第二章 爽やかな夏

1話 あぶないクールビズ


「なあ。どうしてみんなスーツなんだよ」


秘密のお昼寝の後。社長室に戻った社長の慎也は秘書の野口に訊ねた。


「一応、クールビズ期間ですが、何と言いますか。浸透していないというのが現状ですね」


「最近は北海道も暑いんだから、うちのそういうのが出来ないとダメだな……よし!」


「社長?」


慎也はいたずらに微笑んだ。





「……今週の金曜日は、『スーパークールビズDAY』ってなんですか、これ?松田さん」


月曜日の午後。社長直々による社内メールには、軽装の慣行とあった。


「多分。今の服装よりも、より軽装と言う意味じゃないですか?」


松田女史は冷たい答え。姫野は自分の服を見た。


「今でも十分軽装だと思うんだけどな」


彼は自身のシャツをつまんだ。しかし松田は首を横に振った。


「だって。そうやってネクタイをしてますしね。それにばっちりスーツを着ている昭和世代もいますしね。社長の目から見ればまだまだ物足りないんじゃないですか?」


「じゃあこれって。私服で良いって事ですか」


風間は鼻の下にペンを挟んだまま、松田を見た。


「そうね。いっそそのくらいカジュアルにした方が、普段と差があっていいかもしれないわね」


松田のアドバイスを受けた二人は、こうして会社を後にした。




「なあ。お前、金曜日は何を着てくる気だ?」


「そうですね。いつも休みの日に彼女とデートする時の恰好で行きますよ。じゃ俺はこれで」


こうしてこの夜、二人は退社した。





そして週末の金曜日。


夏山愛生堂では異常事態が起きていた。


「ゴルフ大会?」


そこではゴルフウェアに身を包んだ営業の社員達が、仕事をしていた。


「……中央第二営業所、恐るべし」


「プププ。私服っていうと。こうなっちゃうんだ……」


総務部の蘭と美紀は、笑いをこらえるのに必死だった。


「見なよ、美紀。渡部長、作務衣だよ?」


「確かに涼しいかもしれないけど、ここは会社だぜ?……腹筋が……死ぬ?」


ドアの陰に隠れながら、何とか密かに写真を撮った記録係りの二人は、今度は中央第一営業所に向かった。


「あー。まだあの作務衣と下駄が目に焼き付いている」


「良かったね。最初にこっちを見てさ。きっと風間さん達はまともだからさ。そっちに期待しようよ」


すると美紀は中央第一営業所のドアの前で、蘭を振りかえった。


「あのさ。ごめん、蘭、ドア開けてくれない?私おかしくて手がしびれて……」


「ばか。そんな事いうから私まで、おかしくて。手が、手が!?」


するとドアが中から開いた。



「あれ?どうしたの?」


「ウギャーー?」  


  


突然。中から風間がドアを開けたので、二人はびっくりして腰を抜かした。


「ごめん。声がしたからさ。ほら、手を貸すよ?」


「風間さん、その恰好って……」


ダボダボのズボン。明らかにサイズの大きなTシャツ。腰にはじゃらじゃらと音を立てるチェーン、頭には斜めにかぶったキャップ。


「どう?俺の普段着」


「どうって……」


立ち上がった蘭と美紀は中央第一営業所を見渡した。窓際。背を向けて立つ高身長の男性を発見した。


「あ、もしかして……姫野さん?」


「あ。おはよう」


振り向いた彼はチェックのシャツ。胸元からは白いTシャツが覗いていた。

それをベージュのチノパンの腰にキチンと入れていた。パンツにはポケットがたくさん付いていた。


「山男……」


「よくわかったな。これは登山の恰好なんだ。あ、部長おはようございます」


「おう!おはよう」


サングラスに赤いシャツ。上下は白いスーツで石原は決めていた。


「どうだ?松田。俺のコーディネートは」


「チンピラですね。立派な」


「バカ言え?スーパークールだろう?」


サングラスをパっと外した彼は、どかと椅子に座った。


「おい……肝心のビズはどうしたんじゃい?」


「靴も白い?うう苦しい?蘭、たすけて……息が、息が?」


「しっかりしろ美紀!あっちを見るなよ?あ、皆さん、写真を一枚お願いします」




こうして命がけで任務を果たした二人は、営業所を去って行った。


 


