第八話-⑥

 シンプルな死刑宣告。

 無様にも両手を挙げて喜びを表現していた老執事は、真横から蹴り飛ばされた壁だった土の塊に吹き飛ばされた。

 近くにあった無人の牢獄に衝突し壁だったものが粉砕される。と同時に陰から驚異的な速度で飛び出してくる老執事。

 ――に鉄筒を向け、敵の骨をくびるように、指にかけた引き鉄を引いた。

 空中で直角に進路変更。

 およそ人間業には収まりきらないその芸当は、真実、第三者に手により強制させられたものである。


「有雨さん、それ最大三発だからな!」

「分かっている、問題ないよ」


 冷徹に返答する有雨に、宗一郎はそれ以上なにも言えなかった。


「そ、宗一郎くん! 大丈夫だった!?」

「ああ大丈夫、俺らは全員平気。月夜さんも兄貴も、怪我とかない?」

「う、うん。わたしは大丈夫」

「俺のほうも特に攻撃は食らってない。……強いて言えばこの臭いがキツいってくらいなんだが……」


 ちらり、と戦場へと視線を向ける。

 砲声はまだ一度だけ。その鉄筒を、有雨はまだ右手に握ったままだというのに、左の鉄拳と蹴り技だけで老執事を圧倒し続けている。


「……あいつ、いったいどうしたんだ?」


 戦闘で大暴れ、というのは火均有雨を知る人間にとっては実に〝らしい〟のだが、同時に違和感も残る。火均有雨の戦闘スタイルは鉄拳と蹴撃による格闘術。そこに一切の変化はない。

 だがしかし、最接近を必須とするその戦い方に最も慣れているだろう有雨は現在、妙な間合いを測っているように見える。


「あーまあ話はあと。ごめんだけど、ちとこっちのほう手伝ってほしい」

「うん?」


 縁志の疑問を砕くように、有雨が突撃して開けた壁の穴をさらに広げるような衝撃が走る。

 有雨と老執事を埃の向こう側に追いやり、壁の向こうから丸太のような太いなにかが、辺り一面を破壊するように薙ぎ散らかした。


「二人ともごめん!」

「うわっ!?」

「おっと!」


 月夜と縁志をそれぞれ引っ張り、その場から離脱する。直後には、三人のいた場所は粉砕され巨大な穴が開いていた。


「遥香!」

「うん、大丈夫!」


 宗一郎が振り返り名を叫ぶとほぼ同時に、槍を持った遥香が跳躍でもって姿を現わす。

 遥香は滑るように着地し、そのまま方向を反転して埃舞う空間へ槍の穂先を向けた。


「【火球ファイヤーボール】!」


 バレーボール大の大きさの火球が槍の穂先に発生し、回転しながら勢いよくなにかに向かって突っ込んでいく。

 撃ち出された火球は舞う埃を吹き飛ばし、その中に隠れていた何者かの姿を暴露した。


「【魔法の灯火マジックライト】!」


 槍杖を半回転させ石突を前方の天井に向け、周囲を一定時間照らす光球を打ち出す。

 完全に姿を現す、謎の存在の正体は。


「ひどいね……」

「これはちょっと、正視に堪えないな……」


 増えた敵の数は二人。

 一人は上半身が通常の五倍近くに腫れ上がり、いくつも腫瘍に包まれて顔が埋まっている。どの腫瘍も不整脈のように不規則に脈を打っていて、そのたびによろめいている。おぞましい鼓動が実際に聞こえてくるので、酷く気分が滅入る相手だ。

 もう一人は、より嫌悪感を催す形状をしていた。すべてが二重になっている。右腕が二本、左腕も二本。左右の足も二本ずつあって。耳は通常の形と、反対の形。さぞ、前後の音がよく拾えるだろう。鼻の穴は四つで、口の穴は二つ。

 なによりも生理的に拒否感が強い部分は、単眼重瞳ちょうどうであるということ。巨大な眼球が顔面の三分の一を占め、そのたった一つの眼球に幾つもの瞳がある。瞳孔そのものが歪んでいるものさえあり、強化された精神力がなければ、あまりの生理的嫌悪感により嘔吐し戦意喪失状態に陥っていたかもしれない。


