7話 針と糸
「姫野係長。ポールタウン歯科の先生のみいちゃんが亡くなられたそうで、葬儀を手伝って欲しいと連絡がありました」
「……くそ!」
夕刻。
夏山愛生堂の中央第一営業所の姫野は、頭を抱えていた。
「風間!この後、お前一人で行けるか?」
「行くだけならいいですけど。俺、パッチワークキルトとか全然分かんないっすよ?」
「じゃ。お前、ペットの葬儀に行けるか?」
「それって。ご愁傷さまでした、って言えばいいんですよね」
「行かせられないな、これは……」
頼りにならない新人風間に苛立ちを抑えながら立ち上がった姫野は営業所の時計を見た。今は午後6時だった。
キルト展に参加している塩川クリニックの奥方、塩川夫人が作品展の受付当番をしているのは本日だけだ。札幌ドクター会の夫人会の会長である夫人の威厳を知らしめるために、今夜は風間とキルト展に出向き、夫人に花を渡し、作品鑑賞の義務を果たす予定の姫野だった。
「仕方が無い。おい、風間!うちの社員で代わりを見つけて来い」
「ふぁーい」
キルト展に花を届けるだけなら誰でも良いと判断した彼の指示で重い腰を上げた風間は、営業所のドアを開けた。すると廊下では、私服姿の総務部女子社員の高橋蘭と、青柳美紀がいた。
「あ、風間君。お疲れ様!」
「蘭さん。美紀さん。お疲れ様です。って今帰る所ですか?」
「え。もしかしてデートの誘い?」
蘭の冗談に風間はうんと頷いた。
「それは今度に。実は、俺の代わりにこれに行ってくれませんか?代わりに今度お食事に誘うので」
そう言い風間はキルト展のチケットを二人に渡した。
「……全日空ホテルか。近いしね。これって行けばいいの?」
「得意先の塩川先生の奥さんがいるので、作品を褒めちぎってくれればいいです」
「どうする、蘭?」
「行ってみようか、それならできそうだし。風間君、美樹と私で行ってくるよ」
「ありがとう!助かったよ」
こうして風間はチケットの他にフラワーアレンジメントが入った紙袋を預けて、彼女達に手を振った。
そんな任務を任された蘭と美紀。夜の全日空ホテルに向かって歩いていると、信号待ちで小花に出会った。
「あ。小花ちゃんも今帰り?っていうか、今日の恰好可愛いね」
「ありがとうございます。お二人はどこかへお出かけですか?」
にっこりほほ笑んだ今夜の小花は、白いブラウスに紺のフレアスカート姿。下ろした長い黒髪はサラサラで、メイクといえば桜色のリップクリームをしているだけだった。足元はバレーシューズのような華奢な靴が、彼女の若さを引き立てていた。
「ね!美紀。小花ちゃんにも一緒に行ってもらおうよ。このチケットは三名までだし」
「そりゃいい考えだわ。あのさ、小花ちゃん」
蘭と美紀は風間に頼まれた事を説明した。
「いいですよ!私、キルト好きですし」
「よっしゃ!行こうか!」
おーと気合いを入れて歩き出した途端、美紀のスマホが鳴った。
「あれ?……彼氏だ?どうしたの……へ?マジで?」
慌ててスマホを切った美紀は、二人に首を振った。
「ごめん!遠距離恋愛している彼が、急に来ちゃった……」
「利尻島から?バカ、早く行きなよ」
「タクシー来たので。止めますよ」
小花が止めたタクシーに飛び乗ると、美紀は去って行った。
「はあ。仕方ない、二人で行くか」
「そうですね」
こうして会社をでた二人は夜の石狩街道を南に歩き、柳のゆれる創成川の辺りの全日空ホテルに着いた。蘭と小花が広いロビーを進むとパッチワークキルト展の看板を見つけた。
「大掛かりのようですわね」
「ちょっと待って……。あれ、うちの彼氏だ」
蘭の視線の先には髪の長い女性と腕を組んで歩いている男性がエレベーターの前にいた。これを見て、蘭の顔色が変わった。
「小花ちゃん。これ持って……何やってんのあいつ?根室に出張のはずなのに」
「え?蘭さん?」
