9話 青春ビアガーデン

「いらっしゃいませ。いかがですか」


札幌名物の大通公園のビアガーデン。


陽が落ちた公園には多くのサラリーマンや観光客が涼しい夜に集まっていた。そこで新発売の栄養ドリンクを販売する風間は特売と書いてあるハッピを着ているせいで汗だくだった。


「ずるい?先輩だけビール飲んでるし!」


「飲んでいない。俺はお前の分を買って来てやったんだぞ?ほら」


姫野から受け取った風間は美味しそうにジョッキのビールを飲み干した。


「くう……生き返った」


「別にお前は死んで無かったがな。それよりもどうだ、売れ行きは」



同じくハッピ姿の松田女史は、背後にあるダンボールを指さした。


「まだまだありますよ」


本日の出店。風間の父親の経営する風間薬局の商品を販売しているため、売れ残っても薬局に戻せば良いので彼らは非常に気が楽だった。


「しかし、暑いな」


冷涼と言われている北の街だったが、夜なのに気温が下がらず生ぬるい風が街を包んでおり、ハッピ姿の彼らは汗だくであった。


「そうだ。お客さんに販売している様子を写真に撮りましょうよ。そうしたらもう店じまいでもいいじゃないですか」


松田女子の名案に、姫野は顔を上げた。



「確かにそうだ。よし、風間。都合のよい客を連れて来い」


「それって。俺にナンパをして来いってことですか」


「いいから黙って誰でもいいから連れて来い!」


そう言うと姫野は風間を送り出し、代わりに販売のテーブルの前に立った。



「いらっしゃいませ。コラーゲンドリンク1本百円です!」


姫野の声にOL風の女性三人が足を停めた。


「へえ。これは新商品ですか?」


「はい。女優さんも御愛用のドリンクです。コラーゲンは基本身体に蓄積されないので、こうして毎日摂取するのが効果的と言われています」


「試飲はできないのですか?」


断るつもりで姫野は笑みを称えた。


「試飲はできませんが、今ならおまけで化粧品のサンプルが付いています」


「え。こんなにおまけが付くの?ちょっとお得じゃないのこれ?」


OL三人娘は、急に身を乗り出してきた。その時、彼女達の背後から、風間の声が聞こえて来た。


「せんぱーい。って。可愛いお客さんいっぱいいるじゃないですか。俺せっかく見つけて来たのに」


夏山愛生堂のブースに集まっていた女子達を見て風間は肩を落とした。


「ねえ。風間さん。お写真でしたら、私一人よりもあのお姉さま達にお願いをしたらいかがですか」




風間の傍らの小花は、彼をそっと見上げた。


「そだね。たくさんいた方が良いか。あのすみません……ちょっとよろしいですか、写真を一枚」


OL三人娘に頼みこんでいる風間を背後から眺めていた小花は、近くのベンチにそっと座った。会社帰りの彼女は、白いノースリーブのシャツに、麻の膝丈のスカートを穿いていた。


