第七話-④

 現在、そのイヤーカフを装備しているのは宗一郎と月夜だけ。そして装備者が遠距離にいようともその場で会話が可能であるという、まさに夢のようなアイテムである。

 どうやら月夜から連絡が来たらしく、宗一郎は左耳に手を当てつつなにかを喋っている。

 第三者視点で見れば、唇ははっきりと会話のために動いているのに声は一切聞こえないという、どうにも不可思議な光景になる。


「月夜さんが、せっかくだからこっちに遊びに来ないか、だとさ。いい加減、男が遥香一人でちと哀れだし、ちょっと呼ばれてくる」

「そうか。なら私はそろそろ自分の執務室へと戻るとしよう」

「別に遠慮しなくてもいいんじゃない?」

「有意義な話は充分にできたし、おまえとの会話はずいぶんと面白かった。私の口調はどうにも堅苦しいもので収まっているが、おまえのその口調は軽快で楽しいしな。多少名残惜しくはあるが、あまり長い時間邪魔をするのは憚られる」


 なんとも返事に困ることを口にする王太子に、宗一郎は思わず口を噤む。

 確かに相手は王太子だし、その口調もらしいといえばそうなのだが、妙な親しみやすさがあるのだ。そのせいか、本当に気付かないうちに口調がやたらと砕けている。

 直していいのか、直さずにいればいいのかで、ジレンマに陥りつつある宗一郎だった。


「ま、それならそれでいいんだけどさ」


 扉を開き廊下に出る。夜ではあるが一定間隔でランプが灯されているため、薄暗くはあるが真っ暗ではない廊下に出る。

 幾らか離れた先でも扉が開く音。


「あ、宗一郎くん」


 出迎えなのか、同時に月夜も廊下に姿を見せる。




 手を振りながら近づいてくる月夜の、背後の窓に。

 異界の生物のようなカタチをした何者かが、眼球を半分露出させ舌を伸ばしながら嗤っている。




「ッ―――!」


 彼女の名を叫ぶよりも、肉体は疾走を選択した。支援もなにもない、ただ強化されただけの身体能力で、豪奢な廊下を疾駆する。

 破砕される窓。ヒビ走る廊下。

 奇怪な形状の左腕が伸び上がる。

 伸ばされる宗一郎の右手。

 加速する意識が、時間に縛られる肉体に対して舌を打つ。

 届け、届け、届け。

 月夜が宗一郎の豹変に気付く。ついでゆっくりと、背後の窓に向かって振り返ろうとしている。

 そうじゃない。離れてくれ。避けてくれ。

 どれだけ願いを迸らせても届くことはなく。ならもういいと願うことを横に退けて、重心を沈め遠心力を溜め、前方に倒れる力を取り込んで足の裏に全力を叩き込み。

 ありえない距離を、一足飛びで埋め尽くす。

 窓の外から先手を取った化け物と、

 廊下の端で後手に回った宗一郎は、

 抱き続けていた覚悟の差で、欲望の毒手よりも先に月夜の肩に手をかけて、正面から抱きしめるように自身の身体をその間隙へと滑り込ませた。


「――っ、【防盾シールド】!!」


 宗一郎に突如抱きしめられる形となった月夜はしかし、素晴らしい反応速度で宗一郎に対して防御魔導を展開。硬質の衝突音の後、反射的に自らを襲ってきた物を視線で追う。薄闇の廊下に、禍々しく変性した黒く蠢く巨大な左腕があった。


「……なにあれっ!」

「分かんねえ! 遥香、二人を守ってろ!」

「う、うん!」


 咄嗟に、部屋から廊下を覗きこもうとしている遥香とリサに対して、出てこないように指示を出しつつ闖入者と対峙する。


「ッハアァァ!」


 闖入者は、成人男性の三倍ほどの大きさの左腕全体を炭化させた、顔半分に刺青を入れた男だった。


「あいつ!」

「あのときの野郎か!」


『根』での対人戦。蛇行剣を持った細身の男と大戦斧を持った大柄の男。その二人と行動を共にしていた、そして取り逃した最後の一人。

 咄嗟に距離を取り、いつもの戦闘態勢へ。

 宗一郎が先頭に立ち、月夜はそのすぐ背後へ。戦闘経験数はまだまだ少ない二人だが、決めてある戦闘隊形を瞬時に取ることくらいはできるようになっていた。


「月夜さん、怪我は?」

「ううん、大丈夫。支援行くよ」

「頼む」


 月夜から各種支援魔導が飛び、身体能力が劇的に向上する。

 現在、武器は携帯していない。

 よって取り得る攻撃手段は徒手空拳のみとなる。宗一郎は、格闘スキルは修得していない。それは月夜も同じだ。あらゆる武器を使用できる【勝利者ザ・ヴィクトリアス】だが、該当する戦闘スキルを育てていなければ素人も同然である。当時よりも状況は不利。

 どうやってこの場へ来たのか、それは定かではない。しかしそれ以上に、いまそれを考察している余裕もない。

 相手の容姿が以前と違って大きく変貌している。特にあの左腕の変容が顕著である以上、より一層の注意が必要だろう。


「ヒハハハ、よォ、久しぶりだな」

「こっちは二度と会いたくなかったけどな」


 宗一郎の返しに、刺青男はさらに口角を醜悪に持ち上げる。だらだらと唾液を垂れ流すほど、自制ができていない。


「ツレねェこと言うなよ。おまえらがここにいるって聞いて、急いで来てやったんだぜこっちは。見ろよ、おかげであちこち傷だらけになっちまった」


 薄暗くて見えにくいが、確かに刺青男は全身に傷を負っている。切り傷は言うに及ばず、殴打痕も見えるし出血もしている。突然の事態と状況に置いて行かれ気味になり、相手の状態が見えていなかった。

