12話 魔法のほうき
いた。
「小花ちゃん。お疲れ様」
「あ。風間さん」
真夏の正午の屋上には、熱風が吹いていた。
「今日も暑いな、ね、一緒にお昼食べようよ」
長い髪を風になびかせて彼女は、遠くの藻岩山を望んでいた。
「そんな時間ですか」
初対面の時と、逆の対応に思わず風間が笑った。
「ほら、行くぞ!こんな所にいたら暑さで頭がおかしくなるぞ」
そういって彼女の肩を叩き、風間は五階の立ち入り禁止の部屋へ連れ帰って来た。そして小花はお弁当を広げていたが、風間の昼食は無い。そんな彼のために吉田婆は溜息をつきながら彼に非常用のカップ麺を作ってくれた。
「優しいな!いただきまーす。ね、小花ちゃん。昨日の先輩の事気にしてるの?」
「そのようですね。気にしないようにしているのですが。気にしないようにしている時点で気にしてしまっているわけですわ」
「ほら食べなよ。つうか怒ってるの?」
「よくわかりません」
彼女はそういってお弁当のふたを開けた。風間が覗くと海苔弁だった。
「でも夕べ良く考えたんです。私はお仕事に来ているんだから、余計な事を考えてはいけないって。だから昨日の事も気にしないようにしているつもりなんです」
「気にしないつもりね……」
吉田婆はそっとつぶやいた。これに風間は語り出した。
「あのさ。小花ちゃんて、男の人と付き合った事ないでしょ」
「はい。ずっと女子高でしたし」
「そうか。あのね。昨日の先輩のアレはさ、愛情表現とかじゃないから」
「え?」
「先輩はスポーツマンだから、ほらサッカー選手がシュートを決めたら抱き合ったりさ、野球でサヨナラホームランを打った後とか仲間とハグしたりするでしょう。あれだよ」
「でも。私はスポーツ選手ではないです」
「姫野先輩は君を仲間だと思っているんだよ」
「仲間……」
「確かに会社も仕事も違うかもしれないけどさ。同じ会社で仕事しているだから仲間でしょ?」
「言われて見れば、そうですね」
「先輩もさ、小花ちゃんに嫌われたと思って朝からミスの連発で俺も困っているんだ」
小花はじっと自分で作った海苔弁当を見つめた。
……怒ってばかりいるけれど、風邪で寝込んだ時は心配してくれたし。病院にも連れて行ってくれたし。数学も教えてくれたし。冷酷非道ですけど。……本当は優しい人なのかもしれないわ……
「わかりました。気にしないようにもっと努力します!」
「そんなに力入れなくていいよ。今度逢った時にさ、今まで通りに挨拶してくれればそれで先輩も落ち着くからさ」
「へえ。坊っちゃんは、ずいぶん先輩思いだね」
背後にいた吉田を風間はくるりと向いた。
「そんなんじゃありませんよ!今度社長に言われたミッションは先輩に頑張ってもらわないと俺が困るんで」
「社長のミッション?」
小首を傾げた小花に風間は、さっぽろ夏祭りの話をした。彼女は姫野のメッセージを思い出した。
「そうだったんですか。てっきりお薬の販売をしているのかと思っていましたが。営業職って幅が広いんですね」
「だろう?だから許してやって、って……また呼び出し、あ。姫野先輩だ、もしもし、はい今帰ります、はい……」
電話を切ると風間はすっと立ち上がった。その彼に小花は顔を上げた。
「風間さん。姫野さんには私はもう気にしてないってお伝えください」
「わかった!じゃ、午後の清掃で顔だしてよね」
風のように去っていく風間を、吉田婆は呆れて見ていた。
「……いいのかい。嫌なら私が清掃に行くよ?」
「本当に大丈夫です、あ、吉田さん。私ちょっと外出しても良いですか」
そういって元気にお財布片手で部屋を飛び出していった小花に、吉田は安堵した。
午後の中央第一営業所。
姫野は落ち着かなかった。風間の話しの通りなら、いつものように小花はホウキを片手ににこやかにやって来るはずだった。先ほどから時計ばかりを見ていた彼の目に入ってきたのは……石原部長だった。
「おう。ところで、さっぽろ夏祭りはどうなった」
「はい……」
「なんだ?その覇気の無さは。こいつはどうしたんだよ風間」
