8話 キルトのポーチ
「ええ?うちらが得意先に行くんですか?」
「どうする蘭……?」
「お願い!この通り!」
何も知らずに総務部にやってきて手を合わせて拝む風間を、二人はこっちこっちと、誰もいない会議室へ引っ張って来た。
「ここなら大丈夫だね。あのさ。風間君。キルト展に行ったのはうちらじゃないの」
「急に用事ができちゃってさ。本当は小花ちゃん一人に行ってもらったのよ」
「はあ?マジすか!」
「しい!小花ちゃんにも口止めされてるんだから!」
事情を聞いた風間はこの二人を得意先に連れて行っても全く意味が無いので直接小花と相談した方が良いと判断し、小花のいる五階の立ち入り禁止のドアを開けた。
「失礼します……小花ちゃん!?って何してんの」
「伊達直人さんからもらったタオルで雑巾を縫っていました。どうしたんですか。風間さん」
「どうもこうも無いよ。キルト展に行ったの小花ちゃんじゃないか。夫人は君に会いたくて、俺達に連れて来いって言ってるんだよ?」
不貞腐れた風間は、小上がりに腰を掛けた。彼女は雑巾を縫うのを止めた。
「もうばれてしまったんですか?でも、私が行くわけには参りませんわ。私は社員ではありませんし。それに……あの方が代理だと知ると、怒ると思いまして」
「確かに。小花ちゃんだと知ったら先輩ものすごく怒るだろうな」
そうでしょ?とうなずく小花に風間はうーんと首をひねった。
「……待てよ?夫人は君に会いたいだけなんだからさ。別に場所はどこでも良いんだよな……」
「風間さん?」
「よし!ここは俺に任せてよ。先輩には言わないからそんなに心配しないで!後で連絡するね」
そういって彼は風のように部屋を飛び出して行った。その背を小花はぽかんと見ていた。
そんな週末の金曜日の夕方六時。
風間は姫野に内緒で、塩川夫人を連れて全日空ホテルにやってきた。
「お待たせしました。はい、夫人こちらです」
最上階のレストランの個室。夫人をエスコートしながらやって来た風間は笑顔でドアを開けた。すると、椅子に座っていた小花は立ち上がった。
「塩川様。先日は楽しいいひと時をありがとうございました」
今日の小花は白いワンピースで、細い腕が眩しく風間は思わずよろめいてしまった。
「やっと会えたわ。謎のお嬢さん!先日はありがとうね」
そういって夫人は小花をぎゅうと抱きしめた。
「奥様。力が強すぎですわ?こちらこそ。この度は私の事で、大変失礼をしました」
「いいえ。そんな事ないわ。それより風間君。さっそく食事にしましょう」
「はい。夫人!」
料理を頼んだ風間は、小花の正体を説明し始めた。
「まあ。小花さんは派遣社員だったの」
「申し訳ありませんでした。姫野さんは仕事に忠実な方ですので、私のような者が代理を務めたと知ったら、ものすごく腹を立てると思ったんです」
「分かった!この件は姫野君には言わないわ。でもね。今度はお友達として私に付き合ってくれない?時間が有る時でいいから」
「はい。そういう事でしたら喜んで」
こうして話が解決したテーブルに料理がどんどん運ばれてきた。
「ところでね。小花ちゃんて、どうして派遣社員をしているの?もっと若い子向けの仕事もあるでしょう?」
小花は烏龍茶を飲みながら話した。
「私。両親が他界していますし。訳があって高校を中退してしまったので、今は定時制の高校に通っているんです。だから派遣の方が時間に融通が効くので」
「っていう事は?小花ちゃんて女子高生なの?」
「風間君、大きな声を出さないで!それじゃあなたは、何歳なの?」
「十九歳です」
「若!?」
「静に!」
夫人は風間の顔にお絞りをぶつけた。
「……そうか。しっかりしているのね。あ、もうデザートが来たわよ。アイスがとけない内に食べましょう?」
「はい」
桜味のアイスをゆっくり食べる小花に、夫人は眼を細めた。
「そうですわ。奥様。私の作ったモンステラのキルトのポーチなんですが、よければ受け取っていただけませんか?」
そう言って彼女は可愛いポーチを差し出した。
「まあ?嬉しい!そうだ!私もね、持って来たのよ!クレイジーキルトのポーチ!!」
最後に互いが制作したキルトのポーチを交換した。三人はこの夜、秘密の楽しい食事を済ませたのだった。
翌日。
「おはようございます」
早朝の月曜日の中央第一営業所に小花はモップを携えてやってきた。
「おはよう」
彼女は朝も不機嫌そうな顔の姫野が先に仕事をしていた。
派遣社員として様々な職場を清掃してきた小花は、今まで色んな社員を見てきた。
その中でも北海道を代表する医薬品卸売会社、夏山愛生堂のトップセールスマンの姫野は、誰よりも勤勉で、誰よりも努力していると彼女は感心していた。
そんな彼の集中の邪魔になるので、彼女は音をたてないようにそっとモップを掛けた。
窓の外からは蝉の声がした。
札幌には短い夏がやって来ていた。
