第七話-⑤

「宗! 月夜!」


 駆けつけ、迎撃した縁志が名を呼び振り返る。

 宗一郎は自分の右肩の傷を左手で押さえ、右足を立てて月夜に寄りかからせ右手で彼女の肩の傷を押さえている。どちらの手も淡く光が灯っていた。

 月夜は……気絶しているらしく、応答がない。


「大丈夫か!?」

「兄貴。わりい、いま、動けねえから、そこの俺の部屋の机にある小瓶、全部でいい、から取ってきて」

「ああ任せろ!」


 疑問を差し挟む余地などない。調薬技術も修得している宗一郎ならばと、縁志は、宗一郎以上の速度でもって部屋へ向かい、即座に目的のものを見つけて空いている革袋にすべて突っ込み、宗一郎と月夜のもとへと戻る。


「どうすればいい」


 切迫はしているが、縁志の声の調子は落ち着きを見せ始めていた。

 そういうところが大人でいいなと、ぼやけていく思考の中でなんとはなしに思う。


「その中に、とう、透明な紫色の液体が入ってる、陶器の小瓶がある。茶色の……」

「分かった。合っていたら頷け」


 それ以上は喋るなと縁志は態度で訴え、宗一郎は脂汗を浮かせながら頷いてみせる。まだガラスを手に入れていないのか、どれも確かに陶器の小瓶だ。

 後方でレイナードの声が聞こえる。

 誰かに対して命令を出しているらしい。その中には、警備を強化、侵入者の捜索命令を下している。また宗一郎らの状況を鑑み、邪魔にならない範囲で近づかないよう距離を置いてくれる命令を出してくれているのは、縁志としてはありがたい限りだった。


「これか?」


 さすがの縁志にも少々焦りが再び顔を出し始めたころ、宗一郎は真っ青な顔で頷いた。激痛にでも耐えているのか、息は荒く、頷いた直後は目を強く閉じている。


「は……それを、月夜さんの、肩に……」


 お前はどうなんだ。そう思わなくもないが、縁志はすぐさま瓶の蓋を開け、宗一郎が彼女の肩から手を離した瞬間を見計らい、慎重に内部の液体をかける。

 紫色をした透明な液体がごくごく浅い切り傷にかかると、急に蒸気が吹き上がった。


「ん、ぅ……!」


 月夜が気絶したまま呻く。

 だが、宗一郎と比較してまだ呼吸が安定していた月夜の肩の傷は、青紫色に染まっていた部分に赤みが戻り始めている。

 重さからある程度の量を測っていた縁志は宗一郎に目を向ける。宗一郎側もすぐさま意味を察し、息を吐き、間を置いてから一気に吸い込んで呼吸を止める。

 タイミングを合わせ、すぐさま宗一郎の傷にも薬液がかけられる。

 月夜のときと同じように蒸気が吹き上がり、宗一郎のこめかみに青筋が浮かんだ。

 直後、ぶはあ! と息が吐かれる。


「……大丈夫か?」

「…………ぁあ、なんとか。ごめん、おもっくそ油断した」

「それはお互い様だ。まさか城の警備を突破して直接来るとは、俺も思っていなかった。……例のクスリか?」


 最も懸念される心配事を問う縁志の声は、本人が思っている以上に低くなっていた。

 宗一郎はまだ汗が引かないまま、それでも先ほどよりはまだマシな呼吸で答える。


「や、違う。アレにこんな症状が出ることはないから、別のやつ食らった。今のは単純に未完成の万能薬を使っただけで、根本的には治療できてない。特化させてねえから、緩和にしかならないけど……」


 辛そうにしている宗一郎の腕の中では、月夜もまた額に玉の汗を浮かせ、幾つも雫を作っている。


「兄貴。わりいんだけど、月夜さん、俺の部屋に運ぶの手伝って。あと、それ終わったら遥香、連れてきて」

「ああ、分かった。先に月夜からでいいか?」


 こくりと頷く。

 直後、辛そうではあるが宗一郎は自力で立って自室へと向かう。彼のほうが症状が軽いのは、耐久値VITの差だった。タンクとしての能力か、最大HPも素の防御力も自己治癒能力も高い。

