5話 あいつがライバル

「バッカもん!お前は、『お嬢様』も書けんのか!」


「先生。私、ちゃんと書きました」


「良く見ろ」


「合っていますけど」


夜の教室。小花は返されたテストの答案に自信を持って答えた。しかし、教師に山下は意地悪な顔で見下ろした。


「お前の書いたのは五穀豊穣の穣だ。女はどこに行ったんだ?」

     

「プププ」


小花の隣の席。笑う金髪少年に山下はギロリと睨んだ。


「京極。お前だって笑えないぞ。この答えは何だ?」

 



(1)次の □ に漢字を入れて、四字熟語を作りなさい。



    □ 肉 □ 食



「ちょっと待ってよ先生。俺のこれ合ってるっしょ」


「何が『焼肉定食』だ。腹が減っていたのか?」


「フフッフ」


口に手を当て笑う同級生の彼女。京極がムキになった彼女のテストを奪った。


「くそ。小花は何て書いたんだよ」


「やめて?見ないで」


「うるせ!どれどれ。『暴肉暴食』?これの方がヤバいだろ」


「もう!返して下さい!」


今日も居残りの二人は山下にお説教されていた。熱血教師の答え合わせ。二人はうざそうに話を聞いていた。


「でも先生。この社会の答えなんすけど。俺、漢字わかんねえから平仮名で書いたんすよ。なのに正解なのにバツってさ。平仮名も立派な日本語だぜ?」


このクレームに山下と小花は問題の箇所を探した。


「どれどれ……ああ。お前『中臣鎌足なかとみのかまたり』って書いたつもりだったんだな」


「見てください。あら?フフフ」


「何がおかしんだよ、小花!」


恥ずかしそうな京極。小花は自分のテストで顔を隠し、目だけ出して笑った。


「京極君。それ『なかとみのかたまり』って書いてありますわ」


「『かたまり』?やべホントだ」


しかし。山下は眉間にシワを寄せた。


「人の事を笑えないぞ。小花、お前の一次関数の問題は、ひどすぎるぞ」


「……だって。足せませんもの」


「なに?」


目をまばたさせる彼女は正直に話した。


「数字と文字は足せません!違うものですよ」


「もういい!わかった。二人とも言い訳はここまでだ。いいか、勉強とはな、社会に出た時……」


こうして10分程度のくどい説教を聞いた小花と左官屋に勤務している金髪の京極は、教科書を書き写せの返事が待っていた。そしてそのありがたい言葉に、二人でペンを進めていた。


「小花はあと何ページだ?」


「3ページです。京極君は?」


「俺は……くそ。あと4ページだ。負けねえぞ……」


「私だって」


しかし。今夜も同じ時間に勉強を終えた二人は一緒に玄関まで来た。


「で。小花はどうだ?今の職場」


「うん。みんな親切よ」


「そうか。俺も今の現場は家に近いから、楽だぜ」


玄関から歩く二人。夜空の下、彼は駐輪しておいたバイクの背に手を置いた。


「それならお家の方も安心ね」


「おお。じゃあな、また明日」


いつものように別れの挨拶をして小花が駅の方の左手に歩き出すと、京極は右手に出た。


小花の背後では、バイク音が遠ざかって行くはずだった。






ドン。


ガチャーン!




