第十話-②
◆
「だいたいは形になったんじゃないか?」
杖を地面に刺し身体を預け、全身で息をしているリサを見た縁志が簡潔な感想を漏らす。
リサの周りには月夜、遥香、縁志の三人がいて、いつものガーデンテーブルには茶を楽しむ有雨の姿。宗一郎がこの場にいないだけで、割といつもの光景に見える。
「そうだね、リサちゃんすごく頑張ってたから」
「ほ、ほんとう、ですか……」
月夜からしても文句なしの出来なので、笑顔で満点を言い渡す。
リサのメイン武装は魔導杖となった。
今回はあくまでも暫定的なものであるためか、彼女の持つ魔導杖は本人の背丈と同程度の長さで、先端には魔力を通しやすくなる木製の飾り物。いくつか金属製の飾り部分も見受けられるが、大半は木材で構成されている代物だった。形状はいかにも魔導士の杖といった感じで、彼女の服装や雰囲気もあってとてもよく馴染んでいる。
練習として何度も魔力を走らせていたおかげか、リサの魔力に対する抵抗も随分と消え、いまも滑らかに魔力を纏っていた。
他にもリサは現在、宗一郎たちと同じイヤーカフを始めとして多数の装飾品を身に着けている。そのすべてが宗一郎が急いで用意した護符であり、そしてリサが魔法を使用するための補助具も兼ねていた。
「で、でも……はあ……。魔法を使うのって、難しい、ですね……」
杖に身体を預け、肩で息をするほどにリサは疲弊している。
魔力の操作は、自転車の乗り方や、あるいは泳ぎ方に近い。一度覚えればまず忘れることはないが、身体が感覚を掴むまでは苦労することも多い。
しかもこれはこの世界の一般人にとっての感覚であり、さらには周囲に魔力を使用できる魔術師、もしくは魔法使いがいて指導を受けないと一般人が魔力と関わることはまずないと言っていい。
だが魔術師ギルドは大都市と言われるほどの人口を誇る都市にしか作られない。中規模の都市であってもギルドが作られることは稀であるので、農村の人間が魔力に触れる機会と言うのはまずない。リサもその典型例である。
月夜たちが魔力に触れたのは、あくまでもZLOというフルダイブ型のファンタジーRPGのおかげだ。ゲーム内で仮想魔力の操作は経験しているし、その感覚と知識はこの世界へ飛ばされる際に付与されている。本格的に魔導を学ぶ際にはゲーム内の魔術師ギルドに所属するが、魔力の操作技術の修得自体は最初からできていたのだ。
そのためリサは、月夜と遥香から丁寧に魔力の操作方法を教えてもらえるという、割と贅沢な環境にあったのである。
「いきなり慣れない感覚を身体に叩き込んだようなもんだからね。少しの間、魔力酔いしちゃうかも」
「はい、いまも、ちょっと……」
「うん、少し休んだほうがいいよ、リサ。あんまり飛ばし過ぎると、魔力酔いが酷くなっちゃうから」
遥香に支えられ、リサは一度休憩を取ることにした。
魔力酔いは、感覚としては乗り物酔いに近い。症状が酷くなれば頭痛、手足の痺れ、嘔吐してしまうこともある。リサはそこまで行く一歩手前、というところまで魔力を回していた。魔力の操作に慣れず空転させロスしてしまう魔力が多いため、特に酔いやすくなっている。
「お、頑張ってるなあリサ」
「あ、ソウイチロウ、さま……」
少々グロッキーな表情ながらも、リサは宗一郎を見て嬉しそうに微笑む。が、無理に立ち上がろうとしたので、宗一郎はゆっくりとリサを座らせた。魔力酔いはゲームでも妙にキツく、大抵のプレイヤーは一度は味わった苦痛なのである。それを知っているがために、宗一郎はリサを止めたのだ。
「マナポーション飲ませてもいいんだけど、それやると好調不調の差がすごくなって別の気持ち悪さがあるからなあ」
「うん。わたしもそう思って、しばらくは自己回復で慣れてもらおうと思ったんだ」
「そのほうがいいよ。あれ弱い人はほんっとキツいしな。リサ、辛かったら横になったほうがいいよ」
「無理し過ぎても駄目だしね。リサちゃん、膝貸してあげるよ」
