいしょ。と俺も横で見ようっと」


彼女を真ん中にし、三人で花火をじっと見ていた。




「小花ちゃん。俺の出張の時、っていうか。いつも励ましてくれてありがとう」


「何をおっしゃるの?頑張ったのは風間さんですもの」


「君がいないと俺はとっくに会社を辞めているよ」


「そうだったな。あの時、小花は風間をかばって俺を『人でなし』って言ったもんな」


「ププププ」


「姫野さんだって。顔を出すなって言ったり、今すぐ来いって言ったりしましたわ」


「お前あの時、顔を隠してきたよな?」


「ププププ」


「だって。それしか方法……」


すると姫野が彼女の手をそっとつかんだ。


「ありがとうな。いつも」


今度はもう片方の手を風間がぎゅうとつかんだ。


「うん。俺からもありがとう」


「姫野さん。風間さん。私こそ……ありがとうございます」






三人は手をつないでずっと花火を見ていた。


夏の繁華街の美しい灯り。


このロマンティックな夜の空間にライトアップされた噴水が彼らの心を揺らしていた。


彼らの頬をくすぐる風は、夏の匂いがしていた。



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