大きな音がした。小花は振り向いて、その光景に走り出していた。


「京極君!しっかりして?」


ぶつかった車からは、男性が降りて来た。


「君、大丈夫?」


「……救急車を呼んでください!早く!京極君!京極君……」


夜の札幌の街。サイレン音が響いた。





救急車で運ばれたのは、学校の近くにあった救急鉄道病院。小花は廊下で待っていた。この場に医師がやってきた。


「ご家族の方ですか?」


「いいえ。でも連絡したのでもうすぐ来ます。あの、先生、京極君は?」


「頭を強く打っているので、緊急手術が必要なんですが、今夜は他の手術もあって今、薬待ちなんですよ」

「薬を待っているっていうのは。夏山愛生堂から来るのを待っているってことですか」


早い話に医師はそうだとうなづいた。


「もしかして関係者ですか?夏山さんは他の病院に配達に出ていて、すぐにはここに来れないって言うんですよ」


「……先生。そこは私の勤務先なんです。今すぐお薬を取って来ますわ」


すると奥から看護師がやってきた。


「先生。次の患者が見えています」


「だが、医薬品だから……君には」


躊躇する医師。小花は自分の荷物を支度して立ち上がった。


「先生。小花が行くと言っておいて下さい。必ず持ってきますので」


「先生。患者が」


時間がない医師はここで決めた。


「……わかった!こっちも人出が足りないんだ。それについでに他の患者の分もお願いさせてもらうよ。君、この人は夏山愛生堂の関係者だから、話を聞いてやってくれ」


小花は看護師に名前を告げ、これから取りに行く事を夏山愛生堂に伝えてくれと頼んだ。


「確かに直線距離だとすぐだけど。夜だから気を付けてね」


「はい!」



とにかく小花は外に飛び出した。




「あ?ガードマンさん!停まってー」


「はい?」


小花は自転車で病院周りをパトロールしていた初老の男性を呼び止めた。


「緊急で薬を取りに行くので、それ貸して下さい!」


「これで?ボロだよ」


「いいんです。必ずお返ししますから」


奪う様に乗ると、小花は東へ自転車を走らせた。




もう目の前の人が死ぬのは嫌だった。


血だらけだった京極の姿が母に重なった小花は、涙を拭いながら必死で自転車をこいだ。髪もスカートもメチャメチャであったが、何も気にしなかった。


途中、他所の会社の駐車場を突き抜けた彼女は、夜道を三分で夏山愛生堂に着いた。


「はあはあ。鉄道病院の薬を取りに来ました。小花すずです」

「あれ?清掃員さんじゃないか。はい、ここにサインして」


急いでサインをしている時、顔見知りの中央第二の社員は、申し訳なさそうにした。


「今夜はうちの豊平営業所が工事で休んでいるから、ここにたくさん要請があってね。俺も出られないんだ」


「いいんです!あの、薬は?」


「これだけど。持って行けるかい?」



軽いが、容器が少し大きく、自転車のかごには乗らない。この自転車には荷台が無かった。


「これは横にしても良いですか」


「いいけど。自転車には乗らないかな」


その時、小花は宿直室にあったガムテープを見つけた。


「私。膝に載せていますので、容器をこのテープで私の腰に巻きつけてください」