「……あの。隣、空いてますか?」


そんな彼女のベンチにビールを片手にやってきた大学生風の男二人が話しかけて来た。


「どうぞ!私は行きますので」


立ち上がろうとする彼女を男達は制し、小花を留まらせた。


「いやいや。そんな事言わないで?一緒に座ろうよ。君もビアガーデンに来たんでしょ?」


彼らは彼女の両脇に座り、小花にしつこく話しかけて来た。


「離して下さい。私は……」


「そんな事言わないでさ、あ?痛ぇ」


その時、彼女の肩に回した男の手を彼が掴んでいた。


「なんだよ?おっさん」


「うるさいクソガキ!……ほら、立て。行くぞ」


「はい」


姫野は小花の肩を抱き、さっさと夏山愛生堂のブースに連れて来た。


「ありがとうございました」


「別に君のためではない。目障りだったから、ん?大丈夫か」


気のせいか、腕の中の彼女は震えていた。


「はい。でも怖かったです……」


思わず彼女の頭をそっと撫でた姫野は、先ほどの大学生に改めて睨みつけた。



「……先輩。良い写真撮れましたって。小花ちゃんどうしたの?」


姫野の腕に守られて夏山のテントにやってきた彼女を見て、風間はテーブルから飛び出して来た。


「まったく。風間君がしっかりしてないから。酔っ払いの大学生にからまれたのよ」


松田女史の声に、風間は小花に駆け寄った。


「ごめん。大丈夫だった?」


「はい。姫野さんが助けてくれたました。ご親切にありがとうございました」


「そんなに何度も言わなくていい!おい。風間。今夜はこれで引き上げよう。ってお前、何怒っているんだ?」


口を尖らせている風間を姫野は二度見した。


「……俺に雑用させて。自分だけ良いところ見せるなんて。卑怯ですよ!」


「はいはい二人共?手を動かして下さい」


ベテラン松田は面倒くさい男のぐだぐだを予見し、風間には実家の薬局に連絡するように、姫野には車をここに持って来るように指示をした。


「私は彼女とここで片付けをしていますから。さ、行って!早く、グスグスしないで」


男性を動かした松田女史は、小花にそっと白い雑巾を渡すと彼女は嬉しそうにテーブルを拭き出した。


「今夜は風間君と待ち合わせだったの?」


「いいえ。私ここの近くの学校に通っているので。たまたまです」


「学校って……。何か資格取るの」


「まあ。そんなところです。あ、もう行かなくちゃ?」


慌てて小花は雑巾を松田へ返した。


「ごめんね。足止めして。絡まれないように気をつけてね」


「はい」


そう笑顔で返事をした小花は、小走りに去って行った。




戻ってきた男性二人は何故か残念そうにしていたが、松田に即されて撤収し、風間薬局へ車を走らせた。


「そですよ。松田さん。小花ちゃんは定時制の高校に通っている隠れ女子高生なんですよ」


後部座席で得意げに足を組む風間を、運転席の姫野は怪訝そうに見ていた。


「じゃあ。彼女は昼間働いて、夜は学校に通っているのか」


「健気なこと!風間君とは大違いね?ところで。お二人とも、夏の休暇はどうすることにしたの、風間君?」


助手席の松田女史は風間に振り向いた。


「俺は彼女とグァムに行くんですけど。でも、これっていいんですか?俺、新人なのにお盆期間の宿直当番は無いんですけど?」

 

お盆期間会社は休みだか、緊急用の薬の配達があるので、男性社員は宿直の当番が有った。


「ああ。新人にそんな事をさせたら皆、辞めてしまうからな。これは二年上勤務の独身男性社員が割り当てになっている」



自身も中日に当番が入っている姫野は、最初からこの休暇を楽しむ気は無かった。


「そうですか。私も息子が受験だから。どこにも行かずに家にいますよ」


夏山愛生堂初のシングルマザーで15歳の息子がいる彼女は、そういって髪をかきあげた。


「反抗期なんで全然云う事訊かないんですよ。全く」


「うちの風間も言う事聞かないぞ……」


「俺は先輩と違って、少年の心を維持していますからね」


「そのようだな」


そんな話をしているうちに、彼らはススキノ風間薬局に到着した。繁華街の老舗薬局は、ネオンが光り周囲の派手な店に負けていなかった。




「これはどうも。息子が世話になっています」


風間の父。つながり眉毛の風間薬局の社長が白衣姿で現れた。


「いえ。こちらこそ。息子さんには御尽力いただいております」


「そーんなことある訳ないっしょ?姫野君。無理しないでくれよ」


風間社長はそういって姫野の背をバーンと叩いた。


「ほら。諒。女性に重い物を持たせるんじゃない。さ、この台車を使って下さいよ」


ダンボールを運ぶ松田女史を見て、社長は台車を押してきた。


「さすが。『夏山の星』と言われた伝説のセールスマンは心使いが違うわ……」



そんな気配り溢れた父の行動を見た風間は、口を尖らせていた。


「ハハハ。お嬢さん。そう簡単に私に追いついたら困りますよ?」


こうして薬局に品を戻した三人は早々に解散した。






翌朝。


いつものように中央第一営業所を清掃する小花だったが、あきらかに元気が無かった。時間が早いため、まだ姫野しかいなかった。



「どうした。気分でも悪いのか」


「……すみません。仕事に集中します!」


すると姫野はキャビネットから熱中症予防の飴を取り出した。


「一つ口に入れなさい」


「でも、今は仕事中……」


「これは薬だ!」


「手が汚れていますし」


「全く、ほら。口をあけろ」


袋から触らないように飴を出した姫野は、小花の口にコロンと入れてやった。


「しょっぱいですね」


「そうか?俺も食べるか……」


二人の頬は飴玉で膨らんでいた。


「そしてこれも飲もう。グラスに半分ずつな」


そういって姫野は冷蔵庫から取り出したスポーツ飲料をグラスに分けた。小花は喉が乾いていたのか、飴の終了後、コクコクとこれを飲んだ。


「おかげ様で少し。気持ちが上がって来ましたわ」


「昨日絡まれた事なら、気にするなよ」


「それはもう忘れていました……。実はのっぴきならない事情がありまして」


「のっぴきならない事情?」


曇った彼女の顔に目を瞬きさせた彼だったが、ここに松田女史がヒールの音を響かせて部屋に入ってきた。


「おはようございます」


「松田さん。おはようございます。私はこれで失礼します。姫野さん、ご馳走様でした」


そういって彼女はグラスを洗い、掃除を終えペコと頭を下げ行ってしまった。



「?何か合ったんですか?姫野係長、難しい顔して」


「のっぴきならない事……」

 


