第八話-⑤
◆
曇天の深夜。人の気配が完全に断たれた夜陰の中で、宗一郎、遥香、有雨の三名は、宣言通りに最初に有力視されていた侵入経路から無事に内部へと足を踏み入れていた。
通信によれば、縁志、月夜組も無事に本命のほうへ侵入を果たしたらしい。
基本的な行動隊形は最前に宗一郎、中間に遥香、殿に有雨という形である。
『視界が白黒でも、意外と分かるものなんだな』
内部は完全な暗闇であったので、宗一郎たちは【
彼らが【
『うう、酷い臭い……』
『やっぱここっぽいかね……うぷ』
侵入直前から僅かに鼻をついていた例の悪臭だが、ここに来てさらに濃度が高まったような気がする。
つんざくような異臭というよりは、もったりとした重さのある悪臭。しばらくは身にまとわりついてきそうな環境に、とっとと終わらせてさっさと屋敷に帰り、露天風呂ですっきりするんだと誓いボルテージを上げていく一同。
こんな酷い環境下で書類仕事なんかできるわけないだろ! という縁志の小声の訴え空しく、まずはそれらしいものを見つける宗一郎組。
『笑えるが、この世界にも裏帳簿の概念はあるようだ。もしくは先代いずれかの旅人たちが伝えたか? どういった目的があったのかは知らんが、いずれにせよ、数字を扱っていけば異世界だろうと人類が思いつく使い道は似たようなものか』
と、まずは実に分かりやすい証拠を押さえる。落としたり燃やしたりしてしまわないよう、さっさと宗一郎特製のポーチに仕舞い込んだ。
おそらく上の店舗に行けば表帳簿も存在しているのだろう。まだ誰か残っている可能性を考慮して上がってはいないが、可能であれば、あとでそちらも回収したほうが良さそうだと一応心の中でメモしておく有雨。
一方で、月夜と縁志の二人は。
『やっぱり、なにか実験してたみたいだよ』
『たくさんの鉄製の檻が並んでいる場所に来た。中には人間が入っていてどれも生きてはいるが、わざと気配を漏らしてもこちらには一切反応を見せないな』
呻き声らしきものはときどきあげているらしく、くぐもった声や、わずかな呼吸音から生きていると判断したらしい。
まだ死臭が漂っていないことも判断材料になったと追加される。
死臭は、強い。
そんなものが蔓延していれば、ガスマスクを装備していなければその場に立っていられないほど極めて強烈なのである。
漂っている悪臭も相当なものだが、死臭はおそらくそれを超えるだろう。
『並んでいる檻すべてに人間が収納されているのか?』
『いや、ごく一部だけだ。檻は十以上あるが、入っているのは確認できるだけで三人程度。月夜、こいつらは心配するだけ無駄だ。こいつらに対する判断をするのは俺たちじゃなくて、レイナード殿下の役目だぞ』
『うん……。ただ可哀想だなって思っただけだから、そこは大丈夫』
温厚で優しい性格をした月夜だが、呻き声をあげている人間たちがここにいるはめになっているのは、ほぼ間違いなく自業自得だ。いくら月夜といえど、そんな連中に対して慈悲を向けるほど人間はやめていない。
捕らわれ、無理やり違法薬物を注入されたケースであれば話は別だが、それがあっても心を割いてやる理由にはならない。
哀れだが、見捨てるしかない。
それが月夜の本心だった。
「――これはこれは。斯様な汚物の掃き溜めへと、ようこそお越しくださいました」
即座に抜剣。逆手に持ったショートソードの切っ先を、声が飛んできた方向へと向ける縁志。
月夜は抜刀ならず。しかしそれは油断でも遅れでもなく、配置的に前方に位置した縁志を傷つけぬためと、いつでもフォローに入るための動作である。
突如出現した声の主は、たまたま月夜にとって縁志の向こう側にいてしまったのだ。
「ほう、素晴らしい。真夜中に突如の来客とあって、すわ強盗かと用心してきたのですがなるほど、あなた方であれば納得ですな」
ぼ、と発火音。
室内各所に設置されていたらしいランプが次々に灯されていき、室内は明かりに満たされた。【
声の主は、老執事然とした人物だった。
その姿と声に、朧月夜の記憶が揺れる。
一度見たその白髪交じりの髪はきちんと整えられており、同じく整えられている白髭も合わせて容姿に隙がない。
『強キャラパターンっぽいな』
『……そうなの?』
『ああ、お約束というかな。こういう背筋がしゃっきりしてるいいとこの老人ってのは、ジジババ問わずやたら強いことが多いんだ。あくまでも漫画やゲームの話だけどな』
月夜も年齢に似合う程度には大衆文化に触れてはいるものの、さすがに定型文のようなものはまだきちんと理解しきれていないところがある。いわゆるテンプレというものを、月夜はなぜかあまり触れなかったらしい。
