第十一話-③
■
「――ふざけんな」
視線を追い、またしてもリサを標的に定めたことを知る。
ピキリという音を、宗一郎は自身のこめかみから聞いた気がした。
耳を塞ぎたくなるような不協和音をばら撒きながら、二の腕の中頃から断たれた断面から真っ黒な血液が砂のように帯を作り、幾条もの繊維となって収束し新たな腕を形成する刺青男。
生命の気配が消えかかっている。
だからどうした、と心で吠える。
最初から、この男が自分たちに襲ってくる道理こそ存在していない。
悪事に手を染めたのはこの男の意思であり、迎えた結果はただの自業自得でしかない。
それで報いを受けるなら、あの男は甘んじて受けるべきだった。だが報いを目前にして、そんなことは許容できないと我がままを振りかざし、八つ当たりをしたいがために、あんなザマと化している。
それこそ、認められるものではない。
柄を握る手に力がこもる。
この瞬間。
宗一郎にとって刺青男は、仕方なく相手をするものではなく。絶対的な意志を据えて、必ず打倒すべき敵となった。
「……宗一郎くん」
月夜の声色に心配が混じる。
また心配をかけさせて、心底申し訳なく思う。
そういえば。東区の冒険者協会を初めて訪れたときにも、無用な心配をかけさせてしまったことを思い出した。
今度は、原因だけははっきりしている。
あとで思い切り謝り倒そう。
半分くらい先行して心の中で月夜に謝罪していると、
「一人で行こうと思わないでいいよ。今度はわたしもちゃんと戦うから」
「わ、わたしもです。直接戦うことはまだまだ無理ですけど、それでも、一緒にいるので!」
「…………うす、ありがとう」
月夜とリサの言葉を、心強く思う自分がいることに宗一郎は気付いていた。
本当に本音のところを言えば、宗一郎はおそらく、男としての意地みたいなものを優先させたかったのだろう。しかしそれはただの押し付けで、譲れない気持ちは月夜も持っているし、強くありたいと願うリサの気持ちもここにある。
……くだらない男の意地は、また別の場所でこっそり張ろう。
「そんじゃあ、もうそろそろ、あれ倒しちまおうか」
「うん」
「はい!」
リサの魔導杖に魔力が集まり、弾けて三人に支援魔導が付与される。
身体能力各種の向上、継続回復魔導、回数制の防御魔導。
今度は――今度こそ全員で。
宗一郎が先頭に立ち、月夜が遊撃位置に立ち、リサが支援の場所に立つ。
三人の準備が整ったところで、刺青男も、新たに備えた左腕をひらめかせた。
おぞましく、触れれば食われる密度の魔力で作られた呪詛の腕。無防備にあれに触れれば、無事で済むことはありえない。
「ォ――ァ、ア――」
男は疾走準備に入る。
前傾姿勢。左腕だけは構え、黒紫色の魔力を螺旋させジェットエンジンのように後方へと噴いている。奇しくも、月夜が『根』で放った《
……正面に立つ男の光景が、心底哀れに思える。その力を実現させるために犠牲にしているものが分かっているからこそ、ただ意地を張るためだけに自殺していく思考が全く理解できない。悲しいほどに共感できない。
あんなもの、さっさと終わらせるに限る。
リサが静かに、かつて自分を浚った男に向かって杖の先端を向ける。自身の魔力を呼び水にして、周囲の空間からも魔力を収束していく。
「……いきます」
リサのその言葉に合わせ、宗一郎と月夜が構える。
「――【
リサの魔導杖に込められていた、たった一つの攻撃魔導。
放たれる五本の光の矢。青白く空間を裂く閃光はそれぞれが螺旋を描き、一点を目指して疾空する。
合図は成った。
宗一郎と月夜は聖光の矢に追走し、
刺青男はエンジンを唸らせ推進する。
リサの放った【
速度に優れる月夜が一瞬先行し、さらに速度を重ねながら、刃に四種類の暗黒色の波動を纏わせる。
「《
気絶・被毒・出血・沈黙という四種類の状態異常攻撃を同時に行うというもの。搦め手から攻めるタイプに好まれる、闇属性の上級魔導剣。