 ステータスの細かい数字を参照できる手段はないが、スキル同様に付与されているステータスは、こうして間違いなく効果を発揮していた。


「エニシ、取り急ぎ用件だけ伝える。このようなことがあった以上、この場所は厳重な警戒態勢に入る。煩わしく思うところもあるだろうが、しばらくの間は我慢してくれると助かる」

「ええ、こちらもそのほうが助かります。我々だけでは対応しきれないかもしれない」


 相手は城の警備を突破し、直接的にここへ来た。どのような手段でここに標的がいることを知ったのかは定かではないが、あの化け物は直接ここへ来た。

 なにより、この暗がりでも視認できるほどの顔半分を覆うあの刺青。『根』で遭遇したあの男で間違いない。顔は相当なまでに狂気に満ちていたが、あの特徴は忘れがたい。

 また来る。

 ほぼ確信しながら縁志は、月夜を横抱きにして宗一郎の部屋のベッドに寝かせる。


「宗、大丈夫か?」

「ああ、だいじょぶ。いまポーション飲んだから、さっきよりもだいぶマシ」


 別の小瓶の蓋を開け、中身を飲み干しているところだった。

 平時と比較してまだ調子は悪そうに見えるが、それでも攻撃された直後の状態よりは確かにマシになっている。

 そのまま宗一郎は月夜のそばに寄り添う。


「症状、ひどいのか?」

「いや、やばそうだと思って俺が寝かせた。咄嗟のことだったんで気絶させた、に近いんだけど。あれの指、人間じゃなかったし」


 体内に何を注入されたかはともかくとして、物理的な攻撃の威力自体は大したものではなかった。

 月夜の左肩にある傷口に指を近づけ、なにかの魔導を発動させる。傷が治ることはないが、傷口から黒く小さな塊が転げ落ちた。

 からん、と小さな皿に塊が落ちる。


「こっからは急ぎでやるから、兄貴はみんなを呼んできて」

「ああ。……無茶するなよ」


 部屋の前にて待機し始めていた衛兵二名に目的地を伝え、縁志は廊下へ消えた。縁志のそばに二人の兵士が並走するのが見えた。凄まじい対応速度に驚く宗一郎だが、そちらに意識を向けてもいられない。

 たまたまだが、こちらに調薬用の道具を持ち込んでいる。月夜の傷と自分の傷から採取した、炭化している粒を解析する。


「……くそ、どおりで万能薬でも効果が薄いと思った。激痛と発熱は単なる副産物か」


 万能薬はその副産物に効果を発揮していたらしい。意味がないとは言わないが、限りなく薄い。

 からんと音を立てて小皿の上に転がる粒。真っ黒なそれを睨みつける。試しにただの水を一滴、粒に直接垂らしてみれば、しゅわしゅわと明確な反応を見せた。


「……引くけど、まあ自然界じゃどういう仕組みだよっていうのを合成してるやつもいるしな」


 あの男も、そういう生き物に成り果てたのだろう。今後絶対に許すつもりはないが、人間から外れるというのは、ある意味で哀れなことなのかもしれない。

 本人はそれを喜んで受け入れているようにも見えたので、その事情に関係のない観客としては、勝手に心情を測って感情を動かす程度しかできないのだ。

 逃がしてしまった責任もある。

 覚悟が定まりきっていなかった報いがこれだというのなら、すでに高いツケを支払わされた。


「センパイ!」

「ソウイチロウ様! ツクヨ様!」


 遥香とリサが、血相を変えて飛び込んでくる。二人とも泣きそうな表情だ。


「月夜先輩は!?」

「大丈夫、命に関わるような傷でもなんでもないし、すぐに治す。ただ結構痛むから、今は寝てもらってる」


 遥香たちが反射的に室内のベッドを見る。ここが宗一郎に宛がわれた部屋だということも忘れてそちらを見れば、確かに月夜が綺麗な体勢で寝ている。しっかりと呼吸して胸が上下しているのを見て安堵する二人。