◇◇◇
弁護士の御子柴がやってきたので夏山慎也は家に通した。少し酒の入った慎也は窓を開け夜風を室内に入れた。そして星を見上げた。
「少しは進展ありましたか先生?」
「はい。二点ほどですが」
二人以外誰もいないリビングのソファ。御子柴は腰を掛けた。
「まずは夏山真子さんの消息について現状報告です」
御子柴の資料を慎也は手に取った。
「お父様の俊也様が亡くなった四十九日に、慎也さん義母である真子さんは財産放棄の手続きをされておりました。が、これは夏山正也夫妻、つまりあなたの伯父夫婦による偽造の疑いが浮上してきましたので、こちらは調査中です」
「伯父夫婦が?」
「はい。自宅や株証券などは、遺言書で慎也様のものとなっておりましたが、札幌駅前にある土地とビルについては、真子様。他には江別市にある農場。これは鈴子様の権利があったはずですが、全て夏山正也夫妻の名義に書き換えられて、すでに転売されております」
「ふ、不明の現金は?」
「推測ですが、これも正也夫妻かと」
「なんてこった……」
「慎也様はフランスにいらしたので、ご存じないのも無理はないかと」
不仲だった義母。彼は伯父夫婦の言葉を信じ、父亡き後、妹と一緒に無一文で追い出してしまった。この事実に慎也は目の前が真っ白になった。
「……それで。義母は、今?」
「少し情報があります」
慎也が気を落とす事を想定していたので、御子柴は少しでも明るい材料で終わるつもりでいた。
「真子様は、東京に自分名義のマンションを所有していました。これは俊也様と結婚される前から物ですね。真子様はこれを売ったようで今は別名義になっていました」
「売って、生活費にしたのかな」
「古いマンションですので、五百万円程だそうです」
「五百万円……か」
「今はこの後の足取りを調査しています」
「なるほど」
慎也はそっと水を飲んだ。
「そして。もう一つの方は?」
「はい。真子様の過去についてです。これは判明しました」
書類を読む御子柴に慎也は足を組み直した。
「夏山真子さん。旧姓、春野真子さん。彼女は夏山愛生堂の中央第一営業所の事務員でした。当時の同僚の話しによりますと、俊也社長の方が惚れ込んだというか、積極的だったのようです。今ではありえませんが、真子さんには拒否権が無かったようです」
「真面目な親父だと思っていたけど」
「あなたのお母様の圭子夫人とはお見合い結婚でしたし。子宝に恵まれず不仲説もありました。それに真子さんはミス雪の女王に選ばれた事があるくらい美しい人でしたから」
「俺は。義母が父を誘惑したんだとばかり思っていたんですけど」
御子柴は一口お茶飲んで続けた。
「しかしながら。本妻、つまり慎也さんの妊娠をきっかけに真子さんとは破局した事になります。が、慎也さんが生まれる頃に俊也社長は東京にマンションを購入しています」
「……つまり。別れたと見せかけて、囲っていたわけか」
「まあ。そう、なりますね」
「そして。妹が生まれる?」
「そうです。真子さんはそこで子育てをされていました。認知はせず、私生児として育てています。当時の真子さんはお弁当屋さんで働いており、娘の鈴子さんの保育園への送り迎えなどを自転車で行っていたのを近所の人が憶えていました」
自分の思っていた経緯とずいぶん異なる内容に、慎也はソファにもたれた。
「よろしいですか」
「ああ。続けて下さい」
「圭子夫人が交通事故で亡くなった時、俊也社長は真子様を後妻に呼びました。が、当時を知る人に聞くと真子さんは、社長夫人になる事や、慎也様の事を想い、何度も断ったようです」
「俺の事とは?」
「良く思われないというのは彼女も思っていたそうです。しかしながら、最後は俊也様に従ったようです」
「そこがよくわからないのですが……」
「鈴子様は横浜にあるお嬢様学校の寮に入っていました。ここは学費が高額で有名ですので。おそらく、この為かと」
「父の援助無しでは通えないものな。そうか。娘の為だったのかもな」
御子柴の頷きに慎也は再度資料に目を通した。
「ですので、真子さんが後妻に入っても鈴子様だけは横浜の学校に在学のままでした。今は退学されていますが」
「鈴子は今、どこに?」
すると御子柴は顔を上げて彼を見た。
「……失礼ながら。慎也さんのご依頼は、真子さんの消息と過去と言う事でしたので。鈴子さんについては特に調査をしておりませんでしたが、いかがなされますか」
「そうでしたね」
慎也はカーテンを開き、窓の外を眺めた。
「……義母を調べれば妹も分かると思っていましたが、そうですね。鈴子の事もお願いします」
「わかりました。では今夜はこれで」
御子柴はカバンを持ったが、慎也は外をみたまま動かなかった。
つづく
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