「三人いたけど、一人はもう潰した。獲物を見つけたから、残りはおまえたちで処理しろ、だとさ」

「なるほどな……」


 辟易しそうにもなるが、下手すればあれに近しいなにかがもう一人いたのだ。すでに減っている時点で喜ぶべきことなのかもしれない。


「とりあえず、あいつら止めないと話にならないからさ。俺が足止めするから、三人はあいつらをどうにか気絶させて」

「分かった、任せろ」

「うん、頑張らないとね」

「できるだけ早く終わらせたいですね……」


 三者三様に、二体の異形を前に戦いの構えを取る。

 宗一郎はあえて言わなかったのだろうが、あれは間違いなく元人間で、きっと冒険者だったものだ。


「……俺もあれはあんま相手にしたくねえから、なるべく手早く終わらせよう」


 最後に宗一郎が刀を構え。

 さらに奥から波及してくる戦闘音に、一対一で戦っている年上の仲間を思いながら、宗一郎はこの二体の異物に向かって突撃する。


「バアアアアアアウ!!」


 人語を失った怪物が、獣の咆哮をあげる。

 腫瘍に支配された側の男が、丸太のように腫れあがった腕を振り回す。即座に軌道を読み切った宗一郎は一足で腕を越え、単眼の眼球を蹴りつける。

 反動を使い、一秒以下の時間を滞空して腫瘍のひとつを斬りつける。


「オバアアアアアアオォゥ!!」


 その絶叫は、刀傷による傷みからなのか。

 もしくは自己を喪失した痛みからなのか。

 もはやどちらがあげた絶叫なのかも分からないが、二体の怪物は確かにこの瞬間、明確に動きを止めた。

 着地し、即座に後退。

 まず最初に飛来するのは、


「【連鎖する電撃チェイン・ライトニング】!」


 視界を照らす雷火が、巨大な眼球を容赦なく穿ち……ついで飛び散るように、跳弾して腫瘍のひとつを爆散させた。

 大気が爆ぜ光るほどのエネルギーと、眼球を直接撃たれた衝撃によって、単眼が視界を失った瞬間。白く光る世界に溶け込むように、単眼の背後に縁志の影。


「《星薊ホシアザミ・裏撃ち》」


 ショートソードに特有の波長の魔力を走らせ、ねじ込むように巨大眼球の側面から刃を突き立てた。

 猛毒に変質した魔力は結膜に浮腫を生み、内部の毛細血管を破壊して毒々しく赤黒い、おぞましい色に染め上げる。


「ガアアァァアアア! アアアガアアア!!」


 吼えながら単眼の怪物は眼球を両手で押さえるが、しかし文字通りに手遅れだ。

 頭蓋骨が許容できないほどの巨大さにまで成長してしまった眼球は、激痛によって両手で押さえ込まれ圧迫される。外部からの強力な物理的圧力により眼球としての機能は歪み、単眼男の視界は、毒と圧力によって永久に閉ざされた。


「……逆効果だったか?」


 だからこそなのか。

 眼球を潰された単眼男は、自己を閉じ込めた暗闇の中でさらに激しく暴れ回る。

 赤黒く染まった結膜は瞳孔を犯し、すでに本来の機能は完全に失っている。だが、言い方を変えればそれだけだ。あの男はもはや光を見ることはないが、身体能力はまだ健全。そこから生み出される膂力はあらゆるものを破壊している。

 あまりのおぞましい眼球に注目が集まりがちだが、そもそも、四肢や顔面のパーツが二重になっている時点でかなり面倒なのだ。


「ゲームのモンスターって、割と表現は抑え気味だったんだって分かるよね……」

「ほんとになあ……」


 月夜の呟きに、宗一郎は心から賛同する。

 生理的嫌悪感というのは、単純に言えば近づきたくない、触れたくない、見たくない、といった感情の集合体だ。五感すべてで拒絶すべき対象。だが逃げて済む動物であるならまだしも、状況と事情次第では、そのおぞましいものに立ち向かわねばならないのが人間である。


