第十話-③



 灼熱の太陽が、一日の輝きに陰りを見せるころ。

 サーコートを主体に、革素材と金属素材をバランス良く整えたいかにもな騎士装備を身にまとった集団が、規律と秩序に従って行儀よく部隊を展開している。

 場所はマグナパテル西区台地の麓、退廃地区とされる、地球でいうところの巨大スラム街、その外周。

 騎士たちの現在の仕事は、無実で、そして無関係な退廃地区の住民たちの避難誘導である。これからここが戦場になる以上、彼らを巻き込むわけにはいかない。例の薬とはまた違った意味での、垢や汗にまみれた人間的な悪臭が漂う場所でしかし、彼らは課せられた仕事に対して忠実だった。

 退廃地区の住民は守る価値など無い、などと彼ら騎士たちが判断することなりあり得ない。例え住んでいる場所が退廃地区であろうと、彼らは立派な、そして騎士たちが守るべき国民である。そこに有象無象の区別はない。

 騎士たちは一人として文句を言わず、退廃地区の住民を安心させるように優しい言葉をかけながら、避難経路へと案内していく。

 この作業が始まってすでに数時間。

 あの太陽が中天に昇り詰める前から始まっていたこの作業も、そろそろ終わりが見えてきている。

 もちろん、一筋縄に終わるわけもなく。

 反抗的な住民や、自分の力では満足に歩くこともできない住民もいる。そういった連中も、彼らは決して見捨てない。懇切丁寧に事情を説明して、一時的にでも退避してもらう。

 不毛にさえ思える作業だが、それは後方に詰める衛兵たちも同じことだった。

 騎士たちが誘導してきた避難民たちも、不満を抱えて暴れ出すことは、ままある。そういった場合に対処するのが衛兵たちだ。ただでさえ人数を確保できなかった彼らは、一人に付き三人から五人以上を同時に相手にするような事態に陥っている。それでも腐らず、騎士たちに負けぬくらい己に課せられた任務をまっとうしようとしている。

 彼ら衛兵団の半分は冒険者上がり。荒事にも充分に慣れている衛兵たちは、横暴に過ぎる退廃地区の住民を軽々と取り押さえていく。

 日が沈み切る前には、退廃地区に住む罪なき住民たちの避難はほぼ完全に完了させた。よって現在、退廃地区に残っている人間はすべて、退避を拒絶したということになる。そして報告によれば、拒絶した人間はすべて、言語による説得は不可能だった、とのこと。


「さすがは騎士団と衛兵団だ。あれだけの人数を避難させ切るのに半日足らずとは、いい仕事をする」


 崖の上の高みから、支配者ポーズかつ強者感を溢れさせながら、有雨は満足しきりと言った様子で彼らの仕事っぷりに対する感想を述べる。


「あっちに主人公がいたら、俺らの構図って完璧に将来雑魚扱いされるポジだよな」

「言うな……」


 いまの彼らの立ち位置といい、見下ろす形といい、物語の主人公が初めてちょっと大きな事件を解決した直後に「面白い新人が出てきたな……」とか言っちゃう強キャラポジみたいな状態になっていた。宗一郎の皮肉に込められた意味を察し、縁志がややげんなりしながら応答している。

 遥香は苦笑いで、月夜はこの手のテンプレを理解しておらず、現地人のリサやレイナードなどは当然首を傾げている。

 気にしないでいいですよ、と告げて本題へ。


「では手順の最終確認だ。我々は騎士団を主体として、獣化現象に巻き込まれた退廃地区の住民を相手取る。斥候からの報告では、ソウイチロウの万能薬を広域噴霧してなお獣化状態が解除されなかった数は五百前後。そちらの手を煩わせることにはなるまいが、一応用心だけはしておいてくれ」


 立ち位置としては敵情を視察するに最良の場所なので、これ以上ネタっぽいことは気にせずに、戦場予定地を見回しつつ装備を確認していく。

 宗一郎と月夜はそれぞれ打刀を。

 遥香は近接戦闘にも応用できる槍杖を。

 有雨は宗一郎謹製の強化ナックルグローブと、試作品の中折れ式ソードオフショットガン。

 縁志は柄が湾曲し、刃に特殊な呪紋が彫られた溝付きのショートソード二振り。

 そしてリサ専用に調整された、今回の戦い限定の特殊魔導杖。

 最後に、全員共通のポーションホルダーにヒーリングポーション三本と、さらにマナポーションや未完成万能薬を複数本収納したポーチ付きベルトの確認。隣にいる人間とも相互確認して、全員が問題なしと判断。