この日。この謎のフレーズがリフレインして止まらなくなり仕事が手が付かなくなった姫野は、風間に小花の居場所を尋ねた。


「え?彼女は今日、早退しましたよ。さっき吉田婆ちゃんがぼやいていたから」


「体調でも悪いのか?」


「なんでも、のっぴきならない事情とか。あの、これって何なんですか」


「俺の方が聞きたい……」



姫野は、こうして苛立つ一日を過ごした。






翌朝。イライラしながら出社した彼だったが、小花は掃除に来なかった。


「おい、風間。今日って清掃来たか?」


「あ。小花ちゃんは、今朝は午後出勤だそうです」

 

すると松田女史はあきれ顔で風間を見た。


「風間君は夏休み彼女とグァムに行くくせに。何でそんなに小花ちゃんが気になるのよ」


「だって。彼女は別格です!窮地に立っていた俺を救ってくれたんですから」


「そういえば。あの時のどら焼きの秘密。まだ聞いていなかったわね」


一般には入手困難な白餡のどら焼き。これを買ってきた小花に彼らはまだ事情を聞いていなかった。そんな時、営業所の電話が鳴った。


「……もしもし。夏山愛生堂中央第一営業所です。姫野でございますか。少々お待ち下さい……係長、創成歯科からお電話です」


得意先の病院も長期休みになるため薬の手配に忙しいこの時期。姫野と風間は朝から電話の対応に追われたのだった。そして卸センタービルの食堂で昼食を終えた二人は、営業所に戻ってきた。




「そろそろ来ていると思うけどな」


やけに落ち着いている風間の胸を姫野はトンと叩いた。


「お前!何か事情を知っているんじゃないか?」


「だって、午後から来るって、あ?居た!」



後ろ向きで階段をモップ掛けしている彼女を発見した風間は、階段下に駆け寄った。


「小花ちゃん。こんにちは」


「あ?風間さん」


「ぶっ!」


振り向いた彼女の顔を見て、後から来た姫野も噴き出した。


「どうかしたのですか?」


「鏡!鏡!鏡!」


中央第一営業所まで彼女の袖を引いた風間は、身だしなみを整えるための大きな鏡の前に彼女を立たせた。


「ひどい……。道理で会社の方々が笑うはずですわ」


彼女の右目の周囲は殴られたように青くなっていた。


「あらら。どうしたのその目?」


鏡越しに気の毒そうに松田女史が小花の両肩に手を置いた。


「跳び箱で顔面をぶつけたんです。あの時は痛いだけでしたが、いつの間にか青あざになっていたんですね」


「跳び箱って。どういう事?ねえ、それ湿布で冷やしたらどうかな」



風間は試供品がストックされているキャビネットに手を掛けた。


「風間……。お前、薬剤師のくせして何を言っているんだ。しかも眼の周囲にどうやって湿布を貼るつもりだ?」


「くり抜いて、こう……」


「お前の事だから本気なんだろうな。だが、これはそのままにした方が治りは早い。しかし……痛むか?ふっ」


振り返った小花を見つめた三人は、笑いをこらえきれなかった。


「ひどい!」


頬を膨らませて怒っている小花に、姫野は血行が良くなる錠剤を選んだ。


「どれ、顔を貸せ。ばか?俺を見るんじゃない!しかし。なんだ?跳び箱って……」


姫野は笑いをこらえながら、小花の顔を覗き込むと彼女はそっと目を瞑った。


「台上前転の試験だったんです」


姫野は目を瞑っている彼女の頬を左手で優しく包んだ。


「体育か?……ここも痛むか?」


鼻が骨折しているかもしれないと思った姫野は、そっと鼻の周辺を触った。


「痛?!」

 

ビクと動いた彼女の眼から、涙がぽろぽろ落ちて来た。


「……一応、診てもらおうか。おい、風間、ライラック外科に行くぞ」


「え?私ですか」


彼女にティッシュを渡した姫野は、上着を取った。


「そうだ。骨折しているかもしれないぞ」


「でもお掃除がまだです。お仕事が終わったら行きますわ」


「仕事熱心も大概だな……。そうだ!風間。お前が掃除をやれ!」


「また俺?」


姫野は小花からモップを奪うと風間にぐいと押し付け、彼女を連れて行った。



つづく

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