「ええ?身体に巻きつけるの?」


「いいから!早く!」


こうして小花は、お腹に容器をくくりつけて、鉄道病院に戻ってきた。自転車は疾走するように到着した。




「薬を持ってきました!」


「……さすがに早かったわ。先生!薬が到着しましたので、手術室開けますよ」


はあ。と床にへたりこんだ小花は、待合室で待っていた。彼の家族を待っているはずがいつの間にか寝てしまった。





「……おい。小花!小花!」


「へ?」


「アラーム止めろ!俺は動けないんだぞ」


「バッグは……」


二度寝を決めこもうとする彼女に、彼はタオルを投げつけた。


「起きろ!お前、仕事じゃないのかよ」


すると、彼女は目をこすりながら身体を起こした。


「ここは」


ベッドに横たわる京極は頭に包帯を巻いていた。


「俺の病室。お前が待合室で寝ていたからさ。俺の親父がそこに寝かせてくれたんだ」


四人部屋。今は京極しか使用しておらず小花は京極の隣にあった長椅子に寝かされていた。


「さっきまで皆いたんだけど。俺が大した事ないって分かったんで、一旦、家に帰ったんだ」


「大丈夫なの」


よく見れば顔色が悪い彼。しかし、笑みを見せた。


「心配かけて悪かったな。これ、頭はヒビが入っただけ。左腕は折れてた?ハハハ。くそ。これじゃ勉強できちまうじゃないかよ」


そう右手を振り、ニカと笑顔を見せた。


「……良かった。ほんとうに……」


ホッとした小花は、彼の布団にわっと泣き出した。


「そんなに泣くなよ。俺なんとも無かったんだからさ」


「京極君は知らないでしょうけど!ものすごいケガでした」



おいおい泣く小花。京極は優しくその頭を撫でた。


「ああ。あのぶつかり方で命が助かったのが不思議だって言われた。俺ってやっぱ。もってるよな」


「うううううう」


京極は優しく呟いた。


「お前……薬取りに行ってくれたんだってな。車よりも早いってどういう事?もう、そんなに泣くなよ……小花。俺の事なんかさ……」


ベッドに伏せて泣く小花の頭を優しくなでる京極の目にも、涙が光っていた。


「そ、それよりも小花。お前仕事じゃねえのかよ」


「あ」


この声にスマホで時刻を確認した彼女は髪をかきあげた、


「……そうでした?もう行かなくちゃ!」


「あのさ。お袋がお前の服に俺の血や、なんかテープみたいのが付いているって言ってさ。その服置いて行ったぞ。俺の服だけど、それ着て行けよ」


「そうですね。ちょっとお借りします」


早速トイレで着替えてみると、スリムな彼の服は、白いTシャツに黒いジャージのズボンで、小花が着てもサイズは問題なかった。


「オッケーです!京極君。仕事の帰りにまた来ますね」


「おう!行って来い」


こうして小花は、歩いて会社までやってきた。


「おはようございます。あ、昨日の」


「どうっだった?心配してたんだよ」


小花は宿直室の前で、昨日の当番の中央第二の社員と話をしていた。そこを姫野が通りかかった。


「おはよう」


二人は彼と挨拶を交わしたが、そのまま昨夜の話を続けていた。


「ガムテープ巻きつけて済まなかったね。痛くなかった?」


「全然平気でしたわ」


……巻き付けて?痛かった?


