4話 アサッテNO.1

「そこ!今のは知子さんが取る球よ」


「はい!」


「次、行くわよ。そおれ!」


襲ってきた猪熊の強烈アタック。小花は必死で目を開いた。


「はいっ!あ?」


しかし。レシーブしたボールは、コートの外に飛んで行った。


「すみません!」


「以前のように避けるよりはいいわ。次!」


夜八時の中学校の体育館には中島公園一丁目に住む健康な女子が強制的に集められていた。ここで猪熊は額の汗を手で拭った。


「休憩よ!みんな水分を取りましょう」


日常の仕事や家事の後のこの練習に疲れた女子達は、体育館のステージの上に置いた自分の飲み物を飲んだ。疲労困憊で話もできない彼女達に猪熊は腰に手を当てた。


「みんな。もうすぐ男子高校のバレー部員が来てくれるから紅白戦をやるわよ。私の考えたフォーメンションでやってみましょうね」


ボスの命令。一同は大きく返事をした。猪熊はドカと床に座りながら話した。



「そしてさ。もっと声を出して行きましょう。誰がボールを取るか、積極的に声を掛けて行きましょう」


大きく返事をした疲労女子であった。やがて被害者の一人である男子高校生達が数人シューズを片手にやってきた。


「ちわーす……」


練習帰りなのだろうか、ドスと体育館の床に置いたバックは重そうだった。これに猪熊は手を叩き始め出した。


「ではみなさん。絶対に怪我をしないように。円陣組むわよ」


差し出した猪熊のグローブのような手。選ばれし八人の女子は家事で鍛えた手を重ねた。


「中島公園一丁目―。フャイト……」

「おーーー!」


掛け声時に、どんと足踏みも加えて、九人はコートに整列した。





「サーブ来るよ。小花ちゃん、よろしく!」


「はい」


前列にいた彼女はネット際で待機した。男子のサーブが来た。小花は目でボールを追いながら掛け声をかけた。


「……来ましたよ…大古おおこさん……久美さん……」


ベテラン大古が受けたレシーブはセッターの久美へと上がった。彼女は猪熊にトスを上げた。


「それっ」


今回のルールではアタックは禁止。猪熊は男子高校生のお見合いを誘う箇所に巧妙にボールを落とし、これが決まった。


「やった!」


「すげえ?これが猪熊落としかよ……」


男子高校生はその技の完成度に首を振ったが、猪熊の指示でまたゆるいサーブを放った。


「……サーブ、来たよわ」


「来ました!素子さん……久美さんに返して……猪熊さんです」


そして久美の上げたトスで、またしても『猪熊落とし』がさく裂した。


「やった!」


八人は猪熊に集まり、ハイタッチをした。


「……ちょっと待って?あのね。小花ちゃん……」


「なんでしょうか?」


長身の知子が、小花に尋ねた。




「あなたやる気あるの?」


脇にボールを挟んだ知子は、さっきから指示を出している彼女を見下ろした。小花はキョトンとした顔をしていた。ここに猪熊が間に入った。


「ああ。いいのいいの知子さん。この娘には無理だから。私がそう決めたの」


猪熊の顔をみて小花はうんと頷いた。


「私も一員ですので。自分に来たボールはなんとか繋ぎますが、下手な私が関わらない方がチームの為だと思いますので」


「そう言う事ならいいわ。でもね?ミスでもいいから遠慮しないね」


「はい」


勝ち優先の知子の笑みに、小花は思わず手をグーにした。

こうした練習中。ローテーションで後方のポジションになった小花の所にサーブが飛んで来た。


「はっ!」


構えていた小花は、ちゅうちょせず、ボールをすっと避けた。するとピ!と笛が鳴った。



「アウト!」


「やったわ!」


ラインズマンの上げた旗に、九人の選手は歓喜を上げた。




「小花ちゃん。ナイスジャッジ!」


「良いポジション取りだったじゃないの」


「ウフフ。やりましたわ!」


この会話で、小花が最初からアウトになる所に立っていた事を男子高生は知った。下手くそを逆手に取った作戦。男子高生は嘘だろうと天を仰いだ。

この調子の練習であったが。明日の筋肉痛が怖いためこの夜はこれでお開きとなった。



帰り道。皆が自転車で帰る中、小花と猪熊は歩いて外灯の下を歩いていた。



「痛っ」


「あら?お膝ですか」


先まで平気な顔してバレーをしていた猪熊は急に足を引き摺り出した。