◇◇◇


「吉田さん。今日は会社で仮装大会でもあるんですか?」

「そんな話は聞いてないけどな。えーと社内メールを見ようか?」


立ち入り禁止のドアの向こうの二人は、休憩してお茶を飲んでいた。


「ええと。『本日のスーパークールビズは中止となりました。私服の社員は外出禁止。着替えを済ませた者は通常業務をして下さい』だって」


その時。内線が鳴った。


「はい。清掃係りです。まあ?それは大変ですわ。至急、参ります」


チンと受話器を置いた小花は、吉田婆に向かった。


「中央第二の方が、窓から書類を落としてしまったそうですが、外に拾いにいけないそうですので。私、行ってきます」

「……なんでまたそんな事を」


吉田婆のぼやきを聞く前に、小花はドアを飛び出していた。




外に出てようやく書類を拾い終えた小花は、窓からこちらを見る中央第二の男性社員に手を振り、社内へと戻ってきた。


「あ。君!ちょっと聞きたいのだけど」


第二営業所の前には男性がいた。シャツの胸には製薬会社のプレートが付いていた。取引先のメーカーだった。


「何でしょう?私は清掃員ですが」


「さっきからノックしているんだけど、中央第二に誰もいないみたいなんだよね」


小窓をみると、照明も消えていた。今まで窓から手を振っていたはずなのにおかしいと彼女は小首を傾げた。


「そうですか?ちょっとここでお待ちくださいませ」


小花はドアにそっと声をかけた。


「すみません。書類を拾った清掃員ですが、三京製薬さんがお見えですよ」


「……三京さん?なら、いいか」


やっとドアが開いた。中には社員が揃っていた。


「ごめんね。みんなこんな恰好だから隠れていたんだ。でも三京さんなら大丈夫だよ。あ。どうも、先日はお世話になりました!」


「なんですか?皆さん、ゴルフでもして来たんですか?」


「ハハハ。そんな所です、さあ、中へどうぞ。清掃員さん、ありがとうな?」


メーカーさんを部屋に入れ書類を受け取った中央第二の社員は、ドアを閉めるとガチャと施錠をした。


こうして騒がしい一日の最後。小花は中央第一営業所の清掃にやってきた。


「あら?姫野さんと風間さんは、お着替えをしたのですね」


「お着替えとかいうな!」


姫野は普段から必ず服を一着、会社に置いておく男だった。


スーパークールビズの中止を受け素早く着替えた彼は、得意先に行くついでに風間を彼の家へ連れて行き着替えさせたのだった。


「ねえ。小花ちゃん。俺の私服、そんなにおかしかった?ヒップホップだったんだよ」


「あれはヒップホップだったんですか?」


驚きで目を見開いた彼女に姫野は口角をあげた。



「先輩。笑っていますけど。先輩のあの恰好もそうとうヤバいですよ」


「何を言う?そんな事はないさ。なあ。小花」 


「……山歩きには最適ですね」


「ほら見ろ!」


「姫野係長。ここは山ではありませんよ」


松田女史の冷たい突っ込みに、風間は白い歯を見せた。


「あ。また社内メールが着た!『月曜日にスーパークールビズを再度実施します』だって。社長も懲りないわね」


「どうします?先輩、週末、服を買いに行きますか」


「そうだな。これからも実施するのなら、購入しておいて方が良さそうだな」


「……風間君は、彼女に見立ててもらえばいいんじゃないの?」


松田女史はそういって窓の施錠を確認した。


「そうですね!俺、明日、彼女とデートだから、頼んでみようっと」


「姫野係長も、誰かにお願いした方がいいですよ。じゃないと、また同じような悲劇になりますので」


姫野の背後にいた松田は、行け!と彼の背を突いた。

「……小花。お前、明日、時間あるか?」


「午前中は祖母のお見舞いなので」


これに松田がにっこり微笑んだ。


「まあ。じゃあ午後なら良いってことかしら?」


「美味しいソフトクリームを食べに連れて行ってやるぞ」


「参りますわ」


「あ、ずるい先輩!」


松田は良いじゃないの言わんばかりに風間の肩をポンと叩いた。


「これで問題解決っと。小花ちゃん。……後、よろしくね?お先です」


「はい!」

 

シングルマザーの松田女史は、早々と支度を整えて、帰って行った。




翌日の土曜日。


二人は狸小路商店街にあるビルの洋品店にいた。


「ここは私が以前掃除の仕事をしていたビルです。今日行くお店は、父が着ていたブランドのお店なんです。さ、ここです」


店長と顔見知りの彼女は、姫野を店内に連れて来た。


「……そうですわね。姫野さんなら……ぶつぶつぶつ」


彼を立たせた小花は、次々と洋服を選んで行った。


「これなんか」


「ダメです!?じっとしていて下さい。お色が白いから、淡い色……。あら、輪郭が面長だったな。でもシャープですので、襟もVネック……。肩がはっているから、こういうシャツもお似合いだわ……でも、待って下さい?」


