第十一話-②

 二人の警戒を証明するかのように、刺青男の顔は、ただの獣性から、理性ある狂気に変貌を始めている。

 嗤う男が、再び疾走する。

 迎撃する宗一郎。

 日本刀と徒手空拳での衝突によって、戦場に広がる金属音。あまりに異質な光景だが、それに構っている余裕はそれほどない。

 攻撃力が低いと自認する宗一郎だが、極限まで研磨した刃物を用いてすら人体を傷つけることもできない、などというわけでは決してない。

 衝突のたびに攻撃を防ぎ、身を翻しては反撃を叩き込んでいる。都度、相手の全身に最低二ヶ所は生傷を刻んでいるが、刺青男は怯むことなく加速度を上げていく。

 本能に身を任せた暴力から、知性と経験を交えた合理的な攻撃へ。防ぐたびに、躱すたびに、弾くたびに高まる精度。

 だが刺青男は気付いているか。

 新しく刻まれる傷から流失している血液が、すでに人間のそれとは比較もできないほど黒く変質していることに。

 有効打はすでにいくつも決まっている。

 単純な話だ。男は宗一郎からそれだけの威力を持った攻撃を食らっても、意に介すほどの知性を亡くしているだけ。

 幾度目かの衝突。

 問題ない。

 宗一郎に備わる攻撃力では打倒に至るまでの道は長い。だが彼の役割は盾。最大の目的は、対象の敵意を自分に固定することにある。

 倒す役割は、最初から、それを成すに相応しい人物に配されている。

 蓄積していく損傷など気に留めることもなく、繰り返し突進してくる刺青男の顎に向かって迎撃の蹴り。

 強制的に灼熱色の空を見せられ、刹那、空中に固定された男は。

 バレーボール大の水球を投擲されて、左半身の熱を強制的に放熱させられた。

 熱した鉄板に冷水を流したかのように、瞬く間に水蒸気が立ち上る。


「……ふざけた野郎だ。あんなの人体にあっていい熱量じゃねえぞ」


 その光景に、心底呆れた宗一郎は思わず感想を述べてしまう。

 だが確実に削れてはきている。

 我慢比べの様相を呈してきている雰囲気を感じつつも、宗一郎は再び、月夜の攻撃の機会を作り上げるための奮闘を決意する。



 白から朱色へ。色が変わり始めた蒸気を纏う黒炭の左腕が振り下ろされる。


「ヒハハッハァ!」


 捻転して咄嗟にかわす。

 振り回される黒炭の腕は、意思を備えた重機のようだ。轟音をもって振り下ろされた手の先を見てみれば、地面の岩に五指が食い込んでいる。あれはもはや人体ではない。それ単体で殺しうる殺人兵器と化していた。


「まだまだ行くぞオラァ!」


 戦闘の熱に浮かされたか、男は言葉を駆使して挑発してくる。

 凄まじい速度と威力で繰り出される乱打。

 防ぎ、躱し、弾き、往なし、

 撃ち、飛ばし、斬り、叩く。

 宗一郎と月夜の連携に、刺青男は次第に追い詰められていく。

 それでも止まらず、男はここに来て新たな武装を得る。


「おら、よォ!」


 五指に食い込んだ岩を腕力だけで持ち上げて強引に投擲。


「――ウッソだろ」


 豪速で迫りくる、直径三メートルの岩石。

 あれを防ぐ。どうすればいい。

 躱す。却下。背後にいる月夜とリサに被害が及ぶ。

 弾く。不可能。現在の武装では心許ない。

 往なす。無意味。この巨大さでは往なしたところで範囲が広い。

 ならば、あれはもう防ぐしか手立てがなく。

 宗一郎単体では実現不可能であっても、彼は一人で戦っているわけではない――!


「リサァ!」

「はい!」


 後方から背中を叩く頼もしい返事に、宗一郎は思わず口角を上げた。

 ならばもう信じるだけでいい。宗一郎はそのまま刀を正眼に構える。見るのは迫りくる岩石ではなく、その投擲を実現した男のほう。


「――【盾の壁シールドウォール】!」


 リサの口から魔導名が放たれる。

 対象となった宗一郎を包む魔力光。

 岩石と宗一郎との間に出現する、亀の甲羅を思わせる六角形の分厚い光の障壁。



 リサはまだ、この防御魔導を習得してはいない。にも関わらずこの魔導を発動できた理由は杖にあった。

 宗一郎がリサ専用にあつらえたこの魔導杖には、複数の魔導が記録されている。月夜と遥香の手によって記録された魔導は、杖に魔力を流し魔導名を唱えることで発動するよう、宗一郎の手で作られていた。