小花に花束とチケットを渡した蘭は、怒り心頭で彼の消えたエレベーターへ突進していった。やがて停まった階を確認した蘭は、階段へ消えて行ってしまった。
花を託され一人ぼっちになった小花がふと見ると、受付があり座っていた中年の女性と目が合ってしまった。
「あら、キルト展のお客様ですか。こちらにお名前をどうぞ」
「は、はい?」
断れない雰囲気の中、筆ペンを選んだ小花は、名を夏山愛生堂、中央第一営業所 姫野とし、住所は会社にした。
「ではこちらがパンフレットです。どうぞご覧くださいね」
「あの、このお花を塩川様に贈らせて戴きたいのですが」
「あ、知り合いですか。信子さーん。知り合いよ!」
受付をしていた温和そうな女性の大声を聞いて奥からやってきたふくよかな淑女は何か食べていたようで口元がもぐもぐしていた。
「あなたは?」
「私、夏山愛生堂の姫野さんの代理の者です。これは姫野さんからのお花でございます」
「あら、こんなに気を使わなくてしなくて良いのに……」
そう言いながらも大きな赤い石の付いた指輪をした大きな手を差し出した彼女は、嬉しそうに受け取った。
「まあまあ。可愛い花ね。ところで姫野君は?風間君もいないの。せっかくあのイケメンを自慢しようとしたのに……」
「……急用が入りまして、誠に申し訳ございません」
「そう。あなたは事務員か何かなの?」
「姫野さんの代理です。あの、奥様の作品はどちらですか?どれも大作で御見事ですね」
小花は塩川夫人の気をそらすかのように、ゆっくりと作品を見始めた。
「これはフレンドシップキルトですか。みなさん、お花をモチーフにされたんですね」
壁に下げられたベッドカバーのサイズの作品。各生徒達がそれぞれ花のデザインのキルトを作り、繋ぎ合わせた力作を彼女は眺めていた。
「そうなの!私はここの、これよ」
「わあ。デイジーですね。縫い目が細かい……。とても丁寧で、一番光っていますわ」
ちょうどライトが当たっていた夫人の作品を小花は眩しそうに見つめていた。
「本当?それよりも私の作品を見て頂戴よ」
「はい!」
作品に感動する小花に嬉しくなった塩川夫人は、他者の作品を無視させて、自分の作品だけを紹介した。
「これよ。ベビーキルトなの。年末に孫が生まれるのよ」
「まあ。お若くていらっしゃるのに。もうお孫さんがお出来になるのですか?」
「やあね?何を言っているのよ!」
小花の背を叩いた力は半端無かった。これに彼女は苦笑いをした。
「これをもらう赤ちゃんは幸せですわ。こんなに細かく縫い込んであるなんて。愛情がこもっているんですもの」
「あなたのように。うちのお嫁さんもそう思ってくれるといいんだけどな」
「まあ?赤ちゃんに渡すのですから、お嫁さんがどう思っても良いではありませんか。最高のお婆様を目指して頂きたいですわ」
小花が作品を間近で観察していると、隣の夫人の動きが止まった。
「……最高のおばあさん……」
「あ?すみません!私、差出がましい事を言ってしまって」
夫人は首を横に振った。
「……そんな事は無いわ。そうよね。私はお婆ちゃんとして輝けばいいのよね」
「そうです。母親気取りをしたらお嫁さんに嫌われてお孫さんに会わせてもらえませんわ」
「そうか。そうよね」
心当たりのある彼女は、大人しくなった。これに気付かず小花はルンルンで話を続けた。
「それに。こんな愛のこもった素敵なキルトを作ってくれるお婆様がいるって、お孫さんは嬉しいはずですわ」
すると夫人は小さな小花の手をぎゅと握った。
「ありがとう!私ね。お嫁さんとどう付き合っていくか悩んでいたの。でも、あなたの言葉ですっきりしたわ」
「御力に慣れて嬉しいですが、お嫁さんにもこのようにお話しされてはどうですか?家族ですもの」
「家族か…」
まだそこまでのレベルには行っていない夫人は、急に機嫌が悪くなってしまった。