「ふむ、見知らぬ言語を扱うご様子。この距離で唇の動きを読めなんだのは、はて、いつ以来のことでしょうか」
頬が引きつる月夜と縁志。音に出なくとも通信中に唇は動く。この老人、さりげなく読唇を行っていたらしい。
『なるほど、強キャラ』
『だろ? 油断するなよ』
縁志が言いたかったことを実体験で知ることになった月夜は油断を消し切る。
……当たり前と言えば、至極当たり前な話なのだが。
いくら常識外の能力を後天的に付与されているといっても、対峙しただけで相手の強さを具体的に計測できる能力など、遥かなる星界からの旅人たちは持ち合わせていない。
ゲームであれば相手のレベルが数字表記されていたし、残りHPもバーで表示されていた。オプション次第では残り何パーセントとまで表示させることもできる。
だが、この世界にはそんなシステムもオプションもない。
よって二人は本当に相手が放つ雰囲気と、ついでに縁志はテンプレを思い出して用心しているにすぎないのだった。
『行くぞ』
縁志がその場から踏み出す音と、ショートソードの刃が老執事の腕に衝突した時の音に、どれほどの時間差があったのだろう。
攻撃を防がれた場所と音からして、袖の内側に何かを仕込んでいるらしい。
そんなことは関係ないとばかりに縁志は猛攻する。
握る剣を順手に逆手に、目まぐるしく握りを変えながら変幻的な動きを披露する。フェイクが混ざり、間合いが変わり、
「――これはすごい!」
本当に心底驚嘆でもしているのか、老執事は縁志の蹴撃を両腕で受け止め大きく後方へと弾き飛ばされながら褒め称える。
老執事の腕を守っていたのは、鉄鈍色に輝く、肘まで覆うガントレットだった。
なるほど、あれなら防ぐ。
返ってきた衝撃からして金属製だとまでは察していた。あの袖の構成でどうやってあんな重装備を隠していたのかは知らないが、なにせ、おまえそれどうやった、を毎度言いたくなる集大成な弟分がいるのだ。いちいち疑問に覚える意味はない。
「しかし参りました。まさかこれほどまでにお強いとは、いや本当に計算外のことですよ。私は正直、遥かなる星界からの旅人の中でもあなたは、最弱か二番目くらいを想定していたのですが」
「まあ、そう外れてはいないな」
縁志の戦闘能力は、実はそれほど高くはない。
縁志が修得しているスキルの大半は、主に偵察と追跡である。また罠の発見や解除等も担当する。戦闘も充分に可能だが、最大威力を発揮できるのは不意打ちや暗殺系の技ばかりであり、遭遇戦は想定できていても、正面から切った張ったの大立ち回りはあまり得意ではない。
よって老執事の想定は正しく。
敵と定めた相手の喉を裂く覚悟と殺気に、老執事はこのときになって初めて、生命の危機を感じて本気の回避運動を取った。
体勢を整え敵を見定め反撃に……転じる前に、眼前には刃の猛攻。
老執事は早くも身体に限界を感じながら、それでも片刃の斬撃を回避していく。
先ほどまで見せていた余裕などもうない。老執事はとにかく回避と防御に専念させられている。それも屋外ではなく、極めて狭い室内で。
相手も、同じ条件であるはずなのに。
圧倒的な速度と重さ。一撃一撃が確実に老執事を打倒し得る威力を秘めている。角度や速さからして、どうしてこんな攻撃を室内で繰り出せるのか。理解が段々と及ばなくなっていくのを、老執事は実感した。
すでに死に体直前。
宗一郎じゃあるまいし、目にも止まらぬ斬撃のすべてを防ぐことなど、老体にできるはずもなく。
ただ致命傷を避ける作業。
全生命力を賭けて良し悪しを選り分ける。
こめかみに、頬に、脇腹に、腿に、ふくらはぎに。武装がおろそかになっている場所は次々に斬り傷を負っていく。
そしてようやく。
間合いを取り直すためか、攻撃が停止する。
分かってはいたが。
あれほどの猛烈な攻撃の嵐を繰り出して来ていたのは、こんな底辺にこびりついた汚濁の終わりにおいてなお、一片も穢れることなく黄金に輝く美しい少女だった。
「はは、ほはははは。本当に素晴らしい。いやまったく、本当に素晴らしい。心底、まったくもって素晴らしい。実に捧げ甲斐のあるお嬢さんだ。此度の遥かなる星界からの旅人はみな実に良い。これならば、アイテールにいる我が主もご満足いただけるでしょう!」
「そうか。だが残念、私の実験に巻き込まれておまえは死ね」
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