「ああ。今日は少し無理をしちゃったかな。でも明日は試合に備えて膝にヒアルロン酸を注射してもらうから心配しないで」


「まあ。そんなにお悪いのですか」


心配そうな小花。これを猪熊は嬉しそうにした。


「アハハ。昔の古傷もあるけど。体重が重いせいもあるしね」


そういって猪熊は肩をぐるりと回した。


「問題なのはこっちの肩よ。全く六十歳なのに五十肩ってさ。嬉しくないし」


満身創痍の彼女を、小花は気の毒そうに見つめた。


「膝も肩も痛いなんて……。あの、腰は?」


「そっちは大丈夫だよ!それにさ。私は好きでバレーをしているんだから」


猪熊は夏の空を見上げた。


「あんたにも明後日、頑張ってもらうよ。私は絶対勝ちたいんだから」


「もちろんですわ。やるからにはナンバーワンを目指しましょう!」


おうと腕を上げて、二人は解散した。





翌朝。小花は青あざだらけの腕を姫野に心配されたが、これを何とかスルーして、小花は本番の試合を迎えた。体育館には地元の住民が集結していた。整列した選手の前。町内会長が前に出た。


「えーそれでは。中島公園町内会ゴルフ大会……」


会長のしくじりに整列の選手達はアハハと笑った。


「すいません!ともかく始めます。まずは準備運動です」


するとママさんバレーのベテラン選手達が、前に並び体操を始めた。


「それでは!まず足首を回します……そして今度は反対回り……」


小花が見渡すと、反対回りが出来ていない人が多くいたが、準備運動は続いて行った。ベテラン選手は慣れた様子でサクサクと進めていった。


「次は……床に座り、足を閉じて伸ばし、つま先を掴もうとしましょう」


痛い、とか、無理という声が響く体育館。さらに準備運動だけでもうダメという弱気な発言が多い中。にわか選手達の準備運動はこうしてゆるゆると進んで行った。






「……以上です。後は各自で責任を持って行ってください」


ささやかな準備運動が終ったので、小花は一丁目の控室であるブルーシートの所で足首にあったサポーターを膝まで引き上げていた。そこへ猪熊がやってきた。


「みんな。私達は第二試合よ。私は審判が入っているから、皆はそれまで各自ストレッチをしていてちょうだい」


小花はせっかく上げたサポーターをまた足首に戻し、選手とお喋りをして本番を待った。




やがて始まった試合。スロースターターと言い訳しながら何とか勝った一丁目は、二試合目も若さが目立つ寄せ集めチームに難なく勝利した。


そしていよいよ午後。優勝候補との一戦となった。



「ねえ。小花ちゃんのスマホじゃないの、さっきから鳴っているのは」


「まあ……もしもし」


表示には姫野とあった。試合前の小花は電話に出た。


『おい。今はどこにいるんだ』


「中島公園中学校の体育館ですわ」


『わかった』


彼はそう言うと電話を切った。


「小花ちゃん!試合始まるよ」


「は、はい!」


彼女はスマホをバックにしまい、決選のコートへ進んだ。




「これより、一丁目と四丁目の試合を開始します!」 


審判のピという笛の音。コートの端に並んでいた一同は礼をした。そして猪熊を送り出した。


「猪熊さん。ファイトです!」


「しっかり!」


八人の仲間の声援を受けて、猪熊は一人ネットへどすどすと進んだ。



「……じゃんけんっしょ!うわ?また勝ったわ!」



悔しそうな相手キャプテンと相反し、猪熊は高らかに拳を上げた。これを大古が拍手した。


「すごい!これで全試合連続サーブ権獲得よ」


こんな事で興奮する八人に首を振った猪熊は、みんなを集合させ円陣を組んだ。


「いい?分かっていると思うけど、この試合が全てよ」


「はい!」


「全力でいきましょう。いい?中島公園一丁目――――。ファイ!」


「おう!」


どんと足踏みを加えて、各自ポジションに付いた。





「そおれ!」


チーム一の怪力。樹里選手の弾丸サーブはラインをかるくオーバーしてしまった。


「ごめん!」


「どんまい!どんまい!コートがちょっと狭すぎなのよ」


仲間の励ましに、彼女は頷いた。



「そおれ!」


この大会は親睦が目的なので、競技は緩やかだ。アタックやブロックは禁止。サーブもアンダーサーブしかできないルールである。しかし、敵もルールギリギリのサーブを送ってきた。