「すいません、部長。もう少し経てば元気になりますので」
風間の突っ込みに解せない顔の石原は、姫野の企画書を手に取った。
「なになに?夏祭りの後のボランティア清掃?」
「それについて、姫野係長が使えないので私が補足説明します」
松田女史がすくと立ち上がった。
「毎年、祭り後のゴミが問題になっているようなので、札幌営業所の社員で早朝集合して、ゴミ拾いをするというものです。この時、社名の入りのジャンパーを着て、わが社をアピールするわけですよ」
「ゴミ拾いか……」
「部長。午前中の夏祭りではメーカーさんのサンプル配りだけにして、祭の翌朝。ゴミ拾いをメインにやりましょうよ。そういうボランティアの方が絶対感じがいいですよ」
「そうだな。風間の言う通りこの方が、注目されるか、よし!渡に聞いてくるか」
石原は第二営業所へ行ってしまった。
「よかったですね、姫野先輩って、先輩?」
とうとう姫野がデスクに突っ伏してしまったので思わず松田が駆け寄った。
「姫野係長、大丈夫ですか?」
「ああ?すまない。ちょっと目の前が真っ暗になって」
この様子に風間と松田は眼を合わせ、溜息をついた。
「ねえ。風間君、小花ちゃんを呼んで来てくれない?これじゃ仕事にならないもの」
「いや、そろそろ来る時間だと……あ、来た!」
入り口には、ほうきを片手にした小花が立っていた。
「清掃させていただきます」
すっと頭を下げると、いつものようにゴミ箱のゴミを回収し始めた。
「ほら、姫野係長!謝るなら今ですよ!」
松田に肘で突かれた姫野は、頭を上げた。目の前には驚き顔の彼女が立っていた。
「……姫野さん。先日は勉強教えてくださってありがとうございました。これ、ほんの気持ちです」
そういうと彼女は、白いリボンのついたラッピングされた包みを両手で差し出した。
「俺に?」
「はい」
「開けるぞ?」
「どうぞ」
皆が見つめる中、恐る恐る包み紙を開けると、そこには白いタオルが入っていた。
「それは熱中症対策に優れた首掛けタオルです。私も使っているんですが、首の所に保冷剤が入れられるようになっていて、しかもタオルは冷却仕様なんです」
「うわー。いいな先輩。俺も欲しい!って、それどこで買ったの?」
「嫌ですわ、風間さん。これは夏山愛生堂のオリジナル商品ですよ。卸センターの購買部で売っています。タオルもふわふわで、すごく気持ちいいんです」
「……なぜ俺にこれを?」
姫野は眼をつぶり、タオルをギュと握り締めていた。
「姫野さんはスポーツマンとお聞きしましたので。これがあったら涼しいかなと思いました……あの。お色は私と同じになってしまったんですけど、お気に召さないのなら、その」
すると姫野は必死に無表情を作りタオルをすっと首に巻いた。
「欲しかったんだ。こういうの」
「よかった」
ホッとした小花は顔の前で手を叩いた。その時、風間と松田が姫野の脇を突いた。
「わかったって。あの、小花君。先日は本当に済まなかった。この通り許してくれ」
頭を下げた姫野に小花は首を横に振った。
「もう気にしないで下さい。私も忘れますから。ね、姫野さん?」
「……小花ちゃんは天使だな」
その時、営業所のドアが開いた。
「おい、姫野。これでOKだとさ、なんだお前達?」
この様子に目を見開いた石原部長に、松田女史が説明をした。
「部長。ゴミ拾いのノウハウを彼女に聞いていたところです。小花ちゃん、お仕事中ごめんさないね」
「いいえ」
そういって小花は床を再びほうきで掃き始めた。
「ところで姫野、お前なにタオル巻いているんだ?暑いのか」
「触らないで下さい!これは俺のものですから。それよりも明日の会議ですが」
小花は仕事の邪魔のならないようにそっと部屋を出た。
小花は回収したごみを倉庫の裏にある専用のボックスに入れた。
汗を首に巻いたタオルで拭いた。
一瞬、姫野の顔を思い出して可笑しくなった。
夏祭りの前の騒ぎはこうしてスタートとしたのだった。
つづく
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