第十一話-④


◆◆◆


「あ~……」

「沁みるなあ、これは……」


 マグナパテル中央樹、旧市街区のさらに端にある、大樹の幹に半吸収された大木の屋敷から、野郎二人のおっさん臭いだみ声が反響する。


「やっぱ風呂はいいよなあ」

「いや、まったくだ。しかも露天風呂でサウナ付き。宗は本当にいい仕事をしたよ……」


 手足を伸ばせるほど広い風呂というのは、それだけで素晴らしい。シャワーであっさり済ませることも増えてはいるが、それでもお風呂大好き日本人に生まれて良かったと心から思える瞬間である。

 念のため女性用露天風呂とは距離を離してあるし、覗き対策のために小細工を幾重も仕込んであるので、そちらについても問題はない。

 なので素っ裸で縁に座って外気の涼しさも堪能し放題である。

 もちろん落下を始めとした安全対策もばっちりだ。

 すっかりだらけ切った宗一郎と縁志は、宝王大樹の幹から見える遠景を楽しんでいる。


「こんなにゆっくりするのは、本当にいつ以来だろうなあ……」

「営業マンとかめっちゃ大変そうだもんなあ……。あとで浴衣とか作っておこうか」

「ああ、それもいいなあ。ついでにこう、温泉旅館に出てきそうな料理というか、懐石料理とかも食べたい」

「残念ながら再現できません。前も言ったけどほら、米とか大豆とか見つかってねえもん。マジな話、リサに案内してもらって港町でも行かない限り、ダシのみのうどんさえ作れない状況だし」


 醤油、味噌、みりん、米酢、日本酒などは大半が米や大豆を原料としている。穀物酢辺りなら作れる可能性も高いし、別の酒をベースにした酢もあるが、日本人の舌に馴染み深いだろう米酢は名の通り米が必須となる。


「……牛丼が食べたくなってきたなあ」

「あーやばいって兄貴、そういう、魂からの呟きすんの。俺もマジで牛丼恋しくなってきたじゃんか」

「考えてみれば、俺たちの周りには米が溢れていたんだなあ」

「ほんとなあ」


 四十度に調整された湯にどっぷり浸かりながら米談義。このまま浴衣に着替えて畳部屋に行ったら懐石料理が出てきそうな雰囲気ではあるが、現実は厳しいことに和食料理など出てこない。

 月夜の料理は大変美味なので、そこに文句は一切ない。だが、和食を恋しく思うこと自体は止められなかった。




 きっちり水気を拭き取ってから着替え、のたのたとリビングに戻ってみれば、じゅーじゅーと美味しそうな音が空間一杯に広がっていた。その音を聞く前から、すでに嗅覚を掴まれているのは言うまでもない。


「あ、おかえりなさい。晩ご飯できるまでもうちょっとだから、これでもつまんでて」


 と、エプロン姿の月夜から差し出されたのは、小皿に置かれたハムのチーズレタス巻き。つまようじで固定され、ふたつほどが並んでいる。


「お、サンキュー。じゃあありがたく」

「俺は手伝うよ。えー……んじゃスープでも作ってるわ」

「あ、ありがとー」


 月夜がフライパンでステーキ肉を焼いているところを見て、付け合わせのスープを作り始める宗一郎。なんとなく今日はオニオンスープとなった。

 一方で縁志は、お通しもどきのハムチーズレタスを、どこかから取り出した酒と一緒に一杯やり始めていた。


「そういや、他のみんなは?」

「遥香ちゃんと有雨さんとリサちゃんは、いまはお庭でお茶飲みながら涼み中だよ。なんか遥香ちゃんにお願いがあるみたいで、いまは相談事をしてるみたい」

「相談事って?」

「ううん、わたしはなにも聞いてないんだ。有雨さんは、時期が来たら話すって」

「へええ~。まあ、なんでもかんでも相談できるわけじゃないしな」


 薄切りにしたタマネギをじんわり炒めながら他の住民の居場所を聞けば、そんな事情が返ってきた。

 退廃地区での戦いが終わってから三日。

 あれから色々あり、特に有雨は何かしら忙しそうに走り回っていたことはよく知っている。

 帰ってきたらできるだけ疲れが取れるようにと、遥香と一緒に便利グッズを提供したり、注文を受けて雑貨を作ったりと支援はしていたのだが、それでも蓄積する疲労の量は馬鹿にできなかったらしい。