月夜の剣は刺青男の人差し指と中指の間の根元から肘に至るまでを裂き、中指から外側を斬り飛ばした。
被毒はない。彼はもはや全身が毒物。
沈黙はない。喉はすでに焼け焦げている。
出血はない。燃料は毒化しとうに別物。
気絶は……ほんの一瞬。危うく結線し続けていた意識を、一秒以下だけ断線させた。
その、ほんのわずかな
「ギアアァァァ!!」
被弾に吠える。
それでも突進は止まらない。
宗一郎の片手右切上と刺青男の逆袈裟の一撃が、圧延された時間の彼方で接触し――
□
――灰色の蓋が空を塞いでいる。
ちらちらと落ちてくる白い塊は、寝ているだけでも渇いた喉を潤してくれる親切な現象。
いつの時分かは怪しいが、いつであろうと大差はない。
ただ、隣で転がっている同じカタチをした生き物は、なにか、思い入れのあるものだった気がする。
自分よりも早く冷たくなったそれは、おそらく白いものを食べ過ぎたのだ。なにせ自分よりも身体が大きい。必要な量も多かったのだろう。
その生き物は一日ほど前、いつものように自分の隣に横たわって、いつものではない別の台詞を口走った。日常ではなかったせいか、今でも耳に張り付いて離れない。
『…………ゴメンナサイ』
確か、そのように発音していた。
直前までグスグスと音を立てて耳障りだったが、ようやく静かにすることを覚えたらしい。
本当に、まったく取るに足らなくて。
……せめて。
末期に残す言葉くらい、もう少しマシなものであったら良かったのに。
それでも。思い出すことができただけでも、互いに少しは救われていたのかもしれない。
□
「――――」
時間が狂っている。
もはや輪郭さえ定かでない自分の左手を、銀色に煌めく白閃が迎え撃とうとしている。
あまりにも綺麗な閃光を、見知らぬ見知った少年が握っている。
信じられない。
これほど綺麗なものを、自分よりもずっと年下の子どもが、自分よりもずっとずっと綺麗なカタチに閃くなんて。
「―――……、ああ」
いつか、夢を見ていた時代があった。
遠すぎて、もう思い出せないが。
拾った木の枝が自慢の剣で、見知らぬ魔物を夢想しては何度も何度も斬り伏せた英雄時代。
振り返れば、誰かが笑っていてくれた。
少しだけ誇らしく。
その先はもう、灰色に霞んだ空の蓋。
だけど、そうだ。ひとつだけ思い出した。
自分もいつか、その剣閃を放てる人間になりたかった。
理由はもう塵となって地面に溶けている。
もうずいぶんと、形は違うモノになってしまったけれど。それでも後ろで笑って見ていた誰かのために、その笑顔を守れるに相応しいだけの一撃を放つんだ。
この黒い一撃を。
幼かった英雄の一撃。
そうして。
響く衝突音は、自分の
■■■
あの日の言葉だけは、いまでもはっきり覚えている。
交友の薄い自分に増えた、まったく毛色の違う友人が口にした言葉。
本人は間違いなく覚えているが、話題にしなければ思い出すことはないだろう。それくらい、彼女にとっては取るに足らない、いたって普通に紡いだ言葉だったはずだ。
それが戦う理由になった。
こんなもの、固執しているほうがどうかしていると自分でも思う。
それでも張りたいのが男の意地で、まだ守れていない約束を果たすため、刀を打って握っている。
「じゃあ、目指せ実家のお布団、だね」
なんでもないやり取り。
都合よく恋愛に発展する可能性など絶対に皆無。
お互いにそんな感情を抱いていないことは明白で、これはただ、ひとり勝手に、友人に向けた無言の誓い。
最後まで伝えることは、きっとない。
これはただの、いつか、彼女と結んだ約束を果たすための道しるべ。
―――だって。
本当に何気なく友達と口にしただけなのに、あんなに嬉しそうな顔をされたら。男としては、意地のひとつも張りたくなるじゃないか。
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