14話 負けないで
「何だって?小花ちゃんがトップ争いをしているだと?」
「ダーリン。こんな所で馬油なんて売っていられないわ!応援に行くわよ」
息子、風間諒の切迫した声に、風間薬局夫婦は小花の応援のために、テレビ塔の下のテントでの商品販売をほおり出し、札幌駅隣の京王プラザホテルへ向かった。最高のポジションを獲得した二人は、彼女が来るのを待っていた。
「ハニーどうだい?彼女はまだかい」
「……見て!?ダーリン。来たたわよ……ぎゃー!小花ちゃーん!!」
風間夫婦の左手からやってきたテレビ中継の車。カメラを載せたワンボックスカーは女子のトップを先導していた。これに風間夫妻は悲鳴をあげた。
「行け―!小花ちゃん!」
「がんばれ!小花ちゃーん!!って。行っちゃった……」
「もう見えなくなった……よし。戻るぞ。ゴールで待とう」
◇◇◇
「はあ。はあ」
夏山愛生堂の子会社の社長の中年、手塚。親会社の運動部に所属の彼は、夏山愛生堂のピンクの帽子を被りミニマラソンに参加していた。
……応援してくれている良子さんに良い所を見せないと。
最近いい感じで交際している財務部長の良子。そう思いながら走る彼の背後から、アナウンスが聞こえて来た。
『女子の先導車です!端に避けてください』
……すげえ。男よりも早いじゃないか。
感心していた手塚は、コースの左へ寄った。すると彼の横を走り去って行った女子の中に、自分と同じ帽子の女の子がいた。
……まさか?
「行け―!小花ちゃん!」
「がんばれ!小花ちゃーん。ぎゃー……」
……この声援?そうだやっぱり。今のは小花ちゃんだ!
その時、コースにあったスピーカーから解説が聞こえて来た。
『給水ポイントで先頭の松野は水を取れましたが、夏山愛生堂は取りませんでしたね。増田さん。これは何か作戦なのでしょうか?』
『さあ。もしかしたら、夏山愛生堂はこういう給水をしたことがないのかもしれませんね……』
……確かに。
手塚の前方を走る女子の先頭集団の選手はみなコースの左に設置された給水の水を取りに行ったのに、小花は変わらず走ったままだった。
……大丈夫かよ。
職場の掃除の女の子。正社員も来客もバイトもみんな同じく接している天使のような彼女。彼はその小花が走っている事が全く理解できずにいた。しかし、気になった手塚は自分の為に取った水を飲まず、彼女の背を追った。
やはり。先頭集団からじりじりと離されて行く彼女。これに追いついた手塚は、走りながら彼女に声を掛けた。
「こ、こはな。これ、飲め」
驚き顔の彼女は、まずこれを受け取った。
「ひとくち、で、いい、から」
走りながら彼女は黙って水を飲んだ。
「自分に、かけろ」
指示通りに水を掛ける彼女に手塚は声をかけた。
「いま、のペースは、落ちて、くるから」
うんと彼女は頷いた。
「前に、行って、誰か、抜けたら、君も行け」
うんと彼女は頷いた。
「最後、おおどお、りに戻る、とき、仕掛けるなら、そこだ」
「あ、りがとう。てづか、さん」
「行け!」
返事をするように小花は沿道にペットボトルを捨てた。手塚は彼女の背を叩き送り出した。疲労困憊の彼は、コースの外で歩みを止めた。
その頃。コースの三分の位置ほどにあるロイトン札幌ホテルの前ではポロシャツの襟を立てた渡が仕切っていた。彼らはテレビ塔からここまでの移動で汗だくだった。
「いいか?野郎ども!今からここにお嬢が通る。我々は全力で応援をするぞ!」
「おお!」
おそろいの白いポロシャツ姿の中央第二の社員達。一人だけ赤色で襟を立て決めている渡の指示で、場所を陣取った。
「まだ時間があるな。よし、誰か応援団の指揮を取れ!お前、前に出ろ」
「はい!」
社員は前に出て、大きく息を吸い、身体を後ろに反らせた。
「それでは行きます!三分の三拍子―――!」
「バカ野郎!音楽の時間か?話にならない。お前。やれ!」
「はい!」
社員は前に出た。
「それでは行きます……」
大きく息を吸い、身体を後ろに反らせた。
「アゲアゲホイホイー!」
「バカ野郎!練習したってできないぞ?あのな。素直に三三七拍子をやれ!」
「三三七拍子って?」
なんで知らないの?という顔の渡であったが、若い社員に手本と示した。
「チャッチャッチャッ。チャッチャッチャッってやつだ」
「自分は『おもちゃのチャチャチャ』しか知りません」
「ダメだ!誰か?姫野を呼べ!姫野はどこだ?!」
使えない中央第二の部下。渡はスマホを手にした。すると部下が叫んだ。
「あ?部長!お嬢がきました」
声をそろえる練習をしていなかったので各自の声援になった。
「かんばれー」
「小花ちゃーん!」
「行けーー!」
だんだん彼女が近付いてきた。その姿に渡は腹をくくった。
「野郎ども!我々の声でお嬢の背中を押すぞ!俺について来い!」