 ……それ以前に、貴族たちの相手をするだけでもかなりの負担になっていそうではあった。


「四日後に王さまたちと謁見して、貴族たちと夜会だのなんだのをやって、あとは丸一日使って各地区へのご挨拶かあ。なんかパレードみたいな形になるんだっけ?」

「殿下からはそう言ってたね。南、東、西区の順に回って最後に中央樹に戻ってきて、遥かなる星界からの旅人から挨拶をして、やっと星降り祭の始まりだって」

「代表者は兄貴で決まりだよなあ」

「だよね」


 じゅーじゅーと順調に肉が焼けていき、どんな小技を使ったのか炒められていたタマネギもすっかり飴色になっている。


「ほい、タマネギとニンニク」

「ありがと」


 すりおろし済みのタマネギとニンニクを小皿に移し、月夜に提供する宗一郎。もちろんステーキにかけるソース用である。

 醤油がないのを残念がりつつも、そこは肉汁と市場で吟味してきた調理用葡萄酒を駆使して仕上げるらしい。


「兄貴ー、そろそろみんな呼んでー」

「ぅおーう」


 リビングのソファで出来上がりつつある縁志にお呼び出しを注文してから、焼き上がった直後のバターロールパンをぽいぽいと編みカゴに放り込んでいく。

 あとは生野菜サラダを盛ってさらさらとドレッシングを和えれば、本日の夕食は完成である。

 メニューがやたら肉食じみているのは、現在夕涼み中の有雨に配慮したものであることは明白だった。食べるにも体力が要求されそうな気がしなくもないが、彼女にとっては問題のない範囲なのだろう。




 こうしてマグナパテルは日常を取り戻した。

 元から騒ぎとしては大した規模ではなかったのだが、少なくとも、世間を騒がせる数歩手前で事件は無事に終了。噂は噂のままで消化され、巷は今日も星降り祭のための騒がしさを維持し続けている。

 謎の新興組織による違法薬物のばら撒きは騎士団の手によって人知れず処理が行われ、結局、それなりに犠牲者は出したものの、裏の秩序もある程度は落ち着きを見せている。

 重軽傷者合わせて五十七名、死者二十一名。騎士団、衛兵団ともに死者はなし。犠牲者が出たのはいずれも、獣人現象を起こした退廃地区の住民だけに限られている。

 騎士や衛兵にも軽傷を負った者はいるが、実質的な被害はその程度に収まっている。




「なんにしても、あとは祭りが終われば本来の目的のために動けそうかな。や、王さまとか貴族との夜会とかもハイパーめんどくせえわけですが」

「それでも、切った張ったをするよりはずっとマシだよね。なんだかんだで、やることはお祭りに関係してることなんだし。変に戦ったりするよりは楽でいいよ」


 視覚的にもとても美味しそうなステーキ肉をそれぞれの皿に盛りつけながら、ある意味で真理を口にする。

 素晴らしいまでの連携を見せながら夕食の準備を着々と整えていく二人。窓の外は宝王大樹の内部ではあるが、すでに夕暮れの朱色に染まっている。屋敷周辺は人気が少ないためか、実に静かで牧歌的な黄昏時である。

 宗一郎たち学生組が、自堕落を極めている大人組に対してなにも言わないのは、自分たちよりも早くこの世界に来るはめになって、精力的に動き、そして自分たちを迎え入れてくれたという恩があるからだった。

 そこから先は運命共同体であるため、返す恩はここで返し切る算段だ。


「わたしたちの代わりに、殿下のほうがすごい大変そうだけどね」

「こういった後始末は我々の仕事だ、とか言ってたけどな。俺らに関係する祭りのこともあるし、今回の事件のこともあるしで、正直かなりヤバそうな雰囲気はあったな。あとで差し入れでもしようかな」


 王宮内部の宗一郎たちに当てられた部屋は、すでに引き払っている。といっても、最も荷物を持ち込んでいたのは宗一郎だけで、他の人間は大して私物を持ち込んでいなかった。

 そのため、現状ではいくら宗一郎たちといえど気軽に王宮に足を踏み入れることはできない。王族、それも王太子に対しての面会など簡単に通るはずもないのだが、そこは色々とやりようがあった。


「お城から来てる使用人さんたちも、こっちで一緒にご飯食べればいいのにね」

「色々あるんだろうなとは思うけどさ。大変だよなあ、王宮勤めってのも。しかもそれなりの貴族出身なんだろ、あの人たち」


 宗一郎たちが現在使っている屋敷は、彼らが外出している間は王宮から派遣された使用人たちの手によって管理されていた。宗一郎の差し入れというのは、使用人たちの手を経由して届けるというものである。

 なお、使用人たちは全員、新たに用意された別邸に住んでいる。新たに、とは言っても古い家をそのまま使い直しているだけだし、それも少し離れた場所にあるので、どうにも不便そうに見えてしまう。

 なにを贈ろうかねえ、などと考えつつも、二人は順調に夕食の準備を進める。

 割と広いダイニングに設置されたテーブルに、本日の夕食を手際よく並べていく二人。今日まで何度も二人で調理を続けていたためか、その連携には目を瞠るものがある。


「おお、こりゃ旨そうだ」


 最初にテーブルに着いた縁志が嬉しそうに顔を綻ばせる。耳には連絡のためのイヤーカフ。大変便利に扱っているらしい。

 間もなく、庭にいた遥香たち三人も上がってきて、最後にエプロンを解いた月夜と宗一郎が席に着いてから、全員が手を合わせる。


「せーの、いただきます」


 月夜の掛け声に合わせ、全員が揃っていただきますを唱和する。リサもいつの間にか、日本式の食事の挨拶に染まっていた。

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