 そしてリサは見事、的確に必要な場面で必要な魔導を繰り出すことに成功する。



 光の障壁は、完全に宗一郎の身を守り切った。衝突する岩石は凄まじい威力を内包していたが、それでも【盾の壁シールドウォール】の防御力を突破するには至らず。

 その盾の防御力を知っている宗一郎は、余裕をもって防御の体勢を取る。

 そして、リサの支援によって生まれた余裕は、粉砕された岩石の陰に隠れ迫ってきていた刺青男の攻撃を防ぐことを容易にさせた。


「――ヒ、ヒハハハ!」


 苛立ちと憤怒で男は笑う。

 この場所はもう駄目だ。武器にできる程の岩がもうない。

 だが男に冷静な判断などできようはずもなく。自分の攻撃の邪魔をした、やや離れた場所にいる銀髪の小娘に狙いを定める。

 まずは、こいつから殺す。

 自分の左半身がこんなザマに成り果てたのは、そういえばこいつの仕業だったと頭の端で思い出し、突如角度をずらして宗一郎の横をすり抜けようと突進する。



「どこへ行くつもりなの?」



 冷えた月夜の声が真上から落ちる。

 閃く半月の剣閃。

 あのときのように。刃に氷雪を纏わせた月夜の斬撃が吹雪を連れて、炭化した左腕の手首から先を、ついに斬り飛ばしてみせた。


「ッ! ――くそが!」


 危険を感じた男は狂った知性でもって後退を選択。あの場所から先はより一層危険であると本能が告げている。この位置では武装さえも足りないと、刺青男は稲妻を思わせる角度を刻んで場所を変更。

 ついに明確なダメージを負う刺青男。傷ひとつない宗一郎たち。敵の左手首からは黒い液体がぼたぼた零れ落ちている。

 本来であれば、傷が発信する激痛と手を失くした恐怖に怯えるのが人間だ。

 だが男はまったく頓着した様子を見せない。痛みを感じているかさえも怪しい。

 もはや、相手の反応からダメージ量を計測することに意味はない。


「……まあ、狙うなら首、だよなあやっぱ」


 ほとんど魔物に成り果てた男の、まだ残っているだろう人間らしい場所がそこなのだと、宗一郎も月夜も気付いている。

 狙う必要はある。そのための手段もある。

 刺青男も不死身ではない。傷が増えれば増えるほど、動きが明確に鈍っている。手首を斬り飛ばされてからはより顕著に。

 静かに息を整える。

 やるならば、それは自分の役目にするべきだと覚悟を定める。

 我がままなのかもしれない。

 そう思いつつも、クラスメイトの女の子に首を斬らせるだなんて真似は、どうしてもさせたくなかった。



「くそ、クソ――!」


 掠れた声で悪態をつく。

 手首から先を失くしたことにではない。一度は傷を負わせたガキどもに、いまはまったく歯が立たない。その事実が男を余計に苛立たせている。


「この……!」


 発音も満足にできていない空気漏れのような音で声を荒げる。

 失くした掌に興味はない。断面は凍傷を起こして固まっている。ならばこれを武器に変えればいい。

 即断し、左腕を鞭のようにしならせて振り回すが、目の前の小僧はまったく余裕を失わずにすべてを回避しきってみせた。

 ざくんとした甚大な痛み。

 視界の端に金色の糸が見えたとほぼ同時に、今度は左腕の肘から先が消えていることに気付くよりも前に、視界が歪んで身体が宙に飛ばされていた。


「クソガキどもがよ……!」


 こちらの攻撃が通じることは一切なく、相手の攻撃ばかりが自分の肉を裂いていく。

 理不尽な実力差は、こうして自分の身体に傷という形で刻まれている。

 宗一郎と月夜の連携攻撃で、全身を乱切りにされる。流出する血液により、全身が真っ黒に染まっていく。ガキンと腕を伝播する衝撃。妙な形をした剣の切っ先が骨に当たった音らしい。


「これなら、どうよ――!」


 渾身の右拳による五連撃は、すべて宗一郎に弾かれ一発も通らず、その隙に月夜からさらなる追撃を受ける。

 こちらのすべての行動を上回っている。

 なにをしても弾かれ、岩を投げても通らず、なにかをする前に攻撃されている。

 明らかに年下のガキどもを相手に、自分の行動と性能すべてが下回っている。

 どれひとつとして上手くいかない。

 なにからなにまで裏目ばかり。

 岩を投げられることを面倒に思ったのか、宗一郎は積極的に刺青男と距離を詰めて戦いを挑んでいる。


「ちくしょうが。攻撃するたびに、こっちの傷のほうが増えていきやがる……!」


 事実だった。

 決定的な差は、溝などという表現では生温い。ここまでくると、橋を架けることさえ不可能な大峡谷。

 一回りは年下の子どものほうが、自分よりも遥か高みにいる現実。

 これほどの無様を晒してなお、一度は手にかけた足元が高い。

 ……手にかけたからこそ、振り払うようにその先へと踏み出したのか。



「……ふざけるな」



 猛る憤怒。

 自分のほうが優れているのだと証明するために、逃げてもいいと訴える自分の生命に鞭を乱打する。

 まずはあの、遠くにいるひ弱そうな銀髪のガキを手にかけよう。

 そうすれば甘っちょろいクソガキどもは、頭を乱して雑魚と化す。

 足下を崩せばあとは簡単。また自分の爪が届く場所に、こいつらは自ら落ちてくる。

 昏い希望を見出して、歪な形に口の端をゆがめた刺青男は、暗い血液を凝固させる。

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