彼はすっと前に出た。
「行け行けお嬢!押せ押せお嬢!」
渡はリズムカルに手を叩き始めた。
「行け行けお嬢!押せ押せお嬢!」
「行っけ行けお嬢!押っせ押せお嬢!」
このリフレインは彼女が見えなくなるまで続いた。
「ぜーはー」
「大丈夫ですか?渡部長」
「うるさい。お嬢は……もっともっと苦しいはずだ」
渡は真っ赤になった掌を、じっと見つめた。ここで社員が渡の背を叩いた。
「部長。俺のスマホを見てください!お嬢がトップに躍り出ました!」
『ギアが一段あがりました。すごい胆力です』
聞こえたアナウンス。これに渡は涙した。
「胆力、か。さすが我がお嬢」
「……部長。我々の声が届いたんですよ」
「部長!」
「さ。ゴールに行きましょう」
ようやく心が一つになった中央第二のポロシャツ集団。渡は感激していた。
「ああ。行こう。我らのお嬢の元に……」
◇◇◇
……小花。
姫野は居てもたっても居られず、沿道の人をかき分け、彼女が来るコースに向かっていた。
……小花。
懸命に走る彼女の姿。
何事も全力投球する彼女の姿勢に改めて感動するとともに、そんな彼女を軽んじた自分を彼は心から恥じていた。
……小花。大丈夫か?あんなに無茶して。
心配で心配でたまらない彼は、一目彼女を見ようと、こうしてコースにやってきた。
「あ!女子が来た!」
沿道の子供の声に見ると、なんと小花がトップだ。
これに思わず彼は彼女に並走した。
「……小花!後、少しだ!」
彼の顔をみた彼女は微笑んだように見えた。
そして何も言わず、彼に向かってサングラスを投げた。
受け取った姫野は、立ち止り、小花の背を見えなくなるまで見ていた。
「はあ、はあ」
「お疲れ様」
「……いやあ。疲れた!せっかく君にカッコ良いところを見せようと思ったのに」
汗だくの手塚の肩。良子はタオルをそっと掛けた。
「何を言っているのよ。ほら、アレを見て」
彼女の見ている先には、インタビューを受けている小花がいた。
「すげえ?もしかして優勝したの?」
「私もびっくりよ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
「そうか。行けるかと思ったけど。すごいな」
「いいな。なんだか私も走ってみたくなったわ」
「いやいや?小花ちゃんみたく走るのは無理だろう。まずはゆっくりウォーキングから始めてくれよ」
「人を年寄り扱いして……」
「ははは。そんな顔するなよ」
そういうと手塚は良子の肩を抱き、木陰にそっと座り、良子の作った大きなおにぎりを頬張った。
◇◇◇
「しかし。お前本当にすごいな」
帰りの車中。違うTシャツに着替えた助手席の彼女を姫野はしみじみと見た。
「私は道具を使うスポーツは苦手ですが、ただ走るだけでしたら、結構速いんです」
「スパートを掛けたりしたよな」
「これはレースですからね。駆け引きも重要なんですよ。トップの松野さんはずっと先頭を走っておいでで相当疲れたと思います。逆に私はずっと日陰でしたし」
「マジかよ」
「でも。姫野さん?どうしてゴールで待ってくれなかったんですか?そんなに私が信用できないのですか?風間さんは待っていてくれたのに……」
「だってな。じっとしていられないだろう?お前があんなに頑張っているのに」
すると、彼女は姫野の顔をじーっと見た。
「なんだ?」
「……いえ。沿道にいた時の姫野さんの必死な顔を思い出して……フフ」
「うるさい!本当に心配だったんだ」
小花は楽しそうに口に手を当て、鈴が鳴るような声で無邪気に笑った。
「何をそんなに心配されているのですか?フフフ。鈴子はちゃんと姫野さんの所に戻って来るのに?フフフ」
彼女が無意識に口にした言葉。これに赤面した姫野はこれを必死に隠した。
愛しき清掃員を載せた彼の愛車は、札幌の街を疾走していった。
「おい!俺を忘れるな!」
「別に。私は忘れていませんでしたが、あ、これ、部長のラジオです」
不要になったラジオを邪魔そうに返した松田。石原は大切にポケットに入れた。
「全く。おい、ところで風間はどうした?」
「疲れたとかで。ご両親と帰りましたよ。とっくに」
上司を差し置いて帰る部下。石原は呆れるよりもバカバカしくなっていた。
「くそ!そうだ?渡はどうした?」
「中央第二のみなさんで打ち上げに行きましたよ」
「どこに?」
「まだ見えるんじゃないですか……ほら!あそこのポロシャツ軍団ですよ」
「サンキュー!おーい渡!待ってくれー」
「今日も、めでたし、めでたしか。……私も帰ろうっと!」
こうして全員を見送った松田女史は、大きな日傘を広げ、大通り公園を後にした。
つづく
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