姫野は彼女に言われるまま、じっと服を身体に当てていた。


小花は姫野を上から下まで、何度も目線を往復し服を選んだ。


「ん!これで良いかと思います。姫野さん?この中で、お好きな服を」


「いい。お前の選んだ奴で」


「ダメです。少しはコーディネートの勉強して下さらないと」


「いいよ。それで」


「でも。私の趣味になってしまいますもの」


「お前が選んでくれたんだから間違いないだろう。その、パンツだけ試着するか……」


そういって姫野は試着室に入って行った。

その背に小花は溜息をついた。


が、待つ間。彼女の手は、姫野の為に選んだ服を優しく撫でていた。






「要するに、制服と思えばいいんだな?」


洋服代は小花の紹介だったせいか、姫野の想定内だった。


「そうです。着回しせず、このシャツとパンツをセットにしましたので、この通りに着ればよろしいですわ。三セット、用意できましたから、これで何とかなりますよ」


こうして買い物を終えた姫野の車は、お目当ての店に到着した。



「……ここは直売所ですか?」


「ああ。農業高校で採れた野菜を売っているんだが、最近はアイスが有名なんだ」


「みなさん手に持っている……。私、先に行って並びます!」


「おい?そんなに興奮するな」


牧場のサイロの横にある売店に走る小花を、姫野は慌てて追った。


そしてソフトクリームのサイズが姫野の方が大きいと駄々をこねる小花の我儘を聞き、彼女がじっと見ていたラベンダーの香油を何気なく買ってあげた姫野は、彼女をご機嫌にさせた。


「姫野さん。今日はありがとうございました」


「こっちこそ。買い物に付き合わせて済まなかったな」


楽しかった時間が過ぎた夕刻。送ってもらった自宅の前。小花は首を横に振った。


「月曜日。楽しみにしております」


「ああ。早く家に入れ」


こうして無自覚な二人の楽しいデートは終わった。





月曜日。夏山愛生堂では異様な出来事が起きていた。


「これって分身の術なの、美樹?」


そこでは同じ白いポロシャツに身を包んだ営業の社員達が、仕事をしていた。


「……まさかおそろいのポロシャツを作るとは?……中央第二、恐るべし!」


総務部の蘭と美紀は、笑いをこらえるのに必死だった。


「見て、蘭!渡部長だけは色違いだよ……?」


「なんで赤を選ぶかな。襟立ってるし?……脇腹が……ねじれる?」


ドアの陰に隠れながら、何とか密かに写真を撮った記録係りの二人は、今度は中央第一営業所に向かった。


「やばい心臓がドキドキしてきた」


「いい?開けるよ、おはようございます……」


美紀はなぜかひそひそ声で、中央第一のドアを開けた。


「おはよう!蘭さん。美紀さん」


「お。風間君。今日はイケてるんじゃないの!」


「最初からそうしてよ……」


「アハハハ。姫野先輩ならあそこにいるし、部長は有給休暇だから安心して」


コーヒーを片手に、姫野が振り返った。


「おはよう」


「お、おはようございます」


「ん?どうかしたかな」


「……いや、その」


長身の彼は、素敵な服で身を包み、小首をかしげていた。


「あれ?おかしいな。後光が見える……」


「おい。美紀。見とれているんじゃないよ!あの、すいません。写真を撮らせて下さい?」



こうして二人が撮った姫野と風間の写真は、スーパークールビズの手本として、全道の夏山愛生堂の社内ネットニュースで配信された。





「この姫野君の服は、小花ちゃんが選んだんだろう。まあ。元から良い男だから、こういう服を着ると、本当、芸能人みたいだよ」


「……」


「それにさ、この写真。薬局に配られる薬粧新聞に載ったおかげで問い合わせが殺到して、初めて増刷する事になったって、風間君が騒いでいたよ。ん、小花ちゃん?なした」


正社員の吉田婆のスマホで社内ニュースを読んでいた小花は、黙って立ち上がった。


「……屋上の洗濯物を回収してきます」


そういうと、彼女は屋上に上がった。





誰もいない屋上。


南風は干した白い雑巾を揺らしていた。


彼女は長い髪をほどき、風に任せた。



……どうしてこんなにイライラするのかしら。


先ほどの姫野の画像が頭から離れなかった。




「バカ―!!姫野さんのバカ―!」


夏の風は、何にも云わずに彼女の声をかき消すのだった。



つづく

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