「もいっちょォ!」


 宗一郎の役目は最前線での盾役。

 敵の猛攻の中に飛び込み、味方への攻撃をすべて己へ集中させるのが役割だと定めている。

 だが、いちいち丁寧に一体ずつ相手してやる理由などない。

 単眼男は異形だが、大きさ自体はせいぜいが成人男性の二倍程度。背後に回り込み、両膝裏を一刀のもとに斬り裂き、膝から崩れ落ちたところで背中を全力で蹴り飛ばす。


「バオオオォォア!」

「ゴアアアァアア!」


 蹴り飛ばした先には腫瘍の男。

 見た目だけで言えば大変気持ちの悪い光景だが、これで怪物二匹は一塊となった。怪物は倒れ込むように折り重なり、肉の塊となって、不気味に蠢いている。

 突如、空から注ぐような暖かくも激しい熱を伴う美しく青白い光が、不浄を祓うように広がった。

 光源は刀。

 ハバキから切っ先まで、余すところなく全刃が輝く中で。その刀を持つ月夜は構えを正眼に取りながら、眩い光の中で目を眩ませることなく正面を睨んでいた。


「《祓式はらえしききよひらめき》」


 薄闇をまっすぐに裂く、一筋の真っ白な光線。それは、月夜が駆け放った斬撃の名残り。

 不浄、穢れ、呪詛などを一緒くたに払う、閃光の一太刀。

 怪物たちの向こうで、月夜は再び正眼の構え。だが刃を纏っていた清浄な水色の輝きは塵となって砕け、小さくなって消えていく。

 振り返り、二匹の怪物を月夜は睨む。

 断末魔さえあげさせず、怪物たちを覆っていた何かを根こそぎ斬り飛ばした月夜は最後に血払いの動作を取って残りの光すべてを刃から払い、しかし残心のために納刀はせず。

 同じく、宗一郎も油断なく刀を構え、周囲に対して満遍なく注意を払っている。

 縁志も遥香も同様に、いつでも攻撃に転じられるように油断はせず。

 およそ一分。


「……もう、大丈夫そう、だな」

「だね。お疲れさま」


 宗一郎の確認に月夜が同意してみせ、二人はほぼ同時に納刀してみせる。

 それを合図に縁志と遥香も戦闘態勢を解く。同時に脱力するように、はああ~、と大きなため息をついて。


「……うげ、臭い思い出しちまった」


 と、肺一杯に悪臭を吸い込んでしまい、一気にげんなりとしてしまう一同。

 実を言えば、この悪臭をどうにかする手段はいくらかある。例えば宗一郎特製の消臭剤をばら撒くとか、自分たちの周りにだけ消臭結界を張るだとか、そういった手段だ。しかし、いざそれを実行した場合を想定したとき、誰かからちょっとした疑問が挙げられたのである。「それ、服に臭いが染みついてたら、出てきたときに大変にならない?」と。


「一応、身元確認はできるだけしておこうか」

「だね。冒険者証とか、そういう分かりやすいのがあればいいんだけど……」

「あんまり期待せずにやればいいさ。身に着けていれば御の字だが、ほとんど裸体みたいだしな……」

「原型が残ってるだけまだマシ、なんですかね……」


 大きく息を吐きながら、改めて怪物だった二人の人間らしきものを見る。

 どちらもまだ生きてはいる。

 だがカタチとしては限りなく人間に近い、ほぼ別の生物のままだ。

 単眼の男は四肢や顔面の一部が二重構造になってしまっている。それだけで、もはや人間的な社会的活動は不可能だと素人目にもよく分かってしまう。

 上半身が巨大な肉腫まみれになっていた男のほうは、形状はまだ人間らしくはある。だが伸びきってしまった皮膚は、よほど丁寧に切除しても、元に戻りきることはないだろう。こうなってしまう前と同じ身体能力を取り戻せるかどうかも甚だ疑問だ。往々にして、なにかの実験体にされてしまった人間は、無事な人間の形に戻れるということはほとんどない。


「ま、あんまり俺らが気にしてもな。あれで一応生きてはいるし、どうなったのかを調べるのは錬金術ギルドの仕事で、どうするのかを考えるのはレオの仕事だよ」


 よっ、と立ち上がり、宗一郎は肉腫男のほうへトコトコと歩み寄る。胸部が一定間隔で上下しているので呼吸は問題ない。半分ほど抜刀できる精神状態になりながら近づくも、身元が分かるようなものは特に身に着けていない。あるとすれば、ずいぶんと粗末に織られたズボンくらいか。


「所詮そんなもんだよな」


 この人物がどこの誰であったのかなど、自分たちには関係のないことだ。


「あっ、有雨さん」


 月夜が声をあげたのでそちらを見てみれば、ちょうど有雨がこちら側へと向かって来ているところだった。

 彼女はゆっくりと歩を進めており、先ほどまで戦っていたはずの老人の姿はどこにも見当たらない。


「あの爺さんは?」

「逃げられた。思いのほか足が速くてな。物理的な足の速さであれば問題ないが、さすがに転移されれば追いつくのは難しい」


 忌々しそうに舌を打つ有雨。


「取り逃がしはしてしまったが、あれは強さ自体は特筆すべきことはなかったな。私たちの基準で言えば、せいぜい第一章の後半に入った直後くらいのモンスターと同程度、と言ったところか」