「……樹里さん、久美さん……」


小花の声。樹里は的確にレシーブをし、セッターの久美に返した。



「……猪熊さん!」


「とりゃ!」


猪熊がトスで相手コートに鋭く返したボール。決まったと思った瞬間。向こうのレシーバーは回転レシーブで拾い、会場からは拍手が湧き上がった。



「……ちっきしょう!今のが決まらないとは」


猪熊はそう言っている内に、一丁目にボールが返って来た。



「……うわ。私?」


意表を突かれた小花だったが、緩やかなボールであったので、咄嗟にコートの真ん中にボールを上げた。久美はそれをトスし、猪熊に上げた。


「とおっ」


しかし。これもまた拾われた。だが返そうとしたボールは低くネットに当たり、得点は一丁目に付いた。リードはしているが。チームには不安の色が翳った。


「……やばいな。これ、完全に小花ちゃん狙いだよ」


「ええ?私ですか」


「想定はしていたけど。さあ、次は誰のサーブ?」


はいと手を上げて、おさげ髪の素子がラインに立った。審判のピの笛の音に、素子はサーブを放った。



「そおれ!」


相手のセッターを狙ったサーブは策通り。こちらのコートにボールを返すのやっとだった。ゆるいボールは余裕でレシーブした。


「チャンスボール!」


ルールでは三人でボールを回して返すというもの。アタックは禁止なので、猪熊はぐっとこらえて、強めのトスで返し、決まった。




こうして進んだ試合。一セット目は取ったが、二セット目は負けていた。



「はあ、はあ。得失点差になったら、やばいかも」


「そうね。まずはこのセットも取らないと。はあ、はあ」


日頃運動をしていない中年女性の真夏の三試合目は疲労のピークだった。飲んでも飲んでも目の前に霞がある絶対状況。彼女達に最大のピンチが訪れていた。

しかし、この時、痺れるような声がした。



「小花!タイムアウトだ」


「え?」


彼女が振り向くといつの間にかベンチにはジャージ姿の姫野が座っていた。意識が朦朧としていた猪熊はこの指示にうなづいた。


「そうだ?一回くらいは取りましょうか」


キャプテンの猪熊はタイムアウトを取った。ベンチに戻ってきた八人の中年女性は、イケメンの姫野に驚いた。完全に部外者の彼は、みんなに飲み物を配ってくれた。姫野は静かに挨拶をした。


「皆さん。恐れ入ります。私は小花の仕事仲間の姫野と申します。本日は図々しくも応援に来てしまい申し訳ありません」


「……小花ちゃんの仕事仲間?」


「そうです。でも姫野さん、どうしてここに?」


首を傾げて汗を拭く小花。姫野は何を言っているんだと首を横に振った。


「どうしてって。お前が頑張っているんだから同僚として応援するのは当然だろう?ではキャプテン。作戦をどうぞ」


姫野に背を押された猪熊は、みんなに向かった。


「小花ちゃんが狙われているからさ。みんなでカバーするよ」


「はい!」


「あと。小花ちゃんも。ミスしてもいいから、思い切ってプレイしてね」


「はい!」


こうして九人の女戦士達はコートに立った。




やがて試合は進み、またしても小花が狙われた。が、さすがの彼女もバレーに慣れてきたこともあり必死にセッター久美に返し、これを樹里が向こうの選手の体を狙って返した。向こう何とか繋いでいたが、久美が叫んだ。



「あ?今のラインクロス!出た出た出た出た!!」


相手チームの選手がネット際のボールを上げた後、真ん中の線を踏み越えたのを久美は見逃さなかった。


久美の迫力ある抗議が主審に認められ、サーブ権は中島公園一丁目になった。






「小花ちゃん。思いっきりね」


「はい!」


向こうはマッチポイント。点差は三点差で負けていたので、このサーブをミスすると向こうの勝ちだった。緊張のサーブ。小花は集中した。ピ!という審判の笛で小花はアンダ―サーブを放った。