「ありがとう、ございます……」
やはり無理をしていたらしく、遠慮なく月夜の膝枕の世話になり始めるリサ。傍目から見れば割と絵になる構図だった。
そこへ、宗一郎はポーチから小さなポットを取り出し、二人の側に置く。
ポットの頂点からは、煙とも水蒸気ともつかない白い気体が立ち上り、なんとも爽やかで気分を落ち着かせる香気が漂い始める。
「なぁにこれ? すごくいい香りがして、なんだか落ち着く」
「はい。とても、気が楽に、なりますね」
「マナとスタミナの混合ポーションに、ラベンダーをベースに作ったオイルを使ったアロマポット。ゆっくりだけど、体力と魔力の両方を回復できるんだわ」
「そんなのもあるんだ……」
まだまだ知らぬアイテムの存在に驚く月夜。確かに休憩を挟める場合、こういった回復アイテムは便利だろう。少量の継続回復という形ではあるが、これひとつで複数の人間を対象に回復できるなら、便利であることは間違いない。
「本当におまえは、色々なものを作れるのだな。そのポットも、あとで個人的に購入したいところだ」
「こんなもんで良けりゃ、あとで注文受け付けるよ。まあそういった雑貨の注文は色々と終わらせたあとがいいだろうけどな」
「そうだな、その通りだ」
宗一郎とともに外へ出てきたレイナードは、彼が取り出したアロマポットを羨ましそうに評価する。が、もっともな指摘をされてしまって苦笑いするほかなかった。
「それで、リサの準備のほどはどうだろうか?」
月夜の膝枕を堪能しているリサを見ながら、進捗のほどを確かめる。彼女の体調も気になるところだが、戦いに出るのならそろそろ出発しなければならない。
様子からして、もう少し待つ必要がありそうではあるが。
「いまは少し休む必要がありますけど、問題ないと思います。宗一郎くんが作ってくれたアクセサリも充分に機能してましたし」
「そうか、ならいい。他の面々も怠りはないか?」
レイナードが見渡せば、全員が揃って頷いてみせる。
彼らはすでに宗一郎が作った革製装備に着替えており、それぞれ武装も済ませていた。リサの装備だけ一部間に合わなかったが、その弱点を先ほど述べた装飾品で補っているという形だ。魔力量を増加させ循環を滑らかにし、かつ余剰分の魔力を護符のほうに回している。
リサは元々の素質か、それとも神薙となったことで発露したのか、魔力量には恵まれていたとのこと。
「よし。ではリサが復調し次第、西区の退廃地区そばまで移動する。各自、準備の最終確認を忘れるなよ」
レイナードの言葉をきっかけにして、リサが復帰するまでの間に各自は自分の新装備の調子を確認したり、即席のポーションホルダーに装着したポーションの再確認したり、ということに費やしていった。
□
外が騒がしい。
身体の性能が限界まで引き上げられているせいか、耳が不必要な雑音を絶えず拾ってくる。
遠くから聞こえてくるさざめきは、人の声で作られた波打つ音。こんな人の掃きだめの終着点で聞こえてくるような人間の声など、だいたいは呻き声か喘ぎ声だ。こんなところでもやることはやるらしい、などと感心していたところで異音が混じる。
ここしばらく聞いていなかった、まともなヒトの声をしていたので判別はすぐにできた。
岩壁に穿たれた人工の洞窟。
洞穴の入り口は万人を受け入れこそすれ、しかし足を踏み入れる人間は極めて限定的。土埃とカビの胞子が舞い、一定周期で天井から滴り落ちる雫の音は極めて不気味で、正常な判断を下せる健常者が自らの意思で近づくことはまずないだろう。あるとしたら、それはなんらかの確固たる意志を持っている人間だ。あるいは、自分のように健全から滑り落ちてしまったモノか。
「――く」
口から零れる自嘲。
堕落にしても、ここまでここまで落ちきった人間はそうはいまい。少なくとも、呼吸ひとつに命を懸けるはめになるまで落ちた人間を、少なくとも刺青男は見たことがない。
洞窟内には、自分と同じように人間性を喪失した唸り声が反響している。