この時、廊下の隅に隠れた姫野の耳は研ぎ澄まされていた。



「でも。その服、夕べと違うでしょ?服は破れちゃったの?」


「血が付きましたので。彼の服を借りたんですよ」


……血が付き……彼の服……。


「大丈夫かい。良く寝てないみたいだけど」


寝てない……。


「大丈夫です。では仕事に参りますわ」


姫野の鼓動は収まらなかった。彼女に問えば早いのだが、答えが怖くて聞けなかった。




この日。


小花は疲れて力が入らなかったので、清掃作業は最小限に留め、吉田婆に甘えて立ち入り禁止の部屋で昼寝をした。


こうして仕事を終えた小花は、京極の待つ鉄道病院へ歩いて向かった。







「って。俺達、何をしているんですか、先輩?」


「うるさい!黙って後を追え」


会社のライトバンで尾行した二人は、鉄道病院に着いた。


「風間は車を停めて待て!俺は先に行く!」


「あ?先輩」


姫野は小花の後を追い、病院内へ入った。


彼女の乗ったエレベーターが停まった階を確認すると階段で登った姫野は、上がった息を整え、スパイのように廊下にいる彼女を影からみていた。


その時、小花の声がした病室を発見した姫野はその部屋の名札を見た。


「……京極優太。誰だこれは」


そっと覗くと、小花はベッドにいる金髪の男と談笑していた。


「やけに楽しそうに……」


「あの。もしかして。あんた加害者?」


金髪の若い女が、姫野の肩を叩いた。




「加害者?いや、俺はその」


「ちょっと!優太。この人?」


腕を掴まれた姫野は部屋の中の小花と京極と眼が合ってしまった。


「姫野さん。どうしてここに?」


「おい。それは事故の人じゃないぞ。小花の知り合いみたいだぜ、な?」


うんと小花は首を縦に振った。姫野は済ました顔で挨拶をした。


「お。おほん。仕事でここに来たら、小花をみかけたのでな。怪我でもしたのかと思って」


「そうですか。あの京極君。この方は私の仕事先の仲間の姫野さんですわ。姫野さん。こちらは私の同級生の京極君です」


「ちーす」


「ど、どうも」


その時、病室に看護師が入ってきた。


「あ。昨日の薬の件でね。隣の病室にいる人がどうしてもあなたに御礼を言いたいって待っているのよ。少しだけ一緒に来て?あ、あなたにも書類を書いてほしいの」


小花と金髪女は看護師と行ってしまったので、姫野は京極と二人きりになってしまった。


「交通事故か何かですか?」


「そ!学校を出た時に俺のバイクに車がぶつかって来てさ。小花が救急車呼んでくれたんだけど。この病院に薬がなかったみたいで、あいつが自分の会社に行って取って来てくれたんすよ」


「そうでしたか……。交通事故の怪我は後で痛みが出る事もあるから。良く診てもらった方がいいですよ」


京極の怪我を見る姫野。京極は片眉を上げた。


「フフフ。あのさ。あんただろう。小花に勉強を教えているのは」


「そうですが、なぜそれが」


「『一見冷たそうで、意地悪そうに見えますが、頭が良くて困った時はいつでも助けてくれる優しい方ですわ』っていつも言ってるからさ」


彼女の声真似をした京極に思わず彼は苦笑した。


「なかなか似てますね?」


「でしょう?あ、戻ってきた。由香里?この人が小花の先生だって。あ、こいつは俺の嫁さんです」


「さっきはすいませんでした」


「ご夫婦でしたか……」


姫野のほっとした顔を見て、京極は意地悪な笑みを浮かべた。



「ライバルなんだ。小花は」


「ライバル?」


「そ。俺、小花を見て今までの自分が恥ずかしくなったんだ。だから負けないように勉強しているんすよ」


やがて病室に小花が戻ってきた。


「京極君。この服は今度返しますわ」


「いいよ。いつでも。あーあ、それにしても暇だな」


「優太は勉強したら?作文残っているんでしょう」


妻の言葉に、彼は首を横に振った。


「俺、適当に書いたよ。提出したもん」


「嘘?私まだなのに。京極君!ずるい……自分だけ出すなんて」


「あれは今日までだぞ?あーあ。俺、知らねえぞ」


ズーンと沈む小花。この肩を姫野が優しく叩いた。


「小花。今からやれば間に合う。さあ、やるぞ!」

 

「今から?はあ、みなさん。御機嫌よう……」



この後、姫野は風間に迎えに来てもらい、三人でファミレスに入った。姫野は彼女に作文を書かせた。



「違う。その漢字は間違いだ。『ぞうきんガールの主人公は、実はお穣様ですが』の、お穣様が違うだろう。正しくは女へんだ」


「どうして間違ってしまうのかしら……」


「いいから。二人とも早くして下さいよ。俺、早く帰りたい……」


呆れる風間。姫野は必死に勉強させていた。


「待て、あと三行だから!ああ、これはもう字数を稼ぐしかないぞ。『オフィスのクリーン作業をしているチャーミングな彼女は、誰とでもコミュニケーションを深め、スーパークールビズDAYでは、社員のワードロープをコーディネートした』、いや?これは『しました』にしてくれ。『その結果、彼らのモチベーションが上がり』……」


「『……上がり』、の次は?何と書けばよろしいの?」


ペンを止めた小花は姫野を見つめた。考え込み俯く姫野。その時、彼が口を開いた。


「『みんなハッピーになりました』!っていいでしょ……」


テーブルに顎をのせていた風間の言葉を、小花は急いで書いた。



「『……ハッピーになりました。』よし。できましたわ!ありがとうございます。やった!締め切りに間に合ったのは久しぶりだわ?」


作文用紙を抱きしめた彼女の微笑みに、姫野と風間は目を合わせた。そして乾杯するかのようにコーヒーを飲んだ。窓の外は繁華街。しかし三人のテーブルも眩しかった。


つづく

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