「そおれ!」


試合を重ねた彼女の非力サーブ。低い放物線を描き、ネットをギリギリ超え、その際にストーンと落ちた。


ピ!という笛の音に、相手コートは、あああと落胆の声を漏らした。


「やった!サービスエースだわ」


輪になって喜ぶ九人だが、彼女はまたサーブを打たなければならなかった。緊張はまだ続いていた。



「小花!思い切り行け」


ピ!と審判は笛を鳴らした。皆の声援に応えたいが、彼女は先程のサーブで腕が半端ない痛みであった。


しかし、ボールをコートに届けなければならないという使命感で、力いっぱいサーブを打った。



「そおれ!」


彼女の放ったボールは勢いで体育館に高く高く上がった。敵コートのレシーバーはオーライと身構えた。


「オーケーです……あ?眩しい!」


その着地点にいたレシーバーは照明で目がくらみ、尻もちを突いた。コートに落ちたボールに笛が鳴った。審判は一丁目に手を上げた。





「きゃあ!すごいじゃない!?天井サーブよあれ」


八人は小花にハイタッチをしたが、彼女の腕は限界に近かった。これをベンチの姫野は見ていた。



「小花!あと一本だ!頑張れ。湿布はたくさんあるから」


「姫野さん……」


彼の声に覚悟を決めた彼女は笛の音を聞き、渾身の力を込めてボールを打った。小花の放ったサーブはゆるーくネットを越えて行った。


「私に任せて!……あれ?」


コートに入った小花の放ったふわとしたボールは、レシーバーの構えをあざ笑うかのように、ゆらゆらと動き、コートに落ちた。


「くそ!」


倒れたレシーバーは悔しそうに拳をコートに叩きつけた。



「きゃあ!すごい!?無回転サーブ!?これで一気に同点よ」


歓喜を上げるチームメイトに囲まれた小花だったが、安心感でほっとしていた。



「よくやったわ、小花ちゃん、あ、痛っ?」


「大丈夫ですか?猪熊さん!!」


「……いいの!私はコートの中では平気なんだから!それよりもサーブよ」



一人のサーブは三回まで。ここでローテーションを回してサーバーは、知子になった。小花の熱いプレイ。猪熊の激闘。ここで知子は燃えた。


「そおれ!」


知子の絶妙なサーブは今ミスした選手を襲った。しかし、向こうのキャプテンがこれを庇うように突っ込みレシーブした。相手は、やはり小花を狙ってボールを返してきた。



「どいて!」


小花だけに苦労をさせられないと言わんばかり。樹里は彼女を突き飛ばしレシーブした。このレシーブは瞬時に久美に飛んできた。


「Aで!」


久美が上げた短くて早いトス。上がっているボールに合わせて猪熊は相手チームにトスで押した。点が1丁目に入った。


「やった!猪熊さん、ナイスです!」


「まだだよ。ここからさ」


こうして迎えた一丁目のマッチポイント。大古の怪しいサーブは、レシーブを乱れさせ、向こうは返すだけで必死だった。小花はボールを追い、声を出した。


「チャンスボール!……猪熊さん……久美さん……」


「素子!」


左端にいた素子は、ネットの中央にいた久美が体を反らせて上げた右端へのトスに素早く反応し、走り込みながらなんとかトスで相手コートにボールを落とした。





ピ!ピ―――――!