ひどい寒気に襲われる。当然だ。肉体の半分が炭化し壊死しているのだから、血が巡るための道そのものが崩落している。巡る血もなければ温度もなく。
それ以前に。
炭化した左半身を動かせる燃料は血液ではなく、すでに生命と執念にとって代わっている。妄執に憑かれたその瞬間から、彼の左腕は人間としての機能を失っていた。
「どうやら、生きる意志はまだあるようで。その執念だけは確かに見上げざるを得ない。こちらとしては思わぬ拾い物、といった心地ですが」
対照的に右半身の一部を破損した老人が、刺青男の食事状況を確認する。うずくまる刺青男の周辺には食い散らかした食事の痕跡。場所が場所なだけに粗末なものばかりだが、それでも生き繋ぐために胃に押し込んだらしい。
なにがなんでも、という部分は参考にならなくもないが、老人にとってはすでに意味のないものだ。
洞穴の隅でうずくまる刺青男を、冷めた目で観察する老人。かび臭い暗闇に潜むその獣の姿は、一言で言えば凄まじいものだった。
人間らしい瑞々しさなど欠片もない。ガサガサに荒れ乾燥しきった肌。血管が全身に至るほど浮き上がり、最後に瞼を下ろしたのはいつなのか判然としないほど血走った眼球。
一目見て哀れ以外の言葉が浮かばない惨状ではあるが、それは自分も同じであると気付く老人。
だが、ただでやられるつもりもない。
瀕死の自分と手負いの獣、そして退廃地区にばら撒いた祝福によって得られた手数はせいぜい五百。戦力としてはやや心許ないが、上手く
そこまでやれば、最初から土壌として整っている退廃地区を養分として、この周辺一帯に対して呪詛の楔を打てるだろう。
「そこで限界、というところですか」
後任が決まれば、あとはその人物が上手くやるはずだ。自分の役目はもはや、場を整えて次こそうまくやれるように祈るしかない。
「幸い、祈る神には恵まれている。その点だけは、あなたよりも救われているのでしょうな」
横たわる獣に対して、初めて話しかける。が、返答などあるはずもなし。元々から言葉など期待していないのでそれは構わない。強いて言えば、自分の最期に付き合うものが、失敗を前提にした捨て駒だということになにかしらの因果を感じる程度。
「向かう先は決まっているようですし、これもなにかの縁。あの少年少女の旅人たちとの繋ぎくらいはしてあげましょうか」
ぶつぶつといまなお怨嗟を呟き続ける獣を一瞥してから、老人は洞穴の奥へと姿を消す。さらに奥から呻き声が幾条も垂れ流されているが、誰も彼も気にすることなどない。どれもこれもが、同じ底辺を這いつくばる弱者どもだ。互いに助け合う暇などあったら、食い散らかすほうにこそ価値を見出す存在である。
ようやく雑音が消えたことで、少しばかり心が落ち着く。
先ほどまで耳に障っていた雑音と比べれば、数が増えた外からのざわめきのほうがまだマシだ。
外から流れ込んでくる人の音は、いくらかに分かれたらしい。先ほどまでは一塊で聞こえていたのに、今はふたつか、みっつに分けたようだ。
いまはただ、流れる時間が煩わしい。
自分の残り時間が少ないことくらい、幾らでも承知だ。余裕がないと嘆いていたあの頃でさえ、ここまで追い込まれてはいなかった。あの頃の自分はこれが最底辺だと思っていたようだが、まったく可愛らしい。それが本当なら、底抜け、だなんて言葉なぞ生まれるものか。
本当に底などあったのなら。
あの二人を■■してしまいたいというこの衝動、とっくのとうに収まっているはずじゃないか。
視界が二割、あの二人の幻影で埋め尽くされている。その影が視界の内側にチラつくたびに殺意が湧く。幻影は嗤う。高い場所から見下ろして、這いつくばる自分を嘲笑する。
被害妄想を並べて、残り少ない燃料を強欲な左半身の炎へくべる。
いずれにせよ、もう終わる。
刺青男は確信を得ながら、最後の一夜を燻っていた。
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