 満身創痍とまではいかないが、重傷一歩手前、と言えるほどには傷を負っている。

 なぜか。

 突破してきたのだ。王城の守りを、強引に。

 慣れない構えを取る宗一郎。

 薄闇に嗤うあの男は、特に左腕の得体が知れない。


『宗一郎くん、殿下は大丈夫、近衛兵の人たちが来てる。あと縁志さんたちを呼びに行ったみたい。声が聞こえた』


 宗一郎の陰で、イヤーカフの通信機能を使って月夜が報告してくれる。宗一郎はそれを、ごく小さく頷くことで返答とした。

 遠距離攻撃手段は、月夜の魔導がある。

 ただし、城内での戦闘だ。あまり派手にやることはできない。

 有雨が提示していた、突発的な戦闘に対する対応手段が間に合っていないのが痛い。

 取れる対応が限定される。あの左腕に素肌で触れない。躱し、弾き、往なす。反撃は難しい。


「月夜さん、攻撃の判断任せる」

「うん、任しといて」

「内緒話は済んだかよ?」


 にたりと嗤い、炭の左腕をはためかせる。

 肉食獣のような前傾姿勢。完全に宗一郎たちの命を標的にしている。

 宗一郎と月夜は、王城に被害は出したくないが。

 刺青男に、遠慮する理由は皆無である。


「行くぞオラ」


 刺青男は腰からワンドを引き抜き、こん棒のように振り回しながら、突進する。


「――ぐっ」


 左から迫りくるワンドを左腕で受ける。

 かなりの威力。月夜から防御系の支援も受けていなければ、激痛か、もしくは衝撃で痺れるくらいはしている威力。

 ばぢり。

 瞬間、全身を駆ける電流。筋肉が収縮し、動きが一瞬だけ拘束される。必死に眼球を向けてみれば、こん棒……ワンドの先端が電撃を纏っていた。

 炭化した左腕が、指を広げて宗一郎を照準に定め、


「【衝撃波ショック・ウェイブ】!」


 完璧なタイミングで、宗一郎の陰から姿を現した月夜が文字通りの衝撃波を魔導で撃ち放つ。

 吹き飛ばされながら空中で体勢を立て直し、刺青男は再び宗一郎たちに向かって突進する体勢を取る。と、同時に。


「続けていきます! 【雷撃槍サンダーランス】!」


 紫電の槍を生成し、投擲するように射出する。ワンドの先端で直撃を受け、流される。


「……威力高いの、選びにくいなあ……!」


 屋内で使えば要らぬ破壊と被害を呼び込みかねないという理由で、火炎と流水は特に使いにくい。

 対して刺青男は、ワンドの先端に巨大な炎の塊を生成する。


「遠慮ねえな!」


 撃ち出された火炎弾に対し、宗一郎は右手で素早く、空中に魔導文字を描く。火炎弾と魔導文字が衝突し、炎は被害を出す前に空しく離散した。

 再び互いに距離を置き睨み合う。

 宗一郎と月夜は、不利ではあるがまだ余裕がある。

 対して刺青男は、優勢ではあるが追い詰められていた。息は荒く、着地時に周囲に振りまいた血の量が増えている。あと少しで自滅に至りそうな雰囲気さえあった。

 見た目の上ではそうだというのに、しかし刺青男の顔は嗤っている。それが、二人には不気味で仕方なかった。


「チッ」


 露骨な舌打ち。

 嗤っていたはずの刺青男は、唐突に表情を不機嫌に染めた。


「つまんねえな」


 楽しんでいたらしい男は、機嫌と左腕をだらりと落とした理由を簡潔に口にする。

 その様子に、宗一郎は『根』で戦ったあの悪臭の男を連想する。戦いに楽しさを見出し、自身の悦楽を最優先するその姿は、今の刺青男とよく似ていた。


「興醒めだ。また来てやるから、それまでに整えとけ、クソガキがよ」


 言うが早いか、刺青男は自身が割った窓の枠に足をかけ、宗一郎らに背中を向けて堂々と立ち去ろうとする。

 一瞬の安堵。

 これで脅威が去ったと。その、あまりにも高校生しょうねんらしい油断の果てに。


「―――ハ」


 窓枠に掛けていた足が膨張する。

 それは自身を持ち上げるための運動ではなく。反転し突撃するための畜力。

 ぎしり、と枠が折れる。

 瞬間で溜め込んだ力すべてを一気に発し、刺青男は己の全身を、砲弾のように発射させた。


「――――!!」


 反応できたのは、ただの奇蹟。

 飛来してくる刺青男の姿を認めた宗一郎は、完全に反射のみで振り返り、月夜を守ろうと抱きしめる。

 しかし一歩遅く。

 宗一郎の右肩と月夜の左肩をごくわずかに裂く、炭化して鋭く歪んだ指先の姿があった。


「ヒ――ヒハハ、ハハハハハ! やった、やってやったぞクソヤロウ! お前らもう終わったぜ! ヒハハハハ、油断してくれてありがとうよクソガキ! なに安心しろ、掠ったただけで骨まで溶けるからよ! ハハ、あとはお前らがくたばるとこを嗤って見ててやっ」


 横合いから飛ぶ、破城の槌撃じみた横蹴りのカカトが、化け物の顎をがしゃりと砕く。化け物の視点で見上げてみれば、そこにはずいぶんと整った顔をした男が、見下ろしながら片足を伸ばしていた。

 突如視界が九十度曲がった化け物はしかし、身体感覚だけで当然のように後方へ跳ぶ。

 たった一足飛びで、化け物は闇夜へと姿を消した。

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