「え、そんなもんだったんすか?」

「ああ。これでもかなり甘く見積もっているんだぞ。追い詰めはしたんだが、射撃の隙間を突かれて逃げられてしまった」

「射撃って……。そういえば有雨、おまえ、突入前はそんなもの持っていなかったよな? ……あえて聞くが、どうしたんだ、それ」


 全員の注目が有雨の右手に集まる。

 彼女の右手には現在、取っ手部分がカーブした木製の土台に、二本の鉄パイプが乗せられたものが握られている。長さは目算で、成人男性の肘から指先まであるかどうか、といったところか。グリップ部分にある指を引っかけやすく曲がった鉄製の小さな板が禍々しい。


「ああ、ショットガンだが」

「なんでそんなもんがあるんだ!?」


 縁志の怒鳴り声の先は有雨ではなく宗一郎である。

 こんなもんをこさえられる技術がある人間など、近しい間柄ではこの少年しかいないためだ。

 宗一郎は防御態勢に入った亀よろしく、首を引っ込めて弁明を開始した。


「い、いや俺だって渡すつもりはまだなかったんだよ。ただほら、いつか有雨さんに渡すために一応試作はしててさ。本人には一切黙って。……いやほんとなんだって! 渡すにしてもちゃんと試射とか色々あるし!」


 両手をぶんぶん振りながら必死に事情を述べる宗一郎に、一応言い分を理解する。

 そしてそのままグギギギと首を動かして有雨を見れば、実に露骨な動きで縁志から目を逸らした。

 有雨の戦闘に対して抱いた違和感の正体をようやく理解する。新たに得た中近距離武器の適切な間合いを図るため、戦闘中に実験をしていたのだ、この女は。


「そんなことはどうでもいいだろう。それに、あれだ。ここは臭い。さっさと出ないと、いい加減に髪や服にまで臭いが染み込んでいそうだ」


 げ、と現状を思い出す。

 いい加減に鼻が曲がり切ったのか、間に戦闘を挟んだせいもあいまって、そろそろ嗅覚が麻痺していたらしい。臭いを話題に出された一同は同時に表情を渋いものにさせて、さっさと脱出準備に入る。


「あ。それでこの人たちの身元が分かる物ってなにか見つかった?」


 月夜が問うが、全員は揃って首を振る。


「俺は見つけられなかった」

「こっちも同じだな。地下にはないんじゃないか?」

「ですね。それに、さっきの戦闘でここもだいぶ散らかったし……」


 遥香の言葉に周囲を見渡してみれば、確かに様々なものが散乱していた。ここから身元が分かるものを探す、となるとかなりの時間を取られるだろう。

 それに、倒した敵のことを心配すること自体が余分だ。すでに倒すべき敵がいなくなった以上、この店舗に長居する理由はなくなっている。


「ん? なにを探していたんだ?」

「ああ。そこで倒れている……まあ、元人間だとは思うが。身元が分かるようなものがあれば届けようか、ってな」


 縁志から説明を受けた有雨は、露骨に呆れてみせた。


「まったく、そんなことをしても無駄でしょ。私たちにはそいつらの事情は一切関係ない。分かりやすい証拠品はすでに押さえてあるし、この変質した人間自体も充分な証拠になる。……どうせ、後日騎士団が踏み入って証拠品を押収していくんだから、そのときに見つかるだろう」

「あ……そっか……」


 言われてみれば、確かにその通りだ。自分たちが突入したのは明確な証拠を見つけるためである。それもすでに叶っている以上、月夜たちが関わる意味も余地もないのである。


「私たちのここでの用事はもう終わった。さっさと出て、臭いを落として風呂に入りたい。宗一郎、脱臭とか消臭とか、そういうのは作れる?」

「あーはい、大丈夫。帰ったら速攻作ります」


 ある意味で実に頼もしい返答に全員が安堵する。

 そのまま、有雨は右耳に手を当てて、


『殿下、こちらはすべて終了しました。我々に被害がありませんが、敵側に重傷者が出ていますので、対応する場合はお急ぎを。重傷者は三名。特にこれといった治療は施していないので、その点はご了承ください。生存者の身元確認はそちらにお任せします。我々は一度、屋敷のほうへ戻りますので物的証拠については後ほど』


 レイナードに対してノンストップかつ簡潔な報告を飛ばし、一方的に通信を終える。

 空からは、底冷えするような雨が降っていた。

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