「……ねえ。あなた。このまま私とお夕食いかが?上の階のレストランに行きましょう」
「え?でも。私」
「いいからいいから。ほら、早く!」
太い腕に手を取られた小花は、夫人に連れられてエレベーターに乗り込み、上階へと消えて行ったのだった。
そして翌朝。
キルト展には、総務の二人が行ったと思っている姫野のパソコンに、さっそく塩川クリニックから昨日のキルト展に行った事に感謝したメールがあり、これを読んだ姫野は安堵した。
そして出社した風間に代理を頼んだ総務部の二人に礼を言う様に指示をすると、彼らは塩川クリニックに顔を出した。
「助かったよ……。正直。私もキルトには興味が無くてね。話し相手もできなかったんだが、君の社員が妻をベタ褒めてくれたものだから、これで夫として顔が立ったよ」
院長は嬉しそうに姫野の肩を叩いた。
「こちらこそ。喜んでいただけて何よりです」
「しかしだね。家内は昨日の彼女を気に入ったようで二人で食事をしたんだが、彼女は妻の隙を見て自分でお代を払って帰ってしまったと残念がっているんだ。気を使わせて悪かったね」
「そんな事があったんですか?」
「ああ。うちの家内が気に入るとは相当なレベルだぞ?今度、家に呼べと言っているくらいだからな」
「そんなに気に入ったんですか?」
一緒に話を聞いていた風間は、思わず話しに入ってしまった。
「風間君もそう思うか?素直で清楚な可愛いお嬢さんで、次男の嫁に欲しいと言っていたぞ」
「どっちの事だろう。蘭さんかな、美紀さんかな。でも、おかしいな。そんなイメージないけど……」
風間の思考を手で遮った姫野は、院長に向かった。
「えー。おはん。塩川先生。彼女達は営業ではないので、今後も私供で対応させていただきます。な、風間」
「はい!そうだ。院長。お話しされていた水着レストランに俺、行ってきましたよ。確かにウエイトレスはみんな水着でした。今週末行ってみませんか?」
「さすが夏山愛生堂だな。よし、風間君。俺を連れて行ってくれ。君がいればナンパが成功するし、金は俺が出す!それと姫野君。先日の新薬。あれ患者に評判良かったから追加注文しておくから」
「「ありがとうございます!」」
こうしてキルト展で株を上げた二人は塩川院長に頭を下げて二人はクリニックを後にした。この後も得意先の挨拶回りを済ませて二人は営業所に戻ってきた。
「お。姫野。ちょうど良かった」
中央第一営業所の部長の石原は姫野を手招きした。
「実はな。こんど大通り公園でビアガーデンが有るだろう?その時、メーカーさんがドリンクとか二日酔いの薬の試供品を配るそうなんだ」
「それの手伝いですか」
「いや。これを聞いたうちの社長は夏山愛生堂もテントを借りて何か販売をせよ、と言うことだ」
「自分達は卸売りであって、小売業ではありませんよ」
椅子に座る姫野。石原は、ブラインドに指を入れ隙間から外の様子を見ていた。
「……お前。その理屈が社長に通じると思うか?」
姫野は下を向いた。石原も諦め顔で続けた。
「たぶんうちの社名をアピールすれば気が済むはずだ。これの手配を、頼む」
「わかりました」
仕事というか、細かい用事。姫野は頭が痛くなってきた。
……今夜は通夜の手伝い。自宅に帰れば得意先の先生の欲しいアニメのグッズをオークションで落札しなくてはいけないし。
我儘なドクターの相手が仕事とは言え虚しい仕事を抱えた彼は、石原と得意先のクリニックの院長のペットの通夜に出席し、自宅に帰った。
その後、自宅で姫野は頼まれたアニメのグッズを無事ネットで落札した。
そしてシャワーを浴びた彼は時計を見た。
午前一時のカーテンの向こう。雨が上がって月が眩しかった。
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