「遥香、速攻で薬作るから手伝って。リサ、わりいけどもうすぐ起きるだろうから月夜さんの様子見てて。大丈夫だと思うけど、苦しみだしたりとかしたらすぐ教えてほしい」

「はいっ!」


 リサの頼もしい返事を聞き、遥香はその背後ですぐさま助手としての動きを実現するために精神を切り替える。


「黄昏草の粉末と、あとは蒸留水。ライズアロエのジェルも用意しといて」

「うんっ」


 指定された素材をポーチから取り出し、すぐさま加工を始めていく遥香。他にも指定された素材を取り出してはそれぞれ個別の乳鉢に入れたり、必要であれば事前に混合作業を終わらせておいてから宗一郎へとスライドする。ゲーム時代から二人がよく使っていた、連携製造システムである。二人以上で特定のアイテムを製造する際、素材加工から製品加工までの作業を分担して高レベルアイテムを製造する際の負担等を減らせるシステムだ。


「センパイと月夜先輩、毒攻撃を貰ったんですか?」

「結果的にな。未完成万能薬を突っ込んで進行は止まってるから、今のうちに治療薬を作ってとっとと治しちまおう」


 今回二人が作っている薬は、多肉植物の果肉をベースにしたジェル状の塗布薬である。

 宗一郎は完成した塗布薬をすぐさま指ですくい取り自分の右肩の傷口に塗りたくる。

 しゅうしゅうと何かが蒸発するような音とともに今度は白い蒸気が立ち上り、すぐさま黒くなる。蒸気が収まったころには、浅いとはいえ確かに残っていた傷口も完全に消えていた。

 さらに三十秒。

 塗布薬の効果と副作用の有無を確認し終えた宗一郎の顔色は、ほぼ完全に先ほどの突発的な戦闘の前と変わらない状態にまで戻っていた。

 その背後で。


「あ、ツクヨ様っ」


 リサの懸命な看病の効果か、月夜が無事に目を覚ましていた。


「月夜さん、調子は?」

「……まだ、少し、くらくらする」

「分かった。リサ、これ塗り薬だから、月夜さんの肩の傷に塗ってやって。俺と遥香はその間、少し離れてるから」


 肩程度とはいえ、服を下ろして肌を見せる行為自体、異性がいる場所で実行するのは躊躇いがある。宗一郎はそう判断して、リサにできたばかりの薬を託し、遥香とともに部屋の端へと移動する。


「……センパイが怪我したって聞いて、血の気引きましたよ、僕」

「わりい、ほんと油断した。次からはこんなことないようにしたいところだけど……」


 遥香の苦情めいた心配に謝りつつ、今度こそ、先ほどのように突然の戦闘にもすぐさま対応できるものを作っておかねばならないと、宗一郎は内心で強く決意する。


「これからちょい忙しくなるわ。遥香にも色々手伝ってもらうから、覚悟しといて」

「うん、了解です。……なんかいまの、ちょっとだけゲーム時代思い出すね」

「そう、だなあ……」


 もう、この世界が現実になってしまった。

 ゲームのシステムを使える場面も多々あるから、どうしてもゲーム感覚が抜けきれない。おそらく、今回の負傷はそういった無意識の油断が引き寄せたのだろう。


「早く帰りたいな」

「ですね……。今度は自分も誘ってほしいって、月夜先輩も言ってましたよ」

「そか。まあそういう約束してたしな」


 階段での約束。

 一部果たされてしまった気がしなくもないが、よくよく考えてみれば、ゲームで月夜に刀を作るという約束はまだ果たされていないことに気付く。

 帰還がいつ叶うかは分からない。

 一ヶ月や二ヶ月で達成できるほど甘くはない気がしている。

 宗一郎は、いまだけは帰ることへの考えに蓋をして、目の前のことに集中しようと思考を改めた。


「お二人とも、もう大丈夫です」

「お、あいよ」


 リサから声がかかり、ベッドの上の月夜のもとへと向かう。

 まずは、迫りくる直接的な脅威に対処するための方法を考える。

 先ほどの戦闘に対する反省会をしているうちに、夜は更けていった。

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