「……なるほど、あれが獣化した人間、というわけか。確かに充分に獣じみているな」

「酷いな、あれは……。身体の一部が変形してしまっているのか」


 遠目に見える、奇妙な動きをした人間の集団がいる。両手は地面を捉え、膝はまっすぐ立てたままで、足はつま先立ち。人間らしい表情は亡い。人体には不可能な稼働を実現するため、あらゆる関節が別方向へ向いている。歪にもほどがある彼らの姿勢は、強い生理的嫌悪感を呼び起こす。あれはもう、ヒトの形を成していない。


「獣化現象とは言い得て妙だ。最初は獣人化かそれに近しい現象なのかと思っていたが、あそこまでヒトとしての尊厳を奪われていればなるほど、あとに残る残骸は獣としか言いようがない」

「感心してる場合っすか。……まあ身体能力が低めの人間が無理やり変えられてる程度だから、騎士団の人たちなら余裕でどうにかできる相手だけど……」

「ソウイチロウ、治療方法はあるか?」


 レイナードの問いに、宗一郎はただ気の毒そうに首を振るだけで答える。

 万能薬を調合できる錬金術師の腕でさえ、彼らの治療は不可能であると断ぜられた。つまり彼ら五百人前後の犠牲者は、たとえ生き残れたとしても、人間の姿に戻ることはできないということだ。

 ただ、哀れでしかない。

 放置するわけにもいかない以上、ああなってしまった彼らはすべて討伐しなければならない。被害者たちも、そしてそれに対応しなければならない騎士たちも、お互いに不幸でしかない状態。

 相手は正しく、悪意だけをばら撒いたと言える。結ばれてしまった結果を見せられた騎士たちは義憤に駆られているかもしれない。


「厄介なのは、あの中に元冒険者が混じっている可能性だな。退廃地区に落ちる冒険者というのは、概ね世間慣れしていない赤銅級が多いと聞くが、あるいは黒鉄級まで混ざっている可能性も否めん」

「や、毒耐性が高いほど、見た目よりもまず感情とか内側のほうがおかしくなる。だから見た目は、よっぽどオカシイ特徴備えてる以外は、普通の人間っぽく見えると思う」

「なるほど、それもそうか。では人の形に近い相手ほど手強いと伝えておく」


 イヤーカフで部下へ指示を出していくレイナードを横目に、宗一郎たちは再び戦場となる場所を眺める。騎士団たちが多数の犠牲者たちと相対するならば、自分たちにもそれぞれ定めた相手がいる。

 その、最初の一人目は。


「――いたな。諦めたか、それともまだ逃げる手段を用意してあるのか。どちらにしてもいい度胸だ。縁志と遥香は、私と一緒にあれを担当だ、いいな」


 有雨が指をさす先には、リッジウェイ商会の店舗地下で相対したあの老人の姿。当時と違って服装はずいぶんとみすぼらしく成り果ててしまっているが、あれは間違いなく本人だろう。


「やはり、中距離対応装備が欲しくなってくるな。どうにかして短機関銃くらいまでは実現させたいところだ」


 欲を言えば短機関銃サブマシンガンの傑作、MP5当たりがいい、なんて考えを巡らせ始める有雨。いまの彼女の筋力値であれば、短機関銃の片手撃ちくらいは平気でできるだろう。本人は実に夢のある話だなどと考えている。

 有雨の独り言をうっかり聞いてしまった宗一郎は、悲鳴を漏らしてしまわないように必死で喉を押さえていたりした。


「どうやら相手側の準備も整ったらしいな。宗一郎、月夜、リサ。おまえたちであれば苦戦はしないだろうが、油断はするなよ」


 見れば、老人らしき人物はまるで誘っているかのように、わざとらしく姿を晒している。


「それじゃあ、行ってくる。またあとでな」

「い、行ってきます。センパイたちも無事で」


 気負った様子など欠片も見せず、三人は軽やかな足取りで戦場へ降りていく。

 まずは前哨戦。

 群れてくるのは五百の獣。

 相対するのはマグナパテル騎士団。

 士気充分に意気軒昂な彼らに対し、自我を失った獣たちは、自分が何をしているのかも理解できぬままに突撃する。

 鉄製の頑丈な鉄に行く手を阻まれ、最初に突撃を敢行した獣たちは鼻の骨や歯を折りながらも、決して止まらぬ津波のように襲い掛かる。

 だがしかし、理性を食われた彼らの命懸けの突撃さえ、マグナパテル騎士団の盾壁を突破するには至らなかった。

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