「試合終了。勝者。中島公園一丁目!」


「きゃーー!やったわ」


彼女達は輪になって飛んで喜んだ。ボロボロの女戦士達は、汗で髪もメイクも乱しながら笑顔を見せた。それを見ていたベンチにいた姫野は、九人の女子に拍手を送った。




「いやー。まさか勝てるとはね」


体育館の外。シューズの紐を緩めていた樹里は、そうって足を投げ出した。


「あのサーブすごかったね。小花ちゃん、って……何、彼に甘えてんのよ?」


小花の腕に姫野が湿布を巻いている様子を見て、熟女達の動きが止まった。



「あ?俺達の事はどうぞ気にしないで下さい。もし良ければこのサンプルが沢山のあるので使って下さい」



涼しい顔の姫野はそういって、ブルーシートの上に持って来たシップのサンプルを広げた。買えば高い品。戦いで傷ついた戦士達は少しでも楽になりたいと手に取った。


「へえ。これ使ってみようかな。猪熊さんもこの湿布もらったら?」


「私は五十肩だしね。そんなの効かないよ……」


小花に湿布を貼り気が済んだ姫野は、猪熊の身体をしみじみ見た。



「なんだい?じろじろ見て」


「いいえ。五十肩だと一般的に腕が上がらないはずですが」


「そうなんだよ。医者もおかしいって」


「先程の試合も。軽々とトスを上げていましたよね……もしよろしければ、肩に詳しい先生を紹介しますか?」


姫野はそういうとサンプルの湿布のパッケージに、病院の名前と連絡先と姫野の名前を太い油性マジックで大きく書いて渡した。


「これをどうぞ。名刺がわりに」


「いやー助かるわ!このくらい大きくはっきりを書いてくれると」


「恐縮です。それに病院に電話する時は、私の紹介と言ってください。初診でも予約できますから」


すると他の女性達も姫野に質問をし出した。



「私。耳鳴りがするのだけど。耳鼻科に行っても分からないのよ」


「高血圧や、更年期からくるホルモンバランスの乱れ。あるいは自立神経の乱れもあるので。耳鳴りの専門家を紹介します」


「あのね。私。夜、足がつるんだけど」


「更年期の症状かもしれませんね。婦人科に行ってください」


こうして次々と質問攻めにあった彼は、出来る限りの応対をした。




「そろそろ。表彰式か……ん?小花は」


姫野の背後。ブルーシートに座っていた小花は壁に背持たれて眠っていた。

主婦達は最年少選手の寝顔を見ていた。


「疲れちゃったのかしら」


すると姫野は彼女をそっと抱き横に眠らせ、大きなタオルを彼女に掛けた。


「……彼女は普段は仕事をしていますが、夜は定時制の高校に通っているので。疲れが出たんでしょう」


「そうだったの。帰りが遅い日があるのは知っていたけれど」


「ご両親を亡くして。今度はお婆さんが施設に入って一人だものね……」


知子と樹里の声。しんみりした空気だったが、姫野の笑顔で一掃した。



「でも。今日の試合を楽しみだって言っていましたよ。ナンバーワンを目指すんだって」


「バカね……何を言っているのよ……こんなにボロボロになってさ」


「そうよ。嘘をついてバレーをやらない人もいるのにさ」


そんな仲間に猪熊はさあと立ち上がった。


「……行こうか。表彰式。小花ちゃんはそのまま寝かせてあげようよ」


猪熊の声に一同は体育館へ向かった。姫野は優勝カップを受け取る様子を体育館の外から見ていた。




そして会が終了した時、小花は目を覚ました。


「……まあ。終ってしまったんですね」


「ああ。今は後片付けだ」


「私。モップを掛けて来ますわ」


よろよろと立ち上がる彼女を、姫野は支えた。


「いいから。お前はみんなの荷物を見ていろ。モップ掛けは俺がやるから」


そういって姫野は体育館へ行ってしまった。




「……小花ちゃん。お疲れ様」


「あ。猪熊さん。すみません!私、寝てしまったようで」


彼女は首を振った。


「いいんだよ。それよりもいい男じゃないか……あの姫野って男は」


「はい。いつも私の心配をしてくださる親切な方です」


二人はモップ掛けしている姫野を目で追った。



「あんな男はなかなかいないよ」


「そうです。私、尊敬しているんです。真面目でいつも一生けん命で……」


やれやれと猪熊は頭をかいた。そこへ仕事を終えた姫野が戻ってきた。




「今日は打ち上げがあるけど。アンタ達は帰りなさい」


「そうですか?よし。小花帰るぞ」


「はい。猪熊さん。皆さま。本日はありがとうございました。御先に失礼いたします」


会釈し姫野と帰る小花を、皆、目を細めて見送った。





「何かさ……ひさびさにラブラブカップルを見たよね」


「あーあ……。いいな」


ふうと八人は溜息を付いた。夕暮れの体育館。ノスタルジイな景色。各自。遠い昔を思い出していた。そこに久美が口を開いた。



「ほら。私達も早く帰って着替えてさ。旦那には千円渡してさ、居酒屋に集合しよ?」


「そうだね……。これは飲まずにはいられないっしょ」


「ちょっと?何泣いているの?猪熊さん」


若い二人を見送った猪熊は、真っ赤にした目をタオルで拭いていた。


「小花ちゃん……。いい子だから、幸せになって欲しいなって……」


樹里は猪熊の肩を抱いた。


「バカ……。何言ってるのよ?私まで涙が出ちゃうわよ……」


「よおーし!今夜も飲むぞー」


久美の掛け声に、おーと中島公園一丁目の女子バレーチームの雄叫びが夕焼けに響いた。








「家に着いたら風呂に入ってよくストレッチをするぞ。明日の筋肉痛予防だ」


駐車場までの道のり。黄昏の並木道。姫野は荷物を持ってやった。



「はい……。それにしても。せっかくのお休みでしたのに。私の応援でお疲れでしょう?」


「いやー。今日は疲れなかったさ。ベンチで見てただけだから」


先日のマラソンの並走で懲りた姫野は、小花を信用して見守ると決めたので、今回はわりと冷静に見ていられたのだった。


彼がどうぞと開いた助手席に、彼女はゆっくりと腰掛けた。



「何か食べて帰るか。ラーメンか?」


「……疲れ過ぎて食欲は無いです」


「そうか、早く帰ろうか」


ドアを閉めた彼は車の前を通り、運転席に乗り込んだ。


「姫野さん」


小花はシートベルトを締めていた姫野につぶやいた。


「なんだ」


「やっぱり、サザエの十勝おはぎが食べたい」


「……お任せ下さい。お嬢様?」


疲れ切った彼女の横顔にほほ笑んだ姫野は、彼女の求めに従って夕刻の札幌の街へ車を走らせた。夏の訪れを知らせるかのように、その花壇には向日